自適随筆
私の思考だけで書いた文集
2003/6/26
「空を見る」
文化
空を見る
15・6・26
私の長年の想いが、一つ叶った。
6月22日夏至の夜、全国で8時から10時まで、電気を消して過ごそうとの呼びかけが、市民流通団体の「大地を守る会」によって成された。
其れは、題して「100万人のキャンドルナイト」と言う。
一斉にライトダウンしたのは、さっぽろテレビ塔、札幌市時計台、東京タワー、レインボーブリッジ、平城京朱雀門、薬師寺、通天閣、道頓堀グリコネオン、熊本城、首里城など、全国二千以上の施設だったとの事。
夜、人間が自ら電気を消すのは、太平洋戦争時の、アメリカ軍B29の空襲に備えての消灯以来の事ではないだろうか。
戦争の時は、嫌嫌ながら電気を消したのだが、今回の事は、人間が自発的に行動を起したのだから意味が有る。
私は20年前、仕事を一切止めて、昼も夜も屋久島の大自然を、5ヶ月間見詰め続けて過ごした。
昼は、山や海を歩き回り、夜は一晩中星空を眺めていた。
本や、新聞なども読まず、テレビやラジオも無い状態で、只、自然と向き合い続けたのである。
そして、理解した理・ことは、自然は、人間の方が見詰めない限り、向うからの接触は決して無いと言う事である。
太陽や、月や、星は、人間が空を見る事をしない限り、人間とは、意が通じないと言う理・ことが解ったのである。
その理・ことが解ったので、無庵師匠に先ず、「東京の電気を 一年に一晩だけでも 数時間消して 子供達に星空を見せなければ 人間社会は駄目になる」と云ったのである。
そうしたら、無庵師匠の答えは「不可能だ」との事だった。
其れが、20年経たない間に実現されたのである。
私は、新聞を読んで、自分の念いがようやく一つ現実化した事を知った。
今月21日の朝のメッセージで、日本の地図がファックスで送られて来て、人々の声が聞え「22日に成った」と喜んでいたのである。
若しかしたら、此の事だったのかも知れない。
世界中の、宗教の基に成った人々は、みな自然の中に寝起きして、星々を眺めている。
大きな御魂と成った人々は、みな夜空を眺めて、宇宙の広さを感じたのである。
昼間は、草花の美しさや、小鳥のさえずり等、自然の美しさは見る事が出来ても、其れは地球上の有様で、宇宙の広大さに、夢を馳せる事には繋がらない。
その意味で、私は都会に住む子供達にも、星空を眺めさせたいと考えたのである。
都会では、見る物も、聞く事も、全て人間が創り出した人工物である。
子供の時から、人工物だけを見せられ、聞かされ、育った人々は、自然を見聞きする能力が無い。
登山をしても、装備の物だけが気に成り、海に遊びに行っても、船の性能だけを気にしている。
静かな自然の中に行っても、音楽を掛け、携帯電話を離さない。
其れは、自然を確かめ、自然の音を聴く事ではない。
どうして、自然の中に、遠くから出掛けて来ているのかが、理解できない。
自然の存在の有り難さに、気付かない者は、自然を大切にする気持ちも、持ち得ないのである。
私は、京都、奈良、東京等にも住んだが、都会育ちの人達と話すと「自適さんが 何を話しているのかが 解からない」と云う。
同じ、日本語を話しているのに、同じ単語でも、互いの頭に浮かぶ映像が、異なる様なのである。
其れは、地球の自然や、星空を眺めて育った者と、机にしがみ付いて本と睨めっこをして、夜のネオンしか見た事の無い人間との、差なのではないだろうか。
都会育ちの人と話しをする時、私が本で呼んだ事を話すと、ミスを見付けて攻撃して来る人が居るが、自然の事を話すと、本人の体験が無いので、理解出来ず、不思議な顔をして聞いている。
都会の、美しいネオンを見ていても、冷たい感情しか返って来ない。
深く考えると、ネオンの下に、悲しい人間の性(さが)が、満ちているのが、想像されて来るばかりである。
ネオンと、星空の光には、大きな差があるのだ。
一方は、人生を儚いものとし、一方は、大きな夢を拡げてくれるものである。
私は子供の頃、ネオン等は何も無く、街灯も無い、真っ暗な野道を、焚き火の薪を一本片手で振りながら、その灯りで歩いていた。
薪や、懐中電灯も無い時は、星影の映る水溜りを避けながら歩いていた。
私だけではなく、島の人達は皆、その様だったし、百年も前は、皆そうだったのではないだろうか。
現在では、子供達が、夜中にたむろして遊ぶ事が、都会で問題に成っているらしい。
だが、私達の子供の時は、満月の夜、中学生から小学生まで、近所中が集まって来て、鬼ゴッコ等をして遊んでいた。
