2006/7/31

小森輝彦&幸田浩子 デュオ 7/29 A  演奏会

なんといっても、2人の歌の魅力に尽きる。若さゆえというべきなのか、
溌剌とした声の伸びが、気持ちいい音楽空間を創造する。広いホールでは
ないのだから、本来は八分の力でいいのだが、手を抜く感じは微塵もない。
そのことがマイナスにならないのは、声に包容力があり、その内側に、落ち
着いた空間が残されているからなのだ。2人は、日本の歌手の中でも、特に
技術的に安定している。高音部でも響きがきつくならないし、なんというか、
声がちぎれないで、しっかり聴こえるのが特長だ。

リゴレットの名場面集では、久々に、声だけですべてを満たしてくれる一時を
提供してくれて、濃密な時間を与えてくれた。男声、女声、二重唱ときれいに
整った前半と比べ、後半のリゴレットでは、絡みあう父と娘のドラマが、一編
の歌劇を見るときのように貫かれていて、やはり聴きごたえがちがう。最初
のシェーナに始まり、有名な2つのアリアで、一気にボルテージが高まると、
最後の2つのシェーナと二重唱が堪らない。

特に、マントヴァに辱められたことを告白するジルダと、怒りに震えながら
娘をいたわるリゴレットの心情が、激しく交錯する場面では、父娘の、微妙
なすれちがいが、この二人のからだ全体から、ひしひと伝わってきて見事で
あった。この場面にさらに花を添えたというか、興奮のボルテージを高めた
のが、伴奏の服部容子さんによるピアノ。こうして聴いてみると、リゴレット
とジルダの二重唱に、ヴェルディが、いかにスリリングな音楽をつけて、この
場面に、暗い「光」を注いでいるのかがよくわかる。ドラマトゥルギーでいう
ならば、ここで、リゴレットは、自らの愛情がジルダの想いとは、微妙にすれ
ちがっていることに気付かねばならなかったのであろう。

そのあと、リゴレット・パラフレーズ(リスト)をピアノが奏でて、雰囲気を
盛り上げるのも良いアイディアだった(歌手の声休めであろうが)。しかし、
それにしても、この難曲を、あれだけの迫力で弾けるピアニストも、なかなか
いないと思われる。

フィナーレの場面は、思わず胸の詰まる鬼気迫った演技に圧倒されて、もう
完全にオペラ全部をみてきたのと、同じような感慨が起こった。マントヴァ
の歌が聴こえてくるところの張りつめた緊張感など、聴き手の胸を衝くもの
がある。そこをピアノが、うまく醸し出しているのも特筆に価する。

ドラマはつづく。ついに死に至るジルダの叫び、’No,Padre’の文句に
対応するように、事切れた娘に呼びかけるリゴレットの叫びへと収束していく
ドラマの、あやしい輝きも見事に表現された。ピアノの後奏も、この緊迫感に
あふれたドラマを、最後まで、鮮やかな切りくちで弾ききってくれた。

幸田浩子のジルダには、大きな可能性を感じる内容だった。ヴェルディ作品
では、この役柄は軽めの役になるが、今後は、ピチピチして若々しい彼女の
声も、いささか熟成に向かっていく方向にあるらしい。年齢を重ねるごとに、
味わいが出てくるにちがいないし、あの声なら、アドリアナ・ルクヴルール
や、プッチーニなどが聴いてみたい。少なくとも、私の中では、「モーツァ
ルト歌手」というイメージではなくなった。アンコールで、お得意のオラン
ピア(ホフマン物語)をやったが、これはもう余裕綽々のパフォーマンスで、
恐れ入った。しかも、すごく楽しそうだ。

ジルダは決して慣れた役柄でもないのか、ときどき粗さはある。「お慕わしい
方の名は」と歌うアリアは、あとで小森が歌ったリゴレットのアリアと並んで
有名だが、こういう曲に来ると、ブレスがちぎれたりして、いささか大味な感
は拭えない。しかし、磨きをかけていけば、感動的なジルダを表現できる
だけのポテンシャルはあるのだ。

小森のほうも、しっかりした発声で良いのだが、バリトンだから、女声とは
ちょっと違うとはいえ、それでも、繊細なレンジで艶やかに聴かせる部分が
出てくると、これはすごいことになると思う。DGの「窓辺に出でよ」などは、
急に声の膨らみがなくなっていたから残念だった。直前の病気の影響がある
のかもしれない。マゲローネでは、もう一段の進境を期待したい。

