2003/9/28
隠れ上手
15・9・28
今年は、春から、屋久島を取り囲む堆積層の海岸を、殆んど磯物捕りをしながら回った。
未だ点々と、足を踏み入れていない場所も残ってはいるが、大体の処は、屋久島全体が、頭の中に景色として納まったと想う。
屋久島が、どの様に形成されているかを調べたのは、地質学者の他は、私くらいのものかも知れない。
内陸部や、海の魚の研究は、ガイド業の人達が、仕事にプラスに成るので行われているが、島全体の地質を調べても、他の人には余り得には成らないだろう。
私は子供の頃から、海に遊びに行って、岩の姿形を見ながら「どうして こんな色や 形に成っているのか」と、疑問に想っていた。
其の疑問が、更に膨らむ事に成ったのは、20年前(36歳)に無庵師匠に捜し出され、37歳から神の修業に入った時である。
仕事を一切止め、家族は妻の実家に帰り、無庵師匠の下(もと)で、精進潔斎を進めて行ったら、私の意識は、石や岩に吸い込まれる様に、採り込まれて行ったのである。
岩に補足された意識は、屋久島で半年間修業をし、続いて、全国を一年程廻る事と成った。
モーゼ・イエス・マホメット等、世界の宗教の祖に成った人が、皆、岩山に導かれている。
日本でも、役の行者・空海・王仁三郎等、岩山で修業をしているし、それは現在でも修験道として伝わっている。
私が、神の修業に入って、岩や岩山に依り憑かれたのも、当然の事と言える様である。
過去の彼等は、修業が済むと、人間社会に対して、活動を始める事に成り、どうして自分が岩の世界に導かれる事に成ったかの、研究は行っていない。
私の行動は、彼等の疑問をも、解決する事にも繋がっているのかも知れない。
私が、今年の春から、屋久島の岩の様子を調べ始めて、解った事の副産物に、「イソモン・穴ご・耳外の一種」の生態が有る。
イソモンは、磯物捕りの一番の目的相手の貝なので、磯物捕りと言えばイソモンが主体であり、序(つい)でに捕れるウマンコ(宝貝)、ニシンコ(螺貝)類を沢山捕っても、それらは外道なので、自慢には成らない。
イソモンは、アワビやトコブシと同じ耳貝科で、人間の耳の形に似ているので耳貝と呼ばれる一種である。
イソモンはニシンコ・ウマンコと同様の呼び名はアナンコである。
耳貝は、平貝で殻が片側しかないので、岩に張り付いていないと、天敵から身を護れない。
石鯛や瘤鯛・蛸等から身を守る為に、しっかりと岩にへばり着いていなければ成らないのである。
其の為に、岩の割れ目の隙間や、穴の中に身を隠している。
潮が満ちて来て、海水が上昇している時に、穴から這い出て、岩苔を食べて生きている。
人間がイソモン捕りをするのは、大潮で海水面が下がって、岩場が干し上がっている時である。
イソモン捕りが出来る時間は、干潮の二時間前から、潮が満ち始めて一時間ぐいの、計三時間ぐらいの間である。
満ち潮に成ると、海水が岩場に打ち寄せて来るので、潮が満ち始めると、長くはやっていられない。
イソモンが居る場所は、堆積岩の堆積層の隙間や、海胆(ウニ)が刺を使って自分で空けた住家の、空家を借りたりしている。
場所によると、珊瑚礁の隆起した部分の、隙間や穴にも住んでいる。
私が、イソモン捕りを続けていて気付いた事は、「隠れ上手」のイソモンが生き残り、子孫を増やして来ているとの理・ことである。
岩の平らな所に着いて居たのでは、潮が満ちて来れば、直ぐに堅い歯を持つ「石鯛」等に食われてしまう。
そして、見つかり易い場所の穴に住んでいるのは、人間に見付かって食われてしまう。
だから、現在生き残っているイソモンは、隠れ上手な遺伝子を、受け継いでいる仲間と言う事が出来る。
イソモン捕りは、素人と玄人の差がハッキリしている。
