面白雑学
地球が安心した様だ。是からは一休さんと遊んで行こう。
人生は楽しく・・ 神もユーモアが大好きです。
カレンダー
2018年
February
Sun
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
最近の記事
エネルギーの蓄積
自分自身にライトを当てる
新規雑学
ことわり
むやみ笑うなサンダーソン
記事カテゴリ
ノンジャンル (10)
HP案内 (65)
面白情報 (12)
楽し目 (2)
一休さん (9)
過去ログ
2019年1月 (1)
2018年2月 (1)
2016年6月 (1)
2016年2月 (1)
2015年6月 (1)
2014年8月 (1)
2009年11月 (3)
2009年10月 (2)
2009年7月 (2)
2009年5月 (2)
2009年4月 (9)
2009年2月 (2)
2008年12月 (2)
2008年10月 (2)
2008年9月 (9)
2008年8月 (5)
2008年7月 (3)
2008年6月 (2)
2008年5月 (4)
2008年4月 (1)
2008年3月 (1)
2008年2月 (1)
2008年1月 (9)
2007年12月 (2)
2007年11月 (1)
2007年9月 (1)
2007年8月 (2)
2007年6月 (5)
2007年5月 (3)
2007年4月 (1)
2007年3月 (2)
2007年2月 (2)
2006年12月 (1)
2006年11月 (2)
2006年9月 (2)
2006年6月 (1)
2006年5月 (5)
2003年2月 (1)
リンク集
達磨さんが笑った
天智天皇
みいつ 君の光
神霊の思頼・みたまのふゆ
→
リンク集のページへ
検索
このブログを検索
QRコード
このブログを
ブログサービス
Powered by
2018/2/12
「自分自身にライトを当てる」
一休さん
自分自身にライトを当てる
30・2・12
昨夜は、夜中に暫くまどろんで居ると、前面に数字だけが曼荼羅の様に広がっている映像が、瞼に映し出されて来た。
私は、其の場面は魔方陣や曼荼羅華に関係が有ると思った。
まんだらげ 【曼陀羅華】〔「まんだらけ」とも〕
@〘仏〙 〔梵 māndāra; māndārava「天妙」「悦意」の意〕 仏が出現したり説法したりする際に,天から降りてきて見る人の心に喜びを感じさせるという美しい花。 デジタル大辞泉
今朝のメッセージは、昨日告げられて来た「ここらで止めようか」との言葉を、私が受け入れた事と関係が有るのか、政治や人間社会の事には全く関係が無い、私自身の持ち時間と謂うか、ルート・道に付いて示されて来た。
其れは、次の様な事である。
自分が歩く道の、右側の土手の上(自分の目線の位置)に、別の道・ルートが有って、其処に私自身の意識(人生の道・ルート)が有って、私の意識が立って見て居る目の前に、丸い穴が地面に黒く口を開けており、私の人生は向こう側から其処まで遣って来た所で、停止している事が理解されて来た。
どうやら、其の位置は、私が1984年6月4日(旧暦・月齢5月5日)の位置であり、私が其の位置で禊ぎ祓いの儀式を行って、4311体の聖霊に憑依された為に、私自身(個人)の人生が停止してしまっている事を示している様であった。
次の映像には、薄桃色の斑模様の空間に「生命保険会社」の様な施設が存在して、数名の人間の男女の姿が机に向かって事務的仕事をして居る様子が映し出されて来て、私は35歳位に見える黒い服装の女性に、自分の生命情報を精査して貰う場面が映し出されて来た。
其れは、私が自分自身の人生を取り戻す為と謂うか、自分自身の好みの人生・生命活動を取り戻す為であり、過去の人達の影響を受けるのを止めて、自分の意図する人生を歩き始める事を意味していた。
次に、私の人生のルートが、白く柔らかい布地の様な素材で被膜された太い電線として、薄桃色の斑模様の宇宙空間に真っ直ぐ伸びている映像が映し出されて来て、其の電線の方向は今朝の映像で初めに映し出されて来た道と、同じ方向である。
其の関連は、私の人生のルート・道は、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を引き受けた事で、其れ等の人格霊の人生のルート(道学・体験・修練)が、同ケーブルに収納された為に4311体分に膨らんだ事を示唆しているモノである理・ことが理解されて来た。
