Cain's Episode #01
かけがえのない存在
「ふぅ〜、今日も相当くたびれたぞ…」
おおきな溜息をつきながら、白衣の犬獣人が帰ってきた。
彼はアークス。まだ半人前のボクの面倒を見てくれているんだ。
「おかえり〜。 今日も大変だったみたいだね、お疲れ様。」
ボクはアークスに労いの言葉をかけつつ、用意しておいた彼の
着替えを差し出した。
「ああ、今日は特に治療を求める客が多くてなー、精神力もか
なり限界だ…こっちがぶっ倒れるかと思ったぜ。」
アークスはそう言いながら着ていた白衣を脱ぎ捨てて、Tシャツと短パンの姿になると、ボクから着替えを受け取って銭湯へ向っていった。
ボク達が寝泊りしているこの宿にはお風呂がない。もともと長期滞在するように作られた宿ではないからなんだろうけど、アークスが言うには、この宿は出される料理が美味しいのと、人通りが多い区画にあって仕事がしやすくて便利だから、あえてこの宿に泊まっているんだって。
ボクもここの料理は好きだけど、お風呂がないのはちょっとだけ面倒くさい。もともと旅をしていたから、お風呂には何日も入らなくても平気なんだけど、アークスは街にいるときくらい
はしっかり風呂に入れよって言うんだ。
アークスはヒーラーっていう職業だから、清潔にしている必要があるんだろうけど、ボクは別に仕事してるわけじゃないし、昼間に水浴びもするから、わざわざ大衆浴場に行ったりする事
はあまりしないんだ。
そうそう、アークスがお風呂に入っている間に、ボクはアークスの白衣の洗濯をしなくちゃいけないんだ。 いけないっていうか、養ってもらってるのだから、家事の一つもできないと
ね。 洗濯をする所はやっぱりこの宿にはないから、洗濯場まで行かなくちゃならない。洗濯場は、この宿の裏の方にあって、昼間は近所のおばさんとかが良く来てるみたいだけど、夕方になるともう誰も居ないんだ。 ボクはここでアークスの白衣を洗濯してるし、自分の服だってたまには洗ってるよ。
日が傾いた誰も居ない洗濯場で洗濯をするのって、楽しくないけど、これは自分で決めた自分の仕事だからね。
ボクが洗濯を終えて宿に帰ってきても、アークスはまだ帰ってこない。 夕ご飯の時間ぎりぎりまで浴場でゆっくりしてるはずなんだ。 まあ、この時間なら浴場には他に人もいるし、湯
船で沈没してる事はないだろうから、ボクは心配してない。
夕食の時間になるとアークスは帰ってくるよ。ここの食事が目当てでこの宿に泊まってるんだから、時間どおりに来なかったことはまずないんだ。今日も予想通りに帰ってきて、そのまま
宿の食堂に向っていったよ。
宿の食事は、宿屋の主人が自ら作ってるんだって。ちなみに宿のカウンターにいる狼のテチスお姉さんはご主人の娘なんだってさ。
ここの料理は味付けも盛り付けも、高級料理店並みだとボクは思ってる。ご主人は昔どこかの有名なホテルのお抱えシェフだったって言ってたからね。 まあ、ボク自身がそんな有名なホテルや高級料理のお店に行った事がないから、比べようがないんだけどね。 少なくともその辺の普通の食堂や冒険者用の安宿に比べたら、はるかに豪華なのは確かだよ。 そんな食事を毎日ボクが食べられるのも、アークスのおかげなんだよね。
ところで、ボクには一つ、気になることがあるんだ。 それは今までずっと気になっていたのに、今までずっと訊けないでいたことなんだ。
…アークスはどうしてボクを拾って養ってくれてるんだろう?
ボクはまだ幼い時に両親や住んでいた家、村まで失ってしまった。 村全体が火事にあって、多くの人が亡くなったんだ。ボクの両親も、ね…。 ボク達の一族は魔法の得意な人が多かっ
たんだけど、そのときは何か特別な祭事が行われていたこともあって、まともに行動できる大人が居なかったらしいんだ…。
…ボクは詳しい話は知らないんだけどね。
それで、近所に住んでいたお姉さんに連れられて、森を離れる最中にはぐれて迷子になって、そのまま森を彷徨っていたら、たまたまそこで野宿をしていたアークスに見つけられて、それ
以来一緒に旅をすることになったんだよ。
アークスは本当に良くボクの面倒を見てくれたよ。…最初のうちは、お金も全然なくてひもじい思いもしたけどね。
今は収入もあって、本当にボクに不自由ない生活をさせてくれてる。洗濯はしてるけどね。
でも、どうしてボクを拾ってここまで良くしてくれるんだろう?