上手な人が、何kgも採るっているのに、下手な人は、数個しか採っていない。
イソモンが、どんな場所に、どの様に隠れているかの情報が無ければ、見付け出す事が出来ないのだ。
その様な情報は、数回、他人の話を聞くとか、本を読んだからでは、とても得られるものではない。
何十回も現場に行き、実際に隠れているイソモンを発見して、情報を積み上げてこそ、可能と成るのである。
とにかく隠れる事を、必死で磨いて来たイソモンとの、知恵競(くら)べである。
人間が勝ってしまえば、イソモンは居なくなるし、人間が負けてしまえば、イソモンを食べる事が出来なくなる。
其の知恵競べは、今後も続けられるであろう。
私は、一度捕った場所には、二度と行かない様にしている。
隠れ上手なイソモンが、生き残って、子孫を増やしてくれる事を願うからである。
堆積岩の磯は、潮が引くと岩一面に開けられた穴に、海胆・うにが全部住んでいる。
屋久島の海胆は、卵巣が小さく中身が少ないので、島の人は捕って食べないので、岩場中海胆だらけである。
其の海胆が、死んで居なくなった穴に、イソモンが這入り込んで住んでいる。だから海胆千個位に、イソモン一個位の割合であろうか。
私は、イソモンが増え易い様に、イソモンを一個捕ったら、海胆を五個位は潰して、空き家を増やしている。
イソモンが、一個でも住んでいる所は、岩苔も豊富で、イソモンが住み着くのに、環境が適しているからである。
見付け易い所に、イソモンが増えれば、隠れ上手のイソモン迄を、探し出す事は少なくなるかも知れない。
私が、本日本当に書きたい事は、イソモンの事ではなく、隠れ上手の遺伝子の理・ことである。
私が、座右の書としている「道徳経」は、中国の老子が書き残した書物である。老子は、国を出る時に、自分の考えを、5000字にして残して置かなければ、後世に其の存在を知られる事が無かったのである。
私の師も、「自適さん、名前を世に出さなければ生きて行けない人は、二流の人間だからね。一流の人は、名前を出さないでも生きて行ける人だよ。」と教えてくれた。
だから、私も、師の教えを守る為に、師の名前や住所を、明らかにする事は出来ない。
私が、大事にしている本に『「虹と水晶」(チベットの密教の瞑想修行)ナムカイ・ノルブ著、永沢哲訳、法蔵館発行』がある。
この本に出て来る、主人公のチベット人も、隠れ上手な人間の一人である。
チベットの精神世界でも、ダライ・ラマの様に、現象世界を維持する為に、現れ上手な人と、真実の神の世界を支える隠れ上手の人の、両輪が存在する様である。
日本でも、天皇家は、表を現す為の現れ上手の役目であり、それを陰で支える神主の役割がある。
今では神主も、現象界の世界に肩を並べている様なので、私の言う隠れ上手の人とは言えないだろう。
私は、18年間全国を回って、隠れ上手な人達を、何人も探し出したが、其の殆どの人達が、年老いて亡くなってしまった。
その人達の子供さんや、孫も隠れ上手の道を止めて、出世してしまい、隠れ役を止めてしまっている。
此のままでは、隠れ上手の血筋は、消えてなくなってしまいそうである。
隠れ上手で生きようと意っていても、生活がし難いし、力が強まると、テレビやマスメディアに乗ってしまい、隠れ人とは言えなくなる。
日本では、もう岩山にひっそりと暮らす、仙人らしき杖を突いた老人の姿は、見られなくなった。
昔の成功者とは、社会で成功した者が、山中で静かに余生を過ごし、大事なことの相談相手と成っていく事であったのである。
「出世する」とは、人間社会に出て行き、成功する事の意味だし、「立派」とは、人間社会の中で、自分流の派を立てて維持を続けられる事の意味を言い表しているので、出世とか、立派の言葉は、隠れ上手な生き方とは、道が異なっている。