家には、ラジオもテレビも無い時代である。
全員で遊ぶ、遊びに対しては、大人も、何も文句を言う者は居なかった。
子供達が、鬼ゴッコをして遊ぶのは、自然の成り行きなのではないだろうか。
それさえ出来ない、都会の子供は、可哀相である。
屋久島の山の猿でさえ、群中の一歳の子猿達だけ集まって遊んでいる。
其の遊びの間だけが、親から認められた自由な時間なのだ。
私達の子供の頃は、其の様に遊び疲れて、満月の空や山を眺め、月の無い夜は満天の星空を眺めながら、老人の昔話の受け売りを年長の子供から聞いて、思考を膨らませていったものである。
22日の夜は、東京芝の増上寺の本堂をステージに、3500人もの人達が集まって、コンサートが開かれたとの事。
大人でも、楽しい夜遊びを、止められている子供達がかわいそうである。
星を眺める者にしか、星のササヤキは帰って来ないし、森の中に深く入った者にしか、森の精霊の働きは無い。
森の落葉の下に住む小さな虫達の事を知り、一方では、粉の様に小さくて無数に存在する星達の、本当の大きさと、遠さを思索する時、人間の思考は、ミクロからマクロまで拡大されて来る。
小さな物事だけでなく、人間を育てている、宇宙の大きな営みに目を向ける時、私達人類の未来も、明るい展望が開けるのではないだろうか。
その為にも、今回の催しは、意義有るものだったと意う。
21日のメッセージの喜びの声は、人間の声ではなく、星々が、ようやく人間が22日の夜、自分たちを視てくれるとの、喜びの声だったのかも知れない。
そして、送られて来たファックスの地図は、空から「私達も 日本列島を見ているよ」との、知らせだったのではないだろうか。
私が、こんな事を想えるのも、小さい時より星空を見ながら、空想に耽った、後遺症のお陰なのではないだろうか。
平成15年6月26日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2003/6/21
「たからの島 四」
故郷
たからの島 四
15・6・21
「たからの島」と言っても、日本語の「たから」の意味が明確ではない。
「島」の漢字は「嶋」と同じで、両方とも鳥が多く住んでいる、海の中に有る山と言う意味だから、「島」も「嶋」も、「鳥+山」の組み合わせで、読み方は「トウ」である。
是で、音読みの「トウ」は意味が解かるが、日本語の「シマ」の意味は果たして何であろうか。
私が調べた処では、古神道から発生した「ヤクザ(現在の暴力団とは違う)」が、自分の縄張を「シマ」と呼ぶのと同じで、「他から 隔離された部分・一部」の意味で、無人島等の孤立した部分を言うらしい。
漢字の「宝」は、「寶」の略字で、「宀(家)の内に 玉や貝が入れてある 缶が有る」との意味であり、「貝」は「財産の宝貝」で、「宝」は「穴の開いた玉(ギョク・翡翠)を 三枚重ねて 紐を通し結んだ形」である。
「宝・ホウ・たから」【解字】形声。もと、宀+玉+貝+缶。音符の缶・フ=ボウは、つぼの意味。屋内に宝石と金銭とつぼとがあるさまから、たからの意味を表す。常用漢字は略字による。
【字義】@たから。㋐金・銀・珠宝などの類。㋑最も尊重すべきもの。Aたからとする。㋐尊ぶ。㋑大切にする。Bたっとい。また、美しい。りっぱな。C天子。天。神仏。仙人。あるいは他人に関することに冠していう敬語。「宝算」「宝灯」
漢語林より。
現在は、宝貝は財産の価値はあまり無く、金銀や宝石が財産と成り、其れ等を購入出来る紙幣が、価値ある物とされている。
「島(嶋)」と「宝(寶)」の漢字の意味は解ったが、「たから」の日本語の語源が分からない。
「たから」の「から」が、「タ」に付いた助詞であれば、「力・ちから」のカと同じ形で、「タ」や「ラ」の言霊自体に、意味が有るのではないだろうか。
「高らかに」の「タカ」や、「集(たか)る」の「タカ」も、声の力が強いとか、集まる事なので、両方とも、人間の気を引く動作が含まれているので、宝が人間の気を引く事と、同じ意味を含む様に感じる。
人間の気を引かない物は、宝に成り得ないし、値打ちも高くないので、他人も集まって来ない。
屋久島には、「まつばんだ」と言う民謡が伝わっているが、その歌詞は「屋久のお山を 疎かに想うな 金の蔵よりまだ宝 チョイサヨ チョイサヨ」となっている。「チョイサヨ」は、朝鮮語に「メデタイナー」の意味の「チョイサヨ」が有るので、其れと同じの様だし、「まつばんだ」は、中国の雲南省辺りの「賢者(神様)の集まり」の意味の「マツバンダ」と、同じだと聞いた事がある。
