2003/5/14
風の香り
15・5・14
奄美大島が昨日、例年に3日遅れて、梅雨入りしたとの事。
屋久島も、今朝は梅雨模様で、森一杯に広がった若葉の面に、細い雨足が見える。昨日、一時間に50ミリを超えた大雨で、濁った自宅前の安房川も、今朝は静かに流れている。
屋久島では、4月に降り始める長雨を、「木の芽ながし」と呼んで、6月に降る本格的な梅雨とは別に、「ながし」(梅雨)と名付けている。
木の芽ながしとは、丁度木の芽が出て伸び始める時に降る雨なので、そう呼ばれているが、雨が降る時期だから、木が芽を出すのか、木が芽を出し始めるので、天が雨を恵むのかは分からない。
4月に伸び始めた新芽は、6月にはすっかり枝の先の葉まで広がって、親葉と成っている。
しかし未だ、その葉は薄く軟らかい。そのまま、真夏の強い陽射しを受ければ、焼けてしまうだろう。
是から7月、梅雨が明けるまでに、一人前の丈夫な葉と成り、夏には逞しく光合成を行って、澱粉を幹や根に送る事に成る。
枝葉が広がった今、木のエネルギーは、栄養を集める為に新しい根をどんどん拡げ、一回り大きくなった枝葉や幹に見合うだけの場を、獲得しつつある。
今朝は、どんより曇って風がないので、5月特有の風の香りが無い。
今月の連休に、屋久島を訪れた人達が、森の中を歩いて居て、「この香りは 何の匂いですか?」と聞くが、「森の樹木から出ている 匂いです」としか、応え様がない。数百種類の木々が葉を広げ、一年の内で一番の呼吸をしているのである。
椎木の側に行けば、椎木の花の香りが強く成るし、楊枝木(青モジ)の近くに行けば、楊枝木の香りが強く成る。森を抜けて来る風には、様々な樹木が吐き出したオゾンが、濃厚に詰まっているのだ。
其のまま、空気の缶詰を作ると良いかも知れない。
私は屋久島で生れ、この緑の空気の中で育って来た。私には、島の空気が当たり前の事なのだが、空気の汚れた都会から来た人々にとっては、何か特別の香り着けをしている様に感じるのだろう。
私が18年前、島での修業を終え、車に鍋・布団を積んで、旅に出発したら、車の排気ガスで呼吸が苦しくなり、死ぬのではないかと感じた。
トンネルの中では、車の窓を締め切り、呼吸を止め、トンネルを抜けた所で急いで窓を開け、一気に空気を吸って、ハアハアしていた。
其れも、旅を続けて一ヶ月位の内に、いつの間にか慣れてしまった様で、辛くはなく成って来た。
昨年夏、旅から帰島して、今18年前の5月の事を思い出している。
1984年3月5日より、師の自宅で玄米自然食を始め、酒、煙草、肉、人工添加物の入った食品など全部止めて、仕事も全部中止し、体(體)の大掃除を始めた。
4月、5月は、丁度體の毒が外に排出されている時だった。目ヤニ、咳や痰、汗や尿、毛穴から出る堆肥の様な臭い。様々な所から、様々な形で、毒素が体外に出て行く。まるで、自分の肉体が、塵溜に成っていたかの様であった。
毎日毎日、島の自然の中を歩き回り、水を被り、大地に裸で臥して太陽に当たる。畑の枇杷の木の下に臥すと、私の毒気を吸った枇杷の木は、一晩で実が黒くなって全部落ちてしまった。
4月、5月の季節は、私に激しい浄化をもたらしてくれたのである。
一般的には「五月病」と言って、精神的に不安定に陥る人が居る。其れ等の現象も、私には理解できる様な気がする。5月の風には、それだけの力が有るのだ。
5月の風には、一年中で、一番樹木の活動が活発である時の、オゾンが一杯含まれており、人間の體は、其の自然の力・パワーで原始の感覚を取り戻し、細胞が活性化するのではないだろうか。
私は、5月の風に身を委せて、草花の咲く野原に一日中座り、周囲で鳴く鴬や、時折り上空を通り過ぎる「時告鳥・ほととぎす」の鳴き声を聞いていた。
