2016/7/11
ひとのいきかた
28・7・11
今朝の映像に映し出されて来た、舞台の垂れ幕(緞帳・どんちょう)に書かれていた文字は 舞台裏の人間の生き方や自然の有様を、幕に影法師として、文字で映し出されて来るのを、客席から見ている場面とも言える。
だが、映画館で言えば、私の意識の立場は、映画を上映する映写機のレンズの場所・位置に在ったので、私の書いた文章が、映像にてスクリーンに映し出されていたとも考えられない事ではない。
其の様に考えると、今朝の文字が書かれていた緞帳幕は、多重構造の中心に位置する「記録版・アカシックレコード」の様な働きを表している事にも成るだろう。
だが、何れにしても、今朝のメッセージの映像は、私個人の事だけではなく、人間の存在と言うか、特に男性の生き方がどう言うモノであるのかを、考えなければ成らないと言う事に成るであろう。
「ひとのいきかた」を表現する言葉には、「人生」「人間の一生」「幸福な人生」「波乱万丈の生き方」などの言葉が有り、更に「一期一会・いちごいちえ」「一生懸命」「万死一生・ばんしいっせい」「紆余曲折」などの言葉もある。
其れに、「惟神道・かんながらみち」「自然無為・しぜんむい」「身土不二・しんどふじ」などの、個人的ではない言葉も有る。
其れに 哲学の世界や宗教的には「真っ正直」とか、「品格」「霊性」「哲人」「詩人」「達人」「仙人」「聖者」「有徳者」「神人」「仏陀」「メシヤ」「キリスト」などの言葉もある。
其れ等の言葉が、人間に付けられたのが「釈迦牟尼佛」や「イエスキリスト」である。
其れに、其れ等の言葉が使われていない人物に「老子」の存在が有る。
老子は、国を捨てて「函谷関・かんこくかん」の関所を出る時に、関守に請われて、何者も敵わない永遠の書である「道徳経」の5000字を残している。
其れは、イエスキリストが磔にされて殺された事や、釈迦牟尼佛が食中毒で死んだ事とは違い、完璧な生き方をした事に成るであろう。
だが、今朝のメッセージの映像は、其れ等の事とは、全く異なる世界が示されて来ており、人類が総出で、何かを遣り遂げると言うか、完成しなければ成らない事件が、示されて来ている様な気がする。
そして、其の事は、私が此の世に身を置く間に成し遂げなければ、二度とチャンスが巡っては来ない様な世界のような気もする。
其れは、私が、自分の名前である「悠々自適」の生き方が、当分、遠のいて行く様な「神の意図」が見えるモノでもある。
其れを考えると、残り28日で何が始まるのかが、何となく見えて来そうな気にも成ってくる。
今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、文字が書かれている大きな劇場の「緞帳幕・どんちょうまく」は、宮崎県高千穂の「天岩戸神社」の神楽殿で行われるお神楽で、四方に張られた注連縄に下げられる「切り絵・彫り絵」の意味が、新しい時代のモノ・世界として、示されて来た物なのではないだろうか。
其の様に考えると、我々が生活する此の世界が、何重かの幕構造に成っている事を、古代人は気付いていた事になり、私に6月19日に示されて来た、「Tritarte fur・トライタルトファー(天蓋の内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠)」の世界は、当然の理が示されて来たモノであったと言う事に成るのかも知れない。
其れに、2016年6月6日に「時間の切り替え」に付いて示されて来た事が、今朝のメッセージの前ブレであった事にも成りそうである。
2016/6/6・・私は、是まで、様々な事を説明して来たが、是から神学・精神学の項目・部門ではなく、社会学の学部・部門に変わると言う事であり、同じ仕組みを「神佛名」で表現するのではなく、社会科学の世界の言葉・概念で、説明し直すと言う事である。
其の事を考えると、人間社会の営みに無くてはならない「暦」の世界で、十二干支の動物や16面神獣鏡等が有って、人間の暮らしの縁ふち・周囲を取り囲んで いる事や、宮崎県高千穂の岩戸神社の神楽殿で行われる、「岩戸神楽」の舞台の四方に注連縄が張られ、其の注連縄に鶏などの「刻り絵・えもの」が着けられる 事も意味が有り、其れが「絵殿」や「発生殿」との名前で告げられて来る事とも関係が有りそうである。
其れは、日本の古代社会の人々が、西洋文化が移入して来るまで、神(はたらき)をどの様に感じていたかを理解する事であり、民俗学者であった「柳田 國男・やなぎた くにお」以前の世界を探求して、新しい舞台・殿の「刻り絵・デザイン」を、確立して行かなければ成らないと言う事なのであろう。
「時間(とき)の閉開」http://green.ap.teacup.com/20060818/3877.html
2006/4/7・・私が、絵文字を目にした、次の日の霊夢には、平仮名の文字形が澤山現われ、其の内から「と・や・ま」が紐に下げられ、上空に登って行った事は、既に書いてある。しかし、其れが、神楽殿の「彫物・えもの」と同じものである事には、今まで気付いていなかった。
一万年も前から、人間は、神とのコミュニケーションに、絵文字を使用していたのである。
其れは、何故かと言えば、人間の思考は、物の形に因り組み込まれているので、物の形を彫り込む事で、意識が明確に成り、脳の働きが能力アップするからである。其の事は、私の脳が、文字による情報脳ではなく、現場主義の映像脳だから良く理解できる。
神は、文字で動くのではなく、文字に表されている、映像の情報信号で動くのである。だから、文字だけの理屈を云っている人では、神は動かせないし、本人も、神の知らせを受け取ることが出来ないのだ。
其れが「不立文字(文字には龍が住まない)」との意味である。
「彫物・えもの」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/400.html
平成28年7月11日
礒邉自適
2015/11/2
