2004/8/27
宗教の原点
16・8・27
「宗教」の単語は、明治時代に西洋文化を導入する際、英語の「リリジョン・religion」を訳す言葉として作られたものだったとのこと。
明治に入るまで「宗教」との言葉は無かった事に成る。
では、其れまでは宗教の事を、何と言っていたのだろうか。
考えられるのは「神仏」で、神や仏の事や、先祖の霊魂などと、言い分けていたのだろう。
「神」は、天の働きや自然の力、神霊等様々なものが、幅広く対象と成っている。
「仏」とは、本来はインドで悟った人の事を、「ブッダ(佛陀)」と呼ぶ事から来ている。
現在の日本の仏とは、インドの「釈迦牟尼仏」が本であり、釈迦の教えが仏教として日本に伝えられ、釈迦以外の仏像は皆、日本の神霊等に当たるもので仏ではない。
「ブッダ・仏陀」とは、天の働きと、同一化した人の呼び名なのであり、ブッダとなった者は、神霊の働きを吸収し、再構築して、未来を創造して行く働きを持つ。
だから、普通の人間が死んでも、「仏・ブッダ」には絶対に成れないので、死んだ者を「仏様」と呼ぶのは正しくないのである。
日本に在る神社には、様々な形体があり、山を御神体とするものや、水を神とするもの、其れと昔、生きていた人達の徳を称えるものや、怨念を残した者の鎮魂の為の物も存在する。
だから、日本の神社や、神様には教えと言うものが無く、儀式が多い。
一方、仏教とは「釈迦の教え」だから「教え(経典)」が有り、キリストの教えは「キリスト教(聖書)」、マホメットの教えは「イスラム教(コーラン)」、老子の教えは「道教」と、教えが付いている。
同じ人間の教えでも、「ソクラテス」や「プラトン」、「マルクス」等の教えは、宗教とは言わずに「哲学」と呼ぶ。
哲学の単語の元は、ギリシャでは「愛智」の意なので、愛智なら、宗教と同類の意味だと想うのだが、哲学には、神秘が語られていないから、宗教とは区別されているのだろう。
しかし、私の価値観から言えば、釈迦の教えも、老子の教えも、孔子の教えも、みな愛智と受け取れるので、哲学も宗教も、そんなに違うとは想われない。
違いが有るのは、イエスキリストの様に、教えの他に奇跡を行った事で、神秘性が加味されて、宗教性が強く成っている事である。
奇跡的力が有っても、其の者の教えが無ければ、宗教として伝えられ、拡大されて後世に残る事が少ない。
其れ等の人達は霊として、神社に祀られる事が多い。
宗教の世界を大きく分けてみると、釈迦の教えを、伝え残そうとした弟子達を祭る寺院や、イエスの教えを残そうとした聖者達を祭る教会等の様に、精神的な繋がりの系譜と、自分達の血の繋がりを伝える「天皇家」の天照神や、大国主命の血筋を伝える「諏訪神社」と、事代主神を祭る「恵比寿神社」や、物部氏の一族を祀る「石上神社」と「物部神社」等がある。
世界中の宗教を見ると、自分の先祖の霊を、神として祭る事が多い。
日本の神社も「産土神社」や「氏神様」は、自分の一族の先祖を祭るものである。
天皇家も、その一つの血筋であるが、日本人全体の先祖と言う分けではないので、全国一律とする件(こと)には、無理があると言える。
資本主義と社会主義、イスラエルとアラブ等の戦争の原因と成っているものは、宗教や考え方、文化の違いに因るものだが、その元には、自分の先祖を祭るとか、昔の教祖を祭るとかの、共通の必理が働いている。
人間は、昔の、確かな存在物に頼っていなければ、心が不安定に成るのであろう。
だから、神社や寺院や教会等の建物を造って、自分の安心を、得ようとするのだろう。
しかし、釈迦やイエスや老子等は、その様な事をせずに、自分自身が神として目覚める理を、説いている。
私達は、自分自身を神の器として、過去の霊魂を受け入れ、未来を新しきものとして、創造して行かなければならないのだ。
そうであれば、日常の暮らしや、精神的な安定を確立出来る文化を、創造して行かなければならない。
そうするには、釈迦牟尼仏やイエスキリスト等を頼みとして、拝していても何も成らない。