37歳の働き盛りの男が、一切の仕事を止め、一日中野原に座り続けていれば、世間の人々は、皆「あの人は 頭が変しく成った」と 噂する。
しかし、当の本人の思考の中には、2500年前に、自然の中で瞑想を続けて覚醒した、釈迦の「ブッダ・佛」の姿しか無いのだ。
他人が、何を言おうが、本人は天国にいる気持ちなのだから、この上ない喜びの中に在るので、止める分けが無い。
他県に嫁に行っている、妹まで心配して帰島し、母親や弟など身内は、「何時 病院に入れようか」と話し合っている。
私は、私で、警察に捕まって、病院に連れて行かれ、注射を打たれたらおしまいだと想っているので、他人に危害を加えたり、物を壊したり、人前で裸に成らなければ良いと考え、其れ等の事に注意しながら数ヶ月を過ごした。
私にとっては、一生忘れられない5月の思い出である。
5月の風の香りを嗅ぎ、鴬の声を聞き、時告鳥が一声鳴いて頭の上を飛んでいけば、私には、天国が其処に在る。
毎年毎年、私には、天国が訪れて来るのだ。
私の18年前の、その時の天国には、当時2〜4歳の子供達が、何人も参加して来てくれていた。
童子達は、神の使いであり、私を本当に導いてくれたのは、師ではなく、当時2〜4歳の島の子供達であった。
当時の子供達は、現在22〜23歳に成っていて、当時の事は忘れてしまっているだろう。
あのままの世界が続いて、現在に至っていれば、全く違った世界が出来上がっていたかも知れない。
現在は、私の子供も、師や弟の子供、そして隣家の子供も、成人に成ってしまって、身の回りには、小さな子供の姿が無い。私が、19年前の世界に戻ろうと考えても、今は相手さえ無い。
気狂の私と、手を繋いで、野山を一緒に歩いてくれた、あの子供達は、一体何者だったのだろうか。一時的に、天使が降りて、子供達を動かしていたのだろうか。
其れとも、屋久島の山々の神が、私の為に降りて来て、子供達に憑いていたのだろうか。
その事を、証明する証拠も手立ても今は何も無い。有るのは、私の記憶と相変わらず、何も行っていない、私の姿だけである。
梅雨の晴れ間に、山々に虹が掛かり、「赤翡翠・あかしょうびん」が蝶の様に、赤い羽根を広げて森の中を飛べば、私の記憶は、又19年前の世界に雄飛してしまうだろう。
5月の風の中の物語は、私の病気だったのかも知れないが、私と同じ世界に存在した子供達が、何時かそれを思い出して、再びあの目眩く日々を再現してくれないものだろうか。
今は、その子供達も、現代社会の柵・しがらみの世界に身を置いて、理由も分からずに日々を過ごして居るだろう。
人間の本来の幸福は、一番身近に在るのだが、それをそうさせない力は、何なのであろうか。
同じ、5月の風の中に存在しながらの私と、人々の差は何であろうか。
島の風の中に、持ち込まれた都会の邪悪な風の所為なのか、其れとも、日々繰り返されている日常の暮らしが、大事な事を消す消しゴムの働きをしているのだろうか。
人々が忘れ去っても、人間よりは長生きの樹木や、永遠に流れ続ける島の水は、私の記憶と想いを、伝え続けてくれるだろう。
何故ならば、其れら島の自然こそ、私の人生の舞台装置であり、現場監督だったのだから。
私は、今年も又、五月の風の香りの中で夢想に填り、釈迦仏陀の瞑想の姿を目の前に視ている。
其の仏陀の座った姿の周囲には、草花が咲き乱れ、美しい蝶や小鳥が飛び交い、気持ちの良い水音や風の音、小鳥の声など、自然の音楽が聞えている。
私は想う。島には、永遠のブッダが住んでいるのだと。
そして、仏の住む地と云われている「南閻浮提」が此処に在ると。
今年の島の5月の風は、再び此の私を、遠くて身近な世界に、運んでいってしまう様である。
