此のHPには 私の考えによる 文章だけを集めました。
〜「人が生きるという事」の内容 〜
平成15年5月3日
一、私生活
1.友人
2.父親の存在
3.家族のかたち
4.島の状況
5.年寄りの存在
6.教育の程度
7.体験した仕事
8.体験して来た趣味と遊び
二、体験からの考察
1.食物
2.人体
3.思考の発達
4.夢の影響
5.文化良否
6.言葉の壁
7.言葉の力
三、公共性
1.私の社会への係り
2.神仏との関係性
四、新しい文化の創造について
1.子供達の教育
2.成人の生涯教育
3.正しい知恵の蓄積
4.インターネット・システムの活用
五、人間の基本的な決りについて
六、今後の指針として
七、私の人生観
平成15年5月3日 現在の思案
2012/7/25
天皇霊 其の三 後醍醐天皇
24・7・25
私は1985年7月2日に、丹後半島の付け根に位置する京都府京丹後市網野町で日本一周の旅が終わり、木津館に宿泊した。
翌日3日に、其の旅館の主人に近くの曹洞宗の龍献寺の「安井桂造禅師」を紹介され、其の安井禅師から、亀岡市に有る西光寺の「田中真海禅師」を紹介された。其れから、田中禅師に亀岡市の湯の花温泉の「憩の家」の「杉岡伴太夫政房」氏を4日に紹介された。
「7月2日」http://star.ap.teacup.com/170606/202.html
そして、杉岡氏が私の事を理解され、暫く憩の家に逗留する事に成った。そして、杉岡氏が最初に私に読む事を薦めたのが、金井南龍氏の著書であり其の本には、大本教の出口王仁三郎が鹿児島出身の政治家・床次竹二郎の弟、「真廣」に渡した手紙・遺書友人宛に出した手紙の内容は、「現在の宗教は全部偽物だ 本物が現れたら此の大本も終わりだ お先にさいなら」「本物の神は 鹿児島から 下駄を履いてチャラチャラ遣って来る」との事である。
其の本の内容を知っていた杉岡氏は、私が履いていた下駄の金具が両方緩んでチャラチャラ音を立てており、私の車のナンバープレートが鹿児島だったので、私に興味を持ったのであろう。
其れから、杉岡氏は「不思議な坊主が時々 空のタクシーを連ねて此処に来ると云うのである。其の坊主は、何時も一人だけで来るのに、今日は三名で来ると云う時には、自分は前のタクシーに一人だけ乗って、後ろに空のタクシーをもう一台連れており、到着すると両方のタクシー代を支払うとの事である。
そして、五人以上連れて来ると云う時には、空のタクシーを二台連れているとの事であった。
其の事を聞いてから、数カ月後に、再び、憩の家を訪れ逗留していると、ある日私の部屋に杉岡氏が上がって来て、「例の坊主が来た」と云うので、私も二階の自分の部屋から、階下の玄関に下りて行った。
そして、玄関に入って来た坊主の顔を見ると、私の口から、其の坊主に向かって「関の松は何本か」と突然に云った。
すると、其の坊主は私の顔を見て、「五本だろうもん」と応答した。私は、其の答えに対して、「松食い虫で 二本は枯れているだろう」と謂った。
其の坊さんは、玄関に上がると、大きな声で「親爺 紙と筆と 酒を持って来てくれ」と、奥の部屋に向かって云った。
そして、杉岡氏が茶色の藁半紙と、筆と墨を持って来て机の上に置き、お盆に日本酒をコップに入れて持って来た。
そして、其の坊主が酒を飲んでいる間に、私は、其の筆を手に取って半紙の中央に、坊主からは「言」の文字に見える様に、「心口」と書いた。
すると、其の坊主は、酒を飲み終えると、其の私が書いた「言」の文字に合せて、半紙一杯に漢字の文章を書いた。
私は、其の文章が、自分では読めないので、坊主に向かって「何と書いたか」と訊ねると、「お前は とぼけて生きて行けと書いた。」と云うのである。
そして、「親爺 酒をもう一杯」と奥の部屋に向かって云った。
そして、杉岡氏が酒を持って来ると「此れは 時が来たら 1億円の値打ちが出るから 大事にしまって置け」と云って、酒を一気に飲んで帰って行った。
其の坊さんは、御嶽山の近くに有る「天竜寺」の住職であるとの事であり、其れから暫くして、亡く成ったとの事であった。
年齢は、当時50歳代後半に見える年恰好だったので、高齢と言える状態ではなかったので、役割が済んで天に帰ったのであろう。
其の坊主が帰った夜、私は二階の、畳の部屋に寝て居ると、夜中にフト目が覚め、何か怪しい気配がするので、枕元の方を見ると、おぼろげな、霊が三体座って居るのである。
私は、其の三体の霊体は、昼間来た坊主が置いていった霊魂だと気付いた。すると、其の霊体が「天河に連れて行け」と、云うのである。
私は、其の状態で眠る分けには行かないので、直ぐに起きて準備をし、車で天河に向かって亀岡を出発した。
そして、5時55分に、吉野の「丹生川上神社下社(以前は闇龗神・くらおかみのかみ)」に到着したので、境内に車を止めて、横の河原で手や顔を清めて、再び車を運転して「天河神社」に向かった。
そして、天河神社に到着し、境内に車を止めて、伯方の塩の故・菅本フジ子さん(日本 自然塩普及会会長)に戴いていた、塩二袋を使い、神社の鳥居土台に
塩山を作り、神社の磐境・いわさかの清めをして、参拝を済ませた。
そして、車に帰って座席を倒して目を瞑ると、ルビーレッド色の様な輝きを持つ「コブラ・蛇」の姿が一匹現れて、「貴方のお蔭で ようやく入れる」と云って、磐座・いわくらの中に頭から侵入して行った。
其れから、私の身体が動き出し、車から降りて、神社の杜の裏側を回って、反対側の岡の方に登って行った。
其処は、公園の様に成っていて、石碑と石組が有り、「南朝と北朝の仲直り」の為の施設である事が書かれていた。
私は、其の施設に、霊魂に案内された事で、南北朝の合体が、行われた事を感じた。
後に、南朝の事を調べると、後醍醐天皇の事が出て来て、後醍醐天皇が隠岐の島を脱出する時に手を貸したのは、「関の五本松」が生えていた、島根県松江市美保関町の人々である。
其の事を、何も知らない私が、いきなり「関の松は何本か」「現在は三本であろう」と、天竜寺の坊主に云ったので、後醍醐天皇の事と、三体の霊魂の事が図星だから、坊主がビックリしたのであろう。
そして、其の天竜寺の坊さんは、何故か、私が其の「憩の家」を訪ねるのを、何年も前から知っていたのである。
後醍醐天皇は、1332年に隠岐の島に流罪と成っているが、1333年には隠岐の島を脱出して、奈良県の吉野で南朝を興している。
其の1333年の年数は、666年の周期の一つであり、1333年に666年をプラスすると1999年と成り、私が、神に告げられた時節の節目と重なって来る。
其れ以前は、1333年 − 666年=667年で、667年は「天智天皇」が近江遷都をした年であり、其れからマイナス666年は西暦元年で、「崇神天皇」の時代である。
そして、紀元前660年が「神武天皇」の時代であり、日本の歴史の中では666年周期で「政・まつりごと」の節目・変革が起きている事になる。
「天皇霊 其の一 天智天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/63.html
「天皇霊 其の二 昭和天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/64.html
