2019/1/19
エネルギーの蓄積
31・1・19
今朝のメッセージの映像は、「エネルギーの蓄積」と謂うか、「気力の充実」を図らなければ成らない理・ことが示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、奈良県桜井市に住む「自然農法家」で「漢方治療の研究家」である「川口由一」氏の存在が映し出されて来て、其の川口氏の指示により、長縄で距離を測りながら森の中を進んで行くと、指示された距離の所に御陵の様な物が有る草原に到着した。
そして周囲を眺めると、日当たりの良い傾斜地に、薬草なのか、濃い緑色の高菜の様な広い葉の植物が澤山植えられていた。
其の場所から、更に奥に登って行くと、長大な杉などが生えている原始の森が有り、神殿にでも使うのか、其の中の数本が切り倒されて、葉枯らしの状態に成っていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時45分・2時15分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が住んでいる家の中から、太い自然薯の蔓が高い庭木に這い上がっている映像が映し出されて来て、其の太い蔓は晩秋なので枯れて来ており、根元には大きな芋が出来ている事が理解された。
其れから、漢方薬を製造する調理場の様な施設が映し出されて来て、其処では植物を煮詰めて作った「黒飴」や「羊羹・ようかん」の様な物が、出来上がっている事が示されて来た。
其処で意識が目覚めので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時19分」であった。
其れから再び眠ると、私は何処かの山中の家に籠もって、静かに暮らしている様子が示されて来て、34年前に自分の躰に満ちた様な「気力・エネルギー」を蓄えている事が示されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は9時1分であった。
今朝は先ず、起された時刻「2時15分前「6時19分」「9時1分」の数字から、昨年の「2月15日」「6月19日」「9月1日」の文章を見て見ると、次の様に書いて有る。
2018/2/15今朝は7時25分に起きて、顔を洗う為に井戸水の水道で両手を洗うと、「全ての物質は水素原子の振動で成り立っている」との言葉が、頭に流れ込んで来た。私は、其の言葉で、全ての謎が解けた様な気がした。
其れは、水に触れたり、水を掛けると、全てが生き返る様な気配が空間に満ちて来るからである。其の様に考えると、生活や活動の「活」の漢字が「氵(水)」である事も良く理解されて来る。・・
今朝のメッセージの映像は、故「藤山幸盛(ゆきもり)」氏が、古く成った大きな木造建築の「神殿」か「お城」の様な建物の、二階の広間に居る場面が映し出されて来た。
そして、私に、神棚の飾っている古びた額を分解して見ろとの事を謂うので、私が其の額の裏板を外して、全部を取り出し、ガラスと御神名の様な書き物を外すと、中には幸盛氏が天皇の様な人物と二人で並んで撮った、古い写真が出て来た。更に、其れを外すと次々に古い写真が出て来た。
其れ等の写真を見て居ると、幸盛氏の友人男性が一人其処に訪ねて来て、幸盛氏が私の事を紹介したので、私は其の男性に、自分の存在を理解して貰う為に、様々な事を演じて見せると、其の男性は私の事を理解した様で、一緒に食事に出かけようと言う事になった。
そして、三人で出かけて行くと、其処は私が若い頃に存在した、安房川に架かる吊橋のたもとに有る「八重岳食堂」であり、主人の「小松婆さん」が居た。
今朝のメッセージは、本来の人間の在り方に付いて示されて来ている様である。・・
此の「藤山幸盛」と「小松婆さん」の存在を考えると、今朝のメッセージは、人間は男女の差に関係無く、自分の考えを持って生活して行かなければ成らないと謂う事であり、他人の真似をして行く事や、社会情勢に流されて行く事は、本来の人間の生き方ではないと言う理・ことが示されて来ている様である。
其れに、「大国主命」や「神武天皇」の様に、新しい政(まつりごと)を始めた人物は「偉人」であり、「統尊・すめらのみこと」であると謂えるが、其れを唯継続するだけの「天皇(子孫・血筋)」は、偉人や統尊ではないと言う事には成らないのであろう。
其れを考えると、昨日のメッセージ「節目」の映像に映し出されて来た、毎年新しい竹の子を生じさせる地下茎の根の節目は、真実の「天津日嗣・あまつひつぎ」の世界を示唆しており、芽を出せない途中の節目や、一人前に成長出来ない物は、根の系統を代えなければ成らないと言う理・ことなのではないだろうか。
其れは、上記した「時間と言うモノ」の文章と関係があり、「統尊・すめらのみこと」の「御嚴・みいつ」を行う者は、今朝私が、両手を水で洗った時に告げられて来た「全ての物質は 水素原子の振動で成り立っている」との事と関係が有り、統尊は森羅万象(時空)の流転の先端に立たなければ成らない存在なので、釈迦仏陀の謂う「衆生一切わが子」との世界と関係が有り、自然全体を肌感覚で感じ取っている人間でなければ、勤まらないと謂う事に成るであろう。
其れを考えると、王様・皇帝・天皇の家に生まれただけで、旅の修行を完成していない者は、其の統尊の真実の役割・はたらきは出来ないと言う事に成る。・・・
