ShinRai(震雷)さんの日記
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心のデジタルマッピング 2009年07月26日17:22
心のデジタルマッピング − 音響デジタル符号が脳内データ処理の主役を演ずる
その心を尽くす者は性を知るべし。その性を知らば則ち天を知らん。(孟子・尽心上・首章)
0 デジタル情報処理と記録:コンピュータとDNA
デジタル・コンピュータは、電気的なスイッチ回路の接続・切断によって、0と1の2元式の離散信号(binary digitを短縮してbitと呼ばれる)を使った演算処理や記録を行っている。
たとえば私は今、キーボードを使って、ローマ字入力でひらがなを打ち込み、それを適切な漢字へと変換しながら文章を作っている。この文字列は0と1だけで構成された信号列としてファイルに記録される。
デジタルというのは、一桁(digit)一桁が意味をもつということで、効率がよくて無駄がない。そのため符号誤りが一つとしてあってはならず、デジタルデータには、符号誤りを検出し訂正するための冗長ビット(誤り訂正符号)が付加されている。
DNAの遺伝情報もデジタルデータである。これは、A(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)という4種類の核酸によって構成される信号列であり、細胞核内の染色体に保管されている。ヒトの場合30億塩基対ある。
DNAが二重らせん構造をとるのは、AとT、GとCがそれぞれ対となる構造になっており、それによって複製にあたって符号誤りをなくす意味がある。デジタル符号システムの一覧表を表1に示す。
1ヒト話し言葉が使っている音節デジタル信号
(1) 話し言葉はデジタル符号列
ヒトの脳もデジタル音響符号を使うシステムである。ヒトの話し言葉に使われているデジタル音響信号は、日本語の場合122種類の音節である。発声器官がそれぞれ別の音として発音し分けることができ、聴覚器官が聞き取って元の信号を復元する必要がある。
たとえば、「かば(河馬、樺)、かま(釜、鎌)、かな(哉、仮名)、から(空、唐)、がら(柄、ガラ)、ギャラ、ガバッ、がま(蝦蟇)、ガラッ、ガラン、カラン、からっ」といった類似した単語を発音し分けることができ、それぞれ別々の符号語として聞き取る必要がある。わずかな音の違いで意味がまるで違ってくるので、ヒトの話し言葉はデジタル符号である。
(2) 思考も意識も知覚もデジタルデータ処理
我々はものを考えるとき、言語を使っている。朝、目が覚めると、最初のうちはぼんやりとしていた意識が回復し、「もう外は明るいようだ。今何時だろう」、「なんでここにいるのだろう」と思うとき、我々の頭の中でデジタル音声符号列が構築されて処理されている。声に出さなくても、頭の中で内なる声によって言葉が紡がれ、それによって思考しているのだ。
脳神経を含むすべての神経の働きは、電気パルス信号の伝送であるので、思考も記憶もデジタルデータが処理されていたとしても驚くべきではない。
友人に手紙や電子メールを送るときでも、心の中で内なる声がデジタル音声符号で語りかけている。ドラマや映画の手紙を受け取るシーンで、はじめは受け手自身の声で読みあげていたものが、途中から送り手の声に代わる演出がある。実際に書き手は心の中で音声符号を使って語りかけるように文章を作っているのである。
手紙を書くときほど明確ではなくても、心の声は意識活動の奥底に常にある。たとえば車を運転していて信号が黄色から赤に変わるとき、アクセルを踏んで交差点を通り抜けようとするときでも、「遅れそうだから急ごう」とか「少し赤にひっかかるけど、ま、いいか」という内なる声による意識活動がある。そのような意識が働いていなければ、単純に「信号が黄色だ、止まろう」となるはずである。まったく信号の存在に気づかずに赤信号を通り抜けた場合にそれは無意識の行為だといえるが、これは携帯電話やカーナビなど他のものに注意が向いていたためである。
味噌汁をひと口飲んで、「おやっ」「あれぇ」と違和感を覚えたときは、まだその知覚は言語化されていない。「何だろう。なんか変だ。これはダシをとらずに、お湯に味噌を入れただけの味だ」と、過去の経験を思い出しながら思考して、知覚が言語化される。
話し言葉がデジタル符号処理であるように、思考、意識、知覚などのヒト脳内のさまざまな現象も、デジタル音響符号の処理であり、我々の脳がチンパンジーの脳より1リットルも大きいのは、デジタル音響符号処理回路と記憶装置のためである。
2 聴覚につくられるデジタル直接入力回路
(1) 話し言葉優位の伝統
いったいどのようにしてデジタル音響符号は脳内に入力されるのか。聴覚器官が聞き取った音声からデジタル音響成分だけを抽出して(復調demodulation)、脳に直接デジタル入力しているようだ。