其れを考えると、西暦2000年には、何等かの動きが起きていなければ成らないのだ。
私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に神の世界に入り「残り16年半 失敗は許されない チャンスは一度」と告げられて、肉体が反応し始めたのは、其の事に関係が有るのだろう。
其の「16年半」の年月は、現在の日本の歴史の始まりと成っている神武天皇が、九州を出発してから「奈良・大和」で、政治を始めるまでの年月と同じである。
私が1985年11月10日憩の家に宿泊している時に、胴体の直径が20p以上有る金龍が、肉体に巻き付いて来た事が有った。
其れは、足利尊氏が「禅僧・夢窓疎石」に薦められて、後醍醐天皇の菩提を弔う為に天龍寺を建てた時に、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍寺」と名付けたとの云われにも関係が有るのだろう。
そして、中国では、皇帝の守り神が金龍であり、革命の時節には天命として、金龍が現れるとされている事にも、関係がある。
聖徳太子が編纂に関わったとされる、旧事本記大成経は後醍醐天皇にも影響を与えているのであろう。
其の旧事本記大成経は、現在群馬県甘楽郡南北村黒滝山の黒滝山不動寺に保存されており、其の旧事本記大成経が世に出る時には、新しい天皇が世に出るとの言い伝えが有る。
私は1986(S61)年1月26日に、其の黒滝山不動寺に、亀岡の「杉岡伴太夫政房」氏と、群馬県鬼石町の「中屋龍洲」氏を呼んで、住職の「長岡良円禅師」と14名で宴会を開いた事が有る。
そして、宴会が終わって外に出ると、夜空が揺れており、向こうから大きな火の球が、黒滝山の方に遣って来ると言う異変が起きた。
其の出来事も、旧事本記大成経が世に出る時節が、近付いている事を示していたのであろう。
「星が歩く」http://star.ap.teacup.com/170606/684.html
本日7月25日は、マヤ文化の暦・カレンダーで時間の余った日とされ、明日26日は元旦である。
其の日に、此の文章を書く事に成ったのも、宇宙の意志の影響か、マヤの神である「時間の操縦士」の働きの所為なのかも知れない。
平成24年7月25日
礒邉自適
2007/5/23
私の人生
19・5・23
今朝のメッセージは、私が、是から送る人生の場面が、次々に映って来て、○丸の中に秘が書かれていて、其れ等の事は「丸秘」にする様に指示が有った。
是まで、私は自分の事や、起きて来る事を、殆んど全部、あからさまにして来た。
しかし、是からは、公表して良い事と、いけない事を、区別する必要が有るらしい。
其れは、私し個人の生き方と、他の人の生き方は、其々違うので、他の人の人生に影響を与える事を、公表するのを、慎んで行かなければ成らないらしいのである。
其の意味を、良く考えれば、此処までの私の人生の軌跡は、他の人の精神的な旅の手掛かりに成っても、此処から先の事は、私し個人の、生き方に成るので、其れを公表する事は、他人の人生の、妨げに成るとの事なのであろう。
其れが、私の師や、老子の訓えの神髄なのではないだろうか。
私は、昨日、屋久町立神山小学校の五年生の教室で、子供達に、漢字の意味に付いて話して来た。
其れは、漢字が自然物を絵柄として出来ている事を知って貰う為と、30日と31日の野外教室で、初対面の緊張を失くす為である。
しかし、今朝の状況からすると、其の目的とは異なる、何かが、私の意識の背景に起きたのではないだろうか。
私は、二十歳以前から、お年寄りの居る隠居を訪ねて、色々な話を聞くのが好きだった。
其れが、今では、私が、其の老人の立場に成って来ているのである。
其の事を考えると、子供達の目に、自分がどの様に映るのかを、考慮して行かなければ成らないのだ。
私は、現在・いま毎日パソコンに触れて居るので、自分の過去の写真を目にする機会が多い。
其れで、現在の自分の姿を見ると、確かに、肉体は老いに向かっている様子が実感出来る。其れは、近代兵器であるカメラやビデオのお陰様である。
現代では、いとも簡単に此の事が出来るが、昔の人は、鏡さえ自由に手に入れられなかったのだから、自分の存在を、さぞや、確かめ難かったであろうと想われる。
しかし、其の事が難しかったからこそ、神社で一番大事な物として、鏡を備える様に成ったのだろう。
其の様に考えれば、如何に、自分の現況を確かめる事が、大事であるのかが理解されてくる。
其れは、自分自身の存在を自覚・確認する事だから、他人の仕種に、自分の姿を反映して見てはいけないのだ。
其の意味に於いて、古代社会に「惟神・かんながら」の概念が、生まれたのではないだろうか。
其の様に考えて行けば、今朝のメッセージで示されて来た事が、大事であることが良く理解出来る。
私が、成れない文章を書き始めて、既に七年程に成る。
其れを大きく分ければ、私の頭の整理と、霊界の、鎮魂の役割を果たすものと成っている。
其の両方が済んだのであれば、私は、新しき次元へと、進んで行かなければ成らないのではないだろうか。
其の方向性として、道は二つ有る。
其の一つは、人間社会・世間にドップリ浸かって、現実世界で生きて行く事である。
そしてもう一つは、仙人か、シャーマンの様に、自然の中に住み、孤独な世界で、自分の意識を更に深めて行く事である。
其の、二つの道の、どちらを選択すれば良いのか、今の処は、自分では決められない。
流れとしては、現実世界で暮らす人達との、シンクロ現象が濃密に成って来ているので、全体としては、神のプログラムは順調に進んでいる事は、間違い無い様である。
其の流れに、私も入って良いのか、反対に、だからこそ私は、逆の立場に身を置かなければ成らないのかは、未だハッキリしないのである。
今日の処は、メッセージの場面ではなく、自分の今の心境を、伝えるだけに留めて措きたいと意う。
平成19年5月23日
礒邉自適
2007/3/30
相対的世界
19・3・30
私は、今月3月15日に島に帰ってからは、是までと違い、自宅に一人で生活する様に成ったので、環境が変った所為か、新たな認識が起きて来ている。
其れは、話し相手も居ないし、テレビも無いので、三次元的な人間社会から切り離れているので、思考の邪魔と成る雑念が、生じないからであろう。
誰も客が来ないので、何時に寝ようが、起きようが、全く関係が無いし、自分で炊事洗濯が出来るので、誰の世話をも必要としないので、気遣いも要らない。
其れに、何も自分で行っていないので、自分から作為をしたり、考えたりして、他人に電話を掛ける必要も無いのである。
だから、今は、全くの自由と言う事に成るであろう。
そんな生活の中で、考える事は、自分の存在と、意識の仕組みに付いてである。
此処数日、其の事を考えて居て、認識されて来た事は、此の宇宙は、完璧であると言う理・ことである。
だからこそ、私がこうして存在しているのである。
若し、宇宙が完璧でないとすれば、今の私が存在する分けがないし、私の現在の意識も、有る分けがないのである。
私がこうして、何の仕事もしないのに、何故生活にも困らないで、毎日好き勝手に暮らして行けるのか。
