2005/2/20
御稜威・みいつ
17・2・20
古代社会には、「すめみま」の役割の者が居て、「みいつ」の働きをしていた。
「みいつ」とは、「御稜威」と書き、「稜威」とは、「斎祭る(いつきまつる)」の「いつ」で、潔斎して神に仕え、神のエネルギーを自分の心身を通してトランスする事である。
其の者の名を「すめみま」と呼び、其れは祭祀の時の天皇の尊称でもある。
古代社会では、各部族の中に其の働きをする者が在って、一族の生活の方向性を決めていたのである。其れは、族長の役割でもあっただろうし、シャーマン的働きをする者の、役目とも成っていたのかも知れない。
日本では、720年に持統天皇が「政・まつりごと」を一本化するまでは、18の部族が其々の政・まつりごとを行っていたとも伝えられている。
現代の皇室の祭り事は、物部一族の儀式を主に伝えている物の様だが、過去には様々な祭り事が伝えられていたものと想われる。
物部一族の先祖霊を祭祀する、奈良の「石上神宮」では、11月22日から23日にかけて、「新嘗祭」が夜通し行われる。それは、其の年に収穫された米を、先祖の霊(御祖神・みおやかみ)と共に直会・なおらいし、神通力を得るものである。
この場合の神通力とは、三次元に生きる者の意識と、四次元に存在する先祖の霊の意識(魂)との、合体(意思の疎通)を図る意味である。
この世である「三次元世界・人間社会」に生活する者が、宇宙の意識の中間の世界に存在する者達を、聖霊とか神霊などと呼び、その者達を呼び戻すのが祭り事である。
私達人間は、三次元世界に於いて、物質として、波動が固定された物であるが、霊界の人々の魂は、自由な波動の世界に在るので、宇宙自体の波動に強い影響を与える事が出来るのだ。
其の、力の強い聖霊や神霊の影響を受け取る者の存在が、日本では「すめみま」と呼ばれ、インドでは佛陀と呼ばれ、西洋ではキリストと呼ばれて来た。
イエスキリストの言葉にも、「父と 子と 聖霊の 御名に於いて」と有るが、其れは「父」が天・宇宙の意志であり、「子」が自分(人)で、その間に「聖霊」の働きが有る理・ことを示している。
「いつ」とは、「厳」であり、それは、「@尊厳な威光。威勢の鋭いこと。A植物等が威勢良く繁茂すること。B斎み清められていること。」とある。広辞苑
「御稜威」とは、「皇孫・すめみま」や「佛陀・ブッダ」、「キリスト・メシヤ」「聖者・ひじり」の心身を通して、天・宇宙の働きが、四次元世界から三次元世界に流れ出る事であろう。
其の働きが威勢よく行われる時が、時代の変わり目であり、歴史が新しく刻まれる時なのである。
其の周期として2600年前、日本では「神武天皇」、中国では「老子」、インドでは「釈迦」が活躍し、古代ギリシャでは「哲学(叡智の意味)」が生まれた。
現代社会は、2600年振りに、新しい時の節目を迎えており、新時代を担う「すめみま」の誕生が求められている。その現象は、宇宙意志や、神霊・聖霊が働いて、「すめみま」を人間社会に育くむ事で現象化するのである。
そして、人間自身がその者の存在に気付いて、その者に同調しなければ、天の働きが地上に現される事は無い。
人類が、新しい世界に突入する為には、新しき価値観に目覚めなければならない。其の、人類の目覚めの切掛けに成る者の存在が、「マイトレーヤ(弥勒菩薩)」や「メシア(救世主・キリスト)」として、求められているのだと想われる。
其の「すめみま」なる者が現れていれば、普通の民衆の目には止まらなくても、その働きは厳然たる事実として存在する事に成るだろう。
スメミマなる者の御稜威の働きは、人々の潜在意識に影響を与え、新しい世界を日々創造し続けているはずである。其の事に人々が気付くのは、もう間近ではないのだろうか。未来を担う子供達には、確かに其の傾向が現れて来ている。
我々も、その働きに、自分を合わしていくしかないのだ。
新しい人類の未来を、この目で視る為にも。
2005年2月20日
礒邉自適
2005/2/18
皆 普通に返る
17・2・18
神の世界とは、一体何であろうか。
私は、神々に頼まれて、20年間働いて来た。
その結果は、私自身の事も含めて、私が関った人々は、皆、普通の処に返って行った。
20年間の、魂しいの修行で解った事は、神の世界とは、何か特別の事が有るのではなく、自然な生き方をする事が、神の世界に生きる理・ことなのだと意われて来た。
この地球の大自然こそ、神が創造した唯一の宝物なのである。
その宝物である地球環境の中で、余計な事をしないで、出来るだけ静かに生活する事が、一番大事なことなのではないだろうか。
私は、20年間の全国の旅で、実に多くの人々と接触して来た。
現在、その人達が、どの様に生きているかを考えてみると、神行や宗教等から離れて、普通の生活に返って、主婦業や其々の仕事を行っている。
