面白雑学
地球が安心した様だ。是からは一休さんと遊んで行こう。
人生は楽しく・・ 神もユーモアが大好きです。
カレンダー
2021年
April
Sun
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
最近の記事
エネルギーの蓄積
自分自身にライトを当てる
新規雑学
ことわり
むやみ笑うなサンダーソン
記事カテゴリ
ノンジャンル (10)
HP案内 (65)
面白情報 (12)
楽し目 (2)
一休さん (9)
過去ログ
2019年1月 (1)
2018年2月 (1)
2016年6月 (1)
2016年2月 (1)
2015年6月 (1)
2014年8月 (1)
2009年11月 (3)
2009年10月 (2)
2009年7月 (2)
2009年5月 (2)
2009年4月 (9)
2009年2月 (2)
2008年12月 (2)
2008年10月 (2)
2008年9月 (9)
2008年8月 (5)
2008年7月 (3)
2008年6月 (2)
2008年5月 (4)
2008年4月 (1)
2008年3月 (1)
2008年2月 (1)
2008年1月 (9)
2007年12月 (2)
2007年11月 (1)
2007年9月 (1)
2007年8月 (2)
2007年6月 (5)
2007年5月 (3)
2007年4月 (1)
2007年3月 (2)
2007年2月 (2)
2006年12月 (1)
2006年11月 (2)
2006年9月 (2)
2006年6月 (1)
2006年5月 (5)
2003年2月 (1)
リンク集
達磨さんが笑った
天智天皇
みいつ 君の光
神霊の思頼・みたまのふゆ
→
リンク集のページへ
検索
このブログを検索
QRコード
このブログを
ブログサービス
Powered by
« むやみ笑うなサンダーソン
|
Main
|
縄文から弥生へVol.4 »
2014/8/20
「一休宗純禅師」
一休さん
一休宗純禅師
26・8・20
今日は、どんなメッセージが来るかと思っていたら、予想だにしなかった「一休宗純禅師」の御魂が動き出して来た。
昨日は、額の中に、10項目程の横書きの文章が記されているのが映し出されて来た。其れは、モーゼが岩山で、神から授かった十戒が、新しく書き直される物かと考えていた。
だが、今朝のメッセージの世界は、一休宗純禅師の世界であり、一休禅師が大事にしていた言葉は「諸悪莫作」「衆善奉行」であり、其れは人間の生きる規範に付いて触れている物で、非常に短い。
「衆善奉行」とは「多くの人達と善い行いをたてまつって行きなさい」との意味で「諸悪莫作」とは「もろもろの悪い行いを日が暮れて行くように止めなさい」との意味です。
其れに付いては、次の様に以前書いて在る。
・・・私は、其の今朝の映像から、頓智で有名な「一休宗純禅師」が、大徳寺の室内に掛けている軸の事を思い出した。其れは、私が自適塾のトップページに使用している「諸悪莫作・衆善奉行」の訓えである。
「自適塾」
http://jite-jyu.main.jp/yjj.html
【七仏通誡偈】
七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)は、仏教で釈迦以前に存在したとされる6人の仏と、釈迦を含む7人の仏(過去七仏)が共通して説いた教えを一つにまとめたとされている偈であり、『法句経』などに収録されている。 上座部仏教及び禅宗に於いて特に重んぜられ、禅宗では日常の読経にも取り入れられている。一休宗純による「諸悪莫作・衆善奉行」と大書した掛け軸が有名である他、道元は「正法眼蔵」で「諸悪莫作」の巻を設けてこの教えについて詳細に述べている。
内容[編集]
諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり
(「衆善奉行」は漢語訳によっては「諸善奉行」とすることもある。)
逸話[編集]
中国唐の詩人・白居易は禅を好み、禅僧・鳥窠道林(鳥窠和尚)に「仏教の真髄とは何か」と問うたところ、この偈の前半を示された。白居易は「こんなことは3歳の子供でもわかるではないか」といったが、道林に「3歳の子供でもわかるが、80歳の老人でもできないだろう」とたしなめられたため、謝ったという。
これは史実ではないが、道元もこの逸話について論じており、「わかる」と「できる」とは全く異なるということを示した逸話として有名である。
〜引用終了〜 ウィキペディア辞典
此の説明の中に有る【「わかる」と「できる」とは全く異なる】との事が、一番重要であり、学校や宗教団体で習う事は、意味が理解できても、其れが実行できなければ、何にも成らないと言う理・ことである。
其の事を、一休宗純禅師は痛切に感じていたので、木刀を腰に差して、京都市内を歩き回って居たのであろう。
其の行為の意味は、此の世には「真剣・まこと」が無いとの意味を、民衆に知らせる為である。