「全ての物質は水素原子の振動で」https://green.ap.teacup.com/20060818/4528.html
2018/6/19今朝のメッセージの映像は、先ず、背のスラリとした50歳位の男性が、円柱を横向きにして丸めた様な、磁器陶器を製作する白い粘土を、台の上にて刃物で輪切りにしている姿が映し出されて来て、其の輪切りにした物を私の方に渡す場面が映し出されて来た。
どうやら、其れは、私が行っている事に関係が有り、是からも其れを使用して、何らかの事を続けて行かなければ成らない事を示していた。
次に「IBM」と「マイクロプロセッサ(英: Microprocessor)」の名前が示されて来て、其れに付いて考え始めると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時59分・5時1分前」であった。
私は、其の数字を「459・しごく・至極」と記憶して再び眠った。
すると、成長を始めたばかりの木が一本切られて、押し花の様に乾燥されて、壁に貼られている様な形のシルエットが映し出されて来た。
其れから、「上手く隠したわね」との女神の言葉が一言告げられて来たのが、6時19分であり、其の数字は本日の日付である。・・
其れから、至極の「至」の漢字で自分の文章を調べると、何と「至極」との文章が出て来て、次の様に書いて有る。
其れに、起きた時間が本日の日付である6時19分であった事を考えると、私の意識は「松果体の働きであるメラトニン」をマヤ・アステカの神である「時間の操縦士」にコントロールされている事になり、自律神経を司る「古皮質・小脳・蛇の脳」が、我が家の時計と連動している事に成る。
其れに、此の文章に書いてある「前日の DNAの培養基」との言葉も気に成る。・・
是等の内容からすると、今朝のメッセージは、昨日の「石見・いしみ」と関係が有り、今朝の映像に映し出されて来た、陶磁器を製作する為の粘土のスライスは、「第三の目」と呼ばれている「松果体」と関係が有りそうである。
何故かと謂うと、松果体は、純粋な珪素・シリカ・シリコンの結晶体が松傘状態に成っている物だからである。
其れを考えると「石見」との言葉は、第三の目で岩石を見詰める事を意味し、私が毎日行っている作業は、「視覚(両目)」で見るモノや、「聴覚(両耳)」で聴いているモノではなく、「第三の目・松果体・純粋なシリコン」の形態・チャンネルで、入発信されているモノ・世界・次元であると謂う事に成りそうである。・・
其れに、「上手く隠したわね」との女神の言葉が一言告げられて来たのが、6時19分であり、其の数字が本日の日付である事は、二年前の6月19日のメッセージ映像に、天空を両翼とする鳳が私に三個のタルト(渦巻き)を皿に載せて、差し出して来た事と関係が有るのかも知れない。
其れに「IBM]の創立日が「6月16日」であり、其の日付は私が「三枝祭り・斎草祭り」を行った日であるので、「マイクロプロセッサ」の存在と共に、私の意識の有り様にも関係有るのかも知れない。
「第三の目」https://green.ap.teacup.com/20060818/4655.html
2018/9/1今朝のメッセージの映像は、先ず、私が河川に泳ぎに行くと、其の川の水が、魚が一匹も居ない程、人間の生活排水や工場排水などで汚染されており、とても泳げる様な状態では無い事が判った。
次に、私が屋内に有るテーブルの上を片付け様としたのだが、次々に様々な物が置かれるので、私は此れでは片付け作業を続けても、切りが無いと思って其の作業を止めた。
次に、何処かの冷凍庫の中に貯蔵されている牛肉を、整理する場面が映し出されて来た。
其れは、牛肉を食べる為に、牧場を拡げる事や、飼料用穀物を栽培する為の農地造成の為に、森林が破壊される原因と成っている事が示されている様であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時15分」であった。
其れから再び眠ると、深い山岳に「マクロビオティック ・Macrobiotic」の生活を続けている中年男性のグールプの存在が映し出されて来た。其の人達は、谷川で禊ぎ祓いを行ったり、ロープ一本を伝って谷川に下ったり、建物のビルの屋上に登ったりして居り、通常の人間ではない事が理解されて来た。
次に、其の人達が仕事・役割として収集した情報が、大きな衣装ケース程の大きさの箱の中に収納されて、其の上から花崗岩の砂がケース一杯に詰められてから、封印される様子が映し出されて来た。
そして、其の箱は「アークの箱」の役割である事が示されて来て、数千年前のアークの箱の中身とは異なる、新しいモノに変った事を意味していた。
そして、其の事に「シリバス」との言葉が関係有る事が告げられて来た。
其れから、其の事に私の是までの行動が、最も重要であった事が理解されて来て、「38年前から」との年数が示されて来た。
そして、「子供ときから」との言葉が告げられて来た。
其れから、「今回は繋がらない」との言葉が告げられて来た後に、「アウト・ロッド」との言葉が告げられて来た。
今朝は先ず、今朝告げられて来た「アウト・ロッド」の言葉を調べると次の様に載っている。
【アウト・out】出る、離れる、終わるなどの意味
【ロッドrod】棒、竿状のもの
特に日本では、「魔法使いの杖」としてよく用いられる。
此の「アウトロッド・outrod」の意味からすると、私が34年前に此の世界に飛び込んだ時に、持たされた杖が、其の役割を終えると言う事に成る。