未だに、宗教や神事に関係している人々は、その事を職業としている人か、職業にしたいと想っている人達なのかもしれない。
日本の伝統である神道の「惟神の道」は、「見てもいけない」「聞いてもいけない」「教えてもいけない」との、世界である。
人には、其々の生き方があり、その人なりの使命や天命が有る。
其れなのに、他人の生き方を真似たり、自分の生き方を、他人に押し付けたりする事は、自然の法則に違反する事に成るだろう。
私は、「神の世界に 入った」と、人々に告げながら、人々を宗教や神事から切り離して、普通の生活に、引き戻す働きをして来たのであろうか。
私には、4311体もの神霊達の「御魂の思頼・みたまのふゆ」が遣って来て、その神霊の願いを適える為に、自分の仕事や家族を捨てて、20年間の旅を続けて来た。
その結果が、自分も普通の暮らしに返り、縁の有った人々も、普通の生活に返す事になったのである。
私は、人々を、何か違う世界に導くのではなく、人間本来の働きや、暮らしに引き戻す為に、役目を担って来た様である。
人々が、静かに自然を見つめながら、喜び、楽しんで生きて行く事こそが、神の望む世界なのであろう。
私は、自分自身がその理に気付き、また人々にも、伝える事が役目だったのだと、今日は理解できて来た。
昨日2月17日に、出雲の「安部氏」に何ヶ月振りに電話を入れると、「今日は あべ未来研究所を設立して 7年目の記念日だ」と云われた。
2月17日は、伊勢神宮の「祈年祭・としごいのまつり」日である。
何かが、一つ解脱(ホドケ)た様な気がする。
平成17年2月18日
礒邉自適
2005/2/10
グリーン・クラブ
17・2・10
2005年2月9日で、「グリーン・クラブ」は五年目に入りました。
グリーン・クラブは「みどりの会」を世界に拡げる為の名称です。
グリーン・クラブのシールは、2001年5月3日憲法記念日に「地球憲法を引き受けてくれるか」との神のメッセージが有り、シールの絵もカラーで映って来た物です。
其のシールは、神の認定書と成る物で、地球人類が、新しい時代を迎えるに当たり、正しい生活や行いをしている、個人や企業・グループ等に、認証として与える物です。
其の認定の規準造りとして、礒邉自適の肉体を借りた神々の働きが、20年間続きました。
現在、世界には、環境保全やスローフード運動など、智慧を生かす流れが起きて来ています。
其の流れを支える事が、グリーン・クラブの役割です。
今年より、礒邉自適の認識レベルを基準にして、認定される対象を、グリーン・クラブの情報ページに掲載し、其の活動の応援体制に入りたいと考えています。
礒邉自適の認識に因り、対象の紹介を順次行なって行きますので、紹介された中で、御都合の悪い方が御座いましたら、ご連絡ください。
新しい時代の幕開けは、人間自身の手に掛かっています。
神々は、手足を持ちません。
我々人間は、神々の手足として、この世界に存在しています。
過去の時代に生きて、現在、神として祭られている人達は、全員天神の支援を受けながら、未来を創造した者達です。
我々も、神の意思を受けながら、未来を創造して行けば、新しい神と成れるのです。
皆で協力しながら、楽しくて幸福な世界を、創造して行きましょう。
7年2月10日
礒邉自適
2005/2/4
神の発動
17・2・4
屋久島で、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、礒邉自適に掛かった神は2600年前に「神武天皇」を動かした神と同じであった。
それから21年、いよいよ屋久島より、世界へ神が発動する。
2600年前、神武天皇には「奈良で山和の国を治めろ」とのメッセージだったが、今回は「世界の政・まつりごとを行え」とのメッセージである。
2600年前とは異なり、現代社会はインターネットの存在に因り、世界は一つに繋がっている。
今度、屋久島より発信される情報は、世界共通の情報と成り、未来社会を創造する事に成る。
屋久島の、山岳と森は「神篭り」として、世界を動かして行くだろう。
平成17年2月4日
礒邉自適
2005/2/2
人は木に育てられる
17・2・2
1月29日の朝から、安房川の左岸の空き地に、桜の木の植樹が行われた。
桜の木は直径10cm程で、樹齢が5〜6年である。
43本の木を、15名程の人数で植えた。
1月29日は、私の満58歳の誕生日なので、自分の誕生日の記念植樹祭の様な気分に成り、少し嬉しかった。
その所為かどうかは分からないが、昨日と今朝、続けて、霊夢に大きな樹木が映って来た。
昨日の夢の場面は、何処かの森の中を、道を切り開きながら進んで行くと、「樺の木」の様な大木が、枝を大きく横に広げていて、その木には、蔓がぶら下がっている。
その大木の横には、数千年かけて大きく成った木が、途中で折れてしまい、折れた所には、2〜3名の人間が座れそうに成っている。