其れは、多くの人の善意に、支えられているからである。
良く考えて見れば、此の状況を造り出し、維持管理をしている其の働きこそ、神と呼ばれている存在である。
宇宙には、確かに、大きな意志が存在して、此の現象世界を支えているのだ。
其のように、此の世界が完璧であると考えれば、自分の為に、あらゆる現象が存在している事に成るのである。
其の点を、しっかり認識すれば、此の世界には、悪と言うものは無く、全てが善・神意識で成り立っている理・ことに成る。
そう考えれば、親鸞の謂う「南無阿弥陀佛」の概念も納得が出来る。
私は、他人には云えない、苦しい心境の人生を送って来たが、其の苦しみに耐えて生きて来たからこそ、今の認識力が備わったのである。
そして、其の結果としての私の考えは、此の世界は、全て相対的に成っていて、其の相対する物の関係性で、思考や認識が生じていると言うことである。
其の、一番のシステムが「道・タオ」のマークで象徴されている様に、雌雄・陰陽の関係性である。
其れを、端的に謂えば、雄は、雌の存在を対象として存続が出来ているし、雌は、雄の存在が無ければ、本来の働きを維持できないと言う理・ことである。
其の仕組みは、草木や昆虫まで、あらゆる生命の中に、組み込まれているものである。
だからこそ釈迦は、其の世界を皆に説明し、其の教えが現代まで「仏・ブッダ」の訓えとして、伝え続けられているのである。
其の世界に、もう一歩踏み込んで行けば、善悪など此の世には存在せず、あらゆるものが調和して、唯一の「今と言う此の瞬間」を、現象化させているのである。
其の様に考えれば、人間が善い答えを導く為に、反対の世界が今、現象化されている事に成るのだ。
若し、社会が良い状態であれば、私の存在は、必要無い事に成り、私の人生は不必要なものであるし、私の両親が屋久島に渡って来て、島で私を育てる必要もなかったのである。
更に、其の元を探れば、第二次世界大戦が起きて日本が負けなければ、私の両親が満州の北京から、鹿児島市谷山町の実家に引き上げて来る事にも成らないし、屋久島に来て住む事も無かったのである。
其れを考えると、第二次世界大戦も必要であった事に成るし、其れが無ければ、此の様な、私の文章を書く事も、起きなかったのである。
其れ等の事柄を考えれば、此の私の認識は、何かに対して、起きて来ている事に成るのである。
其の、私の意識の対象こそ、人間には見えない宇宙の働きである。
私は、其の目に見えない存在対象の為に、こうして働かされているのである。
私がこうして、毎日文章を書いて居られるのも、パソコンとITが有り、毎日読んでくださる方達が、世界に300名近く居るからである。
其れ等の対象が無ければ、私には、文章を書く行為が生まれはしないのである。
パソコンが有って、打てば、文字が現われるからこそ、文章を書く事が出来、其の事に拠って思考が先に進み、言葉が次々に、大脳に生まれて来る。
此の秘密こそが、弘法大師空海の謂う「真言・マントラ」の世界なのでる。
そして、其の原因と成るものこそ、其の理を悟った人が書いた理趣経である。
此の文章が生じるのは、私の脳に、言葉の言語ソフトが有るからであり、其の言葉の背景・業には、是までの私の体験の現場映像が、画像として添付されているのである。
其の、私の体験画像から、今の現象世界に合った言葉が導かれる時、此の三次元世界に「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の力が、及んで来るのだ。
其れが、密教の世界であり、弘法大師空海が求めた本当の世界なのである。
弘法大師空海は「阿字の子は あじの地に還る」と謂って、日本の地が大日如来の体であると考えている。
其の考えからも解るように、人間の認識と、神の意識の間には、日本国の大地や、あらゆる物が必要なのである。
其の事を考えれば、いま此の日本国に有る物は、全て、認識の対象として必要な物ばかりである事に、成るのである。
私の認識作業に必要な物は、全ていま、私の周りに環境として、立ち現れて来ているのである。
そう考えれば、私は何等要求する必要も無いし、自分から作為を起こして、行動を始める必要も無いのである。
寧ろ、自分勝手に、自我意識で行動を始めれば、神が、既に組んであるプログラムに差し障りが起きて、神の動きの妨げと成り、未来創造のブレーキと成るだろう。
私はこうして、毎日「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の現われ身として、其の瞬間を認識し、言語化して行けば良いのだろう。
今日もこうして、文字を打って言葉を紡いだので、事象が一歩先に進んだかも知れない。
平成19年3月30日
礒邉自適
2003/3/1
光を超える信号
15・3・1
私達は、光が、此の世で一番早い速度であると教わって、光より早いものは無いと思い込んでいる。
人間は、光の速度を超えられないので、機械(タイムマシーン)を発明しなければと夢見ている。
では、タイムマシーンは無いのに、どうして神佛は、時間の差を越えて、力を発揮する事が出来るのだろうか。
其処が、不可思議な世界である。
私は、自分の体験から、次の様に考える。
過去は、過ぎ去った時間(もの)であり、消え去ってしまっているので、戻る事は出来ない。
有るのは、物語として残された、情報だけである。
ただし、例外は有る。
過去の情報を取り込んで、其の情報通りに、質量(エネルギー)を一次的に集め(プログラム)、現象化(復元)する事は可能である。
しかし、其のようにして出来た世界は、現在の世界に、負荷を掛ける事に成るので、長続きはしないものである。
それは、現在の世界の、情報力(プログラム)に負けて弱くなり、消えて行くからである。
それにも、例外が有って、神の意志が働けば、現在の世界の状況より、強い力を持つので、未来へ影響を与える事は有る。
現在を生きている人間でも、霊力がある者は、物質を、空中から取り出したり、病人の病気を治したり出来るが、それは、其の人だけの力であり、永続性は無い。
人間は、肉体を失ってからでも、霊界から、現世に係わりを持つ事が、出来るのである。
例えば、幽霊の話しがある。
幽霊は、過去の時代を生きていた人達だが、情報さえ集中出来れば、此の世の質量(水分子など)を集合させて、姿を現す事が出来る。
しかし、其れも、現代人が活動する昼間とか、人間が多数集まっている場所では、人間の意識の力に負けて、エネルギーを集める事が出来ないので、姿を現す事は出来ない。
其れは、現代人の意識の力の方が、過去の人達より、エネルギーが強いからである。
霊界人は、自分で事を起さないで、何故、人間に依り憑いて来るかと言うと、肉体を、現象化させるだけの力が無いので、自分の意志を、人間の肉体に移し込もうとするのである。
人間側も、自分の能力に自信が無い者は、神社やお寺に行って、自分より優秀な能力の霊が、依り憑くように頼みに行く。
言い方を替えれば、現代人の方が、過去の人達の魂を、受け入れてあげないと、過去の人達は、活動が出来ない事になる。
では、現代と過去の情報は、どのように繋がっているのだろうか。
それは、一言で云えば、螺旋の構造だと、言う事が出来るだろう。