文化の日を前にして
27・11・2
明日の「文化の日」を前にして、私が何を考えれば良いのか、未だ脳裏には何も浮かんでは来ない。
私が、此の様な物意いをする事に成るとは、とても予想だにしない出来事である。
私は、既に齢68歳であり、後15カ月で大台の70歳を迎える事に成る。
其れが、現在、此の様な意識の自分と成って来ている。
其れに、中学までの私の学業と謂えば、学校以外では殆ど机に向かった事が無いので、理科・数学は程々の学力だったが、記憶力を要する国語や社会は、成績が良く無かった。
其の私が、此の様に毎日文章綴ったり、歴史を調べたりする事に成るとは、夢にも思った事が無い世界である。
其れを考えると、確かに、人間の一生と言うか人生は、不思議なモノであると謂える。
私が、此処に来て思える事は、私が子供の頃から、文学等の世界に興味を抱き、国語に親しんで、漢字を覚えていれば、現在の様に漢語林で漢字の成り立ちなどを調べる事には成らないで、学校で先生に訓えられた内容の儘、文字の世界を解釈して、皆と同じ概念の儘生きて居たであろう。
其れを考えると、私が勉強をして、一般的な概念を頭に詰め込む事無く、36歳迄生きて居た事も、神の謀(はかりごと)であったと言う事に成り、其の天神(てんのはたらき)の存在に驚く他ない。
私が、本格的に漢字に興味を持って取り組み始めたのは、阪神・淡路大震災の一周年目である1996年1月17日に、神戸で開催されたセミナーからである。
其れから、10年が経過しようとしているが、私には、新しい漢字文字の作製・創造が、天神から求められて来ている。
「文化」の言葉に付いては、辞典に次の様に載っている。
ぶん‐か〔‐クワ〕【文化】
1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」
2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。
3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「―住宅」
[用法]文化・文明――「文化」は民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、世代を通じて伝承されていくものを意味する。◇「文明」は人間の知恵が進み、技術が進歩して、生活が便利に快適になる面に重点がある。◇「文化」と「文明」の使い分けは、「文化」が各時代にわたって広範囲で、精神的所産を重視しているのに対し、「文明」は時代・地域とも限定され、経済・技術の進歩に重きを置くというのが一応の目安である。「中国文化」というと古代から現代までだが、「黄河文明」というと古代に黄河流域に発達した文化に限られる。「西洋文化」は古代から現代にいたるヨーロッパ文化をいうが、「西洋文明」は特に西洋近代の機械文明に限っていうことがある。◇「文化」のほうが広く使われ、「文化住宅」「文化生活」「文化包丁」などでは便利・新式の意となる。 デジタル大辞泉の解説
其れに、私の是までの文化に関して書いて来た顕在意識の文章だけをアップしてある「自適随筆」文章を検索すると、「文化」のカテゴリーだけで121記事が有り、其の中に次の様な物が有る。
2003/12/23・・今朝告げられて来たメッセージは、人間の暮らしや、文化に関するものであった。
人・ヒトは、森の中に暮らし始め、先ず道を造り始めた。
そして、貯水池を造り、耕地を増やし、村を広げ、やがて文字を発明し、きまりを決めて、文章を残し、宗教を考え出し、宗教画を伝え、寺院の建築を始めた。そして、車を開発し、道路を広げ、物の移動や情報のスピードを速めて、現在に至っている。
余りにも、スピードが速く成り、大量の情報や物の移動に因り、人間の生活は今日「カヨミ」を、認識する余裕を無くしている。・・・
「文化」http://moon.ap.teacup.com/20061108/611.html
2000/11/1「ム(カルチャー)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/423.html
2007/5/24「何故トップが桜澤だったのか」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/291.html
2007/5/21「前人未到の布石に向かって」http://moon.ap.teacup.com/20061108/288.html
2006/10/10「スピードの違い」http://moon.ap.teacup.com/20061108/383.html
2006/7/21「鏡餅が大蛇の姿だったとは」http://moon.ap.teacup.com/20061108/394.html
2006/3/18「かよみ・日読み」http://moon.ap.teacup.com/20061108/263.html
2005/11/2「地球上の十字架」http://moon.ap.teacup.com/20061108/364.html
2005/10/30「物部の系譜」http://moon.ap.teacup.com/20061108/365.html
2005/10/29「三宝荒神」http://moon.ap.teacup.com/20061108/427.html
2005/9/23「岳参り」http://moon.ap.teacup.com/20061108/361.html
2005/8/17「漢字の導入」http://moon.ap.teacup.com/20061108/363.html
2005/8/17「言葉の探求」http://moon.ap.teacup.com/20061108/613.html
2005/5/27「視点」http://moon.ap.teacup.com/20061108/360.html
