ともりん∞ゆうきさんの日記
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2007年02月21日05:25
禁断の日本史・神霊の国日本より...実在の仙人、役小角に学ぶ∞∞∞ .。.:*・゜
昨晩のニュースで、米国の次期大統領候補のオズマ氏の人気が
ヒラリーさんに迫っているとのことで、民衆の彼への支持が
どこまで伸びるか見守っていたいと熱く感じた。
古代日本にも実在の人物として、徹頭徹尾、民衆の味方であったと記録のある民間信仰のリーダー、役小角(エンノオズヌ)の記述がとても心打たれるので井沢元彦著の禁断の日本史 神霊の国日本より
ここに紹介させていただきたいと思う。
『謡曲拾葉抄』によれば、小角の母は、ある夜、天上から降ってきた金色の独鈷(金剛杵)が口から体に入った夢を見て懐妊した。
そして舒明天皇盛徳3年辛卯、10月28日寅の刻に生まれたのが役小角である。
七歳にして内典外典を究め、十九歳にして摂津の箕面山の洞窟で龍樹菩薩に会い、密教の灌頂を受け、三十二歳で家を捨て葛木山の岩窟に籠もり、三十余年の修行の末に神通力を会得したということになっている。
その後、小角は五色の雲に乗り、唐の国へ渡ったという。
役小角の口碑伝説は全国くまなく分布している。北海道を除く全国各地の霊場に小角はさまざまな足跡を残しているのである。
そのなかからおもしろいものをいくつか拾ってみる。
小角がある日、大和国のとある村にさしかかった。すると一軒のみすぼらしい民家の前で、人の騒ぎ声がする。近づいてみると、半裸の若者が朝廷の役人に鞭でひっぱたかれていた。小角が周囲の村人に事情を聞くと、若者は貧しく、父母に死なれたばかりで葬式の費用も出せない。それなのに役人は税を納めよといい、金がなくばその身で払えという。つまり使役で払えというわけだ。若者はせめて葬式がすむまで待ってほしいと、繰り返し頼んでいるのだった。
小角は事情を知ると、役人のところへ歩み寄り、そんなことはやめるようにいった。役人はせせら笑い、次いで怒った。この日本国の土地に住んでいる以上、税を払うのは当然だ。それが役人の主張だった。「では、土地に住まねばよいのじゃな?」小角はそういうや、飛行の術を使い、たちまち虚空に停止した。役人は驚きあわて、一目散に都へ逃げていった。
次も大和国での話である。
あるところに強欲な長者がいて、飢饉のときにもコメを独占した。村人は飢え、コメの分配を願ったが、長者は家の備えを固くするばかりで、村人たちの要求をいっさい無視した。
そこで村人は小角に訴えた。小角は快く願いを聞き届け、みずからの金剛杖を投げた。杖は空中を飛んで長者の倉のところへいき、警備の数人を打ち倒し、倉の扉を破った。そればかりでなく、杖のあとを追って、コメ俵が次々と倉から飛びだし、杖が村をめぐると、コメ俵はそれぞれ村人の家の門口に落ちた。
こうしてコメの配給がすっかり終わってしまうと、杖は小角のいる山へ向かって矢のように飛び去ったというのである。
これらのエピソードで興味深いのは、小角が一貫して庶民の味方として扱われている点だ。『続日本紀』に描かれる小角の姿も、
朝廷に対する反逆者、あるいは秩序紊乱者としてであって、けっして体制側の人間とされてはいない。
これは古代の霊威をもつ超能力者としては実にめずらしいことだ。
のちの空海も、庶民の味方としての顔をもつが、同時に朝廷への協力者としての側面もある。徹頭徹尾民衆の味方というのは役小角だけなのである。
昨今の、霊能者事情を垣間見るとき、
それぞれの地位、名声、金銭欲、エゴを満たす方向へと進まれていらっしゃる方々を多くお見受けする中、自己の利益を省みず、神ごと、奉仕の何たるかを自らの行動をもって歩まれておられる方にご縁をいただけるのは、誠に稀有なることなのであろう。
私のような、凡人には
どこで、どのような落とし穴が待ち受けているやら
本当に危ないものだが(苦笑)、歴史上の先達に学び、
心から尊敬できる霊能の師に学び、
己は、
己の責任をもって、
常にその姿を鑑みていたい。
今日一日もまた、
許される最大限の磁場において
人の心にさらなる覚醒と進化と変容が起こり
宇宙・自然意識と同調する流れへと
よりすみやかに移行していきますように。
また、さらに
私自身もそうありますように。
永遠の愛と感謝と希望の光を込めて∞∞∞.。.:*・゜