例に採るなら、生命のDNA・遺伝子の構造が、一番分かり易いだろう。
それは、糸状に繋がっており、螺旋構造に成っている。
其の事には、古代の人達も気付いており、エジプトのアークの杖の蛇や、日本の神社の注連縄も、其の意味を伝える物だ。
過去の世界(時間と空間)は、螺旋状に現代に続いているので、遺伝子の螺旋の形は、其の証拠として捉える事が出来る。
人間の肉体も、他の生き物も、同じ遺伝子を元にして、生命を持続している。遺伝子の仕組に、情報をもたらしている者は、何者なのか、其れが謎なのである。
遺伝子は、何処からか、信号を受け取っているのだ。
それは、光の速度を超えた、何かの信号である。
遺伝子を、長期的に考えると、遺伝子は、代々の世代を超えて繋がっているので、先祖代々と同じ螺旋上に、位置していると言えるだろう。
世界中の民族が、何故、先祖の霊魂を大事に祭っているのか。
其れは、先祖の生きた時間と知識を、自分の力にしたいと考えるからであろう。
現代は、過去の時間と、歴史を土台としている。
自分の血筋の土台が、しっかりしたものであれば、自分達も、しっかりと自信を持って、生きて行く事が出来る。
だから、先祖の情報を、自分の記憶として用いようと考えれば、其の祖先への螺旋階段を、下りて行かなければならないのだ。
螺旋の空間と、情報の螺旋の糸を、同時に蓄えているのが、アカシックレコードと呼ばれているレコード盤と、情報(ゲノム)が記憶されている、螺旋状の溝である。
私達は、音楽の世界で、過去に作曲された、名曲の演奏を聴きながら感動し、明日への糧としている。
其れと同様の事が、文化でも文明でも行われているのだ。
特に、霊的世界では、目には見えないからこそ、其の事が、真剣に考えられなければならない。
現代よりは、昔の社会の方が、その事に対して、真剣に取り組まれていたのである。
自分の先祖の墓がそうだし、部族の代表の墓が氏神様として、村の守護神とされて、社の周囲には樹木が植えられ、鎮守の森とされて来たし、その延長線上に、国の守護神として、天皇家の代々の御陵が祭られて来た。
天皇家の祭り事が、日本最大の、霊的アカシックレコードと言えるだろう。
自分の子孫が、代々増えて行く事は、自分から、螺旋状に血筋の分化が拡がって行く事でもある。
其れを逆に捉えれば、自分の先祖を、螺旋の中心に絞り込んで行く事が、出来る事にも成る。
現在の研究では、全人類の先祖は、中央アフリカの、たった一人の母に辿り着く事が、DNAの調査で判明したとの事である。
そして、また地球の生命体全部を遡れば、38億年前の、同一の遺伝子に辿り着くとの理・ことである。
私達の生命は、全体が、或る一つの信号を、共有している事に成るのだ。
其の信号は、あらゆる生命を網羅する情報を、蓄えている事になる。
その信号に、アクセス(同調)出来、情報を得る事を「目覚める」「ブッダに成る」と表現している。
では、私達はどのようにして、其の信号に、アクセス出来るのであろうか。
それには、自分の意識を、何処に向ければ良いのかの、指針を探らなければならない。
私達の、日常の意識は、衣食住や、金や、家族や、異性などの、社会生活に向かっている。
その意識の向きを、自分の存在自体に、向けなければならないのだ。
自分の肉体は、どうして出来ているのか、自分の考えや思想は、何処で何時、組み上がったのかを、反省(かえり見る)しなければならないのだ。
漢字の「省(正しくは生+目の組み合わせ)」の意味は、「反り見る目を生じさせる」と言う事である。
人間も、全ての物質も、宇宙に生じた、光のエネルギーから生れて来た理・ことは、万民の認める処となった。
でも、途中が見えないので、理解が難しい。
自分と、鉄や岩石が、同じだとは想えないし、ゴキブリや蛇が、自分と同じ生き物だとは、想いたくないのである。
では、どうすれば、その溝を埋められるであろうか。
皆が、納得できる段階を、共通イメージとして持つ事が必要であろう。
其れは、卵子と精子の次元で、イメージを組み立てれば、良いのではないだろうか。
小鳥や草木まで、全て、卵子と精子の仕組で出来ている。
ゴキブリも、蛇も、交尾をして卵を産む。
其の事は、人間と一つも変らない。
その営みは、数10億年、永々と続けられて来ているのである。
そして、其の行為が、一回でも途切れた物は、此の世には、存在いていないのである。
私達の意識は、念うだけで、数10億年前の情報を、瞬時に思い出す事が出来るのである。
何故なら、現代を生きる私達の肉体に、その情報は現存するからである。
螺旋構造は、外側の未来に向かえば、拡散して行き果てしなくなるが、内側に向かえば、瞬時に中心点に辿り着く事が出来るのである。
だからこそ、蝸牛(でんでん虫)でも、数ヶ月で一人前になれるのである。
蝸牛の体は、外側に向かって大きく成って行くが、意識は、過去の内側に向かっており、自分の記憶情報に、忠実に従っているのである。
私達人類の精子も、頭は精巣細胞に付けたまま、尻の方に大きく成長し、成長が済んだら尾を出して、頭を切り離し、向きを替えて、精嚢へ下りて行く。
そして、雌の体に入ったら、今度は尻尾を螺旋運動させて、子宮を進んで卵子に行き着いたら、頭を卵子の中に侵入し、尻尾を切り離してしまうのである。
其の、雄の精子の行動からも、理解される様に、自分を成長させるには、頭を、過去の方に向けていなければならない。
何故かと言うと、過去の情報の方が正しい情報だからである。
根本原理とは、その様な、根本を中心とするものを言うのである。
現在の社会は、教育も、マスコミも、経済も、皆、外向きに頭を向けているので、糸の切れた凧の様に、風下に向かって、吹き飛ばされている状態と言えるだろう。
誰も、根本の情報を持たないまま、あらゆる方向に拡散しているのだ。
魂だけが、根本の処から離れるだけならまだ良いが、魂が、食欲などの煩悩に負けてしまっているので、体に良くない防腐剤・添加物・保存料・着色料等の化学物質を取り込んで、精子や卵子の遺伝情報を狂わせて、多くの奇形児を発生させている。
精神的にも、肉体的にも、本質の処から、離れてしまっているのだ。
特に、我々近代社会の人間は、身も心(魂)も根源的な情報を、失ってしまっていると言えるだろう。
イエスキリストの言葉に、「その時には 一番先の者が 一番後になる」と有る。
根源から外れている者は、進んでいる様に見えるが、中心から一番、外れていると言う理・ことに成るのである。
私達が、向かっている未来とは、過去に存在した、真実の源に、意識が辿り着く事である。
私達の、意識の方向を、体の向きに例えるなら、私達は、宇宙の外側に向かって、後向き(バック)に拡大しながら、飛び続けている事になる。
つまり、目にしているのは、通り過ぎた過去の世界の景色を、目の前にしている事になる。
私達は、背中にではなく、内側の腹の所に、未来を重ねている理・ことに成るのだ。
其の姿は、エジプトの宇宙観を表現する絵にも成っている。
私達の魂は、世界を内側に抱きかかえていて、背は、宇宙の外側に向いているのだ。
この様な意識が、持てると言う事は、我々の意識の信号は、光の速度を超えているからである。