此の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「38年前から」と「子供の時から」との言葉は、私が杖を持たされたのは、37歳の時点であっても、其の事は、私が母親の胎内に宿った時から始まっていたと言う事であり、私が此の世に生命・いのちを受けた時から、自分の役割が始まっていたと謂う事になる。
其れを考えると、私が36歳の時に「土肥無庵」に捜し出されて、一年後の37歳の時「マクロビオティック ・Macrobiotic」の生活に入り、此の世界に飛び込んで4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた事が、今朝の映像で山中に仙人・聖者の様な男性達が活動して居た事と関係が有りそうである。
そして、其の人達の役割・はたらきが、新しい情報を箱に収納する場面が映し出されて来た事は、私が是までPCに打ち込んだ電磁気情報や、私が頭脳で映像化した脳波などと関係が有り、私は新しい「アークの箱」の中身を整える事に、大きな貢献をしたと謂う事であり、其れが「ケルビムの謎解き」の世界と言うか意味である事に成る。
其の様に考えると、其の事に関係が有る「シリバス」との言葉は、「シリ」が「シリコン」の略であり、「バス」は「バスルーム・浴室・風呂桶」と関係が有り、「アークの箱」とは、「シリコンの風呂桶」との意味である事に成る。
其の様に考えると、私が34年前に此の世界に飛び込んで、4311体の霊魂に躰を貸した事で始まった、様々な現象の意味が能く理解されて来る。
だが、今朝告げられて来た「アウト・ロッド」との言葉と、「今回は繋がらない」との言葉の意味は、私が此処まで行って来た「天津日嗣・あまつひつぎ」は、繋がらないと言う事なのであろう。
其の原因は、今朝最初に示されて来た、人間の水の汚染(環境破壊)が止まらない事や、人間の物品への執着(欲望)が益々増幅している事と関係が有り、とても天津日嗣の儀式が行える状況ではないと言う事なのであろう。
『そうではなく 来年行われる天皇即位の儀式が 無駄であると言う事です。
それに 世界中の人々が シリコン・砂の事に付いて無知なので 現在の状態では 新しい世界を構築する事は不可能ですので 貴方にも其の事を自覚してもらわなければなりません。
しかし 貴方のお陰で 新しきアークの箱は完成したのですから 貴方は次世の子供達に此の事を託して 休息しなさいね。』10時8分
此の、いま告げられて来た女神の言葉からすると、今朝の映像に由香が男性用の自衛隊の服装で登場したのは、昨日示されて来た「神 由香」の文字とも関係が有り、由香の活動と謂うか、役割が、是から始まるとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」で「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創始者である「桜澤如一」の次に登場した「出口王仁三郎」が、生前「本物の変性女子が登場したら大本も終わりだ」と謂っている事と関係が有り、私の役割が終わって、今度は由香に変性男子の役割が始まると言う事なのかも知れない。
私は、1946年5月10日に此の世界に「いのち」を得て、今年で72年が経過している。其の38年+34年=72年の生命状態を考えると、是からは人間社会に直接関わるよりも、人類の「DNA・遺伝子」の世界と、「精神・こころ」の変化に付いて、意識を集中して行かなければ成らないのであろう。
そうする事で、神(はたらき)の世界に新しい意味付けが出来るのかも知れない。
其れこそが、先日告げられて来た84歳までのライフスタイルなのであろう。
「アウトロッド」https://green.ap.teacup.com/20060818/4729.html
是等の文章の内容からすると、私が10日後に満72歳の誕生日を迎える事と関係が有り、「アウトロッド」との言葉が、適している事に成るが、16日に示されて来た「全官奉仕・全官指令」との言葉と関係が有り、古代社会では王様や皇帝が山中に住む「仙人」や「聖者」に智慧を授かりに訪れていた事と関係が有り、私は其の様な役割を果たす為に、「エネルギーの蓄積」すると謂うか、「気力の充実」を図らなければ成らないとの事なのかも知れない。
今朝の由香のビジョンには、手の込んだコンパクトな造りの個性的な家が、数軒ほど隙間無く並んでいる所に居て、その内の一軒の表札に「美川憲一」と書いて有るのが見えたとの事である。
そして、知り合いの「友もり賢一」さんが、登場したとの事である。
其の「美川憲一」の名前は、今朝私の霊夢に登場した「川口由一」の名前と「川・一」が共通しており、美川憲一の名前は「美しい川 憲(のり)一(いちばん)」との意味が有り、川口由一の名前は「川の入り口 由(もとづく)一(いちばん)」との意味に成る。
更に「ともに森を賢(かしこくまもる)一(いちばん)」の男性が加わっている事にもなる。
実際に、川口由一氏の自宅から、小川の側道を山に向かうと「天皇陵墓」が存在し、其の先は「三輪山」であるので、今朝のメッセージの映像の里バージョンには成る。