2005/5/19「米」http://moon.ap.teacup.com/20061108/357.html
2005/5/6「宿命の対決」http://moon.ap.teacup.com/20061108/346.html
2005/4/29「真空の世界」http://moon.ap.teacup.com/20061108/343.html
2005/4/27「恵神生活」http://moon.ap.teacup.com/20061108/342.html
2005/3/23「人が霊止で在る為に」http://moon.ap.teacup.com/20061108/331.html
2004/12/26「命日・祭日」http://moon.ap.teacup.com/20061108/547.html
2004/11/13「漢字の始まり」http://moon.ap.teacup.com/20061108/510.html
2004/11/9「確かなこと」http://moon.ap.teacup.com/20061108/508.html
2004/8/27「宗教の原点」http://moon.ap.teacup.com/20061108/544.html
2004/7/9「本来の天皇家の役割」http://moon.ap.teacup.com/20061108/504.html
2003/12/2「言葉は心の音」http://moon.ap.teacup.com/20061108/575.html
2003/8/9「意識の絡繰」http://moon.ap.teacup.com/20061108/450.html
2003/8/7「ものくさ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/447.html
2003/7/25「つみけがれあらもうば」http://moon.ap.teacup.com/20061108/323.html
2003/7/6「綴られて行く魂」http://moon.ap.teacup.com/20061108/556.html
2003/5/3「人間が生きると言うこと」http://moon.ap.teacup.com/20061108/412.html
2002/11/19「勝」http://moon.ap.teacup.com/20061108/442.html
2002/8/23「創造の力」http://moon.ap.teacup.com/20061108/195.html
2002/7/9「覚悟」http://moon.ap.teacup.com/20061108/566.html
2002/4/3「串玉と名付けた人の魂」http://moon.ap.teacup.com/20061108/175.html
2002/3/25「水の秘密」http://moon.ap.teacup.com/20061108/174.html
2002/3/17「彼岸」http://moon.ap.teacup.com/20061108/172.html
2002/2/28「稲魂」http://moon.ap.teacup.com/20061108/166.html
2001/10/13「車社会の弊害」http://moon.ap.teacup.com/20061108/141.html
2001/9/24「私に何が出来るのか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/139.html
2001/9/21「人間の本能と創造力」http://moon.ap.teacup.com/20061108/138.html
2001/5/25「二通りの言葉」http://moon.ap.teacup.com/20061108/371.html
2001/3/27「嘗」http://moon.ap.teacup.com/20061108/92.html
2001/3/22「大和の州は世界の道場」http://moon.ap.teacup.com/20061108/99.html
2001/1/21「森を学ぶ子供達の世界」http://moon.ap.teacup.com/20061108/52.html
2001/1/16「おでんのだし」http://moon.ap.teacup.com/20061108/45.html
2001/1/10「心を刻む」http://moon.ap.teacup.com/20061108/40.html
2001/1/5「偶像崇拝がなぜいけないと言われているか」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/37.html
2000/12/29「頑張る」http://moon.ap.teacup.com/20061108/424.html
2000/11/20「霊留・ひと」http://moon.ap.teacup.com/20061108/262.html
2000/11/15「期待」http://moon.ap.teacup.com/20061108/271.html
2000/11/1「しま・島・嶋」http://moon.ap.teacup.com/20061108/636.html
2000/6/2「あそび・游・遊」http://moon.ap.teacup.com/20061108/25.html
2000/4/27「御嶽・うたき」http://moon.ap.teacup.com/20061108/32.html
2000/4/15「食国の政」http://moon.ap.teacup.com/20061108/34.html
2000/2/23「大嘗祭・だいじょうさい」http://moon.ap.teacup.com/20061108/419.html