私達の意識(魂)と肉体が、何故、存在出来るかと言うと、光の速度やエネルギーに吹き飛ばされないで、質量を固定出来ているからなのだ。
自己意識ではなく、大きな意識が、存在を保っている事になる。
つまり、私達の意識の方が、光より強いと言う理・ことになる。
光は、磁力に因って進行方向を曲げられてしまうが、私達の意識は、其の磁力を出して、物質の持つ磁気に、影響を与える事が出来るのだ。
現に、私は、自分の肉体から放出されている磁気を使って、屋久島の石英の鉱脈に同調させて増幅し、気象を変えた事が有る。
此れは、科学的にも証明されている。
石英は、水晶の仲間であり、王様の儀式に使用される翡翠(玉・ぎょく)も同じ仲間である。
屋久島は、花崗岩の島なので、回路さえ見付かれば、後は、自分の気・エネルギーを高めて増幅させ、花崗岩を振動させる事が出来る。
屋久島の花崗岩は、石英だけではなく、黒雲母を多量に含んでいる。
石英が、エネルギー(宇宙線)を貯えて放出する事は、医学の世界でも知られており、ホルミシス(Hormesis)効果と言って、利用されているらしい。
私が19年前、屋久島の岩で、自分を治療した事は、古代の人達には当然の事で、其の事に精しい霊が、私を導いてくれたのであろう。
ストーブや、百円ライターが、カチッと音を立てて発火するのは、金属で、石英に衝撃を与えた瞬間に、数千ボルトの電流が発生する、圧電効果によるものである。
私が、白い石英の鉱脈の上で、瞑想をすると、岩が弾け飛んだり、鉱脈の傍の草が焼け焦げたりした。
当時は、どうしてそうなるのかは分からなかったが、今では、私にも其の理由が段々と理解されて来ている。
中央アメリカの、アンデスに在る「ティティオワカン(神々が集まる場所の意味)の神殿であるピラミッドの上部には、一辺27メートルも有る正方形の雲母のシートが二重に敷かれており、其のシートに使用されている雲母は、3200キロメートルも離れた、ブラジルから運ばれた物だとの事。
雲母には、カリウム、マグネシウム、リチウム、マンガン、チタニウムも含まれているらしい。
屋久島の山々は「マツバンダ(中国雲南省の言葉で『神々(賢者)の集まり』)」と古い民謡で唄われ、「金の蔵よりまだ宝」と伝えられている。
雲南省は、翡翠の産地でもある。
何か、同じ意味が、伝えられているのではないだろうか。
古代の人達は、現代の様に、貨幣経済で生きていたのではなく、神と如何に調和するかが、一番の問題だったのである。
神と、人間との、接触に欠かす事が出来ない物が、石英や雲母を含む花崗岩だったのであろう。
光を超えて、暗黒の向うに存在する「神」に接触する為に、神殿と岩が必要だったのだ。
花崗岩で出来た神殿に眠れば、意識は、螺旋のトンネルを通って、源初の記憶に辿り着く事が出来たのであろう。
私の産れ育った家は、コンクリートブロックの建物で、花崗岩の砕けた砂で出来ており、水は、タングステンの採れる山から、竹の樋で引いていた。
其の環境に、因るものかどうかは分からないが、私は小さい時から、床に入って眠ろうとすると、瞼に、銀色の粒子が集まって来て、螺旋のトンネルが出来、その中に吸い込まれていた。
最初の内は、其れが怖くて悲鳴を上げるので、父親が胸に抱きしめて、寝かせてくれていたが、段々とそれにも慣れて来て、トンネルの中に入っていく事が出来る様になった。
現在の、映画に出て来るタイムトンネルと、格好も色も良く似ている。
トンネルの奥に辿り着くと、声が聞こえたり、未来の映像が、見えたりする様になった。
小学校の6年生の時、ロシアのチェルノブイリの事も見えたので、小学校の卒業式の時に、舞台の上で其の事を云っている。
其れに、大きく成ったら、全国の旅をする事も知らされていた。
是らの事が、古代人にとっては、当たり前の事だったのではないだろうか。
私が、トンネルを潜るのは意識だけであり、肉体は、此の世に置いたままであるので、タイムトンネルを旅するのに、タイムマシーンは必要ない。
物質的には、過去の世界は存在しないのだから、物が直接、過去に移動する事は出来ない。
しかし、過去の物質を、現在の世に取り出す事は、そう難しくは無い様だ。
物質は、全て、現在の世界へと変化して来て、現存するのだから、過去の情報を取り出して、其の情報通りに、質量を組み替える事は可能である。
幽霊は、其の事を実行しているし、神霊も、現代人に存在を知って貰う為に、その手法を能く使っている。
イエスキリストは、特に、其の力が強かったようである。
イエスキリストは、光(水素原子エネルギー)で出来た世界を、自分の意志で発生させた磁気エネルギーに拠って、変化させていたのだ。
それは、一番神の世界に近い手法である。
私も、19年前に、神の世界に入った最初の頃は、其れと同じ事が、度々起きていた。
今は、意識レベルが上がって、宇宙全体の、情報の整理に協力しているので、人間社会に対する三次元の奇蹟は、何も無い。
其れは、私が、此の三次元の相対的な世界には帰らないだけの、神への信頼を強めたまま、意識を維持出来ているからであり、私の意識は、家族や人間社会からは外れて、屋久島の自然の花崗岩に繋がっているからである。
人間社会の、仕組や言葉は、人間の錯覚の世界である。
特に、紙幣や株券、証券等は、集団錯覚で成り立っている物だから、此の世で一番不安定なものである。
私の意識の対象は、屋久島の花崗岩の山々と、それを支えている地球と、地球を在らしめている、宇宙のシステムである。
光を超えた、目には見えない情報の世界が、現在の私の意識の的である。
其処から出て来る信号こそ、「霊止・ひと」としての、人間の最大のテーマなのだから。
万物の霊長との自覚と責任において
平成15年3月1日
礒邉自適
2003/3/1
二人称
15・3・1
「二人称」の文章を書くと、精神科医に、精神分裂病と診断されるが、西洋式に「客観的に述べれば」「主体的に述べれば」と、前に付して話せば、「理論的な人」として容認される。
「普遍的に」とか「個人的に」とか謂っても、同じ事だろう。
しかし、それでは詞にはならない。
私が、筆を手にして出る言葉は、どうしても、二人称に成ってしまう。
其れは、自分の考えとは、別の者の言葉が、頭に浮かんで来るからである。
私が、一度でも、精神科医の門を潜れば、私は間違いなく、精神病患者のお墨付きを、貰う事が出来るだろう。
医者の前で、「4300体もの霊が 私の体の中に入り込んで 手足や口を勝手に使う」と云ったら、間違いなく変いと思われてしまう。
天理教の「中山ミキ」や、大本教の「出口ナオ」が出現した時代は、病院も少なく精神病院も無かったので、医者に連れて行かれて、注射を打たれたり、薬を飲まされたりする事は無かった様だが、現代では、自分の身内にその様な人が出れば、間違いなく病院に連れて行かれてしまう。
私も、19年前、その寸前迄行ったのだが、私は、暴力を振るう分けでもなく、人前で裸に成ったりする事も無かったので、病院には掛からないで済んだ。
今考えると、聖霊が憑依していなければ、とても出来ない行動だと思える。
もう一度、あの時の様に再現して見ろと言われても、出来ないのではないだろうか。
19年前は、荒野での修行が主だったので、文章は書いていない。