現代社会は、出世とか、立派な生き方が、優れていると考えられているので、自分の能力も考えないで、無理矢理出世しようとするので、後に引けなくなり、失敗すると、自殺したりする羽目に陥る。
今の様な状況が、此のまま続けば、人間個人だけでなく、社会全体がヒステリー症状に陥り、人間の精神は、崩壊してしまうのではないだろうか。
その前兆として、学生の登校拒否や、大人の職場放棄が、起きて来ているのであろう。
其れ等の人々は、隠れる事が好きなのではなく、現れ出る事が苦手で、自分を守る為に、閉じ籠りに成っているのである。
其れらの人々を救うのには、出世とか立派に成るとかの、言葉の概念とは異なる、他の言葉を、創り出さなければならないのではないだろうか。
現在の学校教育は、出世する為だけが目標と成っている。
社会の表に立つ事だけが、教育として行われており、弁論大会は有っても、他人の話しを静かに聴き取る、訓練の授業は行われていない。
つまり、社会の表側に立つ人だけに、都合の良い教育内容であり、人々の支えと成る、陰の力に成る人の、自信に繋がる教育が、置き去りにされているのである。
此のまま進めば、隠れ上手の人達の血筋は消えて無くなり、目立ちたがり屋だけの血筋ばかりが、力を得て増えて行く事に成る。
日本の伝統で言えば、「天照界」だけが強くなり、「月調界」が弱くなって行く事である。
現在の日本は、明治の改革で、天照大神だけが表に出され、他の「月調命」や、「須佐之男尊」は祭神から外されて来た。
明治5年に、明治天皇を伊勢神宮に参拝させ、外国にまで天照信仰を広げ様としたのである。
日本には、表ばかりではなく、月調の世界として、隠れ上手の生き方が、片面で大事とされていたのである。
その世界を現す言葉として、「あの人は 奥床しい」との単語が、存在したのである。
奥床しいとは、「奥」の意であり、現れ部分ではなく、「奥を行く」の意味である。
人間社会の喧騒から身を隠し、人間の本質の処に静かに身を定め、社会全体を視定める目が、必要とされる時ではないだろうか。
以前は、出家と言って、山中の寺に身を置き、家庭も持たず、隠れ上手の人間に成る世界も有った。
現在では、寺に入寺しても、寺の中での出世競走や、立派に成らなければとの葛藤がある。だから、本当の意味での隠れ上手とは成れない。
中国の老子の言葉にも、「退いて先をとる」とか、「谷に身を置け」とか、人間が自分に打ち勝って、強く生きるには、如何に隠れ身に成るかを諭す言がある。
イソモンが、如何に隠れるかを、考え続けて生き続けて来た様に、人間も、如何に、社会風情に流されないで生きて行けるかを、考え続けていかなければ成らないのではないだろうか。
其の想いが、断ち切れた時に、社会全体は、糸の切れた凧の様に、根本を失って、当て所なく彷徨う事に成るのではないか。
私は、其の様な事を想いながら、穴の奥で、住み家の色と同化した、イソモンの姿を探し続けている。
十月からは、昼間の潮は引かなくなるし、風も水も冷たく成って来る。
もう来年の春の大潮まで、イソモノは、人間に捜し出される事も無いので、安心して暮らせるだろう。
イソモノだって、天敵や人間が居なく成れば、進化が進まないのではと、勝手な理屈を考えながら、今年のイソモン捕りの物語は、終りを迎えた様である。
平成15年9月28日
礒邉自適
2003/9/28
満ち潮の影響
15・9・28
今月25日・26日・27日と三日間、今年最後となる、磯物捕りに出掛けた。
そして、25日と26日の二日とも、或る時間に達すると、脳の後頭部や、胸の奥底の部分から、性的衝動が起きて来て、知り合いの女性にむしょうに会いたくなったのである。