1997/6/10「風 麦東 陶・ふうれんとう」http://moon.ap.teacup.com/20061108/422.html
1995/5/17「新しい暦を考える会」http://moon.ap.teacup.com/20061108/395.html
2002/2/14何故、アステカのカレンダーでは、舌に其の印が付いているのだろうか。其れは、人間の脳にも、蛇の脳と同じ古皮質の脳が、一番中枢を司っているからである。
中枢神経は、人間の考えや、知識の領域を超えて、宇宙の情報と繋がっているのだ。
古皮質にまで、記憶が至ると、人々は、神の領域を観る事になる。
その理は、インドやエジプトでも、パピルスや壁画にも書かれている。
古皮質にまで、覚醒した者が、パピルスに書き残した文章が、正しい教えの意味となり、「真実」の語源である「truth・トルース」の意味だと、聞いた事が有る。
アステカのカレンダーの北の方位には、葦の芽が描かれてあり、其れは、中国の暦の「玄(子・ね)」に当たっている。
私たち人類は、思考の高みに存在するもの、其れを、北に位置づけてイメージを凝らして来た。
人間の意識は、胴体にはなく、頭部に位置すると考え、其れも蛇と同じく、舌に有ると考えてきたのも頷ける。
「嘗て其の2」http://moon.ap.teacup.com/20061108/159.html
2001/4/20・・「あや」にあたる漢字を調べると、「文、紋、綾」と有る。
「文」は「文章、文字、文学」などに使われる様に、文字の事である。
「文」の象形は「人の胸に意(おもい)の印を刻む」である。
思想を忘れない為に、胸にその意味を入れ墨する理・ことを表している。
「紋」は「文」に多くの意味が派生した為に、糸をつけて織物や家の印として区別されたものである。
さらに「紋」は、模様と言う意味も表している。
また、「綾」は「紋」と同様の意味である。
「文」も「紋」も模様を意味しており、「文」は心模様、心象風景を表現したもので、「紋」はその人間の意(おもい)を形に表したものである。
世界中で、様々な模様が布に織られているが、其れは、その民族の文化を伝える役目を果たしている。
文字文化を持たない民族でも、織物の伝統的な模様は持っている。
模様は、人の心を伝える最大の手段なのだ。・・・
「あやが切れる」http://moon.ap.teacup.com/20061108/563.html
其れと、「前のメッセージ」「約束を護る」の文章にも、文化に関する事を多々書いてあり、文化の「文・ブン・あや」に付いて次の文章が有る。
2002/12/17・・「2」の場面は、「文」の文字が自分の肉体と一体となっており、自分の気持ちが胸の所にある理・ことが自覚されて来た。
「文」は、日本語で「あや」と読むように、自分の気持ちを言い当てている。
「あや」は「物の面に表れた さまざまの線や形の模様、特に 斜めに交差した模様、綾。 人間の気持ちが様々に変化する事から、「心のあや」とも使用する。
「文・ブン・モン」【解字】象形。人の胸を開いて、そこに入れ墨の模様を書くさまにかたどり、模様・あやの意味を表す。文を音符に含む形声文字に、彣・紋・雯などがある。
【字義】@あや。模様。かざり。いろどり。外見の美。外観的装飾。Aあらわれ。現象。Bすじ。すじみち。Cのり。法律。礼儀。D文字。Eことば。語句。文句。Fことばをつづって、まとまった意味を表すもの。特に文章をいう。
Gふみ。書いたもの。文書。書物。手紙。H学問。芸術。道徳文化。↔武。
Iよい。美しい。みやびやか。J仁徳。めぐみ深い徳。」
漢語林より
漢字の「文」の成り立ちは、「甲骨分― 金文― 篆文」で、「人の胸を開いて、そこに入れ墨、模様を書くさまにかたどり、模様、あやの意味を表す。」とある。 意味は「あらわれ、のり法律、礼儀」までもが含まれている。
私の精神が、胸のセンターに強く納まり、其れを意識が認識していた事になる。・・
「文(あや.おもい)」http://star.ap.teacup.com/170606/284.html
2014/11/5・・そして、其の事を私が理解すると、私の意識には「帰命・いのり」から「想像・おもい」へとの、次元の切り換えが行われる事が、理解されて来た。
其れは、私の存在が、古代から云われている「現人神・あらひとかみ」の復活と成るとの事であろう。
其の、「帰命・ナーム・祷り・いのり」と「想像・おもい」の言葉は、私が是まで何度か触れて来ている事であり、今朝のメッセージは「文化」の「文・ブン・あや」が「文字」ではなく、「胸像・むなかた」の意味である、人間の胸に刺青をする「文・あや」の意味が、現実の事として始まり、人間の世の中が変化するとの理・ことを、示して来ている様である。
「想像・おもい」の言葉は、日本語の「おもい・おもう」に使用される漢字が「意・思・想・憶・念」が有り、「想像・ソウゾウ」とは、「人間が 実際に在る物の姿像を 心でおもう」事を、意味している。
其れは、未だ存在しない未来物の世界を、創造する為に必要な行為である。・・・
「帰命から想像へ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3252.html
本日11月2日は、私の末っ子「最明・もあ」の二十歳の誕生日でもあり、私の七人の子供は、全員成人した事に成る。
其の意味でも、私は今朝、天神に告げられて来た「有楽座」に、着いて良いのかも知れない。
平成27年11月2日
礒邉自適
2013/2/9
天津日嗣の真実
25・2・9
昨日から今朝に掛けて、天津日嗣の真実が理解できて来た。
其れは、岡本天明に降りたお筆先が「日月神示」「一二三神事」と名付けられている事を「天津日嗣神事」と、しなければ成らないのではないだろうか。
岡本天明にお筆先が降り始めたのは、1944年(昭和19年)6月10に千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」に参詣した時に、境内の末社である「天之日津久神社」の祠の前である。
