2007/3/22

4月の期待のコンサート インドラ・トーマス in トリフォニーホール  期待のコンサート

4月は、ハーディングがLSOを率いて来日するのが最大の話題になるでしょうが、これにグルーベロヴァとシュタットフェルトのリサイタルがあります。オペラの森は、ムーティの再登場です。マリボール歌劇場の珍しい「ラクメ」の上演と、ヴォルフ=フェッラーリのこれまた珍しいヴァイオリン協奏曲のコンサートもあります。読売日響には、いよいよ新しい常任指揮者としての、スクロヴァチェフスキがやってきます。

そのなかで、私が目をつけたのが、すみだトリフォニーホールを舞台とするインドラ・トーマスのリサイタルです。この程、新国の「運命の力」で初来日を果たし、来る24日が千秋楽なのですが、なかなかの評判です。写真ではわからないのですが、同郷のジェシー・ノーマンを思わせる立派な体型であるので、見かけは大味かもしれませんが、声の美しさは素晴らしいということです。新国のほうはパスなので、是非、この機会に聴いてみたいと思っています。

プログラムは全体像がわかっていませんが、アイーダ、仮面舞踏会、エルナーニといったヴェルディ作品のアリアに加え、ブラームスの「ジプシーの歌」が予定されていて、なかなか興味ぶかい内容です。大ホールですが、響きのいいホールですし、声量はあるという評判なので、良い席がとれれば問題ないでしょう。伴奏はピアノで、伴奏者、コレペティとして経験豊富な河原忠之さんが務めます。

【公演データ】インドラ・トーマス ソプラノ・リサイタル

 日時:4月21日 14:00〜

 会場:すみだトリフォニーホール 大ホール

 主催:サモン・プロモーション
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2007/3/22

新日本フィル ローエングリン 3/21  演奏会

新日本フィルのセミ・ステージ形式オペラも、お馴染みとなった。今回は、いよいよワーグナーに挑戦するということで、注目が集まっている。初日の21日の公演を観たが、なかなかの出来に仕上がっている。

この公演は、まずはオーケストラに注目しなければならない。普段、ピットに入る機会はあまりない新日本フィルだが、そのわりには、いつも結果がついてくる。このシリーズのほか、二期会の「フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ」、演奏会形式だった「ダナエの愛」日本初演など。今回も、その例に漏れない。ピットというか、伴奏はかなりまとまった演奏だ。

アルミンクはプレ・トークで、オケが舞台上にあがっていることに配慮して、歌手の声を引き立たせるために、(音量を)5割くらいに抑えて演奏すると言っていたが、確かに、そのとおりだった。ここは落としすぎではないかという瞬間もあったが、全体としては聴きやすく、ちょうどいいレヴェルで、よく我慢したものだと思う。

しかし、例えば、有名な第3幕への前奏曲などは、実に立派だった。イタ・オペ風の華やかな立ち上がりから、金管の咆哮を、精度のいい弦がガッチリ支えていた。中間部の抑えた部分がとりわけ美しく、両端の壮麗な部分との対比が効いていた。

歌手陣は、新国にも負けないようなレヴェルの歌手が揃った。名前としては、メラニー・ディーナーが圧倒的に有名だろうが、セルゲイ・レイフェルクス(テルラムント)、トマシュ・コニェチュニ(ハインリッヒ1世)、石野繁生(伝令)で固められた低声の安定感が、とりわけ印象的だ。ただ、レイフェルクスは多分、人柄が良いため、こういう役柄にあっているかどうかは疑問だ。

これにオルトルート役のメッツォ、アレクサンドラ・ペーターザマーが加わる。彼女が、今公演ではもっとも印象的だった。第1幕では目立った出番がないが、最後、勇士(ローエングリン)が讃えられる中、オーケストラやコーラスまで向こうにまわしながら、ちゃんと声が聴こえてくるので楽しみだった。第2幕の最初は、いささかカルメンっぽい感じで、毒が足りない感じもしたのだが、エルザに言い寄る場面で、一時だけ本性を見せる場面では、ビビッと来た。そして、最後の幕のカミングアウトの場面で、ノック・アウトだ。完全に、エルザを喰った。