平成15年5月14日
礒邉自適

2003/3/28
悟りの反対は無自覚
15・3・28
人間は、動物の一種だから、日々行動する事が、自然だと言えるだろう。
しかし、其の日常の生活の積み重ねが、地球環境に害を与え、人間自身の未来を危くしている。
地球に、害を与える動物は、人間だけである。
他の生命は、全体の調和の中に納まっているが、人間だけが、他の生命を犠牲にしながら、異様に数を増やして、地球資源を食い潰している。
此のままの状態が続けば、人類は近い内に、大きな危機に立ち入る事は、間違いない。
私は、1984年6月に其の前触れを受けて、それ迄の生活活動を止め、解決策を見出す為に18年間、全国を旅して情報を集めて来た。
そして、旅を終えての結論は、人間は、他の地球上の生命群とは違って、自分の生に対して、自覚が無いと言うことである。
普通の人は「動物には自覚が無くて 人間には 自分を自覚出来る能力がある」と云う。しかし、其れは当っていないと、私には考えられる。
人間に自覚があれば、無駄な事を止めるし、環境に悪い事も止め、自分の身の安全を図るはずである。
私には、人間は、必要以外の行動ばかりをしている様に、意われるのである。
暴飲暴食をし、体に悪い煙草を吸い、無理な運動をして病気に成っている。
人間以外の動物は、体に悪い物は食べないし、必要以外の動きもしない。
本能的に、自分の本分をわきまえて、余計な事をしないで生を全うし、役目を十分果たしているのだ。
小鳥は、木の実を取って食べるが、木の種子を方々に撒いているし、ライオンは増え過ぎる草食動物を減らしている。
動物は、脳味噌の量は人間に比べて少なくても、本質の処をわきまえていて、立派に生を全うしているのである。
釈迦牟尼仏も、イエスキリストも、其の事に気付いて、人々に説いているし、老子も、生命の本質を文字に残している。
彼等の訓えが、何故、現代社会に生かされないのだろうか。
其れは、現在の社会のシステムが変だからである。
釈迦や、イエスや、老子の名は、彼等の想いとは、違った方向に使用され、人間の本質が自覚されない手段に、利用されてしまっている。
自覚を促す彼等の教えが、逆の方向に利用されて、無自覚を広げる材料にされているのである。
釈迦、イエス、老子は、人間の行為を休めと謂っているのに、現在の仏教もキリスト教も道教も、行為を起す事を、皆に勧めてしまっている。
行為を休まなければ、生命体が本来保持している、生命の本質(仏教のダルマ・老子の道)に、目覚める事が出来ないのである。
人間の行なう、人為的な働きこそが、意識を曇らせているのである。
釈迦、イエス、老子が、人間の本質に付いて説いているのに、人間は何故、「悟(覚)る」事が出来ないのか。
其れは、人間社会の「柵・しがらみ(システム)」に、拘束されているからである。
其の、人間社会の拘束から自由に成れば、生命の本質に目覚める事が、出来るのである。
社会から、人間が自由に成る方法として、釈迦は出家(寺に入る事ではない)を勧め、イエスは「私は 貴方達の親子 兄弟の仲を 裂きに来た」と云っている。
自己に目覚めて、真理に到達するには、家も、金も、地位も、名誉も、何も必要ないのである。
こんな、誰でも出来る楽な事は、他に無いのである。
人間社会で成功するには、様々な物を必要とするが、真理に目覚めて「仏陀・ブッダ」に成るには、何も必要ないのである。
私達は、幸福に成る為には、立派な家や、家族が、必要だと考えるが、真の幸福を得る事は、反対の処にあるのだ。
一切の束縛から自由に成って、自然な姿に立ち返った時に、人間は、本来の生命の源点に立ち戻り、生命の本質を自覚するのである。
