2006/10/4

日本オペラ絵巻 in 東京文化会館 本番 A (10/2)  演奏会

伊藤康英の歌劇「ミスター・シンデレラ」は、日本全国に散在する地方オペラのなかでも、画期的な作品として注目され、東京での再演もおこなわれた作品だが、もとは鹿児島オペラ協会による委嘱であったという。次は、作曲者本人のホームページ・・・

 http://www.itomusic.com/cgi-local/itolib.cgi?id=461&op=display&lang=ja

この作品の全体は知らないが、仲違いした夫婦の旦那のほうが、誤って美女になる薬を服用して栄達し、細君を出し抜こうとしたりしているうち、いつしか夫婦愛が復活するという筋。演奏された曲は第4幕の冒頭、学部長就任記念パーティの場である。ここは、管弦楽とコーラスでの演奏になった。劇全体のなかでも、意図的に地方色の強いところを持ってきたそうだが、途中から、おもむろにミュージカル音楽風の曲調に転換する。外山雄三とバーンスタインが、いきなりキスをしてしまった感じだ。

学部長就任などというから、「白い巨塔」風のドロドロした、澱んだ音楽が流れるのかと思っていたが、なんとも牧歌的な民謡調のメロディに始まり、それに「柳川風俗詩」みたいに、きれいなハモリのあるコーラスがつく。中間でのミュージカル音楽への接続は大胆で、そのあとは、何の衒いもなくブロードウェイ・ミュージカルをやっている。厚いオーケストレーションがしなやかに響き、からっとして元気のいい、笑いに満ちた音楽を楽しんだ。

最後、指揮者を務めた神田の自作オペラ「あさくさ天使」でフィナーレを迎える。もとは3時間半ちかい作品というが、プロローグとエンディングを繋いでの演奏を、並河の独唱とコーラスで。解説によると、交通事故で亡くなった人間が「あさくさ天使」となり、悩み、つまづく芸人たちを元気づけて、前に向かわせるという筋らしい。

音楽が始まると、太鼓の響きがアクセントに使われ、管が鳴り、内側にあるべき弦に重みがなくて、なんだか独特のバランスで音楽がつづく。音楽は盛り上がりそうになるのに、その度、ひょこっと首を引っ込める。うまく繋いであって、どこからがエピローグかよくわからないが、もちろん、並河が歌い出した部分あたりからであろう。

今年、青いサカナ団で上演した「僕は見た、こんな満開の桜の樹の下で」もそうだが、神田のオペラはメッセージがいい。2日経って早くも忘れかけてはいるが、ひとりひとりの人生の重みを訴え、それを笑顔という形で前向きに引き出そうとする趣旨は、十分に伝わった。並河が抑えた歌唱で美しく、どこか懐かしく、メルヘンティックに、切々と訴えかけるメッセージの清らかさには、涙が抑えきれなくなる。

それだけでもいいのだが、中盤以降、あの内側にいるはずなのにいない、不在の弦が素晴らしい働きをする。他の楽器群やコーラス、独唱が昂揚するなかで、弦がどのように使われるか、体感すると鳥肌が立つだろう。弦をうすく擦って、確かに音は出しているのだが、しかとした手ごたえはない。だが、そのために、これらの弦は、中心となるべき声の広がりを無限に引き伸ばす役割を果たすことができ、あたかもヴァイオリンが歌うように、これは比喩的な意味ではなく、正しく歌うようにして、やさしい音色を立ち昇らせる。舞台上は、例の温かい歌詞を囲んで、声をあわせはじめる。印象的には、全奏でユニゾンを聴いている感じだ。それに気づいたとき、聴き手はハッとさせられる。

音楽は徐々に減衰しながら、名残惜しくも消えていく。オーケストラのバックが消えて、並河がひとりで歌いはじめるあたりから、俄然、雰囲気が素晴らしい。あるときから、しばらく目を瞑り耳を澄まして聴きたくなって、事実、そうしてみた。そんなことを思い出しながら書いていると、こんな記事も見つかる。これは当日、舞台に載った合唱の方のページらしい。

>神田さんのご希望で、曲の終盤、合唱全員が譜面を下ろ
>し、自分の中に思い出を投影するかのように目を閉じる
>・・・という演出がついていて。

 元記事:
  http://dear.fishbowl.rm.st/pekochan/diary.cgi?year=2006&month=10&day=2

こちらが目を閉じてしまったので、それには気づいていなかったが、なるほど、図らずも、これを観客にもやらせてしまったと考えると、すごいことだ。最後、ハープを混ぜたりしながら、幻想的な雰囲気は最後までつづく。いちばん終わりで、また目を閉じたくなる(これは眠りにつく感じ)が、すぐにブラーヴォと声を上げる人あり・・・。しかし、これは、本当にいい作品なんだということが、はっきりわかる演奏であった。終演後、泣きっ面の人をたくさん見かけた。私も、そのひとりになった。例の池田記者もぞっこん惚れ込んでおり、来年1月ごろ、このオペラがなぜ再演されないのか、というシンポジウムをおこなうらしい。取りも直さず、この舞台を再演させようという決起の集会となろう。

指揮の神田慶一は、この難しいガッラを成功に導いた、最大の功労者である。特に、言葉に対する厳しいこだわりは、独唱はもちろん、コーラスのひとりひとりにまで深く浸透していたほか、そのサポートにまわる管弦楽のほうにも、十分に意識されていた。曲ごとにちがうイメージを見事に描きわけ、いつもながら高い統率力も見せつけた。次の登場は、オペラ彩の公演で、「トゥーランドット」。2007年の1月27/28日の両日だが、自作からもわかるように、神田はプッチーニの音楽を隅々まで知り尽くしているはずだ。しかも、2日目の姫が、またも並河なのである。その相手となるカラフは秋谷直之だが、市川で同じくプッチーニの「エドガール」アジア初演、題名役を歌って若々しい歌を聴かせた。

今回は、歌手陣では並河が絶好調だった。わりと前のほうで聴かせてもらったが、遠くまで飛んでいたと思うし、近くで聴いても破綻なく・・・否、いよいよたおやかな潤いの感じられる声で、知名度こそないものの、国内随一のソプラノとなる可能性がある。姫もいいが、歌手の実力をみるリファレンス、モーツァルトは歌えるのだろうか?

最後に、この企画を思いつき、現実に形にした大友監督ほか、日本オペラを愛する批評家や研究者の諸氏にふかい敬意を払いたい。しかし、これで終わっては仕方がないだろう。ひとつでも多くの再演を生み、この企画自体、回を重ねていくことを望む。必ずや人気の企画となるであろう。
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