二日間は、其れがどうして起こったのか分からなかったのだが、昨日27日も、島の南西側に出掛けた。
昨日の風向きが北東だったので、南西に行けば風下になるので凪だと考え、湯泊の先の海岸に向った。
私は、海は凪だと決め付けていたので、途中で、海の様子を見ないで磯まで下りて行った。
そして泳いで岩場に到着すると、大きな波が岩の上にまで駆け上って来て、貝取りは出来ないのである。
しばらくは、干潮に成れば、海面も下がって波も穏やかに成るかと意い、岩場の上で、亀の手を取りながら休んでいた。
そして、静かに座って、波の動きを眺めていると、フト、昨日の性的衝動が何だったのかが解って来た。
磯物捕りを続けていると、満潮に成って来ている潮の様子は、生物の働きで知る事が出来る。
波の荒い岩場の先では、急な斜面にへばり付いていた「嫁笠(女性が 祭りで頭に被る笠のような形で、殻の背の上には、富士壺や海草等を着生させているので、花笠の様に見える貝)」が、自分の定位置から這い出して、岩苔を食べ始めるので、カモフラージュがバレてしまうのである。
嫁笠が動き始めると、岩と貝殻との間に、隙間が出来るので、マイナスドライバーの様な鉄の道具が、隙間に入り、貝を岩から剥がす事が出来る。
他にも何種類かの蟹達が、餌を採る為に、海中から岩場へと上がって来るので、藻蟹・モガニが捕れ始めたら、満ち潮に成っている証拠となる。
貝類だけではなく、引き潮で、深海に出ていた岩礁に住む魚達も、餌を探しに浅い岩場へと入って来るのである。
人間が、岩場から魚釣りをするのも、この時間帯である。
満潮に成ったら、魚も食事の時間なので、餌に食い付き易いのである。
海岸に住む生物は、潮の満ち引きが、生活のリズムに成っているのだ。
海の生物が産卵をするのも、満潮の時間帯である。
其れは、海草に産み付ける卵や精子が、沖へ流されないで、受精されて海草に能く付着する為である。
人間のお産も、自然分娩では、満潮時に産まれると言われているし、逆に死を迎えて息を引き取るのは、引き潮時だとも云われている。
地球上の生物で、海に誕生したものは全て、満潮に産卵する事が、遺伝子の中に記憶されているのだろう。
其れの事を想っていたら、自分の脳裏や胸の奥底で、何かが、満ち潮の時間になると動き出すのは、自然の営みから発生する、自然現象だと納得出来てきた。
19年前、私が長い断食に入り、水ばかりを何日も飲んでいると、大潮の時は水を澤山飲み、小潮に成ると、水分の取り方が少なくなる現象が有ったので、変だなと感じてはいたが、それらの事も、月の重力と、自律神経との間に、何等かの関係性が有るのかも知れない。
農家が使用するカレンダーや暦は、太陽暦で良いが、海で生活する人のカレンダーは、旧暦の暦が無いと仕事にならない。
其れは、潮の干満や、潮の流れが、前もって分かっていなければ成らないからである。
人間は、暦を見ながら、潮の干満を調んでいれば良いが、暦を持たない生物は、自分の中に暦を持っていなければならない。
時間を刻む時計は必要無いが、自然のリズムを読み込む、体内時計は必要なのである。
時には、桜の木の様に、リズムを読み違え、狂い咲きをする物もあるが、どんな小さな植物の種子でも、時を計るセンサーを持っている。
人間も同じ地球上の仲間である。
潮の満ち引きで、体のセンサーが反応するのは、不思議な事ではない。
私が、そのセンサーを取り戻して、満潮に反応したと言う事は、人間も未だ、自然のリズムを感知出来る能力を、失っていないという事だろう。
其の能力を取り戻すのは、都会に生れ育った者には無理であっても、田舎で生れ育つ者達が、しっかりと感じて行けば、人類全体も、大きく脱線しないのではないだろうか。
