2007/3/4

オーケストラ・ダスビダーニャ 交響曲第15番 3/4  演奏会

このオーケストラはアマチュアですが、ショスタコーヴィチを専門としていてプログラムが変わっているのと、前々から良い評判を聞いていて、いつか聴きたいオーケストラでしたが、この日、ようやく実現しました。「ダスビ」と略すそうです。指揮者は結成以来、このオーケストラを振りつづけている長田雅人さんです。

まず、オーケストラ全体の印象ですが、噂どおりに高レヴェルであることは間違いありません。特に、弦の精度が高く、トレモロの動きの美しさなどは出色です。木管も上手だし、金管も悪くない。女性のホルン奏者が複数いるのは驚きです。そして、ショスタコーヴィチを弾くために集っているメンバーであるだけに、独特の共感が感じられるのがいいですね。

この日の演奏会では、交響曲第15番がもっとも印象的です。というか、この曲はよくわからないところもあるのですが、聴きおわったときに、マーラーの交響曲のように、かなり腹にこたえる感じのする曲です。1時間もないのですが、これ1曲でも十分に満足感を得られるでしょう。

さて、ダスビの演奏はというと、実に丁寧で、好感の持てる演奏でした。第1楽章は激しい曲想の変化をしっかり捉まえて、機敏なドライヴを見せてくれました。第2楽章はたっぷりとした演奏で、その分、ソロはアラが目立ってしまうけれども、全体としてはよく聴きあった演奏で、この曲のもつ本質的な魅力が、そこにあることを感じさせてくれます。

私はこの交響曲にとって、もっとも大事な部分は何だろうと、いつも考えさせられます。いまのところ、軸となる要素として、3つのものに絞って考えています。1つは、自らの死期を悟ったショスタコーヴィチが、自分の頭の中にあるものを、すべて詰め込んで形にしたとするものです。このなかには、スターリン時代などであれば、「二枚舌」などと言われかねなかった、彼の尊敬する作曲家へのオマージュや、その主題を借りた変奏的なものへの試みも含まれます。また、彼の思い出ばなしも絡んできます。

2つ目は、ようやくにして自らのやりたい音楽(それは第1番の交響曲に端的にみられる)に戻り、失われたときを越えて、いまはもう、自分よりもはるかに尖鋭な音楽が試みられている、時代に対する挑戦だという視点です。そして、もうひとつは、音楽に対する信頼です。彼は、自分がどんなに新しい試みをおこなおうとも、奏者たちがこころを合わせ、互いを配慮しあって演奏すれば、自然と美しい響きが現れることを信じ、その確信に基づいて響きを組み上げたのです。

その最後の点で、この第2楽章は説得力がありました。例えば、トロンボーンのソロを、低音弦で支えるときの絶妙なバランスや、チェロの独奏を聴いて全体が動き出すときの、響きの動揺のしなやかさなどが、実に丁寧に配慮されて、意味はわからなくとも、響きの重なり方の妙や、その繋ぎの美しさで大いに楽しむことができたのです。切れ目なくつづく第3楽章を経て、最後の楽章は、迫真の出来でした。特に、最後の打楽器とチェレスタによる優しい表情が印象的で、それが(政治犯収容所の牢獄に囚われた)囚人たちの合図の音であるというロジェストヴェンスキーの証言がプログラムに書かれているけれど、そんなことを知らなくても、互いがよくよく聴きあわねば、あんな風に美しい響きにならないと気づきさえすれば、それで十分なのです。ダスビのパーカス陣、こころ合わせて、実によい演奏をしました。あの響きから、作曲者が抱いていた明日への希望が読み取れました。

長田さん、すごく切れるという感じではないですが、丁寧に説明してオーケストラを導いているという感じがしました。

最初の映画音楽「ピロゴフ(先駆者の道)」による組曲は、ここでなければ聴けない楽曲でしょう。面白かったです。荒井英治さんを独奏に迎えてのヴァイオリン協奏曲第1番、第3楽章のカデンツァには唸りました。最後はもう少しプレゼンスを発揮してもいいかも。オーケストラはコンチェルトではやや控えめで、弦の精度が生かしきれなかったという感じです。荒井さん独奏のアンコール、「馬あぶ」のノクターンも美しい演奏でした。さすが、モルゴーアの荒井さんです。
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