だが芸能人の美川憲一氏は、豪邸に住んでいるとの事であるし、本人が登場した訳でも無いので、名前だけの意味であり、官人(公務員)は政府(国家)の財産の中で勤務をするだけなので、大きな建物に住む必要がないと言う理・ことなのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像は、本来の政(まつりごと)がどの様なモノ(世界)であるかが示されて来ており、現在世界中で行われている選挙に拠り「代表・政治家」を選ぶ「政治」の世界とは、全く異なる世界が示されて来ている事になる。
其れは、「老子」や「釈迦」が教訓を開示してから2500年余り、イエスが教訓を開示してから2000年余りが経過しても、人類の政(まつりごと)はレベルが高く成ってはいないと謂う理・ことに成る。
其れを考えると、私に与えられている役割は、正しい政(まつりごと)が行われる様に、新しい指針を示す事なのであろう。
そして、其の為には、先ず私自身が、人間社会に直接関わりを持つ事を止めて、古代の傳統と言うか、本来の政(まつりごと)を甦らせる事に、努力をしなければ成らないと謂う事なのではないだろうか。
其れは、34年前に私を捜し出して、此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」がイメージ(意図)して居た世界が、やはり現実として、必要不可欠である事が示されて来ているのであろう。
やはり一休宗純禅師の想いは強い様である。
2014/8/20今日は、どんなメッセージが来るかと思っていたら、予想だにしなかった「一休宗純禅師」の御魂が動き出して来た。
昨日は、額の中に、10項目程の横書きの文章が記されているのが映し出されて来た。其れは、モーゼが岩山で、神から授かった十戒が、新しく書き直される物かと考えていた。
だが、今朝のメッセージの世界は、一休宗純禅師の世界であり、一休禅師が大事にしていた言葉は「諸悪莫作」「衆善奉行」であり、其れは人間の生きる規範に付いて触れている物で、非常に短い。
「衆善奉行」とは「多くの人達と善い行いをたてまつって行きなさい」との意味で「諸悪莫作」とは「もろもろの悪い行いを日が暮れて行くように止めなさい」との意味です。
其れに付いては、次の様に以前書いて在る。
・・私は、其の今朝の映像から、頓智で有名な「一休宗純禅師」が、大徳寺の室内に掛けている軸の事を思い出した。其れは、私が自適塾のトップページに使用している「諸悪莫作・衆善奉行」の訓えである。
【七仏通誡偈】
七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)は、仏教で釈迦以前に存在したとされる6人の仏と、釈迦を含む7人の仏(過去七仏)が共通して説いた教えを一つにまとめたとされている偈であり、『法句経』などに収録されている。 上座部仏教及び禅宗に於いて特に重んぜられ、禅宗では日常の読経にも取り入れられている。一休宗純による「諸悪莫作・衆善奉行」と大書した掛け軸が有名である他、道元は「正法眼蔵」で「諸悪莫作」の巻を設けてこの教えについて詳細に述べている。
内容[編集]
諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり
(「衆善奉行」は漢語訳によっては「諸善奉行」とすることもある。)
逸話[編集]
中国唐の詩人・白居易(今の県知事職)は禅を好み、禅僧・鳥窠道林(鳥窠和尚)に「仏教の真髄とは何か」と問うたところ、この偈の前半を示された。白居易は「こんなことは3歳の子供でもわかるではないか」といったが、道林に「3歳の子供でもわかるが、80歳の老人でもできないだろう」とたしなめられたため、謝ったという。
これは史実ではないが、道元もこの逸話について論じており、「わかる」と「できる」とは全く異なるということを示した逸話として有名である。
〜引用終了〜 ウィキペディア辞典
此の説明の中に有る【「わかる」と「できる」とは全く異なる】との事が、一番重要であり、学校や宗教団体で習う事は、意味が理解できても、其れが実行できなければ、何にも成らないと言う理・ことである。
其の事を、一休宗純禅師は痛切に感じていたので、木刀を腰に差して、京都市内を歩き回って居たのであろう。
其の行為の意味は、此の世には「真剣・まこと」が無いとの意味を、民衆に知らせる為である。
其の「一休宗純禅師」は、私が此の世界に入った時から、私の守護霊として付いており、私に「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」との言葉を告げて来たので、私は囲炉裏の有る部屋に「風餐宿」との名前を付け、其の名の焼き印を造って、自分の作業道具には全て其の焼き印を押してある。・・・
「一休宗純禅師」https://moon.ap.teacup.com/26660606/97.html
今朝登場した「由一」「憲一」「賢一」の名前は「由憲賢」との並びであるので、其れは「由(よる・もとづく)憲(のり・おきて)賢(かしこい・まさる)」となり、其れらが「一(はじめ・いちばん)であると謂うのは、人間社会を営んで行く為に欠かせない条件であると謂う理・ことにも成るのではないだろうか。
平成31年1月19日
礒邉自適
2008/5/11
あめのみなかぬし・宇宙の王
20・5・11
今朝のビジョンは、是までとは 全く異なり 私の意識も是までとは違っている。
其の様に云っても、メッセージの内容が急激に変った分けではなく、是までのメッセージに連続しているのだが、一応、其の様に云って置くのは読者が、私が物に執着して居ると勘違いをして、気持ちが反転して元に還ってしまう恐れが有るからである。