現在の文化は、全て、都会から発信されており、田舎に暮らす人達も、都会人の生活リズムに、合わされてしまっている。
この処、地方分権とか言われ出しているが、地方に権限が移行されても、都会型の価値観に合わせられるのであれば、分権の意味も、大した事ではない。
寧ろ、政治的には都会型であっても、文化を地方発信型にすれば、人類の幸福は達成されるかも知れない。
生命の本質を忘れ去った人達が、大事な事を決めるのは、何処かが、変いと言うべきである。
私が一番驚いた事は、人間の体を診る医者が、生物の単位を取らなくても成れるとの事である。
医者こそ、生物の體の仕組みを、知り尽くすべきではないのだろうか。
現在は、大事なお産が、医者の都合によって、土・日を避けて行われたりしているとの事。
自然の法則に反する為には、薬を使用したり、手術をしたりするのであろう。其の様にして産れた子供達に、潮の満ち引きが分かるように成るだろうか。
生物の研究を、全くしない医者には、私の話しなどは、馬の耳に念仏なのかも知れない。
日本では、医者はエリートコースの一つとして考えられているが、生物の営みを大事にしない人々が、学問をしている建物は、釈迦の訓えを実行しない僧侶が住んでいる寺と、同じではないだろうか。
昔は、医者を、神父や僧侶が兼ねていたのである。
其れは、何故なのか。医者も僧侶も神父も、基本的な学びが、同じ処に有ったからであろう。
銀座の高級クラブに、不動産屋と肩を並べて、医者や弁護士が騒いでいるのを、神が喜ぶ分けが無い。
「人間を整理する」と神に告げられて、来年で、丸二十年と成る。
世界中に、新しい価値観を持つ人達は、随分と増えては来たが、その人達が、社会の主流に成る処までは、未だ至ってはいない。
科学の発達で、人体の仕組みや、宇宙の成り立ちは、認識し易く成って来たが、未だ、遺伝子の仕組みは見えても、其の働きは解明されていないのである。
此れからの時代は、仕組みよりも、目に見えない働きの方に、視線を移すべきではないのだろうか。
そう成れば、私の感じている世界も、一般常識と成ると想われる。
何しろ、昔は、私の様な人間が普通の人間、当たり前の人間だったのであるから、流れさえ変えれば、人類の幸福を完成させるのは、昔よりは楽なはずである。
大潮が過ぎ、今日から小潮である。
私の身体の中の水も、大人しくなって来ている様である。
平成15年9月28日
礒邉自適
2003/9/15
忘れては成らない言葉
15・9・15
今日は、全国で、老人を敬う行事が行われている。
私は若い頃、老人の昔話を聞くのが好きで、よく島の隠居を訪ねていた。
そのお陰で、現在、余り使用されなくなった言葉を知っている。
言葉は、人間の意志を伝えるものだが、中には、大きな意味を含んでいるものが有り、人間が忘れては成らない、価値観が伝えられている。
其れ等の中から、幾つかを選んで、取り出してみようと思う。
一、血の巡りが悪い
血の巡りが悪いとは、ただ血液の循環が悪いとの意味ではなく、頭脳の働きが悪い事を言い当てている言葉である。
現代では、医学の発達で、脳が活発に動く時は、酸素を脳が必要とする理は解明されている。
しかし、それは近年の事で、昔は他の事柄で、血液が濁れば、脳の働きが悪くなる理を知っていたのだ。
血液が濁れば、顔色は悪くなり、唇の色も鮮やかさが失せて、腹は脹れ、身のこなしも鈍くなり、全てのスマートさが消えてしまう。
現在の中年男性に、この様な人間が増えた事は、食物の質の悪さにも因るが、「血の巡りが悪い」との言葉が使用されなくなった為に、認識が出来なくなった所為であろう。