私達が、未来を創造する神として働く時、釈迦やイエスも協力を惜しまないし、天・宇宙も力を発揮出来るのである。
昔の人々は、自分の明日を築く為に、先祖の霊魂の助けを借りるという事を、一番大事としていたのであれば、リリジョンの「再び神(先祖)と結ばれる」の意味は、私達日本人も納得出来るし、それが「宗教」漢字の意味「おおもとのおしえ」として訳されたのも、理解出来る。
その理・ことを、国民を代表して、後世に伝える役目を担って来たのが、天皇家である。
天皇家に、自分達以外の一族の霊魂までも、祭祀せよと言うのは、無理な話である。
西暦720年に、天武天皇が日本の歴史を一本化して、日本書紀を作成するまで、奈良を中心とする社会だけで、18もの部族が、其々の文化や風習を持って生活して居たとの事である。
日本は、多民族国家であったのだ。
自分の、先祖の協力を得ようと考えるのであれば、自分達の先祖を呼び出して相談をしてみる必要が有るだろう。
其の日が、旧暦の7月14日とされていたのだ。
先祖との約束の日である行事の日が、お盆として、仏教の一部分と化してしまっているが、本来お盆の行事は、仏教とは関係の無い風習なのだ。
今年の旧暦7月14日は、8月29日である。
8月29日に、家の主が禊ぎ祓いを済ませ、庭先に、先祖の霊を迎える火を焚いて、祭壇に食事を供え、帰って来た先祖霊と「共食(直会・なおらい)」をしなければならない。
旧暦の7月に、収穫される「飯・いい=穀物」が、元々何であったのかは知らないが、稲作が日本に伝えられ、その行事は11月22日から23日に掛けて、夜通しで行われる「新嘗祭」へと日付を変えて、現在まで続けられている。
一番元の、古い霊魂を呼び戻すのであれば、やはり旧暦7月14日に行事をするべきであろう。
「夏」の漢字は、神の「セン・饌」を頭の上に乗せて運ぶ、巫女の姿であると言う。
夏こそ、「人(霊止・ひと)」の祖霊のまつりあわせの日なのかも知れない。
「リリジョン」の言葉を、新しい現代語に置き換える事が、出来ないものだろうか。
平成16年8月27日
礒邉自適
2004/8/25
水の島
16・8・25
屋久島は、水の島と呼んで良い。
有名に成った縄文杉も、豊富な島に降る雨に育てられて、大きく成ったのだ。世界には、屋久島よりも、雨が多い島が有るそうだが、それでも屋久島は、雨の島・水の島と言って良いだろう。
私も、その雨の島に生まれ育って、57歳に成った。
この年齢に成って、自分の人生を振り返って見る時、やはり一番気に成るのが、島の雨と水の世界である。
子供の頃、台風が近付き、強い横殴りの大粒の雨が降り始めると、素っ裸に成って屋外に飛び出して、素肌に突き当たる雨の刺激を、楽しんだりしていた。
夏に成れば、近くの川に行き、泳いだり、ウナギの罠を掛けたりして、遊んでいた。
だから、雨や水が、私の生活の一番身近に有った事になる。
私の人生を、急変させたのも、屋久島の水である。
私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、無庵師匠に見守られながら、安房川の岸で禊ぎ祓いの儀式を行なった。
そして、私はイエスキリストの様に4311体もの聖霊に、満たされたのである。それは、38歳の初夏の出来事であった。
私の人生は、其れから、全く違ったものに成ってしまったのである。
私にとって「禊ぎ祓い」の言葉が、実体験と成ったのである。
日本の神社には、鳥居の所に「御手水」と呼ぶ、水が用意されており、其の水で、口や手を清め、其れから鳥居を潜り、神のお社の方に向かう。
神霊と会う前に、清い水で、心身を禊がなければならない様に、決められているのである。
其れは、日本の神道の始まりである「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が、小戸のあわぎ原で禊ぎ祓いをして、「天照大神」「月読命」「須佐之男」の三神を生み出した神話に、因んでいるのだろう。