書いても、4311人もの霊が住んでいては、私の体を使用するにしても、混乱が激しくて、通常の文章には成らなかったであろう。
二人称どころか、何十人称に成って、それこそ、支離滅裂になったであろうと想われる。
私は今年に入って、自分の頭の整理が、進んでいるのだと思う。
今日から3月だが、1月・2月と、二ヶ月間ほど、文章を書いて過ごして来た。私が書いている文章は、小説等を書いて、文筆業で生活を立てよう等との事ではないので、自分の想像力を逞しくするのではなく、自分の脳の整理の為だから、精神的な整理が済んで、脳が静かに成れば、それで良いのである。
今の処、その作業は順調の様で、男性の声は聴こえなくなり、とき折り女性の物言いが出て来るだけと、成って来た。
何故、女性の声なのかは、能く分からないが、私が男性だから、陰陽の法則で女性として現れるのか、宇宙が、母性原理で働いているからなのかは分からない。
若しかしたら、これからは宇宙が、2000年間「水瓶座・アクエリアス」の時代に入るとの事なので、女性中心で、霊界が動いているのかも知れない。
私に、近頃出て来る言葉は、私を休ませようとの事が多い。
19年前は、男の声で「地球を救え」とか「世の中を正せ」などの、私を行動に走らせる言葉が多かった。
それが、18年間全国を回って、用意が整った所為かどうかは分からないが、男性霊が静かに成ったと言う事は、安心して良いのかも知れない。
私の、二人称の文章も、もう直ぐ終りを迎えるのだろうか。
平成15年3月1日
礒邉自適
2003/2/1
佛陀の祷り
15・2・1
本日は、珍しい日である。
新暦の2月1日と、旧暦の1月1日が重なって、一ヶ月違いの月初日である。
新暦2月1日と、旧暦の1月1日が重なるのは、前回が1919(大正8)年なので、84年振りの事であるらしい。
昨日「済(わた)す」との文章を書いたが、夜に風呂に浴って居ると、釈迦の憶いが見えた様に感じた。
17年前頃「私は シャベリたくはなかったが 後世での 貴方の為に言葉を残したのだ」との意味の、メッセージが有って、その謂い方から「ゴーダマ・シッダールタ・釈迦牟尼仏」の様だったので、「お釈迦さん」も、本当はシャベリたくなかったのだと感じていた。
18年前、私の体を借りに降りて来た霊界人達は、4311体だとの事だったが、誰一人として、名前を明かさないので、父親以外の名前の確認は、出来なかった。
其の4311体の霊魂達が、私の肉体に入り込んで行動するので、其の動きの内容から、誰なのかを憶測するしかないのだが、お釈迦さんは、もう悟っているから業・カルマが無いので、する事が無かったのか、其れらしい感じは、短い言葉だけであった。
其れが、昨夜、風呂に浴って瞑想していると、意識が動き出して、イメージが現れて来た。
其の内容と映像から、見ているのは、私自身ではなく「釈迦牟尼仏」の様に思われて来たのである。
お釈迦さんは、インド(ネパール)の釈迦族の生れで、名前は「ガウタマ・シッダールタ」だったとの事。
釈迦は、29歳で悟りを求めて家を出て、荒野で6年間修行を続け、35歳の時、宇宙意識に覚醒して「覚者・ブッダ」に成り、成佛出来たと言う事である。
そして、成佛してから45年間説法を続けたと伝えられている。
35歳から80歳迄(前566〜486)何を考えていたのか、誰も、真実の処は分からないのであろう。
何故なら覚醒した者は、宇宙の真理を捉えているので、余計な事を謂はないからである。
本当の理・ことは、宇宙の法則に反する事に成るから、言葉にしないので、誰にも分からないのである。
「仏・ブッダ」は、其れを言葉にする事はしないが、自分の想いが、宇宙に反映する事は知っているので、意識を集中して、未来を意うのである。
そして、自分の企画がイメージ化されて、新しい人類の社会に、投影されて来るのである。
だから、釈迦のイメージが投影されているのが、現代社会と言う事に成って来る。
もちろん、現代社会が釈迦のイメージだけで出来ていると言う分けではないが、釈迦の憶いが、人間の深い意識の層を占めていると、言いたいのである。
私の、肉体を借りに来た霊界人だけでも4311体居たのだから、それだけの人々の御魂が、現在の人間社会の活動に、其々、何等かの影響を、与えているのだと考えられるのである。
しかし、一歩考えを進めれば、4311体の御霊を動かしているプロデューサーは誰かとの、疑問が涌いて来る。
4311体もの御霊を動かすとなると、相当の能力を有した者でなければならない。
4311体の霊界人は、皆 強い意志を持っていればこそ、霊界に存在するのだから、監督が余程優秀でなければ、云う事を聞かないだろう。
それも、釈迦の存在した時間帯から2500年も経過しているのだから、2500年間の時間も、制御しなければならない。
釈迦が、全てをイメージしていると考えれば、2500年間の時間と、全宇宙を舞台として、創作活動をしなければならないのだ。
其れ等の事が、本当に可能であろうか。
可能だとすれば、どういうシステムで管理運営出来るであろうか。
現在の人間社会で、4300人もの人間を管理しようとすれば、一人では無理であろう。
4300人の人達が、地球全域に全て散ってしまえば、肉眼で見て追い掛ける事は不可能である。
昨夜の、私の感じ方からすれば、釈迦は肉眼で見ているのではなく、目は閉じていて、霊夢の様に映って来る、霊界のスクリーンを見ているのである。
霊界のスクリーンには、一切の動きが映されており、自分に関する大事な出来事は、自動的に映されて見えて来るのである。
其の次元は、チャンネルは必要ないので、手を動かす必要もない。
ただ、瞼に映って来る映像を見ながら、自分の意ったように、映像を変化させて行けば良いのである。
其の、天界の幕に映る映像は、現実の人間社会の無意識層に、影響を与えて変化を起すのである。
それは、人間の行動だけではなく、森羅万象まで影響を与える事になるのだ。
では、釈迦牟尼仏の瞑想・いのりの範囲が、何処まで及んでいるかを考えると、2500年の時間の中には、イエスキリストもマホメットもキング牧師も入っているし、思想的に捉えれば、聖徳太子、空海、最澄、親鸞、日蓮、一休、良寛、宮沢賢治までもが、その中に入っている事になる。
私の存在自体も、釈迦の、瞑想の産物に過ぎないのかも知れないのだ。
釈迦が2500年前、瞑想して観たものは、2500年後の無明の世の中である。
そして、其の無明の世の中に、自分の弟子であった「マイトレーヤー・弥勒」が菩薩と成って転生して、衆生を済度する映像である。
其れが、本当であれば、釈迦が見ていたテレビは、未来の事までが、映っていたらしい。
釈迦が、見ていたテレビ番組の製作者は誰で、放送局は何処に在って、カメラマンは誰なのだろうか。
釈迦が云うには、釈迦以前にも、其のテレビを見ていた者達が存在し、私は其の存在から、何代も後だとの説明している。
釈迦よりも、何代も前と言う事は、2500年×複数年だから、何万年も前から、其のテレビ放送局も存在し、カメラマンも居た事になる。
と言う事は、現在も、其のテレビ局は存在し、我々の背後には、何時も、目には見えないカメラマンが居て、46時中、私達の映像を、霊界のスクリーンに送り続けている事になる。