大人社会に、この認識が無い為に、子供達の食生活も乱れ、益々、血の濁りを深くしている。
血液は、細胞の元であり、精子や卵子の元でもある。
血の濁りは、遺伝子まで劣化させてしまうのである。
二、気が利く
「気が利く」とは、「その場に応じた 適切な判断が素早く出来る。心が行き届く事。」(広辞苑)であるので、「血の巡りが悪い」の反対の意味を表している。
英語の「スマート」とは、体付きも、身のこなしも、物言いも、三拍子揃った人の様子を言うらしい。
自分の事だけではなく、他人の事にまで目が行き届き、行動が出来る人、それが気の利く人であり、スマートな人間である。
三、目から鼻に抜ける
「目から鼻に抜ける」とは、「すぐれて賢いこと。また、ぬけ目が無く、敏捷なことの形容。」(広辞苑) と載っており、目から鼻に抜けるとは、気が利くの一段上の段階を言い表している様に想われる。
○物事を視るのに落ち度が無く
○敏捷とは、スマート以上の速度を加えてある。
現代社会には、その様な人は、なかなか見付からない様である。
目から鼻に抜けるとは、目で見たり 耳で聞いたりした事が、間を置かず、理解され、目に現れ、呼吸に通じる事である。
その現象は、鼻の病気の蓄膿症とは、反対の処を言い表している。
蓄膿症の人は、物覚えが悪く、理解速度が遅い事が知られている。
蓄膿症の人は、甘い物が好物で、砂糖を取り過ぎるので、血液が酸化して血の巡りが悪くなり、鼻の細胞が爛れ、空気の通りが悪くなるので、冷却が効かず、脳に通う血液が冷やされず、脳の働きも鈍ってしまうのである。
甘い物を多く取り陰性体質に成ると、体ばかり大きくなり、「大男 総身に知恵が回りかね」と、悪口を言われる様にもなる。
此処で、辞典には載っていない屋久島の言葉を一つ挙げると
「あやが 引き切れる」が有る。
「あや」とは、自分の想いや、努力の事で、それが続かずに切れてしまう事を、「あやが切れた」「あやが引っ切れた」と言う。
「あや」とは、漢字の「文」を当てるが、漢字の「文」は、人の形の胸の部分に、自分の想いを文字にて、入れ墨をする事を意味しているので、日本の「あや」と、漢字の「文」の意味している処は、共通していると言えるだろう。
自分の大事な想いを、念じ続けて行く事は、忍耐力が必要とされ、体の健康も大事である。
胸に印象を刻む事は、自分の意いが、他の力に影響されて、変化する事を防ぐ方法でもある。
人間が、自分の念いを、一生変えないで生きて行く事は、根性が強くなければ出来ない事である。
其の為には、自分の體を強靭に保たなくてはならない。
その為にも、食生活は重要な位置を占めている。
現代社会は、文明は進んだが、環境は悪化して来ている。
段々と、食物の力も弱まって来ているし、體が喜ぶ食物が、少なくなっているのだ。
最後に「顎が落ちる」との言葉を解釈してみよう。
「顎が落ちる」とは、「味が非常にうまいことの形容」と広辞苑には載っているが、今の若い人達には、何の事だか分からない様である。
私達の子供の頃は、何か美味しい物を食べると、ホッペタの所が、ジーンと痺れて、直ぐに自分の手を当てていたものである。
大人に成ってから、其れが、何故起るのかを調べたら、顎に有る唾液腺から、急激に唾液が放出される時の、痛みに因る現象だとの事が判った。
現代の人達に、その言葉が通用しないのは、味覚が落ちたからなのか、美味な物が増え過ぎて、唾液腺が反応しなくなったのか、食物自体に力が無いのか、其れとも、私達の子供の頃の様に、空腹感に満ちてから、食べる事が無いからなのだろうか。
飽食の時代と言われ、食物は、手を伸ばせば、何時でも手に入る時代と成った。しかし、其れに反比例して、言葉の質は落ちて行き、力を失い、意味を失って行く。