其れは、1枚の木の葉の裏側から、表側に意識が抜けてしまう事を、反対の世界に入ってしまったと誤解されない為である。
24年前に、私の意識は、此の人間社会である相対の現実世界から脱皮して、四次元の絶対世界である神の世界に突入した。そして此の人間世界を、神社の鏡の裏から視て来たのである。其れが、昨日から、物の世界に意識が戻っている。其れは、銅鏡を胸に下げた男性を女神が連れて来て、新しく漉いた和紙を私に渡した事と関係が有るのだろう。
其れは、私の意識に対する女神が起した儀式だったのだ。其れは、私の此の身体が62年前から形創られ、24年前に神の世界の杖・みいつを渡され、11年前に其の杖を手にして表に姿を現す写真を撮らされ、今日から全く新しい意識の中に、私の意識を送り込んでいると考えられるからである。
其れは、左右も、上下も、前後も、過去未来も、善悪も無い世界である。其れこそが、自己判断の林檎を食べない前の、アダムとイブの世界である。
其処には言葉がなく、ただ此の身体を始めとした、全ての物が存在する宇宙と呼ぶ世界である。其の世界は、言葉が無いので、物の区別や識別が無いのである。其れこそが、釈迦が謂った十二縁起の内容であり、三千世界の中心に自分の意識が存在すると言うことである。そして其の意識とは、久遠元初に自分が在って、其の儘、此処までいのちが此処に居座っていると言う事である。其れが、日本の惟神の道で云う処の「あめのみなかぬし・天の御中主」の立場・在所なのである。
其の在所には、最早、階段は無いのである。其れは、イエスキリストの謂う天の父が存在する場である。其処は、老子の謂う「恍惚」のガスの霧も晴れ、何も意識を反射する物は無い。其れが、ヒトが存在する原初の場であり、ヒトは覚醒さえすれば帰れる場である。
其処には、安らぎの西方浄土も無く、東方から光と共に現れるメシアの概念も無いのである。其処に住む意識の拠り所は、一休禅師の謂う「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」である。
一休宗純禅師は、誕生日が1394年1月1日で、命日は1481年11月21である。一休禅師は、100代の後小松天皇の子供で、元旦に生まれて、新嘗祭の鎮魂の日に88歳で亡くなっている。だから一休禅師は、1番目出度い日に生まれて、1番大事な日に大往生した事に成る。其の一休禅師が、屋久島で私に杖を持たせ、庵の名を「風餐水宿」と告げて来たのである。そして、自分の造った寺に13年目に呼び出して、看板に成る写真を撮らせ、其の日から昨日で丁度11年が経過したのである。
そして今朝気付いた事は、一休禅師の誕生日を調べる為に、一休禅師がテーマのブログを開くと、平成18年5月13日に一休禅師がメッセージを伝えて来た事が記されている。其の5月13日は旧暦が4月16日で、今回、第一回目大山祇神の勉強会が開かれる新暦5月20日(旧4月16日)と同じ日である。一休禅師の母親は、南朝方の血筋だったので、一休(幼少名千菊丸)は貴族には成れず、6歳の時に寺に預けられ出家する事に成ったらしい。是だと、来年で写真を撮って丸12年と成るので、何処かに「風餐水宿」の看板を揚げられるかもしれない。
面白雑学 http://moon.ap.teacup.com/26660606/
昨日10日は、意味が解からないので文章にはしていないが、四角の銅鏡の映像の後に、太陽の光に透かされ、葉脈がはっきりと見える若葉が現れた。今朝、其の意味を考えると、自然界の植物は、全て葉の形を別けて、存在していると言う事である。
其れは、人間の暮らしは道具の使い方で、夫々の働きを違えて居るが、其れに対して植物は、自分自身の身体を使って、様々な役目を果たしている理を、意味しているのではないだろうか。
其れは、生物の遺伝子は、自分の形を変化させる事で、進化を続けて来ている事を示している。其れは、人類が67億人居ても、全員顔や姿形が異なる事と同じであり、生物は皆、他と違う形状を探りながら特徴を現していのちの継続を図って来ていると言うことである。其れは、植物が、葉の形状だけではなく、花の形や色や臭い等にも気を使って、自分の個性を発達させて来ている事を見れば理解出来る事である。
其れに対して、人間は脳や手足の発達で、使用する道具を発明したり、色々な色に糸を染めて作った服を着て、自分の個性を創り出しているのである。
今朝のメッセージは、其の事の続きであるらしく、白い豆腐が2皿と、黒い胡麻豆腐が1皿映って来た。私は、其の豆腐を食べる前に、部屋の外に1回出て、また帰って来ると、黒い胡麻豆腐は誰かが食べてしまったらしく無く成っていた。そして、白い豆腐は2皿とも残っているのだが、形も色も皿も同じなので、どちらが自分の物なのかの区別が付かず食べる事が出来なかった。
其の意味は、形が同じであっても、白黒の色の違いが有れば区別が出来るが、形も色も同じであれば、どちらが自分の物で有るかの判断が出来ないと言う事を意味している。
そして場面が変り、私の意識は銭湯に居て、近くに同じ形の白い石鹸が同じケースに入れられて置かれている。私は、どちらが自分の石鹸なのかが判らず、使う事が出来ないのである。そして近くの棚の上を見ると、同じ石鹸入れが沢山置かれていた。
此の映像は、人間が生活に使用する物の世界であるが、前の場面の食べ物が同じである事と共通している。