其れから「マーカー」「敗北が決定する」「大間違い」「アメリカンドリームの終焉」との言葉が告げられて来た。
其れ等の言葉に付いて考え始めると、様々な事が頭に浮かんで来た。
其れは次の様な事柄である。
*今朝の映像で、私が薄桃色の斑模様の宇宙空間で、自分の生命情報を調べて貰って居た場面は、人間の命の存在は、宇宙の情報機関に拠って管理されている物であり、自分の意思だけで此の世(三次元)に誕生した物ではないと言う事。
・私は、1984年6月4日に禊ぎ祓いを行って、自分の意識(情報)が浄化され、真っ白に成った為に、4311体の霊魂の情報がインプットされる。
・其れは、空蝉の体(空だ)に成った自分の脳・意識が・4311体の霊魂に汚染(憑依)されて、自分自身の生き方が出来なく成ったと謂う事。
・私の禊ぎ祓いの儀式は、自分自身の考え・行動で行ったモノであり、他人の指示を受けたモノではないので、他人のスケジュールは全く関係が無く、自分自身の生命時間・事象空間で行ったモノで、宇宙・コスモス・森羅万象の流転と直結して生じたモノである。
・其の私の禊ぎ祓いの儀式・作法は、立ったまま滝に打たれたり、座って瞑想・座禅をする姿勢ではなく、清水が流れる安房川の流れを泳いで往復する物であり、川から上がって、部屋の畳の上に上向きに横に成って起きた物であるので、無重力状態であり身体に重力の負担が掛かっていない状態である。
・人間は直立歩行を始める様に成って、重心の頂点が頭上に移動したが、本来は人類も四足歩行の動物であったのだから、背中側が天上に向いており、頭は前方に突き出して、お腹が大地に沿って居たのである。
・だからこそ、「統尊・すめらのみこと」と成る為の大嘗祭(だいじょうさい)の儀式には「天御臥間・あめのおふすま」が必要不可欠であるのである。
・其の薄桃色の斑模様の宇宙空間は、無重力の世界であるので、魂しいの寝床は温床であり、衣食住や寒暑などに対する心配事が一切無い世界であるので、死後の心配は不必要であると謂う理・こと。
・其れは、「彼岸」とか「天国」等のイメージは、人間が勝っ手に創造した世界・モノであるので、情報から削除しなければ成らない。
・アメリカンドリームの追求では、絶対に其の世界にはアクセスが不可能であるので、釈迦の「解脱・覚醒・成仏」の行法が必要不可欠である。
・日本の伝統である「禊ぎ祓い・惟神の道」の世界や、老子の謂う「道・タオ」、釈迦の謂う「ダルマ・法」、イエスキリストの謂う「永遠の命」の世界以外には、其の世界に進入・アクセス出来ない。
【マーカー】デジタル大辞泉
1 しるしをつける人。また、しるしをつけるための筆記具。
2 採点係。得点を記録する係。特にゴルフのストロークプレーで、スコアを記録する人。3 指標。位置標識。「腫瘍マーカー」→腫瘍マーカー
【敗北】[名](スル)1 戦いに負けること。「ライバルとの決戦に敗北する」⇔勝利。2 戦いに負けて逃げること。敗走。「みなもって―せずといふ事なし」〈平家・五〉 デジタル大辞泉
【敗北】( 名 ) スル 〔「北」は逃げる意〕 @ 戦いに負けること。 ⇔ 勝利 「善戦空しく−する」 A 戦いに負けて逃げること。敗走。 「城郭固めなく、官軍−の間/太平記 4」 大辞林 第三版
2016/7/22・・そして、其の行動と「負をせおい 流れに勝つ」との言葉はどういう関係が有るのだろうか。
諺(ことわざ)には、「負けて勝つ」との言葉が有るので、其の言葉に関係が有るのだろうか。
だが、其の言葉では「天子を養い 衆生を助く」との事を、実行する事はできない。
「負・フ・まける・まかす」【解字】会意。「ク(人)+貝」貝は、かいの意味で、財宝を示す。人が財貨を背後の力とすることから、たよるの意味を表す。また、背にする・せおう・背を向ける・そむく・まけるの意味を表す。
【字義】 @おう。㋐背負う。担う。㋑背後に置く。背にする。㋒引き受ける。「負債」㋓受ける。こうむる。「負傷」㋔たのむ。よる。たよりにする。「自負」Aおわせる。背負わせる。引き受けあせる。こうむらせる。Bそむく。うらぎる。さからう。はなれる。Cまける。戦いに負ける。また、劣る。ひけをとる。⇔ 勝つ。「勝負」 漢語林より
此の負の漢字の意味からすると、「人が財貨を背後の力とすることから、たよるの意味を表す。」が関係が有り、其の為に、35階建ての「真理の殿堂」が必要であるとの事なのだろうか。・・・