私が、毎日見ている夢は、其の放送局からの電波・霊波を、私の脳が端末と成って、受け取っている事になる。
そうであれば、昨夜は風呂の中で、水の振動波を使って、釈迦の瞑想の映像に侵入した事になり、私は、釈迦の2600年の祈りを、覗き見た事に成ってしまう。
佛教の中には、「この世界(宇宙)には 永遠のブッダが存在して、瞑想・いのりを続けている。」との教えがある。
釈迦は、其の永遠のブッダに、同化したのだろう。
私も、其のブッダの瞑想を、昨夜、垣間見たのかも知れない。
平成15年2月1日 旧暦1月1日
礒邉自適
2002/8/2
Oライン
14・8・2
我々の住む、此の地球には、人間の都合上、縦横に線が引かれている。
縦線は「経度」で、地図上には横に数字が書き込まれている。
0度がイギリスのロンドンで、旧グリニッヂ天文台の地であり、世界の時刻(標準時)も此処が中心と成っている。
ロンドンから、西へ「西経 何度」と読まれ、180度まで、東へは「東経 何度」と読まれ180度まである。
ロンドンの真裏側が、フィジー辺りで、両方の180度が合わさる場所となっている。
日本は、ロンドンから東へ135度の所が、兵庫県の明石になるので、日本の標準地とされ、日本時間は明石が標準地とされている。
ロンドンより9時間早い一日の始まりである。
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロは西経45度に位置し、ロンドンより丁度12時間遅れて一日が始まる事になるので、日本より21時間遅いと言う事になる。
「緯度」は、赤道が中心で、上が北緯何度、下が南緯何度と呼ばれていて、地図上では、数字は縦に書き込まれている。
明石は、北緯35度辺りに位置する。
経度と、時間と日付が、イギリスが中心と成っているのは、システムが考えられた頃、イギリスが海の覇権を有しており、航海地図をイギリスが先に作ったからではないだろうか。
イギリスから見れば、日本は一番東の果ての小国であり、遠い国だったのである。
「経度」は、イギリスのロンドンが0で中心であるが、「緯度」は赤道が中心で太陽の通過点だから、人間の勝手で決められるものではなく、自然の法則の一つであると言えるだろう。
太陽の上下に因って、暑くなったり寒くなったりするので、緯度は季節や温度に関すると考えて良いだろう。
私が、何故この様な事を書くかと言うと、第三の線を地球上に示したいが為である。
経度は「日付と時間」に、緯度は「季節や温度」に関係が有る事は、既に述べたが、精神的に関する位置と、数字が、未だ刻まれていない。
歴史を観ると、王様が都を移す度に、政治や宗教の場は移動する。
現在、存在する聖地は一宗派のものであって、経度や緯度の様に、世界共通のものではない。
しかし、過去の情報を収集して見ると、世界中の人々が、北を意識のセンターと、考えていた事の証拠が澤山ある。
インドの釈迦牟尼佛は、北枕で「涅槃・ねはん(梵nirvana)」したので、北門が涅槃門として呼ばれている。
中国の「道・タオ」では、北が玄と呼ばれ、帝・天皇の守護神「玄武」が、北の守り神である。
日本でも、神棚は北側に設置され、南を向いている。
だから、人間が神棚に手を合わすと、北に向かう事になる。
アステカの暦も、北が葦の印で、始まりと終りの接点に成っている。
時計も、分度器も、磁石も、北を0度として作られている。
人間の意識は、どうして北を中心として捉えて来たのだろうか。
その理由は、北極星を中心に、星が回転している事も作用しているだろうが、其れだけではないと考えられる。
其れは、地球の磁気が、南北に通じているからではないだろうか。
渡り鳥も、イルカも、クジラも、地磁気が無ければ移動できないだろう。
其の磁気力が、理解出来る「磁力」は、数百円で店に売っている磁石を買って来れば、誰でも、何処ででも、其れを確かめる事が出来るのである。
地球上なら、何処でも磁力は働いているのである。
其の磁力線の影響は、地球誕生時から有るものだから、地球に誕生した生命は、全て、其の力の影響下にあると言えるだろう。
私達人類を含め、地球上の全ての生き物は、その磁力線の影響を受けながら存在し、進化して来ている。
何物も、この影響力から逃れる事は出来ないのだ。
だからこそ、私達は、人間とは何なのか、生命とは何なのかを追求して行けば、この力へと向ってしまうのである。
向かうと言うより、引き戻されてしまうのである。
私達の、潜在意識とか無意識の世界は、この地球の磁力の情報下の内にあるのだ。
現在のI・T社会のコンピューターは 皆、磁気情報に因って動いている。
ビデオの映像も、音楽の音も全てデジタル化されて来た。
針や、振動(波)を利用するのではなく、全て、磁気の情報に置き換わってしまうのである。
人間の、脳も身体も、全て電気(磁力)に因って動いている理・ことが、科学の発展で解明されて来た。
医療や、哲学も、最終的な結論を出すべき時期に来ている。
人間が、科学、化学、宗教、芸術、経済など、あらゆる事の思索を練るのも大脳であるが、その脳が一番のデジタルな仕組みである。
其の脳の機能が解明され、遺伝子の役割が明らかになる事に拠り、生命の仕組みや働きが明らかになって来た。
釈迦の教えや、中国の易の世界も、科学的な説明が、可能な時代が来たと言えるだろう。
私も屋久島を、宗教的にではなく、科学的に調査、分析を始めている。
屋久島は磁力の強い島である。
全島が、花崗岩で出来ており、2000m近い山々が連なり、人間の邪・よこしまな想念は、モノともしない力が残っている。
其の屋久島の真北に位置するのが、一湊の矢筈埼の鼻である。
この埼から、北へ一直線に、開聞岳(開聞神社)→ 芦北→ 宇土→ 玉名→ 久留米(水天宮)→ 大宰府(天満宮)→ 宗像(宗像大社)と続いており、北はロシアのベルホヤンスク山脈を通って、ティクン市からウラプテフ海に抜けて、北極へと至っている。
南は、屋久島平内の大崎川から、沖大東島の西を通り、ニューギニア島の西鼻のワイゲア島を通って、オーストラリアのメルビル島から中央の(ナント・アボリニジの聖地)エアーズロックを通って、グレートオーストラリア湾へ抜けて、南極のグッドイナフ岬の右側(スランス基地)寄りを通って、南極点へと向っている。
この経線は、東経130度30分0.14秒の、屋久島一湊灯台(矢筈崎灯台)の位置を、地図上で線を引いての事なので、少しの狂いはあるだろう。
そこの処は、大目に見て貰う事にして、一湊灯台の緯度は北緯30度27分54.28秒である。
西の方へは、中国杭州・成都→ カイラス山→ インド・プーナ→ ヨルダン→ カイロ→ カナリア諸島→ 大西洋となり、東へは伊豆諸島の島々から、カリフォルニア半島の付け根近くを通って大西洋へと抜ける線が、だいたい同緯度である。
緯度の存在で、世界の同緯度の地名が分かり、気温の予想もつく。
北緯30度27分の位置は、あまり暑くもなく、あまり寒くもないが、四季のある処の様である。
世界に、名の知れた聖者・老子、釈迦、イエスの誕生地は、大体に於いて、此の線上の様である。
余り暑いと、頭は働かないし、余り寒いと、生活が厳し過ぎるので、ゆっくり思考している余裕が無くなってしまう。
だから、緯度としても屋久島は、丁度良い位置と考えられる。