其の「一休宗純禅師」は、私が此の世界に入った時から、私の守護霊として付いており、私に「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」との言葉を告げて来たので、私は囲炉裏の有る部屋に「風餐宿」との名前を付け、其の名の焼き印を造って、自分の作業道具には全て其の焼き印を押してある。
「諸悪莫作・衆善奉行」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3049.html
・・・今日で、無庵師匠に捜し出されて丸19年が経過し、明日から20年目に入る事に成る。
其の区切りの日だからか、今朝のメッセージの映像には、鮮明な場面が様々に有って、最後に一休さんの顔が左向きで右側に現れて見えた。
「一休さん」に付いては、広辞苑に次の様に載っている。
一休宗純【室町中期の臨済宗の僧。諱(いみな)は宗純、号は狂雲。一休は字(あざな)。後小松天皇の落胤といわれる。京都大徳寺の住持。詩、狂詩に巧みで書画をよくする。禅院の腐敗に抗し、奇行が多かった。詩集「狂雲集」。一休諸国咄などに伝説化され、小説、戯曲に描かれる。(1394〜1481)】
此処のところ、釋迦仏陀やイエス-キリスト等の気配を感じていたが、19年目の最後の日に「一休禅師」の顔が現れた事は、意味が深い。
私が、屋久島での修業中に「風餐水宿」との文字が現れて、「餐・食」を「ショク」ではなく「サン」と、何故、読むのかも分からなかったが、後に一休さんが自分の住いを「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」と名付けていた事が判明した。
一休さんの霊魂が、私の修業の始まりから、憑いている事には気付いていたのだが、顔や姿を現したのは、今日が初めてである。・・・
「夢の材料」
http://star.ap.teacup.com/170606/223.html
・・・今日の文章の題を「一休さんが帰る」としたのは、今朝のメッセージの映像に蛸の刺身が出て来たからである。一休宗純禅師は、蛸が大好物だったとの事なので、私は蛸が好きなのは、其の一休さんの御魂の影響があるのだと意っているからである。・・・
「一休さんが帰る」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2034.html
・・・今朝は、初めて一休禅師らしき人の全身像の姿が現れた。其の姿は、編み笠に杖を突いた姿で、黒い服の所々に穴が開いており、内の白い下着が見えている。よく絵で見る、松尾芭蕉や山頭火の旅姿を、連想して戴ければ良いだろう。
そして、漢字の「径」の文字が出て来たが、左の行人偏が口で「口圣」なのである。其の意味を考えていると「有漏路・無漏路」の言葉が出て来た。
「有漏路・無漏路」を広辞苑で調べると、
【有漏路】 煩悩の多い者がいる世界。此の世。
錦之裏「迷うも 悟るも 有漏路より 無漏路へ 送る」 と 載っている。
今朝のメッセージは“路”や“径”の、足で行く道筋ではなく「言葉・口」に拠る処の、道筋を告げて来たモノの様である。・・・
「言葉のみち」
http://star.ap.teacup.com/170606/907.html
今朝のメッセージの映像は、私の意識が市場の様な所に在って、美味しい蛸の足がないか探して居た。そして、蛸の足を買って、お寺の様な建物に帰った。
其の建物の部屋には、他の男性が一人居て、「高橋兄弟に会いに行こう」と云って、一緒に出掛けて行った。
着いた所は、老舗の材木屋であり、山から続く傾斜の庭園には、水が流れており、古い木製の小さな橋は苔むしていた。
庭に通じる路地に出て来た兄弟は、主である兄の方は、70歳後半の歯が抜けいる朗らかな人であった。
其の主と話して居ると、其の人が連絡を執ったのか、「○○清」と言う名の哲学者の様な60歳の男性が、もう一人50歳位の男性を一人連れて遣って来た。
其の哲学者の様な男性は、私の事を知っている様で「やあ 自適さん」と声を掛けて来た。
そして、庭園内に設けられている茶室の様な建物で、六人で話をする事に成った。
私は、其の建物の上の空を見ると、暮れかかった空に、虹の様な形に丸く雲が湧きあがっており、其の丸い雲だけに太陽が当たって、光り輝いていた。
次の映像は、其の六人の話し合いで、何かが決定したのか、2〜3百人の人達が、会場に集まっている映像が映し出されて来た。
最後の映像には、一個の頭蓋骨が現れ、頭蓋骨の左右の継ぎ目が、大きく映し出されて来た。
そして、最後に「5月に大事な事を書いてある」との事が示されて来た。
今朝の映像には、一休禅師の姿は直接登場しなかったが、美味しい蛸の足を捜して居た意識は、私の物ではなく、一休宗純禅師のものだったのであろう。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像は、私自身の意識ではなく、一休宗純禅師の御魂が、動いている所為だと考えた方が良いだろう。
今朝の映像情報が、一休禅師の物であれば、今朝の映像に登場した六人の人物は、「七仏通誡偈」の仏教で釈迦以前に存在したとされる6人の仏と、釈迦を含む7人の仏(過去七仏)と関係があり、私を入れると7人と成る。