「負・フ・おう」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/678.html
2017/5/7「勝・負」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/746.html
2018/1/23「勝負有り」
http://green.ap.teacup.com/20060818/4505.html
今朝の文章の題を「自分自身にライトを当てる」としたのは、今朝のメッセージの映像で、私の意識が、過去世界に向かって進んで居ると、37歳の6月4日まで進んで来た場所に、真っ黒の深い丸い穴が開いていた事で、私は自分自身の人生プログラム・軌道が、どの様なモノであったのかを、知りたいと意ったからである。
其れは、一休宗純禅師の歌の「闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の親ぞ恋しき」の様な感覚の世界であり、自分の存在と謂うか意識の在り様が、本来は何処に位置するのかを確かめたい衝動に、駆られる様な気分からである。
「有漏地より 無漏地へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
其の一休宗純禅師は、私が此の世界に入った当初から、「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」の言葉を告げて来て、私に付き纏っていた御霊である。
2006/5/22今朝は、初めて一休禅師らしき人の全身像の姿が現れた。其の姿は、編み笠に杖を突いた姿で、黒い服の所々に穴が開いており、内の白い下着が見えている。よく絵で見る、松尾芭蕉や山頭火の旅姿を、連想して戴ければ良いだろう。
そして、漢字の「径」の文字が出て来たが、左の行人偏が口で「口圣」なのである。其の意味を考えていると「有漏路・無漏路」の言葉が出て来た。
「有漏路・無漏路」を広辞苑で調べると、
【有漏路】 煩悩の多い者がいる世界。此の世。
錦之裏「迷うも 悟るも 有漏路より 無漏路へ 送る」 と 載っている。
今朝のメッセージは“路”や“径”の、足で行く道筋ではなく「言葉・口」に拠る処の、道筋を告げて来たモノの様である。
今朝の映像が一休さんだけなら、一休さんは京都の大徳寺の建立に関わっているので、寺を持っている事に成り、「風餐水宿」の本来の意味が伝わらないから、他の雲水(俳人)の姿を借りたのだろう。
其れに、何故「敷島のみち」のミチの文字が、「路」では無く「径・経」の方の「口圣」が使われて来たのか、其の事にも意味が含まれている。
各は「足+口」の組み合わせで、上から下へ向かう神の言葉の意味である。
是は、神のお告げに従うミチである。
一方、「圣・巠」は真っ直ぐで、短いミチの意味である。
和歌の世界は、神のお告げを受けて、行動する物ではなく、此の森羅万象の現れである自然の景色に、人間が向かい合い、自然の働きと、自分の心象風景を同化させる世界である。
其れこそが、神の存在に対して、真っ直ぐに立ち向かう事なのである。
そして、其れも5・7・5・7・7の短い言葉の綴りである。
其れは、確かに、真っ直ぐで極力短くしたものである。
其れは、正に「圣」のミチの意味に通じている。
ようやく神は、人間の身近な処に、接近して来ているのだ。・・・
「言葉のみち」
http://star.ap.teacup.com/170606/907.html
2003/3/17・今日で、無庵師匠に捜し出されて丸19年が経過し、明日から20年目に入る事に成る。
其の区切りの日だからか、今朝のメッセージの映像には、鮮明な場面が様々に有って、最後に一休さんの顔が左向きで右側に現れて見えた。
「一休さん」に付いては、広辞苑に次の様に載っている。
一休宗純【室町中期の臨済宗の僧。諱(いみな)は宗純、号は狂雲。一休は字(あざな)。後小松天皇の落胤といわれる。京都大徳寺の住持。詩、狂詩に巧みで書画をよくする。禅院の腐敗に抗し、奇行が多かった。詩集「狂雲集」。一休諸国咄などに伝説化され、小説、戯曲に描かれる。(1394〜1481)】
此処のところ、釋迦仏陀やイエス-キリスト等の気配を感じていたが、19年目の最後の日に「一休禅師」の顔が現れた事は、意味が深い。
