自適随筆
私の思考だけで書いた文集
2010/11/27
「残さなければ成らないもの」
精神に付いて
残さなければ成らないもの
22・11・27
今朝は無意識の中で、私には、伝え残さなければ成らないモノが有る事が、認識されていた。
其れは、此れまで積み上げられて来た叡智を、私の代でも、伝え残して行かなければ成らないと言う事である。
旧約聖書では、蛇の勧める智慧の林檎を食べた者は、エデンの園を追放されるとの意味の記載が有るが、インドでは大蛇は智慧の持ち主であり、ブッダの守護神とされている。
其の違いは、人類の為に成る智慧と、為に成らない智慧・知識が有る理・ことを示唆している。
其の点に付いては、中国の老子は「民に 学問の場を与えると 賢しらが増えて 世の中が乱れる」と謂っている。
其の老子の言葉に従うと、精神的なレベルが高いと言うか、徳の有る人間に勉学の機会を与える事は良い結果を齎すが、人格の低い者に学問をさせると、悪智慧が働く様に成り、社会が乱れると言う理・ことに成る。
正に、現在の人間社会は、其の状態にあると言えるのではないだろうか。
インドの釈迦は、「自分が悟ったのは 今世ではなく 何世も前の事である」と謂っており、中国の老子は「古・いにしえの人は 素晴らしい」と、自分にいまの智慧が有るのは、古代から賢者が智慧を積み重ねて来ているからだと説明している。
其れに、中東のイエスキリストは「永遠のいのち(魂)に入る為には 財産などの物の世界に執着してはならない」と謂っている。
聖者である彼等は、皆等しく同じ様な理・ことを謂っているのである。
其れは、どの様な意味なのであろうか。
日本の神社では、禊ぎ祓いの儀式が行なわれるし、世俗では「理屈を云うな」との言葉が有り、理論を述べる事が、嫌がれる風潮が有る。
其れは、弁舌が大事とされる西洋文化とは違っている。
其の様に考えて行くと、永遠の智慧の世界と、現世を生きて行く為の智慧には、何等かの差が有ると言う理・ことに成る。
其の違いは、一体何なのであろうか。
其れを簡単に謂えば、現世を生きる為の智慧は、単なる知識に過ぎないとの事なのかも知れない。
今朝、私の無意識の中に、智慧を伝え残さなければ成らないとの、想いが生じて来たのは、単なる知識の事ではなく、永遠の世界の智慧と成るべき情報を、何等かの形で、伝え残す事をしなければ成らないと言う事なのであろう。
其の為にこそ、26年前に4311体もの「神霊の思頼・みたまのふゆ」が、此の私に起きて来たのであろう。
其の様に考えると、私は26年間の月日の中で、4311体の神霊の働きに拠り、何等かの智慧を積み上げて来ている事に成る。
其れが、どんなモノであるのかは、いま具体的に頭には浮かばないが、私の意識と言うか智慧のレベルが、其の段階に至っているのであれば、自分の意識を其の様に保てば、何等かの形で考えが纏まって来るのかも知れない。
其の為にも、石垣雅設氏との北への旅は、私の此れまでの認識を、纏め上げるのに必要なのかも知れない。
私の此れまでの体験で、一人で居る時には「瞑想」は進んでも、言葉に拠る思考の方は止まった侭に、成る事が解っている。
其の事を考えても、同じ意識のレベルの人間が、一緒に旅をする事は、大きな意味があるだろう。
其れが、漢字の「人間」の、本来の意味なのかも知れない。
何故かと言うと、「人・ジン」は一人の意味であり、人間とは「空間」や「時間」の単語と同じく、「物の間」の意味だからである。
其の意味では、私は良い相手に恵まれていると、言えるのではないだろうか。
今日、私が感じる事は、宇宙情報の記憶装置である「アカシックレコード」に、智慧を上書きする事と、「弥勒菩薩・マイトレーヤ」が、現世に情報を持って現れて衆生救済をするとの事には、智慧の使い方に、二面性があると言う事である。
其れを考えると、私は此れから、どちらの方に意識を向けて行けば良いのか、いまの処は、未だ判らないままである。
平成22年11月27日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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