其の現象を考えると、岡本天明に依り憑いた神霊は「天之日津久神」であると言う事になる。
其の「天之日津久神・あまつひつくのかみ」とは、「天の霊継ぐ神」との意味であり、其の事に別の字を当てれば「天津日嗣・あまつひつぎ・天の霊継」と成る。「天津日嗣」とは、辞書に、皇位の継承。また、皇位。あまのひつぎ。と載っている。
だから、天皇陛下の働きは「天津日嗣天皇・あまつひつぎてんのう」であり、「津」は接続詞の「の」であるので、「天の霊(ひ)を嗣(つ)ぐ天皇」と言う事に成る。
しかし、其の「天津日嗣」の代々の天皇は、神武天皇、天智天皇、後醍醐天皇、昭和天皇と、私に「政・まつりごと」を霊界から頼んで来ている。
其れは、どう言う理・ことなのであろうか。
日本の天皇家は、天津系とされており、其れはユダヤの民が大陸から海を渡って来て、日本列島に天津日嗣の伝統文化を伝えて来た事を意味している。
「大国主命」が造った出雲国に渡って来たのは、初めに「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」が来て、次に其の息子の「大背飯三熊之大人(おおそびのみくまのうし)宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)」が渡来し、次に「天稚彦・あめのわかひこ」が渡来して「下照姫・したてるひめ」を娶って住み着いている。
そして、最後に「經津主神・ふつぬしのかみ」に「武甕槌神・たけみかづち」が伴として付いて来て、大国主命が根負けして国譲りをしている。
其れとは別に、「饒速日命・にぎはやひのみこと」の弟である「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」が鹿児島県の笠沙の浜に上陸して来て、神武天皇の祖と成っている。
「猿田彦神のはたらき」http://green.ap.teacup.com/20060818/2370.html
其の「饒速日命」と「瓊瓊杵尊」の兄弟の祖母が「天照大神」とされているが、其の天照大神とは、エジプト文化の「太陽の船」に乗る、額に鏡を着けている「女神イシス」であり、ユダヤの民がエジプトから脱出する時に、鳥居や獅子・ライオンと共に持ち出した文化であり、其れがシルクロードを通って日本まで伝わっているものである。
其の流れを、儀式として受け継いだのが「忌部・斎部・いんべ」であり、其の忌部の役割は、「帝(カド族・神官)」を奉って「すめらのみこと・天皇」の仕組みを維持する事である。
忌部に付いては、天津系が渡来する時に従って来た5神「天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命」+3神の「思金神、手力男神、天石門別神」の1神「天石門別八倉比売命」に関わりがあり、其の八倉比売命は「手力男命・たじからおのみこと」の妻であり、其の息子の「天の日鷲命」が「忌部・斎部・いんべ」の祖となっている。
・・・忌部の子孫である三木家の説明書きに、次の様に書かれていた。
阿波忌部は神山町の石を持って帰り「神凝り石」と呼び、自性身(神)の霊波に愉伽する稀少な天然石で、阿波では太古から鏡・剣などとともに神霊をよりつかせる依代として、神事に用いられて来た。更に、・・古代倭国である阿波においては皇祖皇宗の神々は陵墓として祀られ、其の神霊は魂ふり、陵墓に鎮められていますが、この神まつりが我が国神社となって、倭国(阿波)の発展に伴って、元つ国阿波から他国への進出が始まり、新しい国土に住み着くようになりますが、各々の部族は、新しい開拓地に皇祖を始め元祖神を分祀する必要が生じ、其の依代として「神凝り石」に神霊を入魂し、これを分霊として開拓地に祀ったことが考えられます。これが神事・祠の由来ともなっています。
現在その痕跡としては、全国に数十社祀られている式内阿波神社・阿波王子神社・全国各地の天照大御神を祀る神社・伊勢神宮・祇園神社・賀茂神社、さらには事代主神社等が見られますが、その多くは元つ国阿波に鎮まる皇祖皇宗の霊魂(陵墓)から、神凝り石や鏡などに分霊され祀られたものと思われます。
皇祖の根どころたる、神山町で産み出される「神凝り石」こそ云々・・・
「三木家・神凝り石」http://green.ap.teacup.com/20060818/1611.html
「饒速日命」の息子である「宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)大背飯三熊之大人」は、奈良の石上神宮に祭祀されている物部の初代であり、其の御陵は島根県太田市にある物部神社の裏山に有る。
そして、其の宇摩志麻遅命の役割が「食国政事長・おすくにのまつりごとのつかさ」であり、宇摩志麻遅命が伝えた「御餉殿・みけどの」の概念が、物部神社で行われる「新嘗祭」の儀式であり、其れが「持統天皇」の時世に天皇家に取り込まれて、天津日継ぎに必要な「大嘗祭」の儀式と成っているのである。
其れ等の事を考えると、日本の天皇家の元は「ユダヤ民族・イスラエル」にある理・ことに成り、日本の天皇家の仕組みは、失われた10支族の末裔と言う事に成る。
だとすれば、「天津日嗣」とは、ユダヤ民族の血統・霊系を伝えるモノであると言う事に成る。
其れは、岡本天明の「日月神示」に有る「148(石屋)の救世主が日本から現れる」と関係が有り、「石工・メイソン」の霊系が天津日嗣の元である理・ことに成り、「日嗣・ひつぎ」とは「棺・ひつぎ」に関係が有り、「アーク・神輿」と同じ意味が有る事に成る。
「石工・メイソン」に付いては、次の様な言い伝えが有る。
【石工の秘儀】「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフェルの力は彼のものと成る」
