2006/8/6
野鳩の鳴き声
18・8・6
今日は、広島市で、被爆61周年の慰霊の儀式が行なわれる日だが、今朝は平和の象徴とされている鳩が、6時前から宿舎の横の林に来て、鳴き始めた。
最初は、夢の中で、神の声かと意ったが、目を開いて三次元である事を確かめても、其の声は、同じ鳴き声である。
其の声は「立派に成ったね 立派に成ったね」と、聞こえるのである。
其の声は、30分くらい聞こえていて、太陽の光りが強く成って来たら、止まった。
平和のシンボルが、鳩に成っているのも、意味が有るのかもしれない。
今朝は、其の現象で、22年前、神の世界に入った時の事を思い出した。
其の日の朝は、矢本岳の実家に泊まって居て、朝寝室の窓に鳥が来て、翼で窓ガラスを叩く音で眼が覚めた。
すると、其の鳥は、屋敷の横に立っている高い木の頂に止まって、鳴き始めたのである。其れは、「時告鳥・ホトトギス」の鳴き声である。
私は、其の声が、私を呼んでいる様に感じて、寝床から起きて外に出た。
早朝の其の野外には、余計な物事は未だ一切起きていない。
フト、上空を見ると、一羽の鷹・たかが家の上を、円を描いて回転している。
其の鷹を視ていると、右の翼の羽が一本抜けて落ちて来た。
そして、私が、其の羽を拾うと、其の鷹は、山の方に向かった。
私は、何気なく其の後に付いて、山の方に向かったのである。
不思議な事に、其の鷹は、私が毎日、山に向かう癖が付くまで、数日間、毎日迎えに遣って来た。
其の鷹が、同一の鷹である事は、飛んで居る翼の羽が一本抜けているので、直ぐに判別出来たのである。
其の日から、毎日山中に入り込んで、人間に接触しないので、人間社会の煩わしさから遠退いて行ったのである。
其れから、私は、人間社会を、遠目で客観的に視る様に成ったのである。
だから、中国の古典に載っている「宇宙の 事象が転換する時は 禽鳥類が其の氣を先ず受けて 其の禽鳥類から 人間に中継して来る」との事が、現実の事として起きたのである。
其の現象は、2666年前の神武天皇の時にも起きて、其の地は、現在でも「鳥見」として、奈良市の近くに有る。
一昨日、4日のメッセージにも、大きな白い鳥が一羽、ゆっくり右回転で、私の方に向かって飛んで来る映像が映って来た。
そして、今朝は、野鳩が庭の木に来て、「立派に 成ったね」と鳴き続けるのである。
どうやら、屋久島から2666年振りに、新しい意識が目覚めるらしい。
其れは、人間だけの世界ではなく、森羅万象総ての氣が、転換すると謂う事である。
今朝の映像には、薄いピンク色のアルバムが一冊現れて、「いのちのアルバム」と有り「生命の絆」と言う副題も示されて来た。
其れで、私が理解出来た事は、私が意識するかしないに関わらず、私の脳を使って、新しいプログラムが展開されていると言うことである。
其れは、私が、映像を解釈しようとすると止まるが、其の侭、何も意識しないで素通りさせれば、其の侭、宇宙のプログラムが滞り無く、三次元に流れ込んで行くと謂う事である。
其れが、島根県松江市に有る「熊野大社」の祭神である「神祖熊野大神櫛御氣命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」の働きなのだ。
そして、其れが、本来の「みいつ・御陵威」の働きの理・ことなのである。
だから、私は、中国の王様に鍼を打つ清水先生に捜し出されて、皇帝の働きが出来る治療を受けさせられたのである。(1995年8月〜9月)
総てが、此の日の為に、準備されて来た事だったのである。
22年前、屋久島での修行が終わり、飛行機で鹿児島に出て行くと、鹿児島空港の上に、一羽の鷹が来て回転して居た。
私が、其の鷹の存在に気付いた事が分かると、其の鷹は、霧島の山の方に向かって飛んで行った。
私は、其の鷹の飛んで行った方に向かい、霧島神宮に参拝したのである。