此の2つの場面も、此の相対世界である三次元の、現実世界の意味を示して来ているのだろう。其れが、神が何を伝えて来ているモノなのかは、私にも明確ではないのだが、昨日からの内容を考えると、此の三次元世界に現れている物の存在の意味を、正しく理解しろとの事ではないだろうか。其れは、物の存在の意味が明確に成らなければ、此の現象世界の政(まつりごと)は、正しく行えないとの事ではないだろうか。
今朝は、其の他にも沢山の事柄が現れたが、文章が長く成るので最後にもう1件説明すると、神棚に捧げられる「日本酒」と「塩」と「丸い玉石」が映されて来た。其れは、神に捧げる御供え物だから、鏡や剣等と同じく、神と人間の絆を意味するのだろう。其れは、石上神宮の物部の儀式に関係が有るのではないだろうか。
1昨日からのメッセージは、言葉や文字の世界ではなく、神社の儀式に関係の有る物の世界である。其れは、神々が新しい政(まつりごと)の儀式の件を考える様に、私に訴えて来ているのではないだろうか。
群馬県の南北村に有る、黒滝不動尊に納められている旧事本記大成経の内容は、儀式に使用する品物に付いて細密な説明である。此処数日のメッセージから考えられる事は、儀式に使う品物は、私が考えていたより大事であり、神が此の三次元を動かすには物が正しく配置され、正しい順序で動かされなければ成らないと言う事である。其の事が有るからこそ、日本では事難しく儀式が行なわれて来たのであろう。
私は、儀式に使う神具や、作法等には全く疎いので、何をどうしたら良いのかが判らないが、其れ等の事柄は、宮内庁や神社庁に長い伝統として残されているのであろう。私の役割は、ただ霊魂・神々が正しく此の世で働ける様に、協力して行く事である。
今朝の他のメッセージは、其れに拠って宇宙の森羅万象がどう成るかの内容であるので、簡単に文章にする分けには行かない。もし間違って公表してしまえば、大変な事に成ってしまうからである。だからこそ、是まで大事な事は秘儀とされて来たのである。
是からが、私の働きの本番であるとの事だろう。今朝示された事を、是からどの様に此の三次元世界で現実化して行くかが、是からの私の課題であろう。大変な世界が有ったものである。
平成20年5月11日
礒 邉 自 適
2008/1/10
大日如来の記憶
20・1・9
昨夜は11時にベッドに入ったが、朝まで殆んど熟睡出来なくて、多くの情報が脳内を通過して行った。通って行った情報は、光の霊体を持つ人々や、是まで人間が文字化した言葉や絵画等が、全部統合されて整理箱に納められて行くのである。其れは、今までには無かった現象で、言葉や文字や画像を新しく創出する作業ではなく、回収する作業である。
其の文字や絵の一部を抜き出して見ると、過去の石垣雅設氏との情報の交換や、現在の福田総理の演説原稿等である。其れは、人間が言葉や文字化した情報が、何等かのシステムの中に全部記憶されており、昨夜其れが、長い時間を掛けて回収箱に回収され、整理が続いていた事を見せられたものである。其れは、大日如来が此の世の総べての「言葉・マントラ」を、管理しているとの事が真実であることを示して来ている。
そして次の映像は、私が1番重要な場所を訪ねる場面だった。其の大事な場所とは、何処かの山の上で、車道が通じていない場所であり、其処を私が歩いて行くと、やがて土の道も無くなり、草原の中を進んで行かなければならなく成った。其の大事な場所には、人間が訪ねた事が無いらしく、人間が歩いた跡がないのである。しかし良く地面を視ると、何かが草の上を這って行った様な後が有るので、其の形跡を辿って進んで行った。
しかし辿り着いた先には、何の建物もなく、木が生えている林が有るだけである。私の意識は其処で立ち止まって、どうしたものか戸惑っていると「ロリス-ホーデン」との言葉が有り、其の場面は消えた。
そして、意識は元に戻って「正装ではなくても」との言葉が有り、真珠貝の様な光沢を放つ、皿の様な器の形に成っている物が、1個現れて、今朝のメッセージは終わった。
今朝のメッセージは、文字の回収に、とても時間が掛かったので、少々疲れているので余り明確には表現出来ないが、出来るだけの解釈をしなければ成らないだろう。
先ず、PCで「ロリス-ホーデン」を調べて見ると、【ロリス】は、せきつい動物亜門 哺乳類(哺乳綱) 霊長目、ロリス科、スローロリス、学名、Nycticebus coucang。分布 ・インドのアッサム地方からベトナムまで。スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島。ロリスとは、オランダ語で「道化師」という意味。
【ホーデン(ドイツ)Hoden】睾丸。 と有り、「ロリス-ホーデン」とは、「ロリスの睾丸」と言う意味か、「道化師の金玉」とかに成ってしまう。
何だか是は、ユーモアの世界に飛び込んだ様なものである。其れに、道化師には心当たりが有る。道化師とは、道を悟った人間が、其の道の奥義を化かして、お笑いで人々に布教する意味である。だから「道化師・ピエロ」は、馬鹿な人間では出来ないのである。其れは、「釈迦牟尼佛」や「イエス・キリスト」や「老子」でも、出来ない世界であり、出来る人としては、頓智で有名な「一休禅師」ぐらいの者であろう。
其れと、私が捜し出した岡山のスーリアさんは、私と出会う40日も前に、私が道化師の姿で、ヘリコプターから地上に降ろされるのを、霊示で見せられてもいるのである。1人の道化師http://star.ap.teacup.com/170606/430.html