一方、書き言葉は視覚からアナログな形状データとして取り込まれるので、脳内でいったん音響信号に変換しないと処理できない。点字や手話や身振りも書き言葉と同様に、触覚・視覚のアナログ情報を脳内でデジタル音響信号に変換する。
最新の言語学や分子生物学の研究者たちは、ヒトが言語を獲得したのは今からおよそ5-10万年前であるという。文字が生まれたのが5千年前、活版印刷が始まって500年にすぎない。ヒトは言語を獲得してから99%以上の期間、無文字社会ですごしたのだ。脳の言語処理が音響符号ベースであるのも当然である。
(2) 生後つくられるデジタル入力回路
歌を聴くとき歌うとき、我々は歌をメロディーとして受け取り、詩の内容や意味はあまり気にしない。
おそらく我々の聴覚器官は、リズム、メロディー、ハーモニーといった音楽的な情報を脳に送るとき、アナログ処理回路に送るのだ。メロディー抜きで歌詞だけ聞けば、デジタル回路で処理して意味を復元できるのだが、メロディーと一括処理される場合にはアナログ回路に送られて意味を追求しないのだろう。
各言語の声域にはパスバンドと呼ばれる周波数帯があって、日本語は125〜1500ヘルツの比較的低くて狭い周波数帯にある。音節を離散信号として聞き取る聴神経の言語聴覚能力は、誕生後に家族環境や自然環境からの音響刺激を受けることによって生まれる。音響刺激がないとこの能力は育たない。
パスバンド内の音は大脳言語野に送られてそのままデジタル符号として処理されるが、それ以外の音は感覚野に送られてアナログ知覚として処理されるという。つまりヒトは生後に音声からデジタル音響符号成分を取り出す復調機能を発達させ、脳内に音響デジタル符号を送り込む回路を作るのだ。
3 脳内のデータ入力・処理・記録・出力の流れ
(1) 色声香味触法のアナログ知覚入力
(図1)
およそ生命体は、熱や臭いや音など外部からのさまざまな刺激に対して、追求するか回避するか、あるいは何もしないかの行動を選択する。
夜行性の霊長類は嗅覚が発達しているが、昼行性のものは嗅覚が衰えて代わりに視覚が発達し、視覚優位で情報は入ってくる。我々が視聴覚刺激に弱いのは、昼行性の霊長類だからだ。我々の感覚は、嗅覚や味覚や触覚の語彙は限られていて、視覚や聴覚に関するものが圧倒的に多い。「まぶしい、ぴかぴか、黒々、青ざめた、薄暗い、真っ暗、目もあてられない」、「そよそよ、ざわざわ、パタパタ、ゴーゴー、ジャアジャア、ザブザブ、うるさい、耳を覆う」など視聴覚を表現する単語は実に多いのに、臭いは「臭い、いい香り」、味は「おいしい、まずい」、触覚は「気持ちいい、固い、ごわごわ、さらさら、つるつる」と少ない。
般若心経は「眼耳鼻舌身意」の六つの感覚器官から「色声香味触法」の六つの知覚が得られるという。これらのアナログ知覚はどのように脳内に伝えられて、どのように処理され、記憶されていくのだろうか。
(2) 知覚の一次処理:無条件反射と記憶フィルター
感覚器官が脳に送ってくる刺激に対しては、まず無意識の無条件反射がとられる。熱いものに触れて手を引っ込める、食べられないものを口にして吐き出す、恐ろしいものを見て叫ぶなどである。
手で直接触れ、舌で味を見る機会は限られているが、視覚や聴覚の場合は入ってくる刺激の量が桁違いに多いので、目に写るもの耳に入るものすべてに注目していたら時間がかかってしようがないし、情報過多で脳が疲れてしまう。このため一次処理としてフィルター処理を行って、取り込む刺激を制限する。
フィルターには、すでに脳内に記録されている経験記憶が用いられる。自己中心的で偶然の産物である経験記憶をフィルターとして用いるのは危険であるが、遺伝情報である本能で固定化するのはもっと危険である。こうして我々は自分がすでにもっている経験記憶を基準として外部世界と対峙することになり、基準と同一か類似のもの、基準と明らかに違うものだけが自然と目につく、耳に入るのである。
したがって、我々は、自分の意識の中に記録されている記憶と比べて違っておらず同じでないものは見えない、聞こえないようになっている。
新しい体験とどのようにして出会うかというと、親兄弟や友人や先生の誰かが教えてくれるか、生来それが好きか、偶然それに出会う場合に限られる。
(3) 概念化:知覚のデジタルインデックス化
知覚の一次処理におけるフィルター機能によって、我々はまったく新しい対象を自力では知覚できない。その代わり新しい知覚を得るときには必ず誰かがそばにいて、それを何と呼ぶべきか、新しい経験の名まえをデジタル符号列として教えてくれる。
このとき、我々の短期記憶領域において、アナログな知覚とデジタルな符号列が結びつく。(図1の「インデックス化」・「概念形成」) ひとつの概念として形成された一対のデジタル符号列とアナログ知覚は、大脳新皮質上で長期記憶として保存される。これが認知科学で「概念」と呼ぶものの実体であり、記憶理論で「エピソード記憶」と呼ぶものであろう。
