2005/11/2
地球上の十字架
17・11・2
地球の表面上には、磁石と同じ磁力線が有り、其の磁力線が南北に隙間無く張り廻らされている。
其れは、磁石を手に取れば、誰でもが見る事の出来る現実である。
其の、地球の地磁気の存在は、人間が方向を知る為だけではなく、渡り鳥や伝書鳩などが、移動の為の羅針盤として、利用している事実も、万民の知る処と成った。
インドのお釈迦さんが、北を枕に、西に顔を向けて、涅槃の姿を採って居たのも、其の磁力線に、自分の身体の向きを合わせて居たからである。
其の事実から、「北枕」は、仏さんの寝る方向とされて来たのである。
其れは、お釈迦さんだけではなく、中国でも、皇帝が政治を行うにも大事とされ、四方神の北方の神「玄武」が、皇帝の背後の守護神とされている。
そして、皇帝は、背に其の玄武の力を受けて南に向かい、民に対して政治を行なって居たのである。
其れは、地球の自転の所為で、北半球では、夜空を見上げると、地球の大地が北極星を中心に回っている様に、見える事に関係が有り、其の星空の回転の中心に位置する北極星が、王の統治の力と見なされたからである。
其の、磁力線を縦として「経度(東経=西経)」が創られ、赤道を中心にして横の線「北緯度」と「南緯度」が創られた。
経度が決められたのは、イギリス国が当時世界の実権を握っていたからで、イギリス国のグリニッジ天文台を中心として、東経と西経が決められた。
私の住む屋久島は、中心線が東経130度30分で、北緯が30度20分である。
北緯30度の線上を辿ると、西は、中国の老子が生まれた「雲南省」、→お釈迦さんが生まれた「ネパール」、→イエスが禊ぎをした「ヨルダン川」に至る。
東は、メキシコ半島、→ボストン、→フロリダ半島である。
「屋久島自適塾」http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/yjj/top.html
一方、東経130度30分は、南端はオーストラリアの「イエローストン」辺りである。
屋久島の、真北に位置する矢筈岬「矢筈岳八幡神社」の先には、薩摩半島に聳える開聞岳が有り其の麓には「開聞(ひらきき)神社」が存在する。
更に、其の先には、私の祖父が宮大工をしていた鹿児島市谷山町の「谷山神社」が有り、熊本県葦北町「佐敷諏訪神社」→福岡県久留米市の「水天宮」、佐賀県基山町「宝満宮」→大宰府の「天満宮」、古賀市「熊野神社」→宗像市の「宗像大社」を抜けて、神湊に浮かぶ地の島の「慈島神社」へと至る。
「東経130度30分」http://blog.livedoor.jp/miitsuline/
其れは、正に、九州のレイラインと成っている。
其の130度30分を縦とし、世界の大聖者が誕生した北緯30度を横とすれば、屋久島を中心として地球の十字架が出来上がる。
これは、薩摩藩の印しが、丸に十字であるのも偶然にしても面白い。
神武天皇も、南九州の出身であるし、満更出たら目とも言えないではないか。
私が21年前、屋久島から出る際、開聞岳の横を船で通過する時に、開聞岳の上空に有った雲から、一部の雲がスルスルと山上に降りて来て、雨靴の様な足の形に成り、其の方向は北に向いていた。
其の現象が、私には、旅に出る事の励ましの様にも受け取れた。
其れから、20年が経過している。
神の意識が、地球の磁力線に関係が有るのなら、神社の有る位置が並んでいるのも、ただの偶然ではなくて、何等かの法則が有る事に成る。
現代科学で、人間の脳が働いているのも、磁気が働いているからであり、体の筋肉が動くのも、磁気信号に因るものだと解って来た。
「神」の漢字は「示+申」の組み合わせで、「示」は祭壇の形の象形で「申」は雷の電気・稲光の意味である。
昔の人は、祭壇を設けて、其の前で、神からの情報を磁気信号の形で受け取っていたのである。
其れで、磁気の走る体の筋を「神経」と名付けている。
お釈迦さんは、「自分が死んでも 自分の記憶は 石や木にダビングされて 500年間は残る」と、云ったそうである。
日本の、大天才である弘法大師空海は、自分の意志を、岩石に、梵字で刻み込む事で、脳の磁気信号を岩にダビングして残している。
其れ等の事から、昔の人こそ、自然科学に長けていたのではないかと想えてしまう。
人間の生体電気と、地磁気の関係性の事を考えると、地球自体が、巨大なパソコンのシステムを有している可能性は高い。
其の様に考えると、CDやフロッピーデスクの役割は、花崗岩や水の分子と同じ様な役割を、担っている事に成るのである。
インドのお釈迦さんは、この世界は、全て縁で出来上がっているのと説いている。
縁とは、現在の言葉で言えば情報である。情報であるなら、当然中央管理システムが、何処かに存在するはずである。
其れは、時代に因って移動するモノかも知れないが、今回のプログラムでは、屋久島がホスト・コンピユーターの役割を、果たしている可能性は高い。
私の両親が、屋久島に渡って来て、私を産み育てた事も、其のホスト・コンピユーター情報で、全部管理された上での事ではないだろうか。
其れを、別の言葉で「運命」と呼ぶのなら、其の情報から、何者も逃げ出せない事に成る。
中国の西遊記の物語で、孫悟空が何処まで行っても、観音様の掌からは外に出られない事も、真実を捉えていると言えるのである。
是から、其の大きな情報網がどう動き出すのか、其れは、他人に訊ねても分からない。
何故なら、人間の一人一人の役目が違い、抱えている情報も皆、異なっているからである。
無闇に、他人の情報を取り込んでしまえば、自分の情報が混乱を引き起こすのである。
だからこそ、自分自身が禊ぎ払いをして、自分の情報に目覚めるしか無いのだ。
其れが「惟神(かんながら)の世界」である。
しかし、是から、其の世界に入る人は幾分楽である。
何故なら、道は既に整えられているからである。
是までの人達の努力により、道標は、既に重要な位置に立てられているのだ。後は、其の道標の矢印を、見間違わない事だけである。
地球にも、物の位置だけではなく、新しく、魂しいの十字架も建てられるのだから。
平成17年11月2日
礒邉自適
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