2006/4/26

ハーディングとルイージ〜2人の特別な指揮者 A  クラシックの達人たち

つづいては、新国で「カヴァレリア・ルスティカーナ」&「道化師」を振ったファビオ・ルイージのほうについて。

既に各所に好評が出ているが、ルイージの仕事は、やはりすごかった。ハーディングもそうだが、この2人に共通しているのは、音楽の本質を鮮やかに掴みだしてくる才能である。ルイージの場合、今回は、オペラ指揮であったので、その資質がより明確なカタチで提示される。

かくして、ルイージはやはり、イタリアのオペラをよく知っている、というごく当たり前にして、的確な評価があちこちで見られるようだ。私もそう思うが、特に、歌、そして、その本体である言葉の扱いにおいて、この指揮者のつよいメッセージを聞いた気がする。

例えば、「カヴァレリア」の序曲のあと、復活祭の朝の情景を、管弦楽とコーラスで描くのだが、ルイージはここを過剰なまでのスピードで弾かせている。東フィルはここで、細かいパッセージなどでつけきれていないが、その代わり、歌が入るところでは、なるほど、まことに歌いやすそうなテンポなのである・・・言葉が乗りやすい・・・自然な速さなのです。

オペラを知っているというのは、まず、歌を知っていることだ。そして、その中心には言葉がある。当然のことだ。しかし、ルイージのごとく、ここまではっきりと、歌をとり、周りを切り取ってしまう覚悟のある指揮者といえば、稀である。彼は多分、自分は汚れ役でいいと思っている。だが、観客は、彼を圧倒的に支持している。

多分、ルイージとは、そのような指揮者なのであろう。2つの作品を通じて、歌手の個人的な出来不出来によらない合唱部分では、ルイージの音楽性の鋭さを、もっともよく感じることができた。正直、歌手陣には満足していない面も多いし、オーケストラにも言いたいことはあるが、それは別の機会に譲ろう。

とにかく、ルイージがこれ以上にならなければ、満足な劇はできないというリファンレンスを示したことにより、この公演は、全体的に底上げされた感がある。三澤洋史さんのホームページでの発言によると、ルイージは初日から、劇場の音響特性をよく理解して練習をつけたそうだ。そんな話も踏まえて、やはり、ルイージの抜群の即応力というものについては、改めて注目しておきたい。

ところで、2作品を通して、ルイージは、キッチュな感じを明確にアピールしていたように思われる。それにより、「カヴァレリア」では、正しく「田舎の騎士道」の本質が提示され、「道化師」では全編に散りばめられた、伝統的なイタリア・オペラへの批判性がわかる。

特に、「カヴァレリア」の前半部分が象徴的だ。響きも明るめで、どこか一本抜けたようなサウンド。それが、サントゥッツァを中心として、こころの内側の熱いものが表面に出てくるに従い、どんどん濃密になっていくようなのだ。その頂点に、各々の間奏曲がくる。これらは、文句なく見事だった。こうしたところで、弦群を主体とした東フィルの、潤いにみちたパフォーマンスは素晴らしいものがあった。

ファビオ・ルイージ、やはり只者ではない。
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