其れが、悟りの意味である。
私達は、現在の社会システムに、自分の行動を合わせて、励めばはげむ程、意識は悟りから遠く成って行く。
特にテレビは、スイッチを入れさえすれば、情報が飛び出してくるので、人間の意識は休まる間が無い。
聖書に書かれている、審判の日が来れば、どれだけの人々が残されるのであろうか。
聖書の言葉に「その日には 飲んだり食べたりして 騒いだりしている人々は 神に取り残される。だから 何時も目覚めていなさい。」とある様に、無自覚の人々は、神・天に見放されると伝えられている。
自覚する事が大事とは、私が言うのではなく、この事は、人間に与えられている大事な、永遠のテーマなのである。
平成15年3月28日
礒邉自適
2003/3/13
帰島感想 7
15・3・13
今日は、生憎の雨で、太陽の御出座しは無いが、春雨に濡れる楠や椎の新芽は、鮮やかに森の再生を現している。
先に、葉を落した木から、先に芽を出して来ている。
一番後まで、紅い葉を付けていた黄櫨・ハゼの木は、未だ、眠りこけているのだろうか。
もう直ぐ、屋久島で云う処の「木の芽ながし」が遣って来る。
木の芽ながしとは、6月の本格的な梅雨の事ではなく、木芽を出すのを誘うこの季節特有の、水分を補給する雨である。
6月の、本番の「長雨・梅雨」は、全ての木々が芽を出し尽し、その年の葉が、一人前にまで育つのを支える為の、水分と栄養を、梢まで送り続けるものである。
全ての木々が、葉を繁らせたら、夏の太陽が照り続け、大きく拡がった緑のアンテナは、炭酸同化作用を休み無く続けて、幹を太らせ根を拡げて行く。
其の、葉から生産され、幹や根に送られる栄養を、チャッカリ頂いてしまうのが、夏の主役「蝉」である。
3月の屋久島の景色は、もう夏へ向けて、始動を始めたのだ。
今も降り続く雨は、大地の養分を溶解し、未だか弱い、新芽に運んでいるのである。
私の、1月・2月・3月の初旬は、客人が皆キャンセルに成り、毎日書き物をして過ごして来た。
電話が掛ったり、客人が来島して、案内をする事に成れば、私の思考はそちらに費やされ、日々の出来事を、文章にする事は出来なかったであろう。
此処のところの70日間は、私の人生の反省期間でもあり、新しい社会創造の足掛かりを創る為の、聖霊や天・神の、作業期間でもあったのではないだろうか。
父(天)と、子(私)と、聖霊(4311体霊界人)との、共同作品である新しき生命の記憶は、新しき社会の栄養と成って、新しき芽を育む事が出来るのであろうか。
其れには、雨に替る潤滑油と成る、溶解液が必要である。
其れは、I.T社会を流れる情報であろう。
その情報の中身が、是から、社会を創造して行く者達にとって、大事なものでなければならない。
「情報」の言葉は「情・なさけ」「報・むくいる」の組み合わせで出来ている。「なさけにむくいる」ものでなければ、成らない事とは、神の存在と神霊・聖霊の働きに対して、子(生じるもの)である私達が、「神のなさけに報いる」との理・ことである。
現代社会の情報は、人間が、自分の欲望を追及する事だけに、片寄ってしまっている。
其れは、それで古い葉と考えて、存在に感謝し、古い森林の上に、新しき新芽が、美しく輝きだせば良い事である。
此れからの、私の働きが新芽の役なのか、人の目には見えない、水の働きなのかは未だ分からない。
私が、今日、出来る事は、私を在らしめてくれている屋久島の自然と、これ迄、私に関係して下さった人々と、社会に対して、感謝する事である。
正に、「有り難い」と 言うしかない。
平成15年3月13日
礒邉自適
2003/1/26
釣針と弓矢
15・1・26
今日は、現代の流れの中に、大きく二つの流れが有る理・ことに気付いた。