また 経度の縦の線上には、南にはエアーズロックが存在し、九州には水天宮、天満宮、宗像大社と全国の本宮(もとみや)が一直線上に並んでいる。
これ等の事に、何かのエネルギーを感じるのは、私一人ではないだろう。
特に、日本列島最南端にそびえる薩摩富士・開聞岳は、その名のごとく門の位置に存在するし、神社の名が「ひらきき神社」で、岩門開きには一番名前が相応しいではないか。
私は、此の130度30分の経線を、意識の0線としたいと想うのである。
私の18年の体験から、その様な力が働いており、天の意思がそうする様に私を動かして来たと思えるのである。
其れに付いては、現実的な物証もあるし、私の体験からの説明も、出来る状態になっている。
「東経130度30分ラインの神社」http://blog.livedoor.jp/miitsuline/
此のラインを0点と定めて、人類の目覚めの足掛かりとしてはどうかと、私は想っている。
人類が、文明に行き詰まりを見せている現在、何か、新しい価値を見出す為の、起爆剤が必要である。
現在、時間の0線は有っても、意識の為の基準線は設定されてはいない。
日付と時間の線は、人間が決めたものである。それならば、意識のセンターも、人間が決めても良いのではないだろうか。
0の地点が決まれば、其れから後は、器具にての計測が可能だから、自分の居場所は、おのずとハッキリする事が出来る。
私は屋久島に帰るまで、二年間は四国の愛媛県の中山町に住んでいた。
その中山から、真北が出雲大社であり、途中の横田の稲田姫神社も線上に在り、南は足摺の「大月神社(役行者が定めたと伝えられている)」を通っていた。
出雲大社と、大月神社を通る線が、何度になるのかは分からないが、地球儀にもう一本色の異なる線が引かれるのも、楽しい事ではないだろうか。
家の中の神棚や、神様の居ない神社で祈るよりも、地球をイメージしながら、地球の「磁力(アース)」と一体感を持つ方が現実的であり、理にも適っているのではないだろうか。
北へ向って祈る事は、宇宙の中心、銀河の中心に向って祈る事でもある。
新しい時代は、精神的にも宇宙レベルでなければならない。
墓石や、位牌は、人間の先祖の霊を供養するものであって、自分の目覚め(サトリ)とは関係ない物である。
寧ろ、徳の無い先祖であれば、災いの元であり、その様な先祖を持つならば、尚更、今世の自分が、宇宙意識に目覚めて、先祖の霊を成仏させなければならない。
其れが、釈迦牟尼仏の教えであり、イエスキリストの教えでもある。
人間の心は、弱いものである。
だからこそ、神棚や仏壇を設けて、お札や仏像を設置して、心(意識)を縛り付けてきたのである。其の長い呪縛から、逃れる為には、新しい意識の対象が必要である。
地球の磁気力が、自分の意識のセンターとなれば、地球上何処に出向いても、其れは何処にでも存在するものである。
開聞(かいもん)岳に、「枚聞(ひらきき)神社」が存在する事は、神の準備なのであろう。
屋久島の「矢筈崎」とは、新しき意識の矢を筈に当てて、飛ばす所なのではないだろうか。
屋久島の、「矢本岳」の麓で産れ育った私が、意識の矢面(表)に立たされたのも、何かの一大事因縁の成せる業であろう。
何れにしても、2002(平成14)年6月9日11時丁度に、矢筈御崎での儀式は終っている。
今後、私が謂っている事が、現実化するかどうかが、私の今回の人生の目的であろう。
何事も、最初は一人で始まる。私が一人でも続ける事が大事である。
地球の女神(ガイア)と一体となり、太陽と月に見護られながら・・・・。
明日は、両親が屋久島に渡った56年目の記念日である。
私が17歳の時に、49歳で亡く成った父親も、此の事に関わっているのであろう。
平成14年8月2日
礒邉自適
2002/6/2
大本教と天理教は何故成功したか
14・6・2
大本教からは、世界救世教、生長の家、オイスカ、天行教、白光真宏会など、他にも幾つか分派している。
そして、天理教からも、モラロジーの「広池千丸郎」他が生じている。
「大本教」や、「天理教」が大きく成れたのは、中心の働きが女性だったからではないだろうか。
女性が中心であれば、男性の反発性や闘争心が起こらない。その点、男性が中心であれば、男性同士は「陽・プラス+プラス・陽」なので、どうしても反発が起きてしまう。
大本教の「出口ナオ」と、天理教の「中山ミキ」は女性なので、周りには男性が集まり易かったのであろう。
創価学会が大きく成ったのは、三代目の池田大作氏が、女性達を上手に動かして、会員を集めたからであろう。
創価学会が分派しないのは、大本教や天理教と違って、大きな人物が、幹部の中に参加していないからではないだろうか。
地球上の獣は、殆んどが、力の有る雄は群れから離れて、一人立して行く事で存続を保っている。
其の点から言えば、大本教は人材が集まった所と言えよう。
聖徳太子は17条の憲法を創り、第1条に「和をもって尊し」と謂っているそうだが、其れは何故かと言うと、「和」を保つ事が、一番難しいからであろう。
人間社会は、和が保たれていれば、後は、何とか上手く運んで行くものである。聖徳太子は、女性が中心である方が上手く行くので、女性の天皇を表に立てて、政治を行ったものと想える。
其れ迄の、社会システムの「帝・スメラミコト・天皇・大王」は、男性でなければならなかったのに、聖徳太子が其の掟を破ってまで、女帝を擁立したのには、それなりの考えが有っての事だろう。
女性の王が良いのか、男性の王が良いのかを、考えて見れば、平和な国では女性が中心であり、戦争が絶えない国は、男性が中心で動いている様に想われる。日本でも平安時代は、女性が文化の中心になっていた様な時も有ったらしく、男性が女性の家に通っていたらしい。
話しは余談だが、NHKのテレビ番組で、アフリカのチンパンジーの生態を調べた放送が有った。
コンゴ川の、右岸と左岸に住むチンパンジーが、肉食をするか、しないかで、生態が異なると言うのである。
肉食をする方は、父系社会で闘争があり、肉食をしない側の「ボノボ・ピグミーチンパンジー」は母系社会で、雄は雌に甘えて、静かに暮らしていると言うのである。
「ボノボ」http://www.shc.usp.ac.jp/kuroda/reconsider.html
其の例からすると、人間社会の父系社会も、肉食文化の影響かと想われて来る。
草しか生えない蒙古の文化は肉食だが、ジンギス・ハーンの行動を見ると、男性の業丸出しの様に想えて来る。
現代社会の流れを見ると、環境保全と生活習慣の事を、真剣に考えなければならない時に来ているのは、万民が認める処である。
インドとパキスタン、アラブとイスラエル、北朝鮮問題を見ても、全て男性性の業が原因である。
女性を、中心とした生活文化を、組み立てなければならない時代に、至っていると想われる。
ジャンヌ・ダルク的、女性ではなくて、「アクエリアス(水瓶座)」に相応しい女性を中心にして、新しくて、しかも伝統に基づいた文化を、築く必要に迫られている。
其の新しき流れを起こす為に、今回、屋久島の矢筈岬に於いて、6月9日に儀式を行う。
其れから、何が始まるか、神のみぞ知るである。
平成14年6月2日
礒邉自適