其の「ルシフェル、ルシファー」は、「エゼキエル書」では「あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。」「わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。」と記されており、天使長の事である。
また、「ルシファー」の語は、キリスト教以前から「明けの明星」である金星を指すものとして用いられていたとの事である。
其の、明けの明星である金星は、仏教では「虚空蔵菩薩」とされており、「弘法大師空海」は四国の室戸岬で、其の明星が口の中に飛び込んで来て「虚空蔵菩薩求聞持法」を会得した事に成っている。
其の虚空蔵菩薩の存在は、私の昨日のビジョンでは、神様の中で一つだけ光を放っていた。
其の現象を考えると、「天津日嗣」と「虚空蔵菩薩」の存在は関係が有り、天津日嗣とは「虚空蔵菩薩」の働きを継続する物であり、「天皇・すめらのみこと」とは「虚空蔵菩薩求聞持法」を会得した者でなければ成らないと言う理・ことに成る。
其の為の儀式が「大嘗祭」であり、其の為に必要なものが「食国政事長・おすくにのまつりごとのつかさ」の役割であるのだろう。
2011年5月30日のメッセージに「あまつひつぎ」の言葉が告げられて来ている。
・・・今朝のメッセージの映像には、野菜の繊維を取り出して、長方形の黒い皿の上に並べる場面が現れて来た。そして「あまつひつぎ」の言葉が告げられて来た。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージの内容に関係が有り、「国津神(国土神)」である「瀬織津姫・せおりつひめ」の禊ぎが済んだ後に残るモノ(世界)こそ、細胞の中に有る繊維(DNA・遺伝子構造)の役割であると言う理・ことなのかも知れない
日本の伝統は「天津日嗣・あまつひつぎ」に有り、其の伝統を守る為にこそ、天皇家が存在するのである。しかし、其の理・ことに付いては、天皇家も宮内庁もあまり触れなく成って来ている。
そして、触れないと言う事は、しっかりと其の理・ことに付いて、考えていないと言う事にも成るだろう。
日本の古代社会では、其の「天津日嗣」が、一番重要に考えられていたからこそ、天皇家の様な体制が存続されて来たのである。・・・
「天津日継」http://green.ap.teacup.com/20060818/1944.html
「メシヤ・救世主」に付いては、以前の文章に書いて有る。
「メシヤ」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/117.html
「救世主 其の1」http://moon.ap.teacup.com/20061108/554.html
「救世主 其の2」http://moon.ap.teacup.com/20061108/118.html
「救世主 其の3」http://moon.ap.teacup.com/20061108/119.html
石工・メイソン → ルシフェル・天使長 → イスラエル(カド族)→
アーク・棺・ひつぎ・神輿 →「ミカド・天皇」→ 神憑り石 →「忌部・斎部・いんべ」→ 物部→ 新嘗祭 → 御餉殿 → 「食国政長・おすくにのまつりごとのつかさ」 → 「マクロビオティック・大澤如一」→「神霊の思頼・みたまのふゆ」→ 神霊界 → 現世・礒邉自適 → 弘法大師空海 → 虚空蔵菩薩 → 聖徳太子 →「護憲と国体」→ 天津日嗣 → 岡本天明・6月10日 → 時の記念日 → 天智天皇 → 後醍醐天皇 → 昭和天皇 → 今生天皇 → 皇太子殿下 → 大嘗祭 → 悠紀田 主基田 → 稲 → 水 → 森林 → 山 → 「大山祇神・おおやまつみかみ」→ 綱引き → 文化 → 暦・カレンダー → 月・太陽 → 宇宙 → アカシックレコード → 松果体 → 悟り → 仏陀 → 法・道 → 永遠
何とか、私の意識も「天津日嗣」と言うか、日の本の霊系の繋がりを、見出した様である。其れが、昨日の「われは主と共にあり」との感覚の原因だったのではないだろうか。
其れは、私の「祷り・帰命・ナーム」が、成功した事を示しているのであろう。
平成25年2月9日
礒邉自適
2012/3/5
未来に付いて
24・3・5
・龍
龍の漢字は、「辛+蛇」の組み合わせで、頭に刺青を彫る墨壺の付いた針を飾りにしている、蛇の象形である。
禅の言葉に「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」と有るが、「不立文字・ふりゅうもんじ」は本来「不龍文字」と書くべき所を「龍」の文字が他の文字より画数が多くてバランスが悪いので「龍→ 竜→ 立」の「立」だけを使ったものであろう。其の「立」とは、「辛+蛇」の「辛」の冠の部分なので、辛い思いをして胸に文字を刻む(胸形・むなかた・宗像)の意味だから、こころ・魂しいが籠っていなければ成らない。だから、籠るの漢字は龍が使われているのである。其れに、よさの宮の「籠神社・このじんじゃ」にも其の文字が使われている。
そして、蛇・大蛇は旧約聖書では智慧を司る働きとして登場するし、仏教でも釈迦を守護する智慧の守り神でもある。其れに、アステカやマヤでも蛇・大蛇は神の使いと考えられている。
私が、是までビジョンの中で遭遇した龍の存在。
・「白龍」白山菊理姫の乗り物であり、白山大権現である白い龍神で、屋久島にて私の身体に巻き付き、私の頭と自分の頭を取り換え、私に地球の管理を任した存在。ククルカン。
・「黄金龍」京都府亀岡市湯の花温泉「憩の家」で、畳に爪を掛けながら私の肉体に巻き付いて来て、中に侵入し、私の両手の掌から、光に成って飛び出し天に還って行った存在。中国の皇帝の護り神である金龍。
・「黒大蛇」屋久島の祇園神社の磐座・いわくらから、外に出たがっている大きな黒蛇。出口王仁三郎が一筆画きした黒蛇と同じ様な物。
亀に黒龍が巻き付く「玄武・ゲンブ」の黒龍と同じ物か?
