2003/7/20
禊がれて行く意識
15・7・20
「みそぎ」とは、身滌(みそそぎ)の訳らしく【身に、罪または穢(けが)れのある時や、重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること。】
と 載っている。(広辞苑)
漢字の意味を調べると、「禊」は「示(ネ)+契」で、「契(ケイ)」は【罪・けがれを清めるために、人のはだにしるしを刻むの意味。示を付し、けがれを払うみそぎの意味を表す。】
「滌」【漢読みではテキ、呉読みではジャク。ジョウは間違い】と載っている。「滌」は「氵(水)+條」で、【音符の條は長いすじの意味。水を流して洗うの意味を表す。原字は攸。」とある。 (漢語林)
漢字で見ると、「禊」も「滌」も日本語の「みそぎ」には合っていないような気がする。
みそぎとは、自分の行為を一切止めて、自然の中に在る川に行って、手足を清め、口を濯ぎ、世間で身に付いた諸処の垢(業・波動情報)を取り除き、無垢に成ることなので、膚に入れ墨をしたり、わざわざ水を引いて来たりする人為的な行為は、日本語の“みそぎ”とは合わない事に成る。
釈迦や、イエスや、イザナギの命も、池や川で禊を行って、神の働きに目覚めているが、水を引く工事をしたり、入れ墨をしたりするような事はしていない。
仏教・キリスト教・神道と、日本に在る宗教のどれもが、水浴びから始まったものである。
此の事から考えると、中国には、本当の「みそぎ」の儀式が無く、概念が無いので、漢字が無いのかも知れない。
日本語の「みそぎ」を、漢字にすれば、「身削ぐ」の方が合っているのではないだろうか。
「みそぐ」とは、身に付いたものをそぎ落とす事である。
身に付いた余計なものを全て削ぎ落として、無垢に成れば、神霊の働きが寄り付いて来るとの考え方である。
私の場合も、屋久島の自然の川や海でみそぎをし、4311体もの霊が寄り付いて来た。
イエス・キリストも、みそぎを受けた時に、聖霊に満たされたと伝えられているので、同じ事が起きたのだろう。
私も安房川で、1984年6月4日(旧5月5日)に禊を行って、聖霊に満たされ、それから数ヶ月荒野を彷徨歩いた。
始めの頃は、様々な奇蹟が起きて驚いたが、私が完全に、神の存在を信じる様になったら、物に因る奇蹟は起きなくなった。
神霊は、人間が、神の存在を認識するまでは奇蹟を行うが、人間が、神の存在を信じてしまえば、奇蹟を見せる事は止める様である。
私は4311体もの聖霊に導かれて、全国を18年間回って来たが、屋久島に帰り生活を始めて一年が過ぎた。
島の自然の中で暮していると、全国を旅した18年間のツミケガレが払われてしまった様である。
日本各地を巡り、様々な情報を取り込んできた。
それらは現在、無意識の中にはあっても、私の日常の暮らしの中には、浮かび上がっては来ない。
完全に忘れ去った分けではなく、無意識の中に、潜在意識として眠っているだけだから、これから何かが始まって、刺激されれば又、表に現れ出て来るだろう。
今は静かに、18年前の禊ぎ祓いを再び実行して、自然と一体だった頃の状態を、思い出して、あの恍惚の世界は、何だったのか理解しなければならないと意う。
18年前の禊の直後は、自然と一体と成り、神は、直ぐ近くに感じられたが、自分自身にはゆとりは無く、無我夢中で、起きる現象に必死で付いて行くだけだったので、それが何なのか、理解する隙が無かった。
18年間の全国の旅でも、次々に場所も人も変わるので、出来事の全部を、理解する余裕も無かったのである。
島に帰った一年間も、新しい自分の立場を定める事や、人々との付き合いにエネルギーを使い、静かに瞑想をする間も無かった。
此処のところに来て、ようやく日常が安定し、今の自分を確かめ、感じる余裕が生れて来た様な気がする。
もう一度、18年前の禊の体験まで意識を戻して、禊とはどういう儀式で、何が起こり、何を意味しているのかを、私なりに整理して見たいと思う。
此れは、真実の禊を体験した者しか、分からない事である。
神社で唱える祝詞には、禊の事が書かれてはいるが、それを実行し、本来の意味を捉えている、宮司も神主も居ない様である。
私だけが今、建物も弟子も無く、仕事も家族も無く生活し、神霊も排除して、自分の本来の面目を取り戻そうとしている。
毎日、何もする事も無く、決まった事の無い状態で、自分に起きた現象を、静かに解読する時、本来の禊とはどんなものだったのかが見えて来る。
日本各地にも、禊の場は存在するが、何百年も人間に利用された場所には、人間の、様々な情念がこびり付いていて、禊ぎ祓う処か、過去の怨念を吸い込みかねない場所も在る。
その点、屋久島は未だ、ケガレが少なく、禊の場としては相応しい所である。
私が、屋久島で産み落とされたのも、その事が大きな要因なのであろう。
あれから18年が過ぎて、ようやく自分を冷静に観察し、客観的に見詰められる様に成って来ている。
これから、もう一度、禊ぎ祓いを体験し、一つ々の事を、明確に把握し、誰にでも理解出来る平易な言葉で表記して、人類全ての財産としたいと想う。
今一度、純粋意識に立ち返り、人間の真実性を確めたいと意っている。
平成15年7月20日
礒邉自適
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