前半のモーツァルトのほうも、もちろん、良かったと思う。特に、ソプラノの「クスリ屋の歌」は、跳ねまわる幸田さんの声のバネが、驚くべき生命感で
生かされた素晴らしい歌唱が聴けて満足。有名な「お手をどうぞ」の二重唱
でも、2人の声の魅力にピアノの魔法が加わって、はじめ壁を挟んでいた
2人のこころが、音楽の解決とともにとろけていく様子が、しっかりと表現
されていた。2人は、歌がはじまると、こんなリサイタルでも完全に役のなか
に入りきってしまう。この二重唱でも、2人は盛んに絡みあいながら、歌唱
を補っていた。チャーミングな、根っからの歌役者たちに乾杯!

終演後、みんなのテンションが上がりきって、ホール中がざわざわしていた。
アンコールも最後の、「メリー・ウィドウ・ワルツ」で、ダンス付のオシャレな
二重唱が聴けたのも好評である。
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2006/7/30

小森輝彦&幸田浩子 デュオ 7/29  演奏会

マゲローネの前に、小森のもうひとつのリサイタルを聴いた。今回は、ソプ
ラノの幸田浩子とのデュオ・コンサートで、トッパンホールの企画。「真夏の
夜のセレナード」と題された。伴奏には、マゲローネのパートナーである服部
容子が、ここでも相務める。実質的には、この三人によるトリオ・コンサート
といって間違いではない。

またまた、小森のメールマガジンによれば、小森・幸田にホールより指名が
あって、中身は自由にということだったらしい。しかし、よくできたプログ
ラムで、名曲ばかりが並んだ内容でありながら、重唱と独唱がバランスよく
楽しめる構成の上に、前半のモーツァルトの中身が、リゴレットの筋と照応
できる点も面白い。

今回、マントヴァがいない分、前半のドン・ジョヴァンニが、そのイメージ
を肩代わりする。しかも、そのバリトンが、今度は娘を守る立場にまわって、
しかも、その想いを理解できずに、その気はないとはいえ、殺害してしまう
のだから皮肉だ。ここでは、他の登場人物が登場しないために、結局、リゴ
レットが自らの手で娘を殺してしまうということが、はっきり提示される
ことになるのだ。

2人の声づくりからしても、やはり、「リゴレット」がメインで考えられ
ていたことは間違いない。演技力のある二人だけに、演出などはなくとも、
上のようなプログラミングの意図が、思わず納得できてしまうのは、さすが
優れた歌手同士による、コミュニケーションの素晴らしさである。こうして、
父娘のドラマとしてみたとき、リゴレットは本当にアイロニカルで、厳しい
人間ドラマを刻む。そして、それが生み出すドラマの緊張感に、観るものは
とりつかれる。

詳細は、次の記事に譲るが、稀にみるエキサイティングで、感動的な公演で
ある。幸田は、以前に「ホフマン物語」のオランピアで、素晴らしい歌唱を
披露してくれたが、ヴェルディが得意というイメージはなかった。しかし、
このリゴレットでは、安定したテクニックが効いて、非常に深みのあるキャ
ラクターが表現される。あのときよりも、声は良い方向に熟してきている。
小森とともに、声量はホール中に響きわたるほどで、2人が身体を寄せて、
競いあうように口を開く場面の、緊迫した表情は、実にスリリングだった。

(Aにつづく)

【プログラム】

1、モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」より
 アリア「ため息つく間に」(伯爵)
 アリア「恋人よ、早くここへ」(スザンナ)
 二重唱「ひどい奴だ」(伯爵、スザンナ)

2、モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
 セレナード「窓辺に出でよ」(DG)
 アリア「恋人よ、さあ、この薬で」(ツェルリーナ)
 二重唱「お手をどうぞ」(DG&ツェルリーナ)

3、ヴェルディ 歌劇「リゴレット」
 シェーナ「奴は刃で刺す・・・2人は同じ」(リゴレット+ジルダ)
 アリア「お慕わしい方の名は」(ジルダ)
 アリア「悪魔め、鬼め」(リゴレット)
 シェーナと二重唱「話しなさい、もう誰もいない
           ・・・日曜ごとに教会で」(リゴレット&ジルダ)
 シェーナと二重唱(フィナーレ)「愛する男の身代わりになって」(同上)
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