2006/12/30

というわけで・・・締めはベートーベン  クラシック曲目分析室

今年もいよいよ、晦日まで押し詰まった。今年は残念な訃報も相次いだように思うが、そのなかでも、岩城宏之の逝去は、私にとってもっとも身近に感じられるニュースであった。その岩城が、最後に情熱を注いだベートーベンで、結局は、1年が締め括られることになる。9つの交響曲を多少分析的に、自分なりのイメージをまとめてみたい。

いま、自分が殊更に愛着を感じているのは、従来、注目度が高いとはいえなかった1番、2番、8番のような楽曲である。これらに共通するのは、ベートーベンよりも前の形式に盛んだったスタイルに拠っており、単純に発展的な見方からすれば、「後退」とも捉えられかねないものであった点にある。しかし最近は、こうした作品たちも「運命」や「田園」に匹敵する価値をもつものとして、認識されつつはあるのだが。

これらの曲目は、ベートーベンというには、あまりにもシンプルな筆法であるため、巨匠ロマン的な構えの大きな演奏においては、「英雄」や「運命」「田園」などと比べて、やや違和感があることが多く、そのことも従来の不人気に繋がっていたと思う。ところが、例えばノリントンのような古楽器演奏においては、他の楽曲と比べても、十分に「ベートーベンらしい」と感じられる。

特に8番は、岩城も晩年にとりわけ愛した楽曲のひとつで、ベートーベンが肥大化する音楽性の潮流に棹さして、彼のもてるシンプリシティのすべてを託した楽曲として、見てもよいのではないかと思う。この時期の音楽的な潮流は複雑であるが、ごく大まかに見れば、やはり肥大化の方向を目指していた。ベートーベン自身の最後の交響曲がそうであり、ベートーベンのすぐあとに出てきたベルリオーズを考えてみると、よくわかると思う。幻想交響曲はまだしも、歌劇「トロイの人々」や「レクイエム」の膨れ上がった編成をみれば明らかである。

楽曲の解釈によっては、この8番もまた、同様に7番と9番に挟まれた肥大化の過程にあるとするイメージも排除はできない。しかし、私はそのような演奏では、この楽曲のもつ完璧なまでのフォルムの美しさはわかりづらくなり、むしろ、ベートーベンの下手なユーモア性ばかりが浮かび上がって、奇異に聴こえるか、または他の大きな作品と変わらないエネルギッシュなものになって、面白みがなくなってしまう。その点、岩城は、この曲をミニマムのところで捉えていたし、7番や9番とは、明らかに区別して弾いていた。

ベートーベンの交響曲は、類似と対比というキーワードでみてみると、よくわかる。また、その対応関係をどのように考えるかで、楽曲のデザインはまるで変わってきてしまうのである。例えば、7番と8番は、リズムの重要性という点では、兄弟のような側面もある。だが、そこから生じるエネルギーは、7番では渦を描くように拡大していく方向で使われるのに対して、8番では、より直線的に発揮されるのみで、ヨーヨーのように、やがては手もとに回収されるようにデザインされているように思える。

ベートーベンのなかには、2つの相反する態度がある。肥大化とミニマリズム。古典への拘りと可能性の追求。強さと脆さ。しつこさと潔さ。上品さと奇抜さ。狂気と冷静・・・。

例えば、5番と6番が、双生児のように生まれてきたという事実は、今日からすると考えにくい。いずれも、ハイリゲンシュタットの遺書でわがこころを確かめたあとの、脂の乗りきったベートーベンの大傑作である。非常に規模が大きく、厚く書き込まれた音楽という点では変わらない。だが、5番は焦燥的に前へ前へと駆り立てられるのに、6番はあっちをふらふらこっちをふらふらで、のんびりしている。5番は精神的で厳しい音楽だが、6番はリラックスしていて、内面と風景が絶妙に重ねあわせられている。

3番と7番も、よく似ている。第3楽章などは、どちらがどちらかわからなくなるときがあるし、第2楽章に叙情性の深い音楽を置いていること。開始や展開の様子を踏まえても、似ているところが多い。だが、3番と7番は、まるでちがう印象を受ける。3番は、第2楽章の哀しみが結局は肝でありつづけるのに対して、7番は、その部分を含めても、より愉悦的で激しい興奮を呼び起こすからである。3番は鎮まり、7番は昂揚する。

4番は9つの交響曲の中でも、すこし異質な感じをもった楽曲であり、いまいち解釈に苦しむ。先日の紀尾井シンフォニエッタのシフの指揮で、その秘密がすこし見えてきた感じがする。シフの4番の特徴は、エネルギーをぶつけあわせるということにあった。楽器どうしが助けあったり、響きを溶けあわせるのではなく、むしろ最大出力でぶつけあわせたときに、どんな火花が散るのかというのが、結局、この楽曲の肝なのではないのであろうか。そういえば、シフが例えば、最後の楽章に幾度か訪れる弦の最強奏部で、やや強引に響きをぶつあわせたとき、眩しい光が一瞬、パッパッパと閃くのを感じた。そのような光は、7番でも見えてくるのだが、こちらは一見、カオスのような外見をとっていながら、実は響きがかなり整理されているので、4番ほど豪胆な印象は受けない。