其れに、今朝の最後のメッセージの、真珠色に輝く器と、「正装ではなくとも」の言葉は、「ピエロ」のキィーワードさえ使えば、簡単に解けて来る。其れは、ピエロ姿の正装をしなくても、道化の言葉は真珠色の「器(マントラ・真言)」であるとの意味になる。
其の事さえ解ければ、私が今朝長時間掛かった「みいつ・トランス」の作業は、是まで此の三次元世界に積もって来た、言葉の概念や文字を、全部大日如来の身体から拭き取って、消し去ったと言う事に成る。其れは、映画の「ゴースト-バスターズ(幽霊退治)」成らぬ「ロゴス-バスター」の行為である。
そして今朝、私が辿り着いた大事な場所とは、哺乳類の中でも怠け者のチャンピオンである「スローロリス」の、住処であった事に成って来る。其処は、今まで「藪をつついて蛇を出す。」との諺の、蛇の棲みかだったのである。其の蛇の棲みかが、スローロリスの棲みかと成ったのであれば、もう人間を悩ます知識の言葉は必要ではないと言う事に成る。ようやく、今朝は、長年の釈迦牟尼佛の憶いが、完遂した事に成るのではないだろうか。
そして、最大のユーモアとして、「ホーデン・睾丸」は男性の精子(生命情報)を製造する器官であるが、其れが蛇のホーデンではなく、怠け物のスローロリスのホーデンに換わった事である。そうであれば、人間の智慧も、蛇の賢しらから、スローライフに合ったモノへと転換して良いとの事であろう。そう成れば、マントラを管理する大日如来の「論理宝殿・ロンリ-ホーデン」の管理も、簡単に成るのではないだろうか。其れは、一休さんや泊如竹の憶いも、ようやく適うと言う事である。
今朝のユーモアは、一休さんだけではなく、一遍上人や良寛さんも、喜んで小躍りしているのではないだろうか。今朝は何故、インドの「バグワン」が「一休禅師」の存在を知った時に、自分の呼び名を「和尚」に替えたのかも、理解出来てくる。やはり24年前から「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」の言葉を告げて来ていた、一休禅師の存在は大きい様である。
私も一休み出来る時が、近付いて来ているのだろうか。休んでも、昨夜の様な現象が続くのであれば、疲れるだけである。何故、垂仁天皇が、神武天皇が奈良に運んで行った「彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)」を、伊勢に追い出したのか、其の心境も私には理解出来て来ている。しかし、私は其れを追い出す総べを持ってはいない。
私の救いは、蛸と酒と女が好きだった、一休さんの霊魂が強い事である。是からも、一休さんの霊魂とは仲良くして行きたいと考えている。ピエロの正装をしなくても、真珠色に輝く真言を発する事が出来ると言うのだから、気楽に遣って行けば良いのだろう。
今朝の草木が生えている岡の景色こそ、日本の神社で唱える大祓詞の「・・・・国つ神は 高山の末 低山の末に上り座して 高山の伊褒理低山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ・・・」の文言に合っている情景である。しかし、道化師の格好で、其の祝詞を唱える事は、未だ許される状況ではないだろう。何故なら、其の世界は「かしこみ かしこみ申す。」の世界だからである。
祝詞参考HPhttp://www.nippon-bunmei.jp/ooharai2.htm
平成20年1月9日
礒 邉 自 適
2006/12/14
ファイナル‐ファンタジー
18・12・14
今朝は、遂に、自分の夢の源に行き着いた。
其れは、行き着いたと言うより、帰り着いたと言った方が、適切だと想われる。
漸く、私のカルマ・業の源に辿り着き、自分の「いのち」の背景を観る事が出来たのである。
今朝の映像は、私の実家の裏山の「明星岳」の風景が映し出されて来て、私が其の映像を、何度クリックして消しても、又現れて来るのである。
それで、私の意識は其れを消す事を諦めて、其の映像を見る事にすると、其の山の麓(矢本嶽)に在る私の実家へ、安房から続く道路が見えて来た。
そして、其の道路を、誰かが、私の右側から手を引く様にして、実家の方に向って歩いて居た。
其の相手が、誰だろうかと意うと「すみる」との名が出て来た。
そして、其のまま歩いていると、道路に銀色に光るパイプレンチが落ちているので、私は其れを拾って、また歩き出した。
そして、行き着いた所は、私の実家の裏山である。
何故か、私は、実家の正面玄関の方から入らずに、途中から、裏山の段々畑の方に回り、鬼門に当る方角から、敷地の中に入ったのである。
其れと、今朝の場面で気付いた事は、其の女性が、私より前に、其の敷地の中に入ったのに、後に付いて入った私の顔の方に、張っていた蜘蛛の巣の糸が、掛ったのである。
其れは、私の前に入った女性には肉体が無く、霊魂だけの存在だったので、蜘蛛の糸も、通り抜けた事を意味している。
私は、蜘蛛の巣の糸を祓ってから、畑の中に入った。其処は、芋畑の跡で、既に芋が掘り取られて草が茂っていて、其の畑を見回すと、もう私を案内した女性の存在は、消えてしまっていた。
今朝の映像は、何者かが、私が子供の頃から、私を導いていた事を、示して来ている。
其の女性の名が「すみる」との名だったので、すみるの言葉を分析すると、「る」は助動詞の終止符なので、「る」を外すと「すみ」だけに成り、「すみ」は「済み」とある。
