2016/10/3
老子の凄さ
28・10・3
私は今日、改めて老子の凄さに付いて実感を強めた。
其れは、私が37歳から今日まで、32年間に亘り神霊界に対して活動を続けて来たが、本日老子の謂う「自然無為」の世界に、立ち返らなければ成らない事が示されて来たからである。
昭和19年6月10日に、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社・あめのひつくかみやしろ」の祠の前で、岡本天命に降り始めた「日月神示・天津日嗣神事」には、「道院殿老祖様(老子の概念から生じたモノ)」だけを中に祀れ」との事が記されている。
其の理由を考えると、老子だけが他の教祖とは違い、弟子を一人も採用していないし、教団の様な物も形成していないので、カルマ・業が何も無いと言う事にあるのではないだろうか。
其れでも、老子の教えが、今日まで2500年もの間、傳えられ続け、人気が有るのは、老子は王様の図書館に勤務しており、漢字に付いて熟知していたので、出国の途中函谷関(かんこくかん)の関守である「尹喜」に請われて、自分の考えを「道徳経」5000字に纏めて残す事が出来たのである。
他の、釈迦牟尼佛の仏教経典や、イエスの「新約聖書」は、本人が書き残した物ではなく、他の人間が本人の説法を言い伝えた物が、書き留められた物であるので、本人の真意が何処まで傳えられている物であるのかは、定かなではないのである。
だから、老子以外の宗教経典は、勝手に書き換えられているので、無制限に分派・分裂して行き、本来の教えが何処に有ったのかは、判らなく成ってしまっているのである。
其れに比べて、老子の道徳経が原文が其の儘残っているので、道教の様な宗教が派生しても、原文が読まれる事で、本筋が明確に成り、インチキな宗教が拡大する事が無い。
だからこそ、「日月神示・天津日嗣神事」では、「道院殿老祖様」の存在・御霊だけを中に祭り、他の神霊は、外に祀れと告げられて来ているのであろう。
其の老子は、私が1984年6月4日に此の神の世界に行ってから、姿を見せた事が有る。
2003/9/27・・私が、メッセージを受け始めた最初の頃、映って来た場面に、人類の「宗親・もとおや」らしき霊が現れた事がある。
其れは、山中に在る昔風の古い家屋に、座敷と土間があり、その土間に輪切りの丸太の椅子が有って、三名の男性が座っている。
其の三名は、インディアン風の男性と、白人と、黒人の代表みたいに見えた。
其の三名が静かに座っていると、中国人風の男性が遣って来て、履物を脱いで座敷に上がり、無言で座った。
すると、それを待っていた三名が、土間の椅子に腰掛けたまま話を始めた。
話の内容は、自分達の子孫を、どれだけの割合で残すかの相談だった。
そして、三名の話し合いが終わると、座敷に座っていた男性は、又無言で立ち上がり、履物を履いて静かに帰って行った。
現れた男性は、四名とも魂のレベルが高く、完成された人格なのは、誰の目にも明らかな程、調っていて矍鑠・かくしゃくたる人物達であった。
その様子は、映画でも見た事が無いし、小説の世界でも描写されていない光景である。
私が、何故、その様な場面を見せられたのかは分からなかったが、今朝「宗動」との文字が映されて来たので、18年も前の映像を思い出してしまった。
「宗霊・みたまおや」が、動き出す事が、人類にとって、吉い事なのか、悪い事なのかは、私には判断出来ないが、人類全体の未来にとっては、喜びの方に向かうのであろう。
しかし、整理される余分な血筋は、どの様に反応するのだろうか。
野鼠・のねずみは、仲間が繁殖し過ぎると、一部の仲間を種として残し、残りは集団自殺をして、食糧難から全部が死滅する事を回避するという。
現代社会の人類の状況を考えると、異常発生した野鼠と、同じ状態だとも言える。
第三次世界大戦が起こり、若し、核が全部使用される事に成れば、集団自殺をする事に成る。
私が、18年前に見せられた映像は、其の場面だった。
「人間が 此のままの状況で進めば その様にさせるしかない」との、神の意志だったのである。
その事で、人間に核を創らせたのも、神の意志である事が解った。
野鼠の行動の背景にも、神の意志が働いているのである。
人間自身が、生き方を変えれば、野鼠の様に種族を残す事が出来るのである。それは、一見薄情な様子に見受けられがちだが、全体的に長いスパンで見れば、理に適っていると言える。
野鼠が、皆で話し合って、行動に移るのではなく、全体の潜在意識の中に、其のプログラムが内蔵されているのである。
其の、内蔵されている力こそ、神が介入している世界であろう。
人間の存在は、数が多ければ良いと言う分けでもない。
人間は、神の意識に拠る物を、積み上げて行く、仕組みの一部なのだから、其の役目を果たさなくては、存在する意味が無いのだ。その役割を果たすには、数だけが多くても役に立たないのだ。
エジプトの死者の書には、「此の世には、一人の『霊止・ひと』の為に、何千人もの土を捏ねて作った、泥人形の魂の人間が存在する」と、載っている。
其れ等の、泥人形(土霊・どれい・奴隷)の魂の人達は、役目が終われば、土に還されてしまうのだ。