一つは、神社を建て、弓や剣を神器とする民族の文化である。
弓矢や剣は、人間の戦いの武器であり、陸で使用する物である。
もう一つは、釣り針や、釣竿を道具とする、民族の文化である。
釣竿や釣針は、人間が海で漁をして生活する為の道具である。
「弓矢」を手にする者と、「釣り針」を手にする者の違いを考えると、次の様に成る。
「弓矢」を使用する文化は、陸上で生活の縄張りを決め、定住生活をする者達である。
「釣り針」を手にする者は、魚を獲りながら移動して行く者達だから、縄張り争いをする事が無いのだろう。
海の魚は移動するので、命を懸けて、固定した土地を守っても、無意味だったのではないか。
現在の様に、遠方まで船で出掛けて行って漁をして、又元の港に帰って来る様な生活ではなかったであろう。
近年まで、日本にも魚を獲りながら、船で生活をしている人達が居た。
其れ等の人達は、命を懸けてまで戦う事は、無かったのではないだろうか。
日本の古い神話にも、山幸彦、海幸彦の物語が有るので、海の暮らしと、山の暮らしは、分けて考えられていたのではないだろうか。
其の「海幸・山幸」の間に、侵入して来た民族が、草原に生活していた放牧民である。
彼らは、家畜を増やす為に草原が必要なので、土地の取り合いや、家畜が盗まれない様に、戦いの道具が必要だったと思われる。
日本には、海の民、山の民(サンカ)、草原の民・(天津族)、其れ等の異なる文化が混ざっているものと思われる。
其の中で、一番少なく成ってしまったのが、山の民の文化である。
山の民の文化が、一番、地球環境に適しているのではないだろうか。
森林や、河川を、大事にする其れ等の文化こそ、是から最も、大事として行かなければならない文化であろう。
平成15年1月26日
礒邉自適
2002/12/7
宇宙は終束の中で力を蓄える
14・12・7
私達の肉体は、食物のカロリーで火を生産し、水の循環で冷却している。
火と、水のバランスで、體を維持しているのだ。
人間は、宇宙自体の存在がパターン化して、現象化した物だから、宇宙にも熱・カロリーの発生と、冷却のシステムが在るはずである。
簡単に決め付ければ、太陽は熱を出している物と言えよう。
では、太陽の熱を冷ましているものは何だろうか。
其れも、簡単に言えば、宇宙自体が真空で低温だから、宇宙が冷やしていると言っても良いだろう。
しかし、其れでは、何も面白くはない。
火も、水も、水素原子・Hの変化であるので、何か、意味付けが出来ないだろうか。
水は物質を溶かし、火は物質を変容させる。
熱は、物質の膨張を起こして、水は冷まして固めていく。
此の二つの働きを基本として、何等かの法則を導き出せないだろうか。
私達の住む宇宙は、「ビッグバン」と名付けられた、高熱から産み出されたと言う。そうであれば、其の反対の現象が無くてはならない。
爆発するには、縮められた何かが必要である。
縮められた何かが、人間の目に見えない物であれば、見えない何かに、言葉を与えなければならない。
私に、無理矢理それに「名付けよ」と言われれば、意識と呼ばれている存在其のモノの「おもい」と、定義付けたい。
「おもい」の言霊自体が、「重い」を当てられた理由も、辻褄が合って来るので、面白いではないか。
宇宙で、一番重量の有る物、其れが、宇宙自体の質量なのではないだろうか。
宇宙の真空は、神の「おもい」で満ちているのではないか。
星も、其の「おもい」の中に浮いていると考えれば、納得出来そうな気がする。
其の宇宙の「おもい」を、「愛」とか「慈悲」とかの言葉にしてしまうと、人間臭い意味付けになってしまう。