世界の宗教に目を向けると、キリスト教の教祖であるナザレの「イエス」も、ヨルダン川で「ヨハネ」と言う人に、禊ぎの儀式を受けて、聖霊に満たされて神の道に入っており、佛教の教祖であるインドの「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」も、厳しい六年間の厳しい修行を止め、池で禊ぎをしてから、木に寄り掛かって休んだ時に、悟りを得ている。
其れ等の出来事を考えると、日本の神道も、キリスト教も、佛教も、皆、教祖が水浴びをして、禊ぎ祓いの儀式を行ってから、神の世界に通じる様に成っている事が、理解出来る。
水こそが、神の世界に通じる入口に関係があり、其れが、神の世界の神秘とされているのだ。
神道でも佛教でも、山中で滝に打たれたりするのは、その神秘に触れるのが、目的と成っているからである。
その意味からしても、滝の多い地形の屋久島は、最高の修行の場と言えるだろう。
屋久島の、聖者として伝えられている「泊如竹」を、五歳の時に見出して僧侶にしたのも、屋久島に修行に来ていた行者だったと云う話もある。
昔から、屋久島には修行を目的とする人達が来島し、島の清い水で禊ぎをしながら、修行を続けたのであろう。
私は、この屋久島に産まれ、水と戯れながら、成長して来た。
私の魂しいは、島の水と共に、在ると言えるのかも知れない。
平成16年8月25日
礒邉自適
2004/8/24
遺伝子は画像を抱えている
16・8・24
遺伝子・DNAは、記憶・情報のシステムだと解ってきた。
遺伝情報とは、環境が変化して、生物にストレスが起きた時、新しき環境に適応する為に、自分の肉体情報を組み換えて変化した、記憶の集合であると言う事である。
環境に合わせると言う事は、其の環境情報を読み取る、センサーを持っていなければならない。
其れに、自己認識の画像と、変化の目的・目標の画像を、組み込む能力を必要とする。
例えば、ジャングルに住む蝶の仲間で、羽に、大きな目玉の図形を持っている種が居る。
それは、自分を狙う鳥を脅かして、自分の身を護る為に用意した、智慧だと言われている。
此処で不思議なのは、自分が、鳥に食われる立場である理・ことを、蝶が自覚しており、自分の敵である鳥の性質まで知って、鳥の立場から、自分の背中の図柄を、見ている事である。
つまり、地上に止まって居る自分と、木の枝に止まって居る、敵である鳥の意識まで、自分の意識の範疇にして居るのである。
其の、空間の捉え方の能力には、驚きを隠せない。
昆虫は、人間と違って、家族や家庭も、学校も無い。
誰に習うでもなく、卵から孵って、自分の智慧だけで、生命を真っ当して行く。
其の驚くべき能力は、小さな脳だけで、出来る事ではないだろう。
細胞一個一個が、自分の役目を認識していて、脳は、その集合機能として、働いているに過ぎないのではないだろうか。
人間の場合は、大脳新皮質が出来て、言葉を創りだし、文字を使って、文明文化を興して来たので、他の生き物とは、異なつた世界を創り出し、自然の生き物とは違った世界に住んで居る。
人間は、自分が、何分の一かは動物であり、自然の一員である事も忘れて、やれ I・Tだ、芸術だと騒いでおり、自分の生命の営みに、意識を向ける事が無く成って来ている。
そういう人々は、今の文化や文明が、エネルギーを失って消えた時、もう生きて行ける能力はないだろう。
其処には、頭の中が真白になって、生きる為の画像が無く、一歩も歩けない人間が、蝉の抜け殻の様に、「猿科・人類種」が立ち眩んでいるだけである。
平成16年8月24日
礒邉自適
2004/8/13
止まる
16・8・13
人間は、何故、座禅や瞑想をした方が善いとされるのか。
其れは、人間が動物であり、動き回る事が本能であるので、それを確かめる為には、自分の行動を、止めて見なければならないからである。
人間は、四六時中、手足を無意識に動かしている。
其れは、生まれたばかりの頃、未だ起き上がれないで、寝ていて手足をバタバタと動かしていた幼児期から続いている癖である。