私の意識が、此処までに育つのに、どれ程の人達が働かされたのであろうか。当の本人達は、自分の意識があると意っているのだろうが、それは、神がその様に思わせて、人間を使用しているだけなのである。・・・
「宗動・血筋を別ける」 http://star.ap.teacup.com/170606/119.html
2008/10/10・・昨夜の、静寂の中の老子の意識は、全ての生命意識の「中心・センター」に位置していたのではないだろうか。
そうであれば、岡本天明の日月神示にある「老子だけを中に祭り 他の神は皆外に祭れ」との事が「成就・じょうじゅ」したのではないだろうか。
私が此の世界に入った時に、老子風の中国人を座長に、黒人、白人、インディアンの祖霊が集まり、其々の遺伝子系統を、どれだけ残すかの会議が、神界で行われるのを見せられている。
其の時の座長の意識に、私の意識は、昨夜達していたのではないだろうか。・・・
「輪廻(サイクル)」 http://green.ap.teacup.com/20060818/912.html
老子の言葉には、「道を外れれば 神霊も力を発揮する事ができない」と有る。
其の意味を考えると、自然無為の行き方を貫かなければ、天神(てんのはたらき)の役には立てないと言う事であり、御稜威 ・みいつの役割も出来ないと言う事である。
2014/4/4「老子だけを中に祀れ」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3015.html
2008/3/15「道徳」http://green.ap.teacup.com/20060818/673.html
2009/5/23「老子道徳経47章」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1152.html
2001/12/20「 我に三宝有り」 http://moon.ap.teacup.com/20061116/8.html
2013/4/23「天・地・人」 http://moon.ap.teacup.com/20061116/43.html
2008/4/14「帝釈天の網」http://moon.ap.teacup.com/20061116/18.html
2002/1/28「0の概念」http://star.ap.teacup.com/170606/386.html
2005/12/21「一・二・三」 http://star.ap.teacup.com/170606/694.html
2014/10/8「善良な人々の暮らし」http://green.ap.teacup.com/20060818/3222.html
2000/8/31「帰巣本能」http://moon.ap.teacup.com/20061108/272.html
2004/2/23「真澄の鏡」http://star.ap.teacup.com/170606/75.html
2013/3/8「創造主」http://green.ap.teacup.com/20060818/2616.html
2016/9/12「孤独者と組織の存在」http://green.ap.teacup.com/20060818/3986.html
2015/11/19「最高理会得人記文」http://green.ap.teacup.com/20060818/3664.html
2014/5/9「文章を書き残すと言う事」http://green.ap.teacup.com/20060818/3063.html
2016/6/11「三つの重要事」http://green.ap.teacup.com/20060818/3882.html
2016/3/27「王魂」http://green.ap.teacup.com/20060818/3799.html
2002/2/22「聖徳太子の命日」http://moon.ap.teacup.com/20061108/160.html
2012/12/11「48時間」http://green.ap.teacup.com/20060818/2528.html
2006/8/28「 三つの窓」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/467.html
2016/3/8「色と道の概念」http://green.ap.teacup.com/20060818/3780.html
2016/7/27「概念を変えられるか」http://green.ap.teacup.com/20060818/3937.html
2016/5/23「天津日嗣のスメラのミコト」http://green.ap.teacup.com/20060818/3861.html
2012/2/5「悟り・覚醒・生活」http://moon.ap.teacup.com/20061108/530.html
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平成28年10月3日
礒邉自適
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