2006/11/21
時間
18・11・21
今日は11月21日で、22日から行われる「新嘗祭」の準備が行なわれる日である。
其れに、其れに、倭姫命の御魂を宿していた「井上佳子」の生誕日であり、頓智で有名な「一休宗純禅師」の525回忌の命日でもある。
一休さんは、後小松天皇の血を引いて居たそうだから、今朝のメッセージは一休さんの憶いが、強く現れているのかも知れない。
今朝は、先ず「時間」との言葉から始まって、「王」の文字が出て、次に「18」の数字が出て来た。
それから「観自在菩薩 般若波羅蜜」の言葉が意識されて来た。
そして、映り出された映像は、日本人らしい雰囲気の70歳くらいの男性が、総ての所の宿賃を、支払っている場面が出て来た。
そして、総ての宿賃を払い終えて、あとの請求が来ないのを確認して、ホッとした処で、其の映像は終わった。
そして、「かのひ」との言葉が残された。
今朝のメッセージの意味は、やはり「新嘗祭」と「大嘗祭」に、関係が有るのだろう。
「時間」は、トキを意味しているから、其のトキの中には、是までの歴史や文化や、人の霊魂の思い出まで、一切が含まれている。
其の、過去の「時間」と「空間」の中に、一休宗純禅師の憶いが、深く刻まれているとの事であろう。
一休禅師は、私に起きた、4311人の「神霊の思頼・みたまのふゆ」でも、最初の方で動き出した霊魂である。
其のとき、一休さんが告げて来たのは「風餐水宿」の一言で、私は其の言葉を、自分の庵の号としている。
「風餐水宿」とは「風を食し 家無しで生きる。」と言う、雲水の精神を言い表している言葉である。
其れは、人間の暮らす世間に対して、「一切の 借りが無い様に暮らす」との意味である。だから、宿賃や借金・ローンなど一切無い生き方である。
そんな意味から、私の「業・カルマ・背景」も、借りが一切無く成ったとの意味であろう。
其れに、キリスト教で言う処の、人間の贖罪を、一掃したとの事ではないだろうか。
私は、4311体の霊魂と供に、是までの世中に、溜まっていた人間の罪穢れを、祓い切ったとの事ではないだろうか。
其れは、今日の鎮魂の儀式が、世界全体の「禊ぎ祓い」に繋がっている事にもなる。
そして、新しい時代の「王」が誕生して、新しい18方位の「菊花紋」が登場するとの事であろう。
其れは、是までの八次元の代が終わり、九次元の御代が始まる事を、意味しているのだ。
そして「かのひ」とは、私が、22年前屋久島の安房川で、禊ぎ祓い(聖書ではパプテスマ)をして目覚め、「此の地球こそ 神の創造した理想郷で 天国である。」と、気付いた日の事を意味しているのだろう。
今朝は、其の後、人間に取って一番大事な真理は、性を一番大事にすることであるのが、知らされて来た。
其れは、性こそ、神に通じる大事な儀式であって、神聖なものであるから、其れを汚しては成らないと言う事である。
其れが、新しい時代の決まりとして、組み込まれなければ成らないらしい。
性の営みの現象こそが生命活動の源であり、宇宙の根本の基礎で、神聖不可欠なものなのである。
だからこそ、日本の古事記は「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」「伊邪那美命・いざなみのみこと」の、「合体・まぐあい」の物語から、始まっているのである。
今朝は、生命の根源的描写として、幾つかの映像が映り出されて来た。
其れを掻い摘んで話すと、妻が刺激的だからと言って浮気をしたり、男性が運動不足で、高い土手の上から飛び降りる事も、出来なく成ったりする事は、「性分(ダルマ・タオ)」から、外れていると示されて来た。
そして最後に、「花いちもんめ」の言葉が出て来たので、PCで花いちもんめを調べて見ると、「女が一匁で売り買いされる場面」を童謡にしているらしい。
何と、罪深い話しであろうか。
参考HP「花いちもんめ」 http://homepage2.nifty.com/osiete/seito73.htm
我々は、何も知らない無邪気な子供達に、人間の最大のカルマを、歌わしていたのである。
女性の性こそ、宇宙の神秘そのままなのである。だからこそ、弘法大師空海が「般若理趣経」を伝教大師最長に見せなかったのである。
其れは、人間の本能を、其の侭肯定する事だから、相当レベルが上がってからでないと、其の深みに落ち込んで、業と成ってしまうからである。
其の世界に、嵌らない様に一休宗純禅師は「どんなに若くて美人でも 肉皮をめくれば 只の骸骨だ。」と謂って、骸骨の絵を描いているし、最大のHな詩も詠んでいるのである。
インドの、一時期有名に成ったバグアンも、一休禅師の存在に触れて、其の魂に驚き、自分の名を「和尚」と換えてしまった程である。
それだけ、一休禅師の頓智は、優れていて深いのである。
其れは、一休禅師の精神こそ、穢れ無き強きもので、精魂の権化と言えるからではないだろうか。
宗教を興した人は、大体に置いて、女性の世界で問題を起こし、性本能の奴隷と成り、深い業を創り出してしまっている。
それ程、此の性の世界は強烈なのである。しかし、其れは、生命其の侭の現れなのだから、其れを否定する事は、生命の根絶を意味するので、止める事は出来ないのである。
それだけ「性」の世界は大事なのである。
其の事を、一番大事とするなら、現在の風潮である、性を商売的に扱っているテレビや雑誌や映画等、一掃しなければ成らない。
他の生き物と違って、人間だけが、性を粗末に扱っているのである。
子供達が、早く立派な大人に成りたいと、思える世の中にするには、一番の本能である此の世界を、正しく美しいものにしなければ成らない。
其れを立て直さなければ、神社や寺院の存在は何にも成らないし、新嘗祭の儀式も、役に立たない事に成ってしまう。
鎮魂の一番大事な基礎は、聖成るものとして「性・セックス」の世界を、立て直せとの事であろう。
其れが、般若理趣経の神髄であって、今朝伝えられて来た「観自在菩薩般若波羅蜜」の意味なのであろう。
早く、花いちもんめの童謡に代る詩を、創り出さなければ成らないようである。
童歌・わらべうたとは、「わらう・笑う」の言葉の語源であり「わらわべ」から来ている。
わらわべとは、笑う子供達の笑顔から、創られた言葉である。
だから、神の理想とする世界は、子供達の屈託の無い、笑顔の有る世界なのである。
現代社会の、小さい時から、勉強に明け暮れる世界は、其れと反対の処にあるようである。
此処まで打って来たら、「良寛さん」のイメージまでダブッテ来た。
どこかに、良寛さんの「毬つき塾」でも開いて、童歌を教えなければ成らないのではないだろうか。
此の世で、与えられている時間を 有効に生かす為にも。
平成18年11月21日
礒邉自適
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