だから、人間は、意識的に自分の動きを止め、自分が動物であり、無意識に動き回り、余計な動きをしている理・ことに、気付かなければならないのだ。
それで、座禅や瞑想が必要とされ、二千何百年も続けられて来たのであろう。
人間ばかりではなく、大日如来や阿弥陀佛に釈迦像など、皆座った像であり、其れなりに、手の指に動きを止めた仕草がある。
其れ等の姿も、三次元の働きを、一切休んでいる状態を示している。
人間を含め、地球の動物は、皆自分を守り、餌を探し、交尾の相手を求めて、鼻・目・耳を使用し、手足や羽根を動かして行動を続けている。
其の動物達の行動は、睡眠中には止まって居る。
だが、眠っている時には、思考も止まって居るので、自分の行動や存在理由を認識する事は出来ない。
だから大日如来も、阿弥陀佛も、釈迦の結跏趹坐も、横に成って眠っているのではなく、坐して瞑目しているのである。
其れが、人間が人間として、存在している意味・価値を、示しているのであろう。
人間以外の動物を能く視てみれば、不必要な動きが少ない。
戯れている様子も見られるが、其れも、異性へのコミュニケーションであれば、無駄な動きとは言えない。
人間はスポーツをしたり、絵画に取り組んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりして、生活に直接関係のない事に、時間とエネルギーを費やしている。
人間社会は、おかしなもので、生活に必要な大事なことだけを、無駄無く行って居る人は、話題として取り上げないで、無駄な事を行って居る人達は取り上げられ、其れ等の人々が有名に成って、人々の憧れの対象と成っている。
現代人は、大事な件は他人任せにして、余計なことを、世間に振り撒いている事が多過ぎる。
其の理・ことに気付いて、余計な動きを少なくし、無駄なエネルギーの使用を止めれば、地球の環境も良くなるし、戦争も無く成り、政治も安定するのではないだろうか。
人の上に立つ、立場に在る者達が、其の理・ことに気付くには、偉い地位に在る者こそ、自分の行動を休んで、座禅や瞑想をして、人間の行動を見詰める必要が有るだろう。
今一度、「生活」と言う言葉の意味を、良く吟味しなければ成らない。
平成16年8月13日
礒邉自適
2004/8/12
皇室の役割
16・8・12
日本の皇室が、何故存在するのか。
其れは、倭民族に長く傳えられている、伝統文化を護る為である。
其の伝統文化を、正しく傳えないのなら、天皇家の存在は不必要であり、国の少ない予算を投入する事は、止めるべきである。
では、天皇家の傳えるべき伝統とは、何なのか考えてみよう。
天皇家で一番大事とされる事は、「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」の働きを継続する事にある。
天照皇大神とは、「皇(すめ)」が「スメラノミコト」の「スメ」であり、その「スメ」は、シュメール文化の「スメル(葦の生える地を治める者)」の意から来ている。日本の国が「豊葦原瑞穂の国」と呼ばれて来たのも、因は其処に有るのだ。
現在、天皇家で使用されている十六弁菊花紋も、シュメールから伝わった物で、後醍醐天皇の皇子が、京都の比叡山の開祖「最澄」の家紋を借りたものである。最澄の先祖は、シュメールから中国を経由して日本に渡って来て、琵琶湖の西岸に有る坂本の地に、住み着いたものらしいのだ。
日本の文化は、縄文文化の上に、弥生文化が重なって出来ている。
弥生文化が稲作文化であるので、瑞穂とは「水の上に稲の穂が有ること」に、由来するのだと想われる。
日本の国は、長い間、稲が通貨の代りにも成って来た。
だから、天皇家の儀式で一番大事なのは大嘗祭で、大嘗祭とは天皇が即位後、初めて行う新嘗祭である。
新嘗祭とは、その年の新穀を、天皇が先祖代々の霊魂と「共食(なめる・嘗)」する儀式で、毎年11月22日から23日に掛けて、夜通しで行うものである。
現在は、新嘗祭の日を「勤労感謝の日」と名前を変えてしまっているので、国民の認識は、其の事から薄らいでしまっている。