4番の前後の作品をみると、3番から6番までのシンフォニーが数年の間にまとめて書かれており、ピアノ協奏曲では、もっとも理知的でフォルムの美しい4番と、エレガントであることこの上もない「エンペラー」が中2年の間を空けて作曲されており、室内楽はラズモフスキー・セットからピアノ三重奏曲の5番と6番、そして弦楽四重奏曲第10番の「ハープ」へ流れていく。ピアノ曲では「熱情」ソナタ。ヴァイオリン協奏曲も、この時期に当たる。そして、第九のドッペルゲンガーである「合奏幻想曲」がある。4番の作品番号は60であり、合唱幻想曲は80であるが、作曲年は1年しか変わらない。

私は、4番の交響曲であれば、7番よりも、むしろ9番のほうに類似性を感じる。9番のほうは、しばしば雑然としたデザインのいびつさを覚えさせるが、合唱幻想曲のほうは、グリモーの独奏盤をよく聴くのだが、随分と整理されていて、聴きやすい。そこで、4番のカオス的なエネルギーを、この曲に注ぎ込んでみると、どうであろうか。見事に、第九の原形が出来上がりはしないだろうか。無論、ベートーベンの創作は一筋縄ではいかず、原形そのままとはいかない。「友よ、こんな音ではない」と言って、早速、解体をはじめたかと思うと、余人が想像だにしない狂言まわしを入れて、あっちをいじくり、こっちをいじくりしているうちに、あの歓喜の歌の内容にふさわしい愉悦に満ちた音楽を導きだすのだから、凄いというほかはなかろう。

しかし、ベートーベンはなぜ、最後の最後で、テーマとしても、響きそのものにしても、かくも肥大化した絵空事のような作品を組んで、今日、しばしば悪口を言われるような「反則」的で、いびつな仕事を残したのであろうか。それは、我々にはよくわからないが、ベートーベンの創作は、ここで終止となったわけではない。既にピアノ・ソナタは32番で打ち止めとなり、宗教曲もその後、いくつかの作品があるとはいえ、1822年のミサソレが、実質的には最後であったとみていい。最後に、ベートーベンが向かったのは、室内楽の創作であった。

いわばパブリック・メッセージとしての交響曲に別れを告げ、ベートーベンは、より個人的なメッセージの世界を大事にするようになったのであろうか。第九の創作は、その分野における可能性を極限まで追求してきたベートーベンの、最後の足掻きであり、限界の吐露でもあったかもしれない。ピアノ・ソナタも宗教曲も、彼の時代に考えられるすべての可能性を試して、ベートーベンは最後の力を、室内楽の分野に注ぐ。そここそは、ベートーベンがもっともベートーベンらしい「ロック」の精神を、発揮できた分野であったと私はみている。

1番や2番は、まだモーツァルトやハイドンの模倣という段階であり、真にベートーベンらしいといえる要素は僅かしか感じられない。しかし、これはこれで、ベートーベンらしいともいえる。ベートーベンは、最後のピアノ・ソナタでさえ(否、最後だからこそ)、バッハへの強い傾倒を感じさせてくれる。ベートーベンは、伝承ほど居丈高な芸術家ではなかったし、モーツァルトやハイドン、バッハという先達に、深い敬意を寄せていた。その偉大な壁があったからこそ、ベートーベンの苦悩はある。耳が聴こえなくなったり、恋人と結ばれないことだけが、すべてではないのだ。1番や2番は、ベートーベンの魂がどこから来たかを解き明かすものに他ならない。それは、モネがマネのことをマネして、その革新的な画風を自らのなかに刻みつけたことに似ている。

例えば、モーツァルトにしても、今日でこそ上品なイメージで捉えられているが、彼の手紙のスカトロ満載なことを持ち出さずとも、彼の生きていた時代からすれば、相当に「ロック」的な要素をもった音楽であったことは間違いなかろう。そうであるからこそ、ベートーベンが影響を受けるのである。ベートーベンのシンフォニーもそうだが、室内楽は正しく今日的な意味においても、「ロック」なサウンドに近いものがある。もし、エレキの人がベートーベンの室内楽を聴いたら、黙っていないと思うのだ。

話が随分と拡散したが、ベートーベンという素材は、いくら考えても考えすぎということはない。岩城は、全交響曲の連続演奏会を1年で終わらせず、体さえもてば、何年もつづけようとしていた。彼の探求は、また私とはちがうであろうが、ベートーベンの魅力に取り憑かれたという意味では、共通点もある。クラシックの愛好家の中にも、ベートーベンの音楽性を嘲るような人がいるが、私としては理解できない。そうした人たちが「楽聖」としてのベートーベンに反発したい気持ちはわからくもないが、その欠点をあげつらって、おとしめようとすることには反対である。それは、自らの不明を曝け出すだけだからである。
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2006/12/30