宇宙が、熱に因って物質の量を増やし続けて行くと考えれば、やがてはエネルギー(カロリー)を失って維持出来なくなり、収縮して来ると考えられる。
やがては、宇宙の物は、全て収縮するのであれば、また力が蓄えられ爆発しようとするのだろう。
現在の地球の状況を見てみると、人口を始め、様々な事が加熱してきている。これ以上、エネルギーが補給出来なくなった時、一気に縮んで来るのではないだろうか。
基本的には、地球は、水の惑星だから滅びる事は無いだろうが、熱源・カロリーを必要とする生命体は、大変な事に成って来る。
食料や、光熱元、調理、住居建設、交通、工業等全てが、熱の発散無しには成り立たない。
此のままでは、人類の未来は無いだろう。
私達人類自体が、熱の活動から水の活動へと、行動を転換しなければならないだろう。
男性原理社会であった、魚座宮の時代2000年間が終わり、既に、水瓶座宮の時代が始まっているという。
カロリー消費型文明から、女姓原理社会の癒しの時代に移行しつつある。
相変わらず、熱カロリーを無駄使いしている人々は、新しい時代に同調する事は出来ない。
後10年で、2012年12月23日を迎えるが、運命の時と言われている其の日迄に、何が出来るのか。
人類みずからが、収縮する事で、新しい社会の創造力を蓄える事が、出来るのではないだろうか。
戦争が、一番のエントロピーの拡大に繋がる行為である。
アメリカが、一番の熱源発散の国である。
日本は、収縮の手本に成らなければならない。
キリスト教の国が、モーゼの休息の日の教えを守らないのなら、日本が先頭を切らなければならないだろう。
明日12月8日は、真珠湾攻撃の日である。
日本は太平洋戦争で、多くの事を学んだはずである。
そして12月8日は、釈迦の成仏(ブッダ)した日でもあり、ジョン・レノンが天に帰った日でもある。
平和の祈りをする事は、宇宙の「おもい」と同調する事であり、自分を重い人間に変えていく事でもある。
静かな時間を持ち、「ものおもい」をする事は、未来社会創造の源泉でもあると言えるだろう。
私も、エネルギーを蓄える日々が続いている。
水の惑星・地球だからこそ、太陽の相手として、生命を産み出しているのである。
地球に生まれた事を、感謝しなければならない。
平成14年12月7日
礒邉自適
2002/11/19
冬の音 冬の彩(いろ)
14・11・19
久し振りに、山手に在る実家の畑に野菜を貰いに、自宅から3km程の農道を歩いてみた。
途中の道路の両側には、「石蕗・つわぶき」の花の蕾みが、そこら中に咲き出そうとしている。
歩いて行くと、屋久島に越冬する為に渡って来た、「鶫・つぐみ」や「赤腹・つぐみ科」や「ひよどり」が、鳴きながら飛んで逃げ去って行く。
その情景の中で、私は不思議な感覚に陥った。
私は、自分の肉体的な年齢を考えなければ、中学校に通って居た其の時のままに、故郷の空間を捉えて、なんとも説明の出来ない感情を体験していた。
石蕗の黄色い彩を見て、屋久島の地元では「チックワ」と呼ぶ赤腹が、「チチッ クヮ クヮ」と鳴いて飛んで行く。
その音を聞いていると、10代の頃と、何ひとつ変っていない自分が、存在するのである。
其れは、18年間、故郷を離れて旅をしている間には、体験した事の無い感情と言うか、気持ちの在り方である。
日本国中、何所でも、山も川も海も存在するが、其れは、其の土地の山、川、海であり、私は只の訪問者であって、自分の感情を育んで来た、故郷の音や彩ではないのである。
今日、気付いた事は、人間の感情等と言うものは、環境の産物でしかないのだという理・ことである。
コンクリート-ジャングルで育った人達には、自然の中で育った此の感覚を、理解して貰おうと想っても、所詮無駄な事であったのだ。
