2004/2/16
海渡族の謎
16・2・16
私は、1984年の6月4日に、神の世界に最初に触れた時に、「海渡族の謎を追え」とのメッセージを受けた。
其れから、既に20年が経過した事に成る。
其の「海渡族の謎を追え」との事が、何の意味だったのかが、ようやくハッキリとして来た。
今年の、学研発行の雑誌「ムー1月号」に、鹿児島と屋久島の間に有る海底火山「喜界島カルデラ」の大爆発によって、南九州に住んで居た縄文人が逃げ出して、南米のエクアドルに辿り着いた事が載っている。
6300年前の喜界島の爆発によるアカホヤの下に、それ迄の縄文人の使用していた土器が、発見されているのだ。
12000年前の氷河期には、現在のミクロネシアやニューギニア島辺りは大きな大陸で、多くの人々が住んでいて、其の後の温暖化に因る海進で北上を始め、南九州にも渡って来て、住み着いていたのであろう。
其れが、6300年前の大爆発で、沖縄から、関西辺りの地に住んでいた縄文人は、逃げ出しているのだ。
だから、アイヌや蝦夷と呼ばれる人達は、関東以北に残った事に成り、沖縄とアイヌの人達が似ており、南米エクアドルやアンデスの人達の遺伝子が、その人達と同じである事も、科学的に証明されている。
数年前、日本に来たエクアドルの人達が、屋久島の岳参りの風習と同じ風習が、南米にも残り伝えられていると、驚いて居たそうである。
縄文人達には、山を信仰する風習があった様だ。
沖縄にも、「御岳・うたき」と呼ぶ聖地が在り、森や石が、信仰の対象と成っている。
南米でも、山の湧水の有る所が、精霊の住む聖地とされているのである。
これは、アイヌの風習と同じである。
私が20年前、神の世界に入った時には、毎日、屋久島中の湧水の有る所や、古代の人達が、生活して居たであろう水場に、静かに座って瞑想をしていたのも、古代の人達の霊に導かれての事であったのかもしれない。
古代の人達は、山の樹木や、岩石に、精霊が宿ると信じていたのである。
私が体験した世界は、正にその世界であったのだ。
屋久島から、6300年前に人が消えても、島の岩に記憶された人間の意識・精霊の働きは、残されていたのである。
その古代の霊魂の働きで、私の意識は目覚め、世界中の霊界人と、コンタクトが図れる様に成ったのだ。
私は、1984年の6月から10月末迄、屋久島での修業を終え、11月から全国の旅が始まり、1985年の7月2日迄、日本国中を巡り、屋久島の小石を全国の山や岬に埋めて廻った。
だから、現在、屋久島で生活していても、全国に屋久島の石が有って、霊的な回路として、働いている事に成るのである。
私にとっては、日本列島全部が「御岳・うたき」と成って、霊的な働きをしている事に成る。
私は未だ、国外に出て、他の言語や風土には触れていない。
日本での答えが、ハッキリしない内に、国外に出る事は、意識の乱れに繋がるし、霊界の混乱を引き起こし、新しいアカシックレコードの製作に、影響を与えるのであろう。
私が、自分の人生を振り返ると、7歳で文字を習い始め、17歳で父が死に、27歳で結婚、37歳で神の世界に触れ、妻や子と別れ、47(〜48)歳で言葉の真実(マントラ)に目覚めて、今年(2004年)1月29日で満57歳を迎えた。
是から10年間、どんな事を遣らされるのかは分からないが、何か、これまでに行っていない事を、修業させられるのではないかと考えられる。
私に、不安が全然無いと言う分けではないが、御岳・うたきを想う事で、全てが完成されて行くように感じる。
明日の事は、明日考えれば良い。
今日一日、自分が無事である様に、祷るだけである。
20年前に、「海渡族の謎を探れ」と告げて来た神霊が、何者であるかは判らないが、世界を動かしている神の働きが存在して、一定の方向に間違い無く、事は進んでいるとの事であろう。
20年も掛かって来た、神のプログラムである。
今更、簡単に壊れる事は無いだろう。
「人類の存在を、おまえに委す。失敗は許されない。チャンスは一度。」と告げられ、あれから20年が経とうとしているのだ。
自分でも、良く続いたものだと感心している。
平成16年2月16日
礒邉自適
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