其れに「高橋兄弟」と、名前が「清」である人を合すと「高橋清」となり、虹の様に掛かっていた白く丸い雲は、天界の橋を意味しており、清い水分子の橋が掛かった事を、示唆しているのではないだろうか。
其れは、古事記の物語に「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」が渡って来た天の橋が、新しい物として、掛け直される事を意味しているのであろう。
今朝のメッセージの映像では、2〜3百人の大人が、誰かの話を聞く為に集まって居た。
だが、舞台の方を見ている人達だけが、映し出された映像なので、何者がどんな話をするのかは、全く判らない。
最後に映し出されて来た、頭蓋骨の継ぎ目は、何を意味しているのであろうか。
其れが、天の橋と関係あるのなら、左右の脳に掛かっている脳梁の存在を意味しており、神話に登場する橋や、仏教の彼岸の橋は、人間の脳内で生み出されている、単なる「幻想・まやかし」である理・ことを、示唆しているのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に映し出されて来た、湧きあがる白い雲の形・様子は、脳の切断模様に似ている。
だとすれば、脳の成分は80%が水分なので、人間の意識は水に関係があり、体内の70%の水が清くなければ、高橋は渡れないと言うか、真実は映し出されて来ないとの理・ことを、示唆しているのかも知れない。
・・・ヒントは「聴いているよ」の一言にある。
水が聴く事に関わっているとの事である。水は、「HH+0」の原子の組み合わせに因り出来ている物質だが、水が波動に敏感なのは、皆の知る処と成って来ている。其の水の波動(音)を、機械を使うのではなく、自分の体で聴き取らなければ成らないらしい。と言う事は、自分の体内の約70%の水が、聴き役に成っていると言う事になる。・・・
それに、野菜のキュウリや西瓜なども、自分の情報を実の中の水に蓄えており、食べた人間に、情報を伝えてくる事に成る。
詰り、人間は、飲んだ水や、食べた野菜等から、情報をダビングしている事に成るのだ。
36億年前から、地球の生命は、水の中で培養されて来たのである。
それは、旧約聖書にも「神は、自分の姿に似せて、最初の人間を粘土の海で創り出した。」とある。
しかし、其れだからと言って、神が人間の言葉を話す分けが無いので、其の言葉を最初に口にした人間も、自分の体内水から情報を聞き取ったのだろう。
遺伝子は、水が無ければ活動出来ない。水は、総べての生命の培養体なのだ。
植物も皆、水を基本とした世界に生きているのである。
だから、其の水の存在にチャンネル出来ない物は、存続出来ないのである。
其れに、始めからそんな生物は、地球には存在しないのである。
水こそが、地球生命の基本の処にあるのだ。
だから、水こそ「いのち」の土台と言えるのである。
天の働きとは、天に在るのでは無く、水こそが、天の働きなのではないだろうか。水が無ければ生命は無いし、生命が無ければ言葉も無い。
水が、総べての情報(エナジー)の元なのだ。
旧約聖書の「始めに水が在り、神は 天と地に水を別けられた。」とあるのも、この理に気付いた誰かが、過去に居たことになる。
「水が 総べてを 聴いている。」其のゲートが、人間の体内に在るのなら、自分の体内の70%の水から、逃げる分けにはいかないし、其の水が穢れない様に、護るしか他に道は無いのである。・・・
「ウォ―ターゲート」
http://star.ap.teacup.com/170606/553.html?rev=1
一休宗純禅師の御魂は、私が此の世界に入った当初から、「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」の言葉を告げて来て、現在までずーと付きまとって居る。
そして、一休禅師が使用している言葉は、「諸悪莫作・衆善奉行」で非常に短く、人間の精神にとって大事な理を、具体的に、其れ以上短く示す事は出来ないであろう。
・・・其の一休禅師が、屋久島で1984年夏に私に杖を持たせ、庵の名を「風餐水宿」と告げて来たのである。
そして、自分が住んで居た大徳寺に13年目に呼び出して、看板に成る写真を1997年5月10日撮らせ、其の日から、昨日で9年が経過したのである。
そして、今朝気付いた事は、一休禅師の誕生日を調べる為に、一休禅師がテーマのブログを開くと、平成18年5月13日に一休禅師がメッセージを伝えて来た事が記されている。
「あめのみなかぬし・宇宙の王」
http://green.ap.teacup.com/20060818/745.html
此の文章の中に、平成18年5月13日に一休禅師がメッセージを伝えて来たと有るので、今朝のメッセージで「5月に大事な事を書いてある」と告げられて来た事と関係が有るのかと思って、其の日の文章を検索すると、次の様に書いてある。
・・・今朝は、紙が映り文字を確認したら「面白雑学」との言葉が有ったので、今朝「面白雑学」のブログを創った。
「面白雑学ブログ」
http://moon.ap.teacup.com/26660606/
此処数日のメッセージを書き止めた事で、私の探索は、終了したのかも知れない。是からは、蛸が好きで、ジョークの効いた一休さんと、頓智比べで遊んで行きたいと意う。