やっぱり孤児への同情、なのかな…。
アークスは最近は忙しくて、宿に戻ってくると直ぐにお風呂、帰ってきたら夕ご飯、それが終わると少し寝て、夜中になると起き出して酒場に行ってるらしいんだ。 だから、アークスと
ボクが一緒にいて話ができる時間って実はほとんどなくて、ボクはちょっと寂しいんだ。
夕食を食べ終えて部屋に戻った時が、アークスと二人きりになる貴重な時間なんだ。いつもね、今日こそは訊こうと思うんだけど、なんとなく怖くなって結局訊き出せない…。そんな日
がここ数日続いてるんだ。
でも、今日こそは本当に訊くんだ…。
「ねぇ、アークス…」
アークスはベッドに入ったまま返事はしなかったけれど、ぴんと立った耳をこっちに向けてくれた。ボクは続けたよ。
「今まで、ずっと訊きたかったんだけどね……えっと…ん〜…」
頑張って、ここまで言ったけど、後が続かなかった。やっぱり訊けない。 何が怖いかってね、ボクがアークスに求めている答えはただの同情なんていうありきたりなものじゃないから。
アークスが答えを、ボクが求めるとおりに答えてくれる可能性はとても低いと思ってるから。だから、ボクはアークスの答えを聞くのが怖いんだ。
ボクが途切れた言葉を続けようと頑張っていると、アークスがこっちを向いて手を差し出してきたんだ。 ボクはなんだかたまらない気持ちになって、ベッドに仰向けになっているアークスの胸元に飛び込んだよ。
こうしてアークスの胸に顔をうずめると、不思議と安心してくる。アークスはボクの頭をなでながら、ゆっくりと話し始めた。
「オレも最初はな、人助けのつもりでオマエを拾ったんだ。ありきたりだが、これは本当だ…。」
アークスはボクが最後まで言い出せないで居た言葉の続きを知って居るかのようだった。 どうしてわかったのか、とても不思議だったけれど、今はそんなことはどうでも良かった。ボクはそのまま次の言葉を待った。
「最初の頃はとにかく、オマエを引き取ってくれそうな所を探してた。とにかく、早く引き取り手を見つけて楽になりたかった。だけどな…一緒に旅を続けているうちに、だんだん自分の中でオマエの存在が不可欠なものに、かけがえのない存在に思えてきたんだ。だから、今はもう、オマエを誰かに引き渡すつもりはない。オマエはオレが一人前になるまで育ててやるから、安心しろよ。」
その言葉を聞いて、ボクは目頭が熱くなった。ボクの期待していた答えそのものではなかったけれど、アークスはボクのことをかけがえのない存在だと言ってくれた。 ボクの目からこぼれた涙は石鹸の香りのするアークスの胸の獣毛の中に消えていった。
ボクは震える声で一言返すのが精一杯だった。
「ありがとう。」
アークスはそのままボクをぎゅっと抱きしめてくれた。 それはもしかしたら、今までで一番嬉しい瞬間だったかも知れない。
その翌日、ボクは仕事に出かけるアークスについて行った。
アークスと同じ白衣を着てね。 でもそれは、ボクには大きすぎて変なカッコに見えたかも知れない。 当然アークスには何の冗談だって笑われちゃったよ。 でも、ボクはアークスのためにできることがあれば、なんだってしたい。
ボクも一人前になるために、いつまでもアークスに甘えてちゃいけないんだ。 ただ育てられているだけじゃなくて、一緒に生活をして、いっしょに働いていけるパートナーになりたいから。
何よりも、アークスと一緒に居る時間を増やしたいしね。
ボクはアークスみたいに治癒の魔法は使えないけれど、行列を作って居る患者さんを整理したり、治癒の前に問診して、アークスがスムーズに治療できるようにしたり、順番を守らないタチの悪い客を魔法で眠らせたりして、アークスをサポートできると思うんだ。
ボクはアークスのことが好きだし、アークスもボクを大事にしてくれる。今までと変わらないかも知れないけれど、これからは今まで以上に、お互いにかけがえのない存在だと思えるようになれると思う。
「ね、ボクが一人前になったら、ボクも一人で仕事をしてアークスに恩返しをしたいと思ってるんだよ。」
「ばーか、そんなずっと先の事なんか考えてないで、今の仕事を手伝ってろよ。それから、この仕事をやるからには、これからちゃんと毎日風呂に入れよ、わかったな?」
ハイハイ、わかりましたよ…。
Cain's Episode #01 かけがえのない存在 End

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