言葉が真意を失った時、文化も意味を伝えられなくなり、人間の魂も地に落ちてしまうだろう。
何処かの地域で、正しい言葉を伝え残さなければ、人間の積み上げて来た歴史も、無意味なものと成ってしまいかねない。
少数の人達でも集まり、子供達に、言葉を伝え残さなければ成らないと想う。
私達が老人に成る時、語り部の舞台として、日当たりの良い縁側が与えられるであろうか。
○血の巡りが悪い → 良い
○気が利かない → 効く
○目から鼻に抜ける
○あやが切れる
○顎が落ちる
其れの言葉は、人間の生活や、行動に、直接結び付いている言葉である。
そしてどの言葉も、食物に関係がある。
食物が悪くなる程、それらの意味も、傳わらなく成って行くであろう。
私は、屋久島の人達が傳へてくれた言葉から、実に多くの事を学んでいる。
「敬老」とは、これらの事柄も、含んでいるのではないだろうか。
平成15年9月15日
礒邉自適
2003/9/15
帰島感想 何かが変しい
15・9・15
先日、白谷雲水峡に五名の客人を案内し、屋久杉の切株に腰を下ろし静かに休んでいると、島外から屋久島に来て、ガイド業をしている人が、私を咎めて「切り株の中に 入ってはいけない」と云う。
私は、切り株の中に入っている分けでもないし、苔を痛めている分けでもないので、そのまま静かに座り続けていた。
すると、その人はザックを下ろし、ザック中から腕章を取り出して、「私は こんなものも持っている 監視員だ」と云う。
白谷雲水峡の中には、切り株の中に入れる杉は何本もあり、中には、わざわざ「潜り杉」と言って、杉の切り株の中を、潜る様に歩道も出来ている。
それなのに、静かに歩道の横の切り株に、腰を掛けているだけで、注意を受けるとは、どう言う事だろうか。
私は屋久島に産れ、屋久島で育った。
木に登り、川で泳ぎ、海で魚や貝を捕って、自由に生きて居たのである。
其れが、切り株に腰を下ろしているだけで、余所者に注意を受けるとは、屋久島は、どんな事に成ってしまったのだろうか。
私は、雲水峡に出掛けるのは、友人達が来島した時だけなので、年に数回である。
島外から来て、ガイドを業としている人達の、自然に対する害よりは、はるかに少ない影響しか与えていないと意われる。
私は、気分が悪く成ったが、文句を言うのも大人気ないと意い、その場は黙って遣り過ごした。
其れから5日後、今度は屋久杉の工芸店に、屋久杉の箸を作る客を案内した。私は「予約をしている客人を 案内して来ました」と、受け付けの女性に告げると、「どうぞ」と言うので、店の中に五名で立っていた。
すると、女性が「中に入ってくれ」と云うので、箸を作る工房の中に入った。中に入ると、余分な椅子が無いので、工房の柵に尻を乗せていると、行き成り文句を云われてしまった。
私は、気分が悪くなったので、箸が出来上がったら連絡をする様に伝えて、外に出ようとすると、その箸作りの若い男性は、入口まで追い掛けて来て、「四人の予約なのに 何で 中に入って来るか」「座る所でもないのに 何で座るか」と、厳しい顔をして食って掛かって来る。
私は、「何を言っているの。受け付けの女性が 中に入れと言うから 入っただけで、座る椅子が無いから 柵の縁に腰を乗せていただけだ。
あんた 商売人らしくないね。」と云って、外に出た。
椅子が無いのに、中に入れと言う女性も女性だが、客を案内した人間に、文句を言う男性も男性である。
若い人達の、思い遣りの無さには呆れてしまう。
島内生れの人達には、そんな物言いは無いだろう。
例え、気は利かなくても、客に向って、そんな物言いはしない筈である。
