2007/3/26

N響 年間ベスト10 オーケストラに必要なもの  ニュース

N響の年間ベスト・コンサートが、25日の「N響アワー」の放送で発表されましたので、それについて、すこし思うことを書いてみようと思います。なお、この記事は「瞬間の音楽」というブログを参考にし、おもに、ソリストではなく、コンサートのほうに注目しています。

ランキング自体は、コンサートの質そのものを完全に反映しているとは見ていません。まず、どんなに素晴らしいコンサートであっても、注目度が低く、集客がうまく行かなかった公演は、当然、ランキング上位に来ないからです。ですから、とりあえず注目度の高かった公演が、上位を占めています。1・2は、N響がはじめてピリオド奏法に挑戦するということで話題を呼んだノリントンの公演であり、デュトワ、ブロムシュテット、スクロヴァチェフスキといった古参の人気指揮者に加え、音楽監督のアシュケナージを中心としたランキングになっています。

もうひとつ、ソリストが上位に入った公演は、その印象も手伝ってコンサートでも上位に来ることが多く、その点、今シーズンは、庄司とテツラフの1・3が、ランキングを押し上げた形になっています。こうしたバイアスを考慮に入れて、ランキングを見ておきたいと思います。

それにしても、いささか意外なランキングでした。このなかで、自分が聴いたのは、デュトワが指揮したベルリオーズの「ファウストの劫罰」と、ブロムシュテットの「ミサ曲ハ短調」だけなので、十分な評価はできませんが、放送されたものの印象や、評判などから見て、予想できないランキングだったと思います。自分の聴いたもので、「ファウストの劫罰」が4位に来たのは、意外も意外ですね。収録日だったこともあり、まったりした演奏で、うまくまとめてはいましたが、大満足な公演ではなかったからです。

意外に伸びなかったのは、私も観にいったメモリアルの、スクリャービンの色光ピアノ付「プロメテウス」です。また、大事なひとりが欠けてしまったこともありますが、正指揮者の凱旋シリーズも、思ったような効果を上げられなかったようです。

そして、何より1・2がノリントンだというのは、まさかでしたんr。放送ですこし聴くだけでも、未完成でした。リハーサルの映像で、ノリントンのノン・ヴィブでやってみますかという質問に、篠崎さん、間髪入れずに「ノー・プロブレム!」と返したのは可笑しかったですが、本番の演奏は、まだまだノリントンの求めるものの半分くらいの出来でしょう。実際に聴かれた「瞬間の音楽」の書き手も、名演というほどでは・・・と仰っています。多分、そうなんでしょう。

しかし、もうすこし踏み込んで考えてみましょう。なぜ、N響を聴いた人たち(注:会員以外も投票できます)が、十分なレヴェルで熟成していたとはいえないかもしれない、ノリントンの共同作業を評価したいと思ったかです。私もそうですが、聴き手は多く素人なわけですから、こうした想いの部分を重視すべきだと思います。

まず、ひとつあるのは、ノリントンに限らず、上位に来たものはすべて、指揮者の個性が色濃く反映されるプログラムが揃っているということです。デュトワのベルリオーズにしても、もっとグリグリ抉ってもいいのではないかという演奏でもありながら、なるほど、デュトワらしい色彩感の華やかさとか、表情の豊かさということでは、目立った公演でもあったのです。最近のブロムシュテットを象徴する、肩の力の抜けきったブラームスやモーツァルトの演奏、ツァグロゼクのモーツァルトのしっかりしたフォルム、定評あるスクロヴァチェフスキのブルックナーに、アシュケナージのショスタコーヴィチ・・・。

そして、もっともわかりやすかったのは、ノリントンの導きによる新しいスタイルの印象だったのかもしれないと思います。また、英国音楽はもとより、'sir'の称号をもつノリントン母国の音楽ですからね。

N響はアシュケナージの任期満了後は、しばらく音楽監督を置かない体制が決まったそうですが、彼らの楽団としての欠点は、結局、長期的な視野に立って、彼らの目指すべき方向を示すことのできる指導者をもたないことにあります。この点で、デュトワは卓越したオーケストラ・ビルダーとしての手腕をみせ、レパートリーの拡充や、オペラへの進出などで、一応の成果を挙げたといえますが、その後、アシュケナージは旺盛な楽旅などを通じて、国際化への道を開いた以外では、目立った方向性を示し得ていません。

しかし、これはアシュケナージ本人の責任というよりは、もともと、そうした変化をもたらすことのできる権限を与えなかった、楽団全体の問題であると思います。

そこへ来て、ノリントンの仕事というのは、ひとつ、N響のファンたちに希望を与えたのではないでしょうか。確かに、目下のところ、深い古典的教養に加え、現代的なセンスの持ち主でもあるスダーンにトレーニングされた東響のほうが、より古楽的に、キレのいいモーツァルトを演奏できるとする、「瞬間の音楽」の書き手の主張も、この楽団をこよなく愛する私には、理解できます。しかしノリントンは、ピリオド派の中でも、もっともラディカルな指揮者のひとりであり、N響のもつフォルムは、東響とは比較にならない堅固さがあります。これは、N響の奏者のセンスが硬いというわけではなく、むしろ、東響が柔らかすぎるのです(もちろん、それはいいことでもあります)。

今回、ノリントンはN響を思いどおりに動かし得たかどうか、疑問です。しかし、ノリントンの再登場への期待は、この投票からハッキリ読み取ることができます。私は、ほんのちょっとの放送ながら、N響が、ノリントンの誇るシュツットガルト放送響にも比すべき可能性をもっていると、感じました。N響を高く買うノリントンのインタビューは、あながちリップ・サーヴィスではないように思います。何事も、最初から万事がうまく行くことはあり得ません。東響だって、スダーンがはじめて自分のスタイルをガッチリ当てはめた、就任披露の「第九」では、散々な出来だったのです。そのことを、N響の聴き手たちはよく理解しているのでしょう。

来年は、継続会員の多かったサントリー定期が、ホール改修のために東京文化会館に場所を移し、自動更新ではなくなりますよね。その点で、ひとつの修羅場になる可能性を指摘しておきたいと思います。注意深くやらないと、放送局本体が危機に曝されるときに、楽団の存在意義そのものが疑われかねない事態になるかもしれません。N響の会員は保守的であるかもしれないですが、同時に、ノリントンが導入したような、ラディカルな変化にも期待を抱いていることが、よくわかるランキングでした。

ただ並べてみるだけなく、そこから読み取れるメッセージを、今後の公演づくりに生かすべきだと思います。
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