「済み」であれば、総ての私の旅が終わり、生まれ育った故郷の、裏山の畑に帰り着いた事に成る。
其れは、「済みる」が「帰る・終る・いのる」の意味を、含んでいる事に成る。
そして、私が途中で拾って手にしたパイプレンチは、大きな機具のナットやパイプを回す道具なので、昨日の夢に、最後に出て来た、温泉の湯送パイプの場面と繋がっている事にもなり、此処のところのメッセージは継続しており、一連の繋がりがあって伝えられて来ている事になる。
其の繋がりは、此処数日の分ではなく、私の60年間の人生を操るもので、更に36億年の「命の鎖り・スサノオ」の存在に連携しており、更に138億年の宇宙の歴史にまで、繋がっていることになる。
今朝、私の右側一歩前を歩いていた、顔の見えない存在は、屋久島の山奥に住んで居ると云われている「山姥・やまんば」だったのではないだろうか。
私は、子供の頃より、山に一人で遊びに行くのが好きであったし、23年前に、神の世界に突入した時も、真っ暗な山路を、明かりも持たず歩き回って居た。其れ等の行動も、全て其の山姥が、私に依り憑いての現象だったのであろう。
其の山姥こそ、総ての精霊や霊魂を司っている、大本の母性の存在なのかも知れない。
其れが、古代から人類が恐れ慄いている、「大地母神・黒いマリア」なのではないだろうか。
そして、其の存在こそが「産土神・うぶすなかみ」と呼ばれて、格部族毎に、村の中に鎮守の神として祀られて来た、信仰の原点なのではないだろうか。
其の母神は、顔を持たないからこそ、其の存在を現す為に、仮面を着けた祭りの儀式が行なわれる様に、成って来たのではないだろうか。
其の母性の存在こそ、世界中に伝わっているアニミズムの源流なのであろう。
今朝の霊が、どうして鬼門の方角から、敷地の中に入り、其の土地がサツマイモ畑だったのであろうか。
鬼門は、是まで悪霊が入り込む方向だとして恐れられ、京都の鬼門である「比叡山」には、桓武天皇が「最澄」に寺を建てさせ、祀りを行なわせている。
其れに、織田信長が建てた二条城の鬼門の石垣は欠いてあるし、徳川家光も江戸城の鬼門の上野には「寛永寺」を建てて祀らせてもいる。
其の鬼門の方角から、私が実家の敷地に帰ったのも、何か、深い意味が含まれているのだろう。
そして、其の畑が、サツマイモが植えられていた跡だったのは、私が子供の頃の主食が「薩摩芋」だった事を意味し、私の肉体が、芋が吸収した大地のエネルギーで、出来上がった理・ことを意味しているのではないだろうか。
其れに、私の父親の遺言は「葬式もしないで良い。自分の骨と灰は 野菜畑に撒いてくれ、畑の野菜を食べて生きて来たのだから せめて死んだ後の灰くらいは 野菜畑に返さなければ。」であった。
其の父親の言葉も、大地母神の概念に繋がるものである。
今朝の映像は、屋久島の山に住む山姥が、私を無事に育て上げたので、また山奥に帰って行ったのではないだろうか。
其の行為の、最後の言葉が「済みる・完了」であり、私への「置手紙・置き言葉」と成ったのではないだろうか。
其の結果として、今朝パソコンの前に座ると、頭に「ファイナル」の言葉が出て来た。
其れは、「済みる」の意味に繋がるものである。どうやら、私のファンタジーの世界も、終わりを迎えるのであろう。
そして、是からは、再び23年前までの様に、此の三次元世界である現実世界で、生きる戦いが始まるのである。
其れは、私が地球上の霊長として、此の地球生命の調和を図れるかどうかの戦いである。
其れに、成功しなければ、人類に未来は無いのだ。
何故、私がそう言えるかと云うと、私の意識が、此処まで織り込まれるまでに費やされた、時間と質量は、計り知れない程、莫大なエネルギーだからである。其の事が、理解出来れば、今後の私の動きに、どれだけのエネルギーが注ぎ込まれるのか、予想が付く。
私は、神の存在を証明する為に、此のファンタジーをアニメ化する為に、人間漫画を描ける人材を、欲しがっていた。
今朝は、其れが出来る人材から電子メールがは入り、作品の紹介もあった。
今朝は、私のファンタジーはファイナルを向かえ、新しき現実が開いた事が、伝えられて来ている。
其の為に、パイプを回すレンチ・スパナを手に取らされたのである。
其れは、愈々此の現象世界の質量を、調節する役割を与えられたとの意味であろう。其の働きこそ「磯の神物部・石上神宮物部」の役割である。
2012年12月23日まで、残された時間は6年である。
其の6年間で、人類の存続の為に、激しいサバイバル‐レースが行なわれるのである。其のルールは簡単で、地球環境と共生出来るか否かである。
私は23年前に、地球環境破壊組から、保護派に鞍替えして、此処まで戦って来た。漸く、37歳までの其のツケが、帳消しに成ったのだろう。
私は、是からの残りの人生を、誰に見習って行くかを、考えなければならない。イエスの様に磔に成るのも嫌だし、釈迦の様に食中毒で行き倒れに成るのもみつとも無いし、老子の様に行くえ知れずに終るのも、後世の人の励みには成らないだろう。
やはり、取り敢えずは「一休宗純禅師」の生き様が良いだろうか。
一休さんなら、蛸を食べても、女を抱いても、文句は云わないであろう。
むしろ、其の事を喜んで、応援してくれるかも知れない。
だが何時まで、こんな冗談みたいな事を言っている、余裕が有るのだろうか。
平成18年12月14日
礒邉自適
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