自分自身の知覚はもたないが、言葉によって説明を受ける場合もある。記憶理論ではこれを「意味記憶」と呼ぶ。意味記憶は、実際に自分で経験することによってエピソード記憶に変わりうる。
ヒトの記憶能力が他の動物に比べてきわだって優れているのは、アナログ知覚や知識がデジタル符号で索引づけされているところにある。
人類は目にするものすべてに名まえをつけ、索引づけすることによって、地球上のありとあらゆるものを支配する意欲と能力を手に入れたのだ。
(4) 「概念:アナログ⇔デジタル変換装置」の功罪
概念を手に入れたことで、ヒトはデジタル音響符号語とアナログ知覚を変換することができるようになり、コミュニケーションがデジタル化した。
デジタル化のメリットとしては、符号体系がきわめて複雑で精巧かつ任意なものになったことがある。122の音節があれば、アクセント抜きで考えたとしても2音節で約1万5千、3音節で180万、4音節で2億以上の異なる種類の符号語をつくることができる。必要ならば符号語の長さをいくらでも長くできるほか、統語法や文章構成によって物語を作ることもできる。
デジタル化のメリットはそれだけではない。概念というデジタル符号とアナログ知覚の変換装置のおかげで、記憶(語彙、意識)を共有している相手とは、その時その場に存在していない事物であっても、デジタル符号語の交換によって複雑かつ精巧な内容を通信できるようになったのだ。
概念は、デジタル符号語とアナログ知覚を一体として結び付ける。我々はデジタル符号語を聞けば自動的に対応するアナログ知覚を想起し、アナログ知覚を受け入れると自動的に対応するデジタル符号語を想起する。(逆に知っている顔なのに名前が思い出せないときなど、イライラする。) 概念を用いることで条件反射的に通信でき、他者との高速な対話が可能となった。
一方で、概念は各人の脳内で自動的・無自覚に作られるために、同じ言葉なのに意味するものが違う事例、言葉はあるのに意味がない事例、いったんつくられた概念の修正や変更ができない事例などあり、誤解や思い違いなく概念を使用するためには多くの障害がある。残念ながらこれらの障害はまだ十分に認知されておらず、人類は概念の正しい使い方を確立していない。
(5) ワーキングメモリーでの思考
概念を使うと他者と条件反射的に対話できるが、このとき我々は思考していないことが多い。
思考とは、外部刺激を吟味して、関連する知識や経験の記憶を自分の意識の中から作業記憶領域に呼び出し、最善・最良と思う判断を下すことである。
無条件反射、条件反射、思考のどれがよい結果を生むかはわからない。自分がすでに経験済である場合は条件反射でも正しい決断に到達する確率が高いが、自分が未経験の場合は、古今東西の史実や科学的知識を参考にすることに意味があるだろう。身勝手に余計なことを考えると、悪い結果が生まれることもある。
無条件反射や条件反射に比べると思考には時間がかかる。時間を失うことで機を逸することを嫌った昔の武士は、常日頃から緊急時の対処法を頭に叩き込んで覚悟を決めておき、いざというときに余計なことを考えずに行動することをめざした。日本の武道や修験道、茶の湯には今も意識活動を否定する伝統がある。
思考が有効であるのは、自分が経験していないときに、他者の経験や科学的知識から学ぶところにある。だが地球環境問題や人口爆発のように、人類がいまだかつて経験したことのない未曾有の事態においては、思考の有効性は疑問である。
4 おわりに: 語彙・記憶・意識の三位一体
「ゴンドワナランドと人類の誕生」で論じたゴンドワナランド分裂の隕石衝突原因説とヒト言語のデジタル起源説は、その後検討を加え2009年6月の日本写真測量学会学術講演会の日本語・英語セッションでそれぞれ発表させていただいた。予稿集とEnglish SessionのCDを参照していただければ幸いである。
本稿では、言語のデジタル起源説を発展させた。(1)言葉の意味とは、デジタル符号語に対応するアナログ知覚であること、(2)この一対のデジタル符号語とアナログ知覚は認知科学の論ずる「概念」であり、心理学の論ずる「記憶」(とくにエピソード記憶)とほぼ同じ脳内現象であること、(3) 意味の集合体が語彙であり、それは集合的な記憶や、意識と同じ脳内記憶であり、語彙=記憶=意識は三位一体といえること、(4)この三位一体は、我々の外部世界認識を狭めるフィルター作用をもち、また我々の思考もその制約下にあることを論じた。
語彙と記憶と意識がひとつの現象の違った呼び名に過ぎないことについては、心理学でも認知科学でもまだ論じられていないが、一つの脳内で起きる類似の現象であるので、検討に値すると思われる。