・「薄紅色のコブラ」吉野の脳天寺の水場に降りて来た「弁財天・サラスヴァティー」で、天川神社に祭られている神。
エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクの額に付いているコブラと同じ物。
【彌勒菩薩・マイトレーヤ】
弥勒菩薩はマイトレーヤの訳で、釈迦の弟子の1人である。マイトレーヤとは「有情」との意味で、情報を有する者が現れて、無明の時代に明かりを灯して衆生を救うとの、釈迦の予言から来ている。
「彌勒」とは、「彌・ミ」が「弓+日+爾(咲き誇る花)」の組み合わせで、[字義]は時間的にも空間的にも遍く拡がるとの意味である。
「勒・ロク」は「革(かわ紐)+力」の組み合わせで、[字義]は馬の轡・くつわの革紐を引いて向きを変えるとの意味である。
【今後の動きに付いて】
2月21日の儀式の祝詞に書かれていた様に、是から具体的な行動を起さなければ、是までの古い体制・価値観に風穴を開けて、未来社会を構築する事はできない。其の為に、具体的な行動を起さなければ成らない。
其の段階として、先ず3つの活動を行う。
1「御稜威クラブ」
此れは、平成3年から私が武富勝彦氏等と始めている事である。
2「グリーンクラブ」
此れは、神の指示に因るもので、地球環境改善や人類の幸福に取り組んでいる人材や団体をネットワークするものである。
3「コレゾ財団」
平野龍平氏が主体と成って活動する財団(24年2月22日登録)である。
其の他にも、幾つかの活動を興す必要がある。
・「あじさいネットワーク」
此れは、どんな人間でも望む者は入会できる組織である。
「紫陽花・学名Hydrangea macrophylla」とは、日本の山野に自生する国産の花木であり、シーボルトが西洋に待ちかえり、妻の名前である「お滝さん」の名前をもじって「ジャパン‐オタクサ」と名付けられた植物である。そして、西洋で様々に改良されて、日本に逆輸入された物が現在の様々な種類の紫陽花であり、現在でも年間に何十種類も新品種が改良され続けているので、世界に紫陽花が何千種類有るのか、誰も確認できない状態に成っている。
紫陽花の特徴は、七色変化する事もあるが、1個の花が独立して咲き、其れが丸く固まって一輪・一枝と成っている。そして、其の枝が集まって一株と成っている。其の紫陽花の花の様な仕組みが、ITが完備された、是からの社会構造と成らなければ成らない。其れは、1個人、1民族、1国家が個性を発揮して花開き、其れが大きな人類社会と成ると言う事である。
其の為にも、紫陽花が国産である此の日本から、其の未来社会構築の旗揚げをしなければ成らないのである。
・「新しい暦を創る会」
世界には、未だに共通の暦・カレンダーが無いし、正しい太陽暦も無い。誰も成し得ていない物が、世界共通の暦・カレンダーである。新しい暦を創れる権利は、是まで「皇帝・王・天皇」にしかなかったのである。其れが、民主主義の世の中となり、世界中の国会で議決されれば可能な時代と成った。其の運動
を、「時の記念日」の元である天智天皇が祭神である近江神宮から始める。
・「シニア連合」
現在、最早、紙屑になり掛けている日本の貯蓄の大半を有している人達は高齢者である。其の資金を使って、老後の保障と孫達の未来社会を護る為に、自然の豊かな地域に新しい村造りを始める。
・「Akoy(アコイ)・システム」
此れは、2008年9月19日のメッセージで「あこい」と告げられて来たもので、ITで検索すると次の様に載っていた。
「アコイ・Akoy」ハウサ語
ハム諸語のうちのチャド諸語に属する重要な言語。ナイジェリアを中心に、ニジェール・ベナン・トーゴなど西アフリカの広い地域で話されている。使用文字は、アラビア文字が一般的であったが、現在ではラテン文字を用いる。
1.Akoy kyao アコイ キャオ 良い、きれい(見た目がよい)
2.Akoy dadi アコイ ダーディ 良い、おいしい、気持ち良い(感触が)
との言葉が有り「アコイ・Akoy」とは「良い」との意味である事に成る。
現代社会には、「ヤフー」「楽天」「グーグル」など、多くのIT組織が存在するが、其れ等は殆どが、商売が主な目的であって、真の人類の幸福を願うものではない。其れ等とは違う、新しい価値観に拠って、世界のネットワークを創り上げる必要がある。
・「鳶の親方に拠るアメリカのホピ族の聖地訪問」
ホピ族の予言には、「太陽の印を持った兄弟が 赤い服を着て助けに来る」とある。其れは、太陽が日の丸として国旗に成っている日本人と、鳶職の親方が赤い服を着る事と関係が有り、鳥が神であるホピの概念と日本の鳶の文化の共通性があるからである。
・「修験道に拠るイスラエルの聖地訪問」
日本には、ユダヤ民族であるイスラエルの十支族が渡って来ており、「帝・みかど」は其の中の「カド族」で、物部や「忌部・斎部・いんべ」族は、其の政・まつりごとを司る氏族である。修験道の行者の恰好もユダヤ族のものであり、法螺貝の元は角笛であり、「虎の巻」はユダヤの決りを書いた「トーラ」で、行者が額に付ける黒い箱に入れてある物である。
聖書には、世界に散ったユダヤの民がイスラエルの岡に帰って来ると有るので、其の物語を結実しないかぎり、大きな問題が解決しないのである。
平成24年3月5日
礒邉自適
2007/6/20
奪う
19・5・20
先日、鹿児島市で本屋に立ち寄り、白川静氏の字通を手に取り開いて見たら、其のページに「奪」の文字が有り、奪の漢字の字義は「人間が死んだ時に、自分の懐から鳳凰の魂が奪われる。」との意味であることが載っていた。
