12月22日の毎日新聞の余禄は、いい。
職人の意地と、世界を見ている。
「世界の名だたる競技者が好んで使う砲丸は日本の職人の手で生み出される。
北京五輪への提供を拒んだことで、かえって、その名が知れ渡った。
埼玉県富士見市で町工場を営む辻谷政久さん(75)だ
その砲丸で選手は04年のアテネまで五輪3大会連続で表彰台を独占した。
辻谷さんが「大切な分身」という砲丸を北京に送らなかったのは、
アテネの年にあったサッカー・アジア杯で
中国人観客が起こした反日騒動に嫌気が差したからだ。
「職人の意地でした」
元旋盤工の作家、小関智弘さんが
「現場で生まれた100のことば」(早川書房)で、
職人たちの真骨頂を紡いでいる。
「これまでの町工場は、待ち工場でした。
多少の不景気もじっと耐えて待っていれば、
また景気が回復してくれました。でもこれからは違います。
町工場も、自分の仕事は自分で作る時代です」。
平成不況を乗り切った工場主の覚悟が伝わる
今また町工場は景気悪化の北風をもろに受ける。
約6500の町工場が軒を連ねる東大阪市の年の瀬も寒い。
ただ、50センチ角の立方体の小型人工衛星「まいど1号」を生んだのも、
この地だ
衛星は産学協同で完成まで6年を費やした。
「ものづくりの街に若者を呼び込みたかった」。
発起人の一人、青木豊彦さん(63)は航空機部品を製造している。
ボーイング社の世界一小さな認定工場でもある
職人たちはいつも知恵と工夫と、そして度胸で生き抜いてきた。
「(社員に)うちの強みは、お前らや」。
青木さんの心意気を、小関さんはそう書き留めている。
職人の意地と生きがいを載せて「まいど1号」は来月21日、
種子島から宇宙に旅立つ予定だ。」
不景気、倒産は、中小企業が、大変というが、
努力もしないで、政府と、大手に、頼って、商売していると、
潰れるものだ。
自分で対策して、倒産するか、生き残る商売するか、
全ては、職人の技術がないと、生きれないのは、
大企業でも、中小企業でも、経営は、改革、改善しない生きれないことだろう。
世相にを見てないと、工場経営もない。
総理大臣にも言えるかもしれない。
なにもしないで、庶民が、支持するは、ない。

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