私が、屋久島での修業中に「風餐水宿」との文字が現れて、「餐・食」を「ショク」ではなく「サン」と、何故、読むのかも分からなかったが、後に一休さんが自分の住いを「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」と名付けていた事が判明した。
一休さんの霊魂が、私の修業の始まりから、憑いている事には気付いていたのだが、顔や姿を現したのは、今日が初めてである。・・・
「夢の材料」
http://star.ap.teacup.com/170606/223.html
2014/8/20今日は、どんなメッセージが来るかと思っていたら、予想だにしなかった「一休宗純禅師」の御魂が動き出して来た。
昨日は、額の中に、10項目程の横書きの文章が記されているのが映し出されて来た。其れは、モーゼが岩山で、神から授かった十戒が、新しく書き直される物かと考えていた。
だが、今朝のメッセージの世界は、一休宗純禅師の世界であり、一休禅師が大事にしていた言葉は「諸悪莫作」「衆善奉行」であり、其れは人間の生きる規範に付いて触れている物で、非常に短い。
其れに付いては、次の様に以前書いて在る。
私は、其の今朝の映像から、頓智で有名な「一休宗純禅師」が、大徳寺の室内に掛けている軸の事を思い出した。其れは、私が自適塾のトップページに使用している「諸悪莫作・衆善奉行」の訓えである。
一休宗純禅師の御魂は、私が此の世界に入った当初から、「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」の言葉を告げて来て、現在までずーと付きまとって居る。
そして、一休禅師が使用している言葉は、「諸悪莫作・衆善奉行」で非常に短く、人間の精神にとって大事な理を、具体的に、其れ以上短く示す事は出来ないであろう。
れ等の文章を読むと、私に1984年夏に初めて杖を持たせたのも一休宗純禅師であり、12年後の1996年5月10日に、大徳寺で杖を手にした写真を撮らせたのも、其の一休禅師である。
其れ等の事柄を考えると、確かに私は30年前の次元に、本日返されている事に成りそうである。
此処まで一休宗純禅師の関わりが深く成って来ると、改めて一休禅師の存在を考え直して見なければ成らない。
頓智で有名な、一休さんの事である。
未だ、何か、裏が有るのではないだろうか。・・
其れは、モーゼの十戒や、釈迦の八正道、其れに聖徳太子の十七条憲法などが、簡単には守られない事で明らかであり、人間の御魂は下り易いが、なかなか高まる事が難しい事にも原因がある。
だが、神・宇宙にも節度・道・法が在り、何時までも、人間の我儘が許される事は無いのである。
其れは、私が30年前に示された事で明らかである。
其処の所に、私は再び帰らされている。
其れは、一休宗純禅師が530年前に感じていた気持ちを、再び、共有する事に成るのかも知れない。
「一休宗純禅師」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3169.html
其れに、私は此れまで「道祖神」である「猿田彦神・さるたひこかみ」だけではなく、他の神(はたらき)からも、ライトで足元を照らされても来ている。
2009/3/20今朝のメッセージは、「素戔鳴尊・すさのおのみこと」と「彌勒菩薩(みろくぼさつ)マイトレーヤ」の魂しい・働きが、合体した様な内容が映し出されて来た。
其れは、今朝の映像に、牛馬の歩く方向を決める「手綱・たづな」と、人が暗闇を歩く為に足元を照らす、ライトの明かりが現れたからである。・・・
「素戔鳴尊と彌勒菩薩の合体」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1083.html
其れ等の事を考えると、私は此れから、人々が先に進む為の、足元を照らすライト・光と成るモノを、探り出さなければ成らないのであろう。
其れは、一休宗純禅師が、街の中を歩きながら振り回していた木刀の代わりと成る物であり、釈迦仏陀が予言している「無明の世に点す一灯」である。
平成30年2月12日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
1
| 《前のページ | 次のページ》
/1
記事
画像
新着順
投稿順
teacup.ブログ “AutoPage”