私のHPは、霊界の苦情受付窓口として、充分その役目を果たしたのであろう。
「面白雑学」
http://star.ap.teacup.com/170606/894.html
これ等の文章を読むと、私に1984年夏に初めて杖を持たせたのも一休宗純禅師であり、12年後の1996年5月10日に、大徳寺で杖を手にした写真を撮らせたのも、其の一休禅師である。
其れ等の事柄を考えると、確かに私は30年前の次元に、本日返されている事に成りそうである。
此処まで一休宗純禅師の関わりが深く成って来ると、改めて一休禅師の存在を考え直して見なければ成らない。
頓智で有名な、一休さんの事である。
未だ、何か、裏が有るのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像に、頭骸骨の繋ぎ目が映し出されて来たのも、一休宗純禅師が、正月に、杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。との事と、関係が有るのかも知れない。
一休禅師作の歌は、次の様な物である。
・釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
・女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
・世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり
・南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
「生命力」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2969.html
・・・さて今朝のメッセージは、一休宗純禅師らしき人物が現れたが、其れは、私の意識と合体している存在であった。
其の一休禅師の姿は、ブログのプロフィールの処に大きく現れて、ブログのタイトル名の背景色が、塗り上るのを待っていた。
其の背景色は黒で、なかなか全体が真っ黒に成らないので、タイトルが書き込まれる処までは、映し出されては来なかった。
しかし、下の方には、既にドンドンと内容が書き込まれつつあった。
其の内容は、学級別の授業内容で、神社の16段の階段と同じ意味が有り、精神的な階梯を意味していた。
考えて見れば、現在の日本の教育制度は「小6年・中3年・高3年・大4年」計16年で、神社の拝殿から社までの16階段(伊邪那岐命から高御産日神まで)と同じ数である。
其れは、「天の御中主・卒業」に到達するまでに、16の階梯が必要であるとの理と同じ構造である。
今朝のメッセージは、一休宗純禅師が校長先生である学校を、造れとの事の様である。其れは、私の自適塾の延長線上である。
私は、自適塾のトップページには、京都の大徳寺で、1997年5月10日に撮影した写真と、一休禅師の言葉である「諸悪莫作」と「衆善奉行」をテーマとしてある。今朝のメッセージは、其の自適塾を本格的に開始せよとの事ではないだろうか。
私には、24年前に屋久島で、「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」との言葉が告げられて来たので、私の屋号は「風餐宿」にしてある。
始めは、其の言葉が、何を意味するのか解からなかったのだが、旅の途中で其の言葉は一休宗純禅師のもので「風を食し 水に宿る」との意味で、雲水・うんすいの心構えを現す言葉である事が、解かったのである。・・・
今朝は、明け方「素人が わたしを愛している」との言葉が告げられて来た。
其れは、現在・いまの宗教家は、真実の「神・存在」を、正しく理解していないとの意味であろう。
そして、素人の方が、神の存在を理解しているとの事ではないだろうか。・・
「素人が私を愛している」
http://green.ap.teacup.com/20060818/897.html
此の世界は、神の事だけを考えて居ても生きて行けず、神仏や霊魂の事を疎かにすると、人間社会は精神が乱れて行き、平穏な暮らしが出来なく成る。
其れは、モーゼの十戒や、釈迦の八正道、其れに聖徳太子の十七条憲法などが、簡単には守られない事で明らかであり、人間の御魂は下り易いが、なかなか高まる事が難しい事にも原因がある。
だが、神・宇宙にも節度・道・法が在り、何時までも、人間の我儘が許される事は無いのである。
其れは、私が30年前に示された事で明らかである。
其処の所に、私は再び帰らされている。
其れは、一休宗純禅師が530年前に感じていた気持ちを、再び、共有する事に成るのかも知れない。
平成26年8月20日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
トラックバック(この記事にリンクしている関連ページ)一覧
この記事へのトラックバックURLはありません
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ
teacup.ブログ “AutoPage”