この儀式からも分かる様に、天皇家の神は「御饌殿(みけどの)」とされており、台所の「饌・け(食べ物)」が神なのである。
伊勢外宮の「豊受神・とようけのかみ」や、出雲熊野大社の「櫛御氣命・くしみけのみこと」、熊野本宮大社の主祭神の「家都御子神・けつみこのかみ」と、其れに、福井県敦賀市の氣比神宮(けひじんぐう)の祭神も、皆「饌・ケ」であり食べ物が神とされている。
出雲の熊野大社で毎年10月15日に行われる「亀太夫神事」の儀式も、出雲大社(杵築大社)が熊野大社に餅を納め、熊野大社側が其の餅を受け取る「受け餅」の儀式から来ている。
この様に、日本に伝わっている古い伝統は、皆、同一の仕来りから来ているのだ。
新嘗祭の儀式の様式は、奈良の「石上神宮」で毎年11月22日から23日に掛けて行われている「鎮魂祭」が元である。
聖徳太子が、佛教導入に力を入れる迄は、天皇家の儀式は物部家が司っており、お盆の行事も、旧暦の7月14日に行われていた、鎮魂祭の夏の禊の儀式が、佛教に取り込まれてしまったものである。
天皇家の本来の役割は、これらの伝統を、国の代表者として護り傳える事にあるのだ。
天皇家の役割は、格式有るお菓子屋さんが、其の味を護り伝える様に、日本文化の暖簾を大事に傳え続ける事であって、皇室外交がどうのこうのと言っているのは、本末転倒と言えるだろう。
現在の皇室の問題点は、キリスト教の概念を取り入れて、日本文化の真髄を失った処に有ると想われる。
キリスト教では、イエスキリスト一人が神の子であって、他の人は皆、罪の子であると教えられるが、日本の伝統的考えは、人間は皆神の子であり、禊ぎ祓いを時々行って、罪穢れを祓ってさえ居れば、良いとの事である。
養老猛先生が「バカの壁」の本の中で言われている様に、人間は、自分達が創造した世界から時には外に出て、禊ぎ祓いを行って、自分の本質に目を向けるべきなのである。
お釈迦さんの教えも、其れと同じである。
「仏・佛・ほとけ」とは「ブッダ・仏陀」の事で、其れは「覚醒した者」の意である。
其の「ブッダ」を日本語にすると、「スメミマ」であり、「スメ」とは「覚醒した者の目(意識)」のことで、「ミマ」とは「聖者の肉体」のことである。
それが、祭祀の時の天皇(祭祀王)の尊称「スメミマ」と成っているのだ。
「スメ」とは「仏陀の第三の目」と同義であり、それは松果体と呼ばれている珪素で出来た物質が、額の中央に有る事から来ており、「珪素」は英語で「シリコン」である。
シリコンの純粋な結晶は、松果体(まつかさ状)に成るらしい。
と言う事であれば、覚醒(さとり)とは、珪素の振動波に、意識が同調する事であると理解出来る。
日本の主食である、米の糠に含まれる籾殻は、90パーセント以上が珪素で出来ているらしい。
天皇家の伝統文化は、玄米や未精白の穀物を食べる事にある。「白米」や「白いパン」を、饌・ケとして居ては、スメミマと成る事は出来ないのだ。
天皇が、禊ぎ祓いをして「天臥間・あめのおふすま」にて、稲魂から森羅万象の情報を受け取る。それが、新嘗祭の儀式なのである。
日本の伝統は、ブッダに成る為の儀式を、毎年繰返す事なのだ。
其れは、天皇家だけではなく、古代社会では、各部族の代表が行なって居た儀式でもある。
天皇家は、全国民の代表として、日本の伝統である「天津日継・あまつひつぎ」を、継続すべきなのである。
イエスや、釈迦が悟ったのは、30歳代である。
天皇になるべき立場に在る者は、30歳代の時期に、伊勢神宮の奥宮に籠って、スメミマを体験しなければならないのだ。
それは、難しい事では無い様だ。
何故なら、禊ぎ祓いがしっかりと出来れば、先祖の霊魂である「御祖神・みおやかみ」が、全ての知恵を授けてくれるからである。
天皇家の役割は、日本に長く続いている伝統が、天皇自らが、山に植林をして、水を守り、田植えをして稲の収穫をするのかを、世界に向けて、治しめる事にあるのではないだろうか。
平成16年8月12日
礒邉自適