2006年 総括  クラシック・トピックス

今年は、相当に多くのコンサートに出かけさせてもらったが、今年も残るところ数日となって、簡単にまとめてみたいという気持ちになった。

今年も、最大のトピックはGWの「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」であったことは間違いないだろう。モーツァルトをテーマに、ハイドン、フンメルなどの音楽が取り上げられたが、なんといっても、このイヴェントの面白さは、参加するアーティストの魅力にある。若いエベーヌ四重奏団は、響きを刈り込んだピリオド演奏のクァルテットであるのだが、実に新鮮なハイドンなどを聴かせてくれて素晴らしかった。オーケストラでは、コレギウム・カルトゥシアヌムによる「レジナ・チェリ」の演奏が図抜けて素晴らしかったが、コルボが指揮したシンフォニア・ヴァルソヴィアの「レクイエム」も感動的であったし、同オケをフランソワ=グサヴィエ・ロスが振ったポール・メイエ独奏の「クラリネット協奏曲」もスリリングな演奏だった。LSOでコンマスを務めるゴルダン・ニコリッチがリーダーに加わったオーヴェルニュ室内管は、若いオーケストラなのだが、凄まじい生気を発して大人気だった。日本人では、谷村由美子が歌ったモーツァルトの歌曲が素敵で、リラックスした空間でしなやかな歌ごころを楽しんだ。

ラ・フォルに限らず、今年は室内楽の公演で印象ぶかいものが多い。中でも、解散を目前にしたバルトーク四重奏団による、バルトークの弦楽四重奏曲すべてと、アンコールで演奏した「ルーマニア民族舞曲」全曲は、特別な機会だったこともあり、ふかく印象に残っている。アルカント・クァルテットのコダーイとバルトークには痺れたし、「ルツェルン・チェンバー・フェストU」におけるマイヤー組とポリーニ組の、それぞれに完璧なパフォーマンスにも畏れ入った。

そして、今月に入ってのアンサンブル・ヴィエナ・コラージュの多彩なプログラムは、演奏の質においても、プログラムの面白さにおいても、比類のない演奏会だった。

今年は、ピアノの演奏会はさほど多くなかったが、1年の最初に聴いたアンジェイ・ヤシンスキのリサイタルでは、この稀有なピアニストにして、ピアノ教師の音楽に、否応なく捉まえられたが、そのコミュケーション能力の強烈さは、弟子のツィメルマンにも、間違いなく伝えられている。この物言うピアニストは、どうやら腹に一物を抱きながら、日本を訪れたようだ。もうひとり、聴衆に対するコミュニケーション能力の優れたファジル・サイは、相変わらず、わが道を行くパフォーマンスを楽しませてくれた。

オーケストラでは、私の聴いた中では、やはりラハティ響とマーラー・チェンバー・オーケストラの演奏会が、群を抜いていた。しかし、国内のオーケストラにも充実したコンサートが多く、特にバルシャイが読売日響に客演し、室内交響曲(op.83A)と交響曲第5番を演奏したときは、鳥肌が立った。同楽団では、先日のアルブレヒトの「第九」や、11月に下野竜也の演奏した「シャコンヌ」も忘れがたいのだが、それ以上に、同じく下野の指揮による2月の「春の祭典」は奇跡のようなコンサートだった。われらが東響は、キタエンコが振った「レニングラード」が素晴らしかったそうだが、私が聴いた中では、「マクロプーロスの秘事」がもっとも素晴らしかった。都響は、MET的な豪華なアンサンブルに彩られたジョアン・ファレッタの「幻想交響曲」が、記憶に新しい。紀尾井シンフォニエッタは、やはりブルネロの回がもっとも素晴らしく、プロコフィエフの「古典」交響曲は素晴らしかったと思う。バボラークを迎えてのモーツァルトのホルン協奏曲第1番も見事だった。

パユをフィーチャーする「パユ・インテグラルU」の公演も、あの興奮がからだに残っている。イベールのコンチェルトも素晴らしい演奏だったが、ハチャトゥリアンの生き馬の目を抜くパフォーマンスには驚かされた。パユのこともさることながら、指揮者の温以仁の名前も憶えておきたい。スパルタクスのアダージョが、箸休めにしては素晴らしすぎる演奏だった。

オペラについては、既に別エントリーで触れてあるので割愛するが、ぱっと思い出せるところでも、これだけの体験が思い出される。今年も実り多い1年であったと思う。ベストは、ハーディングとMCOによる、モーツァルトの「後期三大交響曲」コンサートに捧げておこう。
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