自適随筆
私の思考だけで書いた文集
2014/8/16
「健康的な生活」
健康に付いて
健康的な生活
26・8・16
今朝のメッセージの映像には、都会のビルの谷間で、競争に明け暮れて生活している男性達の様子と、田舎で農園を管理しながら、子育てをしている女性の姿が映し出されて来て、「ジェンダー」と「ナース」の言葉が告げられて来た。
其の言葉を、朝起きて調べて見ると、次の様に載っている。
・ナース
@ 看護婦。看護師。 A 乳母。保母。
・ジェンダーとは、文法における性(英語: grammatical gender)のこと。
生物学的性(英語: sex、雄雌の別)のこと。
医学・心理学・性科学の分野における「性の自己意識・自己認知(性同一性)」のこと[1][2][3]。
社会科学の分野において、生物学的性に対する、「社会的・文化的な性のありよう」、または「女性」と同義として使われる場合がある。
社会学者のイヴァン・イリイチの用語で、男女が相互に補完的分業をする本来的な人間関係のあり方。イリイチはその喪失を批判している。
先天的・身体的・生物学的性別を示すセックス(英語: sex)に対する、「社会的・文化的な性のありよう」のことを一般に日本ではジェンダーという[4](この場合の「ジェンダー」という用語それ自体には、良い悪いの価値判断を含むものではない)。
一方、欧米においては「gender」は、生物学的性の概念を含み、また文化的な差異とも異なるものとして認められる
・語源と用法
語源はラテン語: "genus"(産む、種族、起源)である。共通の語源を持つ言葉として"gene"(遺伝子)、"genital"(生殖の)、フランス語: genreなどがある。「生まれついての種類」という意味から転じて、性別のことを指すようになった。・・・ ウィキペディア辞典 現在記載
今朝のメッセージの映像と、二つの言葉はバラバラで無関係であるのかと思っていたが、調べて見ると、全部が関係ある事が判った。
「ジェンダー」の語源は、ラテン語: "genus"(産む、種族、起源)であり、「ナース」の意味は「乳母。保母。」である。
其れだと、女性が、子供を産んで育てる事を意味している事に成り、今朝のメッセージの映像で、明るく元気な女性が子育てをしていた事が、良い環境であり、人間にとって一番大事な理・ことである事を示している。
其の女性には、年頃の娘さんが二人居て、私が若者を紹介すると、二人とも直ぐに意気投合して、結婚する事に成った。そして、其の母親・女性から、とても感謝されていた。
其れは、現在の田舎の生活では、良い男性に巡り会える機会が少ないので、私の眼鏡に適っている男性は、貴重な存在である事が表されている。
一方、都会で生活している男性達は、中年の人達で、自分の単独の力では、生きる世界を創造する事が出来ないらしく、社会システムの中で、自分の立場を確保しなければ成らないので、互いに凌ぎを削っており、一時の気の休まる間も無い様であった。
其の様子からは、老後の安定・安楽などは、微塵も感じられなかった。
今朝のメッセージの映像は、確かに「ジェンダー」の言葉が意味する、男女・雌雄の働きの違いに付いて示して来ている。
そして、人間の本来の生活が何処に在るべきかを、示して来ており、女性が子育てをする環境は、田舎が適しており、男性の方も、都会で一生を送る事は、幸福ではない理・ことが示されて来ている。
今朝のメッセージの内容は、昨日のメッセージに「西郷隆盛翁」の事を書いた事と関係があり、男性と女性の違いを示して来たのかも知れない。
其れは、西郷さんは、農業を営む事が好みであり、自分を慕って集まった若者達にも農業を教えていた。
其れに、西郷さんが政府の要職を辞したのは、其の政府の在り様が、自分の理想いから大いに外れていたからである。
其れに、西郷さんの有名な言葉は「敬天愛人」や「子孫に美田を残さず」である。
其の西郷さんの言葉からすると、今朝の映像で、現在の都会の中で、お互いが生きる為に、戦々恐々としている中年の男性達の姿は、全く反対の世界に居る事になり、明治政府の立役者と成った西郷さんの気持ちからすれば、とても残念無念の事なのではないだろうか。