エルザのメラニー・ディーナーは、今年もルツェルンで、アッバードの「第九」のソリストをやったりする一線級のソプラノだが、この日のパフォーマンスは、いささかフォルムが甘い。実年齢よりもかなり下の女性を演じねばならないが、その点では、若々しい声をしっかりつくって、魅力的な場面も多い。だが、歌いだしをはじめとして、たまにフォルムがほろっと崩れてしまうのが残念で、声の伸びも十分でない。ただし、第3幕で、秘密を共有することで、自らの誠意を証明したいと迫る場面の迫力や、第1幕で、夢にみた勇士のことを語る場面などは、高い説得力を示した。このあたりは、とりわけ歌い慣れているのであろう。

(*ディーナーは体調不良ということだ。さもあろう。)

同じく、外題役のスティー・アナーセンも、勿体ない歌唱だった。まず、手足が短く、ぷよっとした外見には、ひとのことを言える立場ではないが、がっかりだった。しかし、声はきれいだ。白鳥に語りかける部分は、アルミンクも軽めの響きをつくって、まるで童謡でも聴かせるような感じで、上手にやっていた。しかし、声の伸びがいまひとつで、ローエングリンらしい神がかったような雰囲気もない。ネモリーノなら良いかもしれないが、「グラール語り」ともなると、やや深みに欠ける。

演出はセミ・ステージ形式なので、できることも少ないが、ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人間」の図が開幕前からぶら下がっていたり、最後の幕で、ブラバントの人たちが青いシャツで統一されている意味が、私には十分わからない。プレ・トークでは、指揮のアルミンクと演出の飯塚励生が、セミ・ステージというのを積極的に捉えた発言をしており、期待を抱かせたが、さほど見るべきものはなかった。

アルミンクのワーグナーは、私好みとはいえないが、面白い演奏である。特に、オーケストラのアンサンブルを高いレヴェルで掌握し、見るからにフィジカルなフォルムをつくりあげた点と、随所に現代音楽を思わせるような分離的な響きを聴かせた点において、特筆すべきものがあった。歌手との関係は、この公演におけるひとつの聴きものであり、さほどピット経験は多くないはずだが、アルミンクの卓越したコミュニケーション能力には恐れ入った。

ドラマとして特に印象深かったのは、こちらももっとも、あちらももっともと思わせる、演説の面白さであろうか。とりわけ、第3幕第2場でのエルザとローエングリンの言いあいが出色だ。ここでエルザは、自らが秘密を共有することで、夫との一体感を得たいと主張する。例えば、「トリスタンとイゾルデ」は、両方の名前が揃ってこそだ。「××とイゾルデ」では、その「と(und)」に込められた関係が成り立たない。ここでは、イゾルデのところに、エルザの名前が入る。だが、ローエングリンは、自らの行為がその誠意を証明している、自分の胸の情熱を感じて、信じてほしいと主張する。このあたりは多分に、宗教的信仰の話にも通じるが、面白い問答だ。

もうひとつは、神に対するローエングリンやエルザたちと、オルトルートの考えの対立である。ワーグナーは、この劇を、勧善懲悪的な二元論では描いていない。テルラムントは死に、オルトルートも敗れるが、エルザだって幸せになったわけではなく、ローエングリンもブラバントから去っていかねばならない。彼らの演説には、それぞれ一理があるが、また、それぞれに、どこか足りないところがある。

エルザの誠意は立派で、信仰も健全だが、ただ信じるということにおいて綻びが生じており、そこが弱点になる。ローエングリンは完全無欠の聖騎士であろうが、エルザを十分に納得させられない。オルトルートの信仰は歪んでいるが、ローエングリンのイメージする神を絶対的なものと見なければ、彼女の主張にも聴くべきものはあろう。エルザと比べると、オルトルートのほうが一貫した考えの持ち主だ。

演出は最後、ローエングリンを舞台の死角へ入れ、エルザを後悔でうずくまらせる。オルトルートは、ダンサーがゴットフリート少年を出したところで、おもむろに倒れ、隠しで見えなくさせられた。このエンディングは、やはり、誰の考えもどこかに綻びがあることを、よく示している。

コーラスは栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)だが、こちらもときどき乱暴になるものの、基本的には丁寧な歌唱で、まずまずの出来であった。
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