都会で育った人達の感情が、私には理解出来ないのと、同じ事だったのである。
私は、東京で二度暮らしてみた。
最初は、1996年に8月から12月23日まで目黒不動尊の池の横に住み、二度目は1999年5月から2000年6月まで飯田橋に住んだ。
だから、私は、一年半くらいの月日を、東京の人達と出会いながら、話を続けた事になる。
だが、私には、東京を理解出来ても、東京の人達には、屋久島の自然を理解して貰う事は、出来なかったのである。
其の原因が、今日の散歩で、理解出来たような気がする。
都会育ちの人達には、思考の基礎パターン(基盤)に、自然が存在しないのである。草や、木や、水の香りが、感覚に染み込んでいないのだ。
染み込んでいるのは、人工的な音楽や絵画等の、人工的な音と色が、思考の基礎に成っているのである。
私の育った家には、テレビもラジオも無かった。
父親も、母親も、音楽には一切関係なく、父親の歌声も、母親の子守唄も記憶には無い。
父親は、楽器どころか口笛も吹けない人だったから、私の脳の基盤は、自然の音だけである。
私が、話している言葉と物事は、都会育ちの人達には、音として、耳を通り過ぎるだけで、情景が映らないのである。
だから、都会生まれの人達には、2600年前の「釈迦」や「老子」の言葉も、ただの理屈としてしか、捉える事が出来ないのだろう。
2600年前に生きた彼等が、頭でイメージしていた情景が、都会育ちの人間の頭の中に、映像として浮かばないので、何の事か理解が出来ないのである。
中国の漢字の「故郷」の「故」は、「古く固い」の意味で、「郷」は「故里の食べ物を 向かい合って食べて 響き合う」の意味である。
都会の様子は、常に新しく変貌するので、古くて固くはないし、世界中から食物を集めているので、幼い時の食物を二人で向かい合って食べて、原初体験をする事も出来ない。
ようやく、私には、都会の人達には故郷が無いとの意味が分かって来た。
自然の情景が無い者達が、コンクリートの中で考えた事柄を、田舎にまで押し付ける事が、現代文明の行き詰まりの原因なのである。
自然の色と、自然の音、そして自然の味が大事なのである。
ようやく、目と耳との刺激の事は解った。
後は、舌の事である。
実家の母親の畑から、採るって来たニラと、屋久島産の飛魚のすり身を混ぜて、油で揚げれば、ツキ揚げの出来上がりである。
ツキ揚げを摘みに、屋久島の芋焼酎を飲めば、其れでもう、屋久島の人間にカムバックである。
味は「見る」であり「感じる」ではない。
私は「赤腹」と、色で呼ぶのではなく、「チチクヮクヮ」と鳴く赤い胸の鳥を“チックワ”と音で捉える、屋久島の人間なのである。
では、ツキ揚げ作りに掛かる事にしよう。
平成14年11月19日
礒邉自適
2001/2/7
自然は素晴らしい
13・2・7
人間は、自然の美しさに感動したときに「自然は 素晴らしい」と云う。
其れは、その人の心の状態が良い事を表している。
自然は、本来何時でもあるがままの姿で存在している。其れを、美しいと改めて感じるのは、自然を見ている人の心が、曇りの無い晴れた状態であるからなのだ。人間、悩みが有って、暗い気持ちで居る時に、自然を眺めていても、美しいと感動する余裕は無い。
人間の心は、外向きに開け放たれた時に自由になり、外側の景色を受け入れる事が出来るのだ。外側の景色とは、自然ばかりでなく、他人に対しても同じ事が言える。
他人を評価して、「心が狭い人」と云う事が有るが、其れは、見ている人物の心が、外向きに開かれていない時に、「あの人は 心が狭い」と映るのである。
其れは、他人の悪い処だけが目に着いて、なかなか人を受け入れる事が出来ないのだ。其の様な状態に成ると、景色を眺めて和歌を詠んだり、俳句を作ったりする事などはとてもできない。