私の友人で、農業を行っている人が、自分のポンカン園の近くに、島外の人間が別荘を建てて住んで居て、ポンカンの木の剪定した枝を燃やしていると、ジョギングをしながら「煙たい」と文句を言い、防風林をチェーンソーで切っていると、「煩い うるさい」と、何度も大声でドナルと言う。
其れも作業をしているのが、友人の父親で、80歳近い老人に対してである。島の樹園地の中に、後から遣って来て、別荘を建て、地元の人の作業に文句を言うとは、どう言う神経をしているのだろうか。
都会から、屋久島の自然に憧れて引っ越して来るのは、一向にかまわないと想うが、何百年も島に暮らしている人達に、後から入って来た人達が、我儘を言うのは、どうかと想う。
東京に行った時、本当の江戸っ子の人達は、「田舎の人達が 東京に出て来て 我がまま放題だ」と、気分を悪くしている事を聞いた。
田舎から、東京に出た人達の子供達が、今度は、屋久島に入って来て、我がまま放題を遣っている。
其れ等の事を見ていると、中国や朝鮮の人達が、日本人にどのような感情を持ったか、アメリカ大陸の原住民や、オーストラリアとニュージーランドの原住民達が、西洋人に対して、どの様な感情を抱いたかが、よく理解出来る様な気がする。
屋久島の人達に、余所者に対する不満が、段々と蓄積して来ている。
余所者は、島に親戚も居ないので、遣りたい放題に遣れるし、失敗したら島を出て行けば良い。
処が、島に住んでいる人達は、屋久島以外に住む事は出来ないし、親戚への配慮もしなければならないので、無謀な事は出来ないのだ。
島の人口が増える事は、悪い事ではないが、島外の人達が島に入り込み、仕事を取る事で、島の子供達は仕事が無く、益々、島外に職を求めて出て行ってしまう。
その悪循環で、島の人間性が失われつつある様だ。
後10年か20年経てば、島の人間性は、どうなるのであろうか。
栗生や永田など、屋久島の外れの方は、ジイさんやバアさんだけが、村の中を歩いている。
其れ等の人々が、島から消えた時、島の魂が、消え去ってしまいそうな気がする。
昔の、島の静けさが、恋しく成って来ている自分が在る。
余所者と書くと、島の人間の我儘の様だが、島外者と書くと、旅行客まで入ってしまうので、余所者と書いた。
勿論、変な人達は、島外移住者の一部である事も解かっているし、島の人間の中にも、変な人達が居るのは知ってもいる。
私は、島に帰り一年が過ぎ、屋久島の人達が、島外者の数が増す事で、集落の運営が遣り難く成っている事も聞いている。
其れを、他人事の様に聞いていたが、此処数日の事件で、自分もやはり、島内の人間である事の実感が湧いて来た。
私達の小さい頃は、各集落は言葉のアクセントも違い、風習の違いも見られた。それらの集落の個性も、島外者の移入で、揉み消されようとしている。
地球全体も、グローバル化の波に晒され、民族の個性が失われようとしているが、屋久島も同じく、都会の波に洗われて、各集落の個性が失われつつある様だ。
島の人間が、急激に入れ替わってしまえば、島の文化も消えてしまうだろう。伝統文化が消えてしまえば、島の人達の魂しいも、変ったものと成ってしまう。
アイヌの人や、アメリカインディアンの様に、完全に追い遣られ隔離されれば、文化は残る事もある。
屋久島は、沖縄や奄美とは、違った流れを迎えている。
沖縄の様に、独特の強い文化を持ち得ない屋久島は、何かの対策を、採る必要があるのではないだろうか。
せめて、屋久島に昔から伝わる「岳参り」の精神でも取り戻して、島の「山の神」でも忘れない様にしなければ、此の儘屋久島の文化は、済し崩しになってしまうのではないだろうか。
平成15年9月15日
礒邉自適
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