2007/1/29

オペラ彩 トゥーランドット 1/28 A   演奏会

前のエントリーのつづきを書く。この公演、既述のように演出は直井研二である。市民オペラの経験豊富で、このオペラ彩でもお馴染みの演出家である。今回は、中国の城の前庭を舞台に、写実的でコンサヴァティヴな演出で、これといった解釈や独特の動きはないものの、最近の流行というべきか、3人1組(×2)のバレエダンスが目を楽しませた。第1幕の前に、銅鑼の音色をときどき聴かせながら、マイムで昔の姫が殺される場面が挿入されたのは独特だ。

今回は、姫と皇帝、大臣以外は貧民ばかり(カラフやリューにしても)なので、衣装を飾り立てる必要がなく、その分をPAにかけた。直井は今回、合唱などが表で歌うべきかどうかにあたまを悩ませたと見えて、かなり多くの部分でPAを使ったが、その意図は汲み取ることができる。エコーをかけたり濁らせたりして、こころのなかに鳴り響く声や、はっきりとは聴こえないうわさ話のようなもの、本当の声か幻想の声かわからないものなどとして、上手に提示していた。銅鑼など、一部、楽器を拾わせる部分もあった。若干、使いすぎだとはいえようが、それが公演全体を台無しにするような質のものではない。

それ以外の部分では、リブレットに書かれた以上の、踏み込んだ解釈などは見られない。その中で面白かったのは、第2幕のピン・ポン・パンの語らいの部分で、郷愁のセンチな回想部分を童心の表れのように解釈し、キャスターのついた椅子を滑らせて、夢見心地に舞台のうえに遊ぶ姿は、いかにも可愛げがあった。あとは、3つの謎が解かれるごとに、姫が上段から徐々に降りてきて、ついにはカラフに見下ろされるようになるのが面白かった。

ドラマに関する私の最大の興味は、リューの死を、どのような形で乗り越えていくかにあるのだが、その点は、直井演出はほとんど何の解釈もしていない。とはいえ、そのことを、敢えて批判する気にはなれない舞台だった。

管弦楽は澱みなく、テンポ的にも早めだと思うが、なにしろ引っ張らないというのが特徴的である。この意味については、前のエントリーで推察してあるので繰り返さない。特に第1幕はからっとした仕上がりで、そのまま第2幕に突っ込んでも、まったく差し支えなかったほどに、前へ前へと音楽が進行していくのは、いささか驚いたが、なるほど妥当な解釈であると考える。

かといって、場面場面の印象が薄いという感じはしなかった。第1幕の最初で父子再会を喜ぶ場面の緊張感が素晴らしかったし、さっきまで首切りの娯楽に息巻いていた群衆が、見目麗しいペルシャの王子に同情する場面は、王子役のバレエが説得力抜群で、歌唱も丁寧なら、ペルシア風の音楽をくっきりと象ったオーケストラも上手で、よく印象に残っている。ここでちょっと姿を見せて、斬られる囚人を一瞥しただけで下がっていく姫の姿も気を引いた。リューのアリアのあと、秋谷の「泣くなリュー」が出色で、特にリューに向かって、残される老父を助けてくれと(身勝手に)頼む場面に力があった。

第2幕は全体のコアとして、今公演では、もっとも重視されていたかのように思える。ピン・ポン・パンのやりとりは、嘆き・郷愁・平和の夢・諦めという風につづくが、特に、夢を語る部分の3人のアンサンブルが、なんとも温かく印象的だ。皇帝とカラフが、去れ、否、試練を受けると言いあう場面も、アカペラの美しい節回しに緊張し、手に汗を握った。

トゥーランドットは、低予算でもゴージャスに、上品に飾られており、並河の姿がとても美しい。だが、最上段の高いところで歌うと、やはり言葉が聞こえにくくなる。このことに、多くの演出家があまり気づいていないか、気づいていても、それに代わる適切な手段を見つけられないようだ。だが並河は、自分がなぜこんな態度をとっているかと演説する場面で、実にシャープで丁寧な歌唱により、十分に説得力のあるところをみせた。カラフが、ちがう、謎は3つで生がひとつなんだ・・というのに対して、姫のほうは謎は3つで死がひとつと主張しつつ、ついに最強奏をうつ場面では、神田がコーラスと管弦楽を燃え上がらせて、並河の声のもつ強靭な部分を引き出したことは、前のエントリーで書いた。

姫の謎かけの部分はすごく上品で、カラフの答えの部分が毅然としていい感じだ。謎が解けたあとは、例のコーラスの素晴らしい山場を頂点に、この日のもっとも感動的な場面が訪れた。第2幕最後の、コーラスとオーケストラのアンサンブルの、この上もない強靭さと、そのアンサンブルの安定感に、再び拍手を送りたい。

第3幕の冒頭は、最高潮に達した第2幕のおわりの緊張感に比べて、やや停滞した感がある。「誰も寝てはならぬ」のアリアは、喉の疲れもあろうが、力が入りすぎた。むしろ、その後、あんなに善良にみえたピン・ポン・パンや、群集が牙をむいて、カラフやリューを責める場面が印象的になる。姫がリューに言い寄って、カラフを売らせようとする場面は、ヴェリズモ的な流れとの対比で面白い部分だが、やや姫の迫り方が淡白だったかもしれない。リューの最期のアリア「氷のような姫君も」は、気持ちのこもった羽山の歌が素敵だったが、あまり強烈にはやらずに、リューの寂しさをぐっと内面に閉じ込めていくような死に方が、羽山の良い面を引き出した。それゆえ、次のティムールの嘆きが魅力的に聴こえたのである。

アルファーノ・エンディングはやや緊張感に欠けるといったが、それは曲のつくりの問題で、ここでのカラフと姫のやり取りは、実は、今回、とても楽しめた。これはやはり、並河が姫の厚い仮面を脱いで、繊細な女の姿を歌うことに長けていたということに、はっきり関係すると思う。それだけに、プッチーニの書いた部分と比べたときに、アルファーノの書いた部分がやや単純に思えた部分もあった。だが、例えば、ダン・ダダン・ダンと打楽器をうって、ついに姫が接吻を受ける場面のつくりなどは、見所もある。

単純な、恋人同士の掛けあいも悪くはない。秋谷も終盤は声に艶が戻ったし、大事な最後の言葉「e Amor」に向けて、並河の持っていき方も素敵だ。「誰も寝てはならぬ」のテーマが再起するため、先程の欲求不満も埋めあわされたし、こういう場面で神田のみせる統率力は、音楽の単純な感動を何倍にも引き立てる。

こうして大きな感動を伴って、劇は幕を閉じた。市民オペラにしては、相当に盛り上がったカーテンでもあったと思う。素直に、成功を喜びたい。
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