2007/1/3

ヨーゼフ・シュトラウスを中心に 〜シュトラウス家のワルツについて  クラシック・トピックス

今年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートはご覧になったでしょうか。昨年は、ヤンソンスが情熱的な指揮ぶりでいっぱい汗をかき、音楽のなかに秘められたメッセージを響きとして掴み出しておりましたが、今年のズビン・メータは、音符のひとつひとつが包み込んでいるエネルギーが、内側からピチピチと膜をやぶって弾け出てくるのを拾い集めてくる感じで、あまり体力は使わないけれども、不思議と音のパワーを感じ取れる演奏でした。

さて、今年のコンサートで、「ワルツ王」息子ヨハンに次いで、6曲が取り上げられたのが、ヨーゼフ・シュトラウスです。彼は、「ワルツの父」たるヨハン・シュトラウスT世の次男であり、「ワルツ王」ヨハンからみれば、弟に当たる人物です。1827年生まれ、兄よりも2つ年下。彼は兄のヨハンにも作曲の能力を認められた人物だったのですが、兄にその道に引き込まれるまでは、工業技術者としての道を歩んでいました。

元来、父・ヨハンは、長男のヨハンが音楽家になることにも反対し、経済学を学ばせたそうですが、その道の厳しさを誰よりもよく知っていたからこそ、息子たちには、もっと現実的な仕事をさせたいと思っていたのです。ヨーゼフもまた、父の想いを受けて、手に職のつくテクノクラートとして身を立てようとしていたのでしょうか。

兄のヨハンは、父親の反対を押しきって音楽家としての道を歩みはじめ、ウィーン革命で革命側に肩入れするような行動をとって、干されたりもしながら、徐々に盛り返して、ロシアの保養地で莫大なフィーを貰ったりしながら、自らの楽団とともに、いわゆるカンパニーのようなものをつくっていったのです。そのなかで、ヨーゼフは兄の片腕となることを求められ、指揮棒をとったり曲を書いたりして、シュトラウス・カンパニーのために力を尽くすことになっていきますが、ヨーゼフは兄よりも早く、1870年に没しています。

このカンパニー、今でいえば、有名音楽家が自分の事務所を構えて、部下に仕事のマネージメントをさせたり(この場合は妻)、作曲のアシスタントを雇って手伝わせながら(この場合は弟)、もちろん、注文に応じて作曲を進めもするし、創作した作品の保護や権利の管理などもさせるというような、そういう形のものであったと思います。ヨーゼフが1899年に亡くなると、残っていた弟のエドゥアルトがカンパニーを引き継ぐことになりますが、2人の兄ほどの才能に恵まれていなかった彼は、楽団を解散してカンパニーを潰し、そして、驚くべきことには、その人生の最後に、兄たちから引き継いだ貴重なスコアを焼却するという暴挙に及んでしまうため、現在、その評判はよくありません。

さて、肝心のヨーゼフの作品ですが、彼も兄同様に多作であり、総じて220にも及ぶといわれますが、どうしても「ワルツ王」の陰に隠れがちで、ヨハンの作品ほど頻繁に演奏される作品は少ないかもしれません。しかし、「天体の音楽」「憂いもなく」「女心」など、今日も愛されている曲たちは、非常に繊細で、味わいぶかい曲ばかりです。今年、メータが演奏した曲でも、前半の「うわごと」や、後半の「ディナミーデン」などは、いつものニューイヤー・コンサートでは、なかなか味わえない内奥の感じられる音楽だったのではないでしょうか。

ディナミーデンについては、技術者だったヨーゼフが磁力の神秘を表した音楽だという文字解説がついていましたが、確かに、そうした神秘性に対する素直な感動が、ワルツの決まりごとに乗りながらも、実に丁寧に織り込まれている曲でした。「磁力」などという話題をもとに曲にしているわりには、とてもヒューマンな歌が聴こえてきて魅力的です。そのせいか、R.シュトラウスはこの曲を、歌劇「ばらの騎士」の第2幕のアリアに引用したとも言われています。