人間は、物事に囚われ易いが、それは、小さな世界に意識を向けているからであり、大きな自然、宇宙へ、意識を向けて解放すれば、自然の働きが自分の心の内に取り込まれ、優しさが生まれてくるのである。その優しさが、自然の景色や他人までも暖かく包み込み、本来の人の気持ちを取り戻す事になるのだ。
そんな気持ちに成れば、他人の良い処が見える様になり、自然と同様、人間もまた素晴らしい存在である理・ことに気づく。そして、人間を含めた生き物を育てている大自然の働き、宇宙の仕組みが、ただ素晴らしいだけの感動でなく、その精巧さ、峻厳さに打たれ、その働きの奥深さが見えてくるのだ。
その感動や、奥深さを表しているのが、「観世音菩薩」であったり「マリア像」であったりするのだろう。それを言葉にしたのが、老子の「道」であり、釈迦の「ダルマ」であるのだ。
今日も、その奥深い働きを感じながら、窓の外の冷たい雨を眺めている自分が在る。
平成13年2月7日
礒邉自適
2001/1/21
森と水
13・1・21
「森」と、「水」の存在は、切り離して考える事は出来ません。
「水」は、水蒸気として海面や大地から上昇し、やがて雨となって降ってくる。雨は、森林や草原に降ると、大地に沁み込んで、ゆっくりと川や地下水へと流れ出し、海へ下っていく。
其の循環が、環境や生命にとって、非常に大事なのである。
森林に降った雨は、根や苔や腐葉土などによって蓄えられ、その中の一部は、植物に拠って吸い上げられ、蒸散作用に拠って、葉から水蒸気と成って上空へ向かうが、その他は大地の下方へと流れて行く。
森が豊かだと、此の流れはゆっくりとしており、川の水量は安定して、長期間に亘り豊かに流れ続ける。
一方、耕された畑や、コンクリートに覆われた都会に降った雨は、短期間で川に急激に流れ込み、激流と成って流域に災害を起こし、また雨が止むと、短期間で、川は元の水量の少ない状態に戻る。
昨今、世界中で洪水が多発しているニュースを聞くが、大きな被害と成っているのは、森林が失われた事が、其の最大の原因の一つである。
森林から、流れ出る水は、自然の濾過装置が働き、清く澄んでおり、水の中には、岩から溶け出したミネラルや鉄分などが含まれ、植物の養分となり、プランクトンを育て、河川や海の生き物を豊かに育てる。
日本の、水田での稲作は、その良い例である。
エジプトのナイル川では、上流に、大きなダムが出来て洪水は無く成ったが、其れまで、洪水に拠って上流から運ばれていた肥沃な土が、運ばれなくなり、現在では化学肥料を使わなければ、作物は採れなく成っているそうである。
日本の水田は、毎年続けて、同じ作物である稲を栽培しても、連作障害が出ない様に、ミネラルや養分が豊富なのである。
日本は、数千年に亘り、稲を栽培しながら、共同作業を行う事で「村」と言うシステムを維持して来たのである。
其れは、理想的なボランティア社会だったのだ。
日本は、其の、米を中心とした文化から、金を、中心とした文化に移り変わり、世の中は一見豊かに成った様に思われるが、昔の様に、村全体でお祭りを楽しんだり、子供達が自然の野山で駆け回ったり、小川で魚を捕らえて遊んだりする事が、出来なくなってしまった。
今や、人間の生活が、森や水から遠く成りつつある。
遠く成っていく分、身体も本来の健康を失っている。
森と、水の豊かな自然を取り戻す事が、本来の、豊かな生活を取り戻す事なのである。
人間が、老いた時の理想の姿は、良い老人ホームに入居する事にあるのではなく、自然豊かな土地で、子供達や孫達と共に、在る事ではないだろうか。
平成13年1月21日
礒邉自適