私は、大木に下がっている蔓を伝って登り、隣の折れた巨木の上に座っている処で、夢の場面は終わった。
今朝の霊夢の方は、樹齢数千年の杉の巨木が二本立っていて、右側の方の木は未だ、枝葉が元気に繁っているが、左側の方の木は、もう何年も前に枯れて、枝葉が朽果て、茶色に腐った図体だけが残って立っている。
その枯れた巨木を、二人の樵が、エンジン付きのノコで切り始める作業をしている。
私も、その二人の人達と、どういう風に切って、何に使用したら良いかを、話し合っている処で夢は終わった。
今朝、二日続けて出て来た「巨木」の事を考えていると、7時頃に宮崎の西都のM子さんより電話が有り、西都に在る「都萬(つま)神社」の大楠と、御神剣の事が、気に成ると言って来た。
そして、9時過ぎに、今度は岡山のスーリアさんより、奈良県の玉置神社の御神木と剣の事に付いて、電話が有った。
スーリアさんの話では、昨日から、女性陣の動きが激しく成って、良い方向に物事が進み始めているとの事。
宮崎のM子さんの方も、周囲の動きが、神憑りの様にうまく進んでいるとの事である。
二人の電話からして、今年はようやく、現実的に物事が動き出した様である。
明日3日は節分であり、今年の旧暦元旦は2月9日である。
今年は、春から縁起が良い様だ。
私の方も、1月17日より自適塾の事務所も出来て、電話も付き、数名の方が準備を始めてくだされている。
そんな中での、昨日と今朝の大樹の夢である。
神社の樹木や、森の大きな木には、神霊が住んでいて、人間の魂に影響を与えるとされて来た。
それが真実なら、此の屋久島は、古代からの深い森に、多くの巨木が存在するので、神霊の中央(センター)の働きが有っても、おかしなことではない。
屋久島の森の樹木と、全国の神社の樹木は、気・エネルギーで通じているとも考えられる。
また今朝の電話では、神社に奉納されている「剣・つるぎ」の事も、テーマと成っている。
剣は、人間の行為や、所業の象徴と言える物である。
神界より、剣を授かるビジョンを見る事は、人間世界の指導を意味する事にも繋がる。
未来社会の指導的立場に立つ者は、剣を授かるビジョンを受け取ったり、樹木からメッセージを受けたりするのであろう。
古代から、樹木の霊や、剣が大事とされて来たのは、人間が、正しく生きて行く為の指針であり、法であったのだろう。
樹木を、大事にすると言う事は、自然を大事にし、水の循環を守り、生命のバランスを計る事でもある。
樹木のメッセージは、自然と神霊と人間の繋がりを、気付かせるものであり、調和を確かめさせられる出来事でもある。
昨日と、今日のメッセージは、神がその理を、告げて来たものなのだろう。
平成17年2月2日
礒邉自適
2005/2/1
愛される人
17・2・1
私は、他人を愛する力は無くとも、愛される人間には、成れた様な気がする。
20年前は、全てを捨てて旅に出た。
何も、無い無い尽しの私だから、愛を行為で示す事は出来なかったが、他人から愛の行為を受ける事は多々有った。
有ったと言うより、それだけで、旅が続けられた様な気がする。
現在の世の中には、私の様に、家族や、地位も名誉も全部捨てて、神に仕えている者は少ない様である。
物珍しさもあって、多くの人達が、私に、色々と関って下さったのかも知れない。
しかし、そのお陰で、全国の旅が続けられ、現代社会の良い面、悪い面も知る事が出来、また物事の真理も掴む事が出来た。
諺に「身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」と有るが、私は、神を信じ、自分の身を投げ打って、今日まで行動を続けてきた。
其れが、間違いだったとは意わない。何故なら、20年間、無事に生き長らえて来られたからである。
未だに、私は、金も地位も名誉も無いが、何とか自由に生きているし、生活に窮して居るわけでもない。
寧ろ、未来に向かって、明るく生きて行ける立場に在る。
「捨てる神有れば 拾う神有り」で、全国に何十人もの協力者が現れ、私を支えてくださっている。
私は、その方々に愛されて、存在を続けられているのである。
宇宙の本質は「愛」であると、各宗教の教祖が述べているが、其れは本当なのだ。
神の愛は、永遠で見返りを求めないと、傳えられているが、それも真実である。
神の御心と、同じに成れば、その人には、神の御力が備わる事に成る。
それは、神人には、神の力が具現化されるからである。
私は、神の力が具現化する為に、人々に愛される役割を、続けて行かなければならないのだろう。
そうする事で、愛に目覚める人々が、増えて来るのであろう。
私が希望するのは、愛に満ちた人々と、社会の存在である。
それが、現実と成る日が、近づいて来ている様である。
平成17年2月1日
礒邉自適
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