うわごとは、曲名の由来ともなった冒頭の哀切な音楽が、シュトラウス・ファミリーの音楽としては、ほとんど例外的ともいえる曲ではないでしょうか。ヨーゼフは才能に恵まれてはいましたが、父や兄の名声と闘いながら自分を育ててきた作曲家であったために、このような曲が書けたのではないかと思います。曲調は途中で切り替わって明に転じますが、作品世界には、「うわごと」という一面的な見方には収まりきらないほど、広がりがあって、ときにはオペラの一場面のような感じでもあり、そうした方向への目配せがあったのかもしれません。

今年のコンサートでは、メンデルゾーンの曲のようなヘルメスベルガー(今年は没後100年に当たる)の作品も演奏されましたが、ウィーンのワルツやポルカといえども、ひとつ、それだけでウインナー・ソーセージのように、無限に量産されたわけではないのです。ヨハンも自分たちの曲以外に、マイアーベーアとかヴェルディの作品を指揮することも頻りだったそうですが、そのことはあまり知られていません。

シュトラウス一家のワルツというのは、いまでこそ、愉しみの音楽としてみられますが、新聞や雑誌の記事のような役割も果たしていたのかもしれません。特に、革命時にハンガリーまで出かけていって、王侯貴族に脅しをつけたというヨハン・シュトラウスU世の作品は、そうした社会情勢を、鋭く切り取るという面があります。屈指の名曲「青く美しきドナウ」が、普墺戦争の手痛い敗戦を契機に、ウィーン市民を元気づけるために書かれて大ヒットしたのはわりに有名ですが、テクノロジーに関するもの、世相を皮肉るようなもの、三面記事のようなものに基づくものなど、いろいろあります。

ヨハンの時代は転形期で、あまり進歩的ではなかったウィーンに、様々なテクノロジーや社会制度、経済機構が入り込んでくると同時に、ハプスブルク=オーストリアの支配力が衰え、ウィーン革命を契機として、ハンガリーやスラヴ圏、イタリアなどで民族運動が起こる時代に当たっています。例えば「ヴェニスの一夜」のような甘美な作品であっても、失われゆくイタリアの麗しき所領への想いが、少なからず反映されているのです。

ラデツキー行進曲も、いまでこそ聴衆が拍手で盛り上げて、舞台の上と一体になれる曲目として親しまれていますが、この父シュトラウスの作品も時代柄と関係があります。「ラデツキー」というのは、実は人名で、ウィーン革命を機に飛び火した、イタリアの独立運動を鎮圧した将軍でした。ウィーン人らしい名前ではないですが、もともとオーストリアの貴族は戦争に疎いので、このラデツキーもボヘミア方面の出身です。父シュトラウスは、もとは革命側を支持していましたが、その中身が徐々に激しいものとなるにつれて、体制側に肩入れするようになり、この「ラデツキー行進曲」のような作品を書いたのです。一方、息子ヨハンは若気の至りというべきか、革命側の動きに肩入れするかのような行動をとりました。それゆえ、父の死後は、その「汚名」を雪ぐのが大変であったようです。

そういう想いを抱きながら、シュトラウス一家の作品を聴いていると、かつては、どれも同じように聴こえていた作品たちが、驚くほど多様な表情を見せてくれることに気づきます。

ちょうど、そういうことを勉強したあとだったので、昨年のヤンソンスのソウルフルな演奏は、特にこころに染みました。今年のメータは、そこまで内側を穿つ演奏ではなかったものの、より幅の広い視野を踏まえたものであり、ワルツ作曲家たちの国際的な広がりや、コミュニケーションのあり方をイメージさせるものだったのではないかと思います。その意味で、指揮者のメータがアンコールに際してEU拡大の話題について触れ、さりげなく挨拶に付け加えたことも意味あることだったと気づきます。

ワルツというのは、まず、楽しいことが大事です。しかし、その上で、ウィンナー・ワルツというのは、いろいろなメッセージを、凝縮されたイメージのなかに詰め込んだものでもあります。そう考えてみますと、その世界というのは、今までよりも奥行きのあるものに見えてくるのです。
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