深夜便を聞いて、
解ったこと。
「【私のアート交遊録】
江戸に詳しすぎるタレント 堀口茉純」
浮世絵の話で、面白かった。
この浮世絵の意味が、解らなかった。
不美人で、暗い浮世絵。
解説は
「隅田川の東岸、三囲神社の前から西側の真乳山と山谷堀を望んで描いた夜景。
星空にこんもりと盛り上がった緑の山は真乳山である。昔はもっと背の高い山だったが、 この山を削り日本堤を築いたために背が低くなったと云う。頂上には聖天宮があり江戸の 庶民の信仰を集めていた。下に暗く山谷堀が見える。山谷堀に架かる今戸橋は渡る人より もくぐる人のほうが多いと云われ吉原通いの遊客たちで賑わっていた。絵にも猪牙舟が何 舟か山谷堀に近づいているのが見える。
絵は闇の墨一色に塗りつぶされ、山谷堀の左右の船宿にともる明かりが印象的である。 葉桜のシルェツトで花の時期は過ぎていると分かるが、星明かりが川面に映り、星か桜の 花びらか判別しにくい幻想的な雰囲気をかもし出している。夜空には板目摺りが使われて いて、絵により趣きを添えている。手前の堤は提灯の明かりで明るい。堤にはこの提灯を もった下男に導かれて歩く一人の芸者が描かれている。「近くにあった料理屋平岩などで 夜桜見物の客を相手にした帰りの芸者とみられる。」(人文社)
楢崎宗重氏によれぼこの女性は広重のひいきの芸妓小万をモデルにしたものだと言う。」
これでは、解らない。
https://www.youtube.com/watch?v=lTZ3HPQKKOs
堀口茉純氏の話と、サイトで、現在の姿がみえる。
「私のアート交遊録】
江戸に詳しすぎるタレント 堀口茉純」で、解ったのは、復興の姿。
解ったのは、安政の大地震が、あった。
そのあと、江戸の復興している姿、見せている浮世絵だという。
遠い、明かりの見える、館が、
この絵にでてくる、女将らしい。
安政の地震は、安政時代は、地震の年代だったと、調べら解った。
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酷い年号だ。
「嘉永7年/安政元年(1854–55年[1])
1月16日(2月13日): ペリーが前年に引き続き江戸湾に再来。
1月24日(2月21日): 一朱銀を通用開始。お台場銀と呼ばれる。
3月3日(3月31日): 日米和親条約(神奈川条約)を締結。
4月6日(5月2日): 京都の大火により内裏を焼失。
6月15日(7月9日): 伊賀上野地震(安政伊賀地震)。
11月4日(12月23日): 安政東海地震(東南海地震含む)。津波でディアナ号遭難。
11月5日(12月24日): 安政南海地震。
11月7日(12月26日): 豊予海峡地震。
11月27日(1855年1月15日): 安政に改元。
12月21日(1855年2月7日): 日露和親条約締結。
安政2年(1855年)
平安様式に倣った安政内裏を再建。
2月1日(3月18日): 飛騨地震。
10月2日(11月11日): 安政江戸地震。小石川の水戸藩邸で藤田東湖・戸田蓬軒圧死。
安政3年(1856年)
7月21日(8月21日): ハリスが下田に着任。通貨の交換率など幕府との交渉にあたる。
7月23日(8月23日): 安政八戸沖地震。陸奥八戸で強震、津波被害。
8月25日(9月23日): 安政3年の台風で江戸に猛烈な暴風と高潮。死者10万人。
安政4年(1857年)
正月 - 甲斐国・甲府で博徒の三井卯吉が、敵対する博徒集団に襲撃され死亡。
安政5年(1858年)
福沢諭吉が蘭学塾(慶應義塾の前身)を創立。
2月26日(4月9日): 飛越地震。北陸地方で大きな被害。
3月12日(4月25日): 朝廷で日米修好通商条約の反対を巡り、廷臣八十八卿列参事件が起こる。
6月19日(7月29日): 江戸幕府、日米修好通商条約始め、安政の五か国条約に無勅許調印。
9月5日(10月11日): 大老井伊直弼による反対派弾圧が始まる(安政の大獄)。
〜安政7年にかけてコレラが大流行。
錦絵『新潟湊之真景』安政6年(1859年)井上文昌筆(新潟県立図書館蔵)
安政6年(1859年)
5月25日(6月25日): 開国による小判流出防止の目的で、正字金および二朱銀を鋳造開始。ハリスらの抗議により、発行後まもなく8月11日(9月7日)に鋳造停止。小判流出の防止に至らず(幕末の通貨問題)。
6月2日(7月1日): 横浜港開港。
12月27日(1860年1月19日): 政字銀を通用開始。最低品位の銀。
安政7年(1860年)
1月 - 歌舞伎『三人吉三廓初買』江戸市村座で初演。二代目河竹新七(黙阿弥)作。
3月3日(3月24日): 大老井伊直弼が江戸城桜田門外で暗殺される(桜田門外の変)。}
地震は、続くのがわかる、周期があるのかもしれない。

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