其れを見て、私は納得出来るものが有った。
何故、私の意識に、鳳凰が卵を産み落としたり、両腕の翼を拡げて、全てを支えたりする感覚が訪れたりするのか、其の原因は、私の意識自体に、鳳凰の存在が繋がっているからなのだろう。
鳳凰とは、無の世界に森羅万象を創造し、時間を生み出している存在其の物ではないのだろうか。
人間は、其の鳳凰の意識の現れとして、存在している物だから、死を迎える時に、其の意識の本体である鳳凰が、身体から抜け出して行くのだろう。
「ヒト」とは、出雲弁では「霊が留まる」との意味で「霊留・ヒト」である。
其の意味は、妊娠すると言う事は、先祖の霊が宿るとの意味であるが、其れを更に深読みすれば、人間の「身体・空だ・うつせみ」に宿る物こそ、宇宙意識の本体である鳳凰の霊が宿るとの意味なのかも知れない。
其の様に考えれば、中国の荘氏の鳳・おおとりの概念も、まんざら大法螺とは思えなく成って来る。
何故、荘氏が「至人」との語を使用したのか、其処のところを思索する必要が、あるのではないかと思えて来た。
平成19年5月20日(旧4月4日)
礒邉自適
2007/5/24
何故トップが桜澤だったのか
19・5・24
私に、24年前4311体の「神霊の思頼(みたまのふゆ)」が起きた時、何故一番先に姿を現した霊靈が、マクロビオティックを世界に拡げた「桜澤如一」だったのか、其の理由が何となく理解出来て来た。
其れは、桜澤如一の理念が、新しい社会を構成する上で、基本に成る事だからである。
いま、日本国内でも憲法問題に関心が集まりつつあるが、人類全体にも、新しい価値観が必要である事が見えて来ている。
其の問題を解決するには、人間の意識が、原点の処に返らなければ成らないことは、理性を持っている人間であれば、誰もが気付いていることであろう。
其の原点は、人間の浅はかな哲学や、主義主張や、宗教の価値観では辿り着けない所に有る。
何故かと云えば、其れ等は、全て人間の大脳が考え出した世界であり、根本的な生命の真理に、触れてはいないからである。
生命の本質に触れるのには、人間の脳が考え出す理屈を、超えなければならないのである。
超えると言うか、其れ等を捨てなければ、本質を見極める事が出来ないのだ。
其の、生命の本質に近付いて行ったのが、桜澤如一なのである。
桜澤如一が提唱し取り組んだ世界は、「マクロビオティック・正食」と名付けているが、其れは、石塚左玄が始めた食養の世界を、世界に拡げる為に桜澤如一が名付けた呼び名であり、其の概念はギリシャ時代から有るが、もっと前に遡れば、インドの釈迦牟尼佛の訓えの基本にも成っているものである。
人間の本能は、一番は食欲に有り、二番が性欲である。
そして、他の欲望は、其れに付随するもので、腹が空けば、他は消え去るものだから、大した事ではないのである。
だから、生命の存続は、性欲より前に、食べる事が有るのだ。
生命の存在理由を悟る為には、命の源・みなもとである食欲の世界を、理解しなければ成らないのである。
だから、人間の根本意識を確かめるには、食欲の世界を解明すれば、自から其の分けが解明されて来ることに成る。
其れが、マクロビオティックと名付けられている世界なのである。
其の世界が理解されれば、戦争などの争い事を真剣にやって居る者は、馬鹿者であることが見えて来る。
だからこそ、桜澤如一は「湯川秀樹」達と手を結び、平和な世界政府を創ろうとしたのである。
私が、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、無庵師匠の指導の下で、安房川の岸辺で禊ぎ祓いをし、4311体の聖霊に満たされ、最初に姿を現したのが桜澤如一で、次が出口王仁三郎で、次が宮本武蔵であった。
そして、絶えず、私の意識の中から離れないのが、新しき世界政府と、子供達の教育であった。
其れは、彼らの想頼・ふゆが平和な人類社会建設と、子供達の教育にあったからであろう。
其の意識は、今でも、私の気持ちの中に強く残っていて、私に影響を与え続けている。
私は、桜澤如一の著書は数冊持っているが、今回の旅の途中、鹿児島の本屋で新潮新書出版の「世界が認めた和食の知恵(マクロビオティック物語)」持田鋼一郎著を買って来て居たので、昨日其れを読んだ。
そして、マクロビオティックの一連の流れが見えて来た。
其れは、今年1月6日に「準備が出来た」と公表しなさいと、メッセージに受けた事にも関連しており、今回、日本から始まる世界救世の神のプログラムの芯柱が、マクロビオティックに有ると言う事である。
其れは、イエスやマホメットを動かした、神霊達の想願・ふゆと共通しているのだろう。
マクロビオティックの考えでは、人間は食べた物のお化けで、食べ物に因り性質や人相や考えも作られ、人生も左右されるとの理・ことである。
私も、24年間マクロビオティックの世界に触れて来て、其の理論の正しさに付いては確信を得ている。
神霊界の方針が決定して、其の方向に、神のプログラムが進んでいるのであれば、私も其れに従って行くしか、他に道は無いだろう。
是から先は、霊界の動きに意識を向けてばかり居るのではなく、改めて、自分の身体に取り込む食べ物と、自分の意識の繋がりを、見詰めて行かなければ成らないのではないだろうか。
其の方向性の中に、新しき道が見えて来るのかも知れない。
平成19年5月24日
礒邉自適
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