昨日は、橋の欄干のメッセージがダブった事で少し驚いたが、更に、以前の文章を読み易くする為に校正していると、其の文章にも、西郷さんの事が書いて在るのである。
其のタイミングと言うか、私の無意識の行動は、西郷さんの霊魂の影響が多分にある様である。
2006・2・2・・・昨日、午前1時から文章を書いて、家に帰り一眠りしたら、西郷隆盛らしき人の姿が、イメージのなかを流れた。
其れを、さして気にはしていなかったのだが、今朝(今3時)のメッセージに晴れ着を着た人が映り、太陽の光を一杯に受けて、緋色に輝いているのを見せられた。
其れは、地上の人間が「現人神・あらひとがみ」として、日の光を浴びている姿で、22年前に伊勢で出て来た「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の姿とは違うものであった。
しかし、其れは、木の葉の表裏一体の世界と同じく、模様や働きは違っても、一つの形を支え合って、存在させている力・エナジーの現れである事は間違い無い。
「天(天帝)」の働きを、地上で現人神として現象化させるのが、「皇帝・スメラの命・天皇」の仕事である。
其の、現人神として働く人間の姿が、「スメラ」やエジプトの「ラーの神官」である。
今朝現れた、其の人の姿は、日本の神社で、神主が着る服装であった。
其れは、人間の方に向かって、仕事をするのではなく、太陽神に向かって仕える人の姿である。
本来の神社の「神主・神官」の仕事は、現世社会の人間の願望を、神に取り次ぐのが仕事ではなく、神の意志を受け取り、人間に知らせる事が本来の役割なのである。其の仕事の「親玉・親魂」が、天皇の役割である。
今朝は、其の働きの者の姿が、映されて来たのだ。
其の、神に対して働く時に着る着物が「晴れ着」なのであり、神主にとっては其れが仕事着である。
其れが、昨日の「愈・まさる」の役割の姿ではないだろうか。
其の働きの、心境を述べてあるのが、「敬天愛人」の西郷さんの言葉であろう。西郷さんが死んだ原因は、自分を慕って集まって来た者達の、魂しいを癒す為であり、そうするしか他に無かったのであろう。
其の西郷さんの気持ちが、愈・まさるの言葉として、伝えられて来たのかもしれない。
日本の歴史は、神武天皇から始まった事に成っているが、神武天皇は南九州から出て行っている。
西郷さんも、鹿児島の出身である。西郷さんは、明治維新の立役者である。
其れは、明治天皇が遣るべき仕事を、代って遣ったのだから、明治天皇より西郷さんの方が、力を持って居た事になる。
其の気持ちが、「敬天愛人・天を敬い人を愛す」の短い言葉に表れている。
西郷さんは、実に気持ちの大きい人だったらしい。
其れは、「キモッタマ・胆霊・キムチ」がでかいとの表現に、ピタリ嵌る人物像である。
明治維新は、神武以来の大きな歴史の出来事だったのである。
日本が、世界に向けて、大きく変わったのは、明治維新が一番の出来事だと言えるだろう。
其れを為しえたのには、西郷さんの力が、基の処に在る事は、万民が認める処である。
西郷さんは、最後にどんな意いで、自決をしたのだろうか。
若しかしたら、其の西郷さんの意・おもいが、私を此処まで突き動かして来たのかも知れない。
其の西郷さんの意いを、愈・やすらかにするのが、私の役割ではないだろうか。そうであれば、私は西郷さんの霊魂を愈らかにする、神社の禰宜職・ねぎらうと同じ役割と成るのだ。・・・
「晴れ着」
http://star.ap.teacup.com/170606/749.html
「まさる(愈)」
http://star.ap.teacup.com/170606/748.html
今朝のメッセージで示されて来た内容を、大観して短く述べれば、都会で生まれ育った人間の思考は「狭巷・きょうこく」から発生するものであるから、宇宙・天・神の世界と、コミュニケーションを執る事は出来ないと言う事である。
其の点、女性であっても、自然豊かな田舎で、作物を栽培し、子育てを行えば、大きな御魂と成る事が出来ると言う事であろう。
平成26年8月16日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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