昨日は、久し振りに、霧島の知り合いからメールが有った。
其れは、「太陽に兆しが見えた」との事であった。
私の、守護霊の中の本霊は「「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」である。
宇摩志麻遅命の御陵が有る、島根県太田市の「物部神社」の神紋は、「日負い鶴」である。其れは、太陽を背にする大鳥である。
一昨日の大きな白鳥は、其の日背負い鶴か、「日本健命・ヤマトタケル」の霊体だったのかも知れない。
今朝の映像には、パソコン作業が出来る女性達が、霧島の建物に10名程集まって、私の仕事の手伝いを始める様子が映されて来た。
どうやら、私はノート型パソコンを一台手にして、世界中を回り、其の女性達に、原稿を送らなければ成らない様である。
そして、「命・いのち」の写真を撮りまくり、「生命の絆」を映像と言葉で、表現して行かなければ成らない様である。
其れが、薄いピンク色のアルバムの意味なのである。
ピンク色は、「弁財天・サラスヴァティー」の子供達の色である。
私は、水の子達の姿を、撮り続けて行かなければならないのだ。
一昨日のメッセージには、大分県犬飼町で「大野川」を守る運動をしている友人の「幸野敏治氏」の姿が映り、「是は 総ての変革である」との言葉が有り、新しきHPのトップページが映されて来た。
昨日は、其のトップページのデザインが出来上がったのである。
幸野敏治氏の姿と「是からの総ての改革」が、何故関係が有るのか。
其れは、幸野敏治氏が大野川を守る運動を長年行なっているからである。
大野川は、大分県・宮崎県・熊本県に支流を持ち、水源が三県に跨っているのである。
幸野敏治氏は、其の支流に住む人々を集めて、水を守る運動を続けて来た方である。
「大野川ネットワーキング」 http://www.pref.oita.jp/10400/viento/vol08/tokusyuu/02.htm
其の、大野川の支流の一つである祖母山山系は、「豊玉姫」を祭る山であり、七回半木に巻きつく「大蛇・ククルカーン・括る神様」の本でもある。
水を守る運動をして居る幸野敏治氏は、大山祇神にとって、一番大事な人間なのだ。
其の幸野敏治氏の働きを表に出し、其の働きを世界中に拡げて行くのが、是からの私の役割であるようだ。
今日は、また一つ新しいHP「いのちのアルバム(生命の絆)」のトップページをデザインしなければならない。
私の、HPとブログの数は40を超えて来た。
其れを、一人一人に分けて管理して貰うには、40名のスタッフが必要に成って来る。
其の40名が、一箇所に集まる必要が無いのが、I T社会の良い処である。
是から先、物事がどう展開するのかは、未だ判らないが、此処のところ神霊界の働きの奥深さが、日に日に実感できて来ている自分が在る。
其の自分自身が、何者で在るのかは、益々不可解に成っては来ているが。
今日は、広島の犠牲者の追悼が行なわれる日である。
私は22年前、初めて、車に炊事道具の鍋釜や布団を積んで旅に出て、三日目の朝、目覚めたのが、広島の平和公園の入り口の広場であった。
私の旅は、昼夜を問わず、眠く成るまで走り続け、眠く成った処で広場を捜し、其の場で、車中に布団を広げて眠って居たのである。
全てを、霊の動きに任せて、ハンドルを切って居たのである。
其の同じ手が、今はパソコンのキイボードを叩いている。
是から先、何を打たされるのかは分からないが、止まる迄は続けるしかない。
今日は、原爆で亡く成った人達だけではなく、戦争の犠牲に成った方々の追悼の為にも、新しく出来た磐境で祈りでもして見ようかな。
少しでも、霊界の供養が出来て、世界が安らぐのであれば。
平成18年8月6日
礒邉自適
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