2006/4/6

イタリアン・ピアニズム  

私はピアノ音楽にとりわけ愛着をもっているが、中でも、イタリアのピアニストには、つよい親近感を覚える。そのピアニストとは、例えば、ディノ・チアーニ、ブルーノ・カニーノ、アルド・チッコリーニだ。

同じイタリア人とはいえ、彼らの個性はまったく異なるところにある。チアーニは録音で聴くのみだが、現役のピアニストでいえば、ファジル・サイを思わせるコミュニケーションの柔らかさと、奔放な音楽的ユーモアがある。カニーノは、よりサービス心旺盛であり、聴衆を自分の側に引き込むことに長けている。チッコリーニは正統派だが、その凄まじい集中力には並ぶものなく、それに呑まれたとき、聴衆は自らの存在を忘れる・・・。

だが、これら3人はみな、きわめて明るい音楽性の持ち主ということで共通する。音楽の愉しみがまず開拓されており、そのゆたかな土地に咲く花はさまざまであっていい。チッコリーニはより厳しく、カニーノはより和らぐというだけの違いがあるだけのことだ。優れたピアニストなら誰でもそうだが、彼らイタリアのピアニストたちには、そうした華がある。

こうした個性、最近の若手では、なかなか思いつかない。サイのパーソナリティは開かれているが、どこか人工的なところもある。敢えていえば、エマールがブーレーズを弾くときなど、意外かもしれないが、そのような感じが漂っている。楽器がちがうが、バロック・ヴァイオリンのレイチェル・ポッジャーには、そんな資質があるのかもしれない。

必ずしも、イタリア人である必要はないのだ。だが、オペラの分野で特につよく感じられるように、そのような持ち味は、なんといってもイタリア特産のものであるだろう。彼らの音楽に接するときには、これから何がはじまるのかと、気持ちが昂揚する。ちょうど、「フィガロ」の序曲を聴いているときのように。
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