島の民謡で、伝えられている意味を考えると、「屋久島の山は、神様の集まる所だから、金銀を蓄えている蔵より、それ以上に大事だから、疎かに想っては成らない。島の山を大事にする事は 目出度い事なのだ」と、言う事に成りそうである。
人間の使う古い言葉は、昔の文化を一番伝えるものである。
言葉の流れは、民族の移動の跡も辿れるものである。
此処のところ、明らかに成って来たのは、人間の遺伝子の研究で、日本人は九種類の人種の組み合わせで、構成されているとの事。
中国の南からと、朝鮮経由で、人々が日本列島に渡って来た事は、間違い無いらしい。
日本の一番古い言葉は、アイヌの人達の言葉であろう。
彼らアイヌ民族が、日本列島に一番古くから住み着いていたのだから、全国にアイヌの言葉が残っているのも当然の事である。
屋久島の民謡も、アイヌの言葉に比べれば、新しい言葉で出来ている事に成る。
しかし、花崗岩の山に、神々が集うとの考え方は、世界に古くから有るので、屋久島の山が神々の集まる場所であるとの考えは、何時から始まったのかは定かではない。
少なくとも、「泊如竹」が屋久杉の伐採を奨めるまでの島民は、屋久杉は神の宿る樹として畏れ、伐らなかったとの事だから、350年前までは、島の山岳は神の住む場所だと考えられていた事に違いない。
現在は、屋久杉は高値で取り引きされるので、宝の山と言えば、屋久杉が有るから当然だと想われがちだが、昔は、其の杉の木を伐らなかったのだから、杉が宝とは考えられない。
だから、矢張り、神の集まる場と考えられていたのではないだろうか。
私達は、子供の頃から、山には神が居ると教えられ、山に登る事は神様に会いに行く事だったし、川は神様の通り道だから、汚したら罰(バチ)が当ると戒められてもいた。
山の、峰から峰の尾根は、神様の通り道だから、峰や尾根で昼寝をしてはいけない。昼寝をすると、憑依(とりつかれる)されると聞いていたし、火を焚く時は、神様にことわってからでなければ成らないと、訓えられていた。
私は、子供の頃から、小鳥の目白捕りや、花の寒蘭採りや、天然の椎茸採りに、山に出掛けていた。
其れ等の行為は、お金儲けが目的ではなく、遊びの延長だから、私の五感は、それらの自然の中での行為に拠って、育った事に成るだろう。
川のウナギ捕りや、海の魚釣りと貝採りも同じく、私の皮膚感覚を養ってくれたものである。
現代の子供達は、スポーツかゲーム機が遊び相手だから、私とは、五感の育ち方が全然違うのではないだろうか。
人間の脳味噌は、皮膚の一部が変化して出来たものであり、脳が出来てから後、頭蓋骨が外を被ったものである。
だから、脳味噌と皮膚は、同じシステムの神経に繋がっている。
全身の、皮膚の感覚が発達した者でなければ、脳の働きが正常とは言えないのだ。
現在、島を訪れる人の殆どが、観光が目的であり、物見遊山だから、見たり食べたりが主なので、山や川に行っても、皮膚(毛穴)のセンサーを開こうとはしない。
神や、霊は、毛穴で感じるものだから、肉眼の目では見る事が出来ないので、目で見える物の名前を、幾等覚えても、何にも成らないのである。
動植物の研究が目的であれば、屋久島は貴重な存在である事は間違い無い。
しかし、其れ等の行為は、人間社会の価値観に関するものであって、草木や鳥に名前を幾等付けても、其れは人間の勝手な世界の事である。
日本の宗教の世界には、「修験道・しゅげんどう」と言う世界が有って、其れは名の通り「体験を修める道」であり、山野に住んで、自然の中で行を積む事である。
誰とも口を利かず、文字に目を晒(さら)さず、ただ野山を歩き回る。
其の目的は、「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の称)」を清浄にする事にある。
其れは、経典を唱えたり、願い事をしたりするのとは、反対の行為なのである。文字を忘れ、言葉を離れた時に、毛穴が開き、本来の六根の働きが、目覚めるのである。
人間以外の生き物は、文字や言葉は持たないが、自然の法則に基づいて生きている。
人間も、文字や言葉を離れた時に、本来の働きに目覚めるのである。
悟る為には、文字や言葉が邪魔なのである。
インドの釈迦牟尼仏が、説法を始めたのは、悟ってからの事であり、悟る前は山中にて、一人で行をしている。
釈迦は、文字や言葉を離れるのに、六年間も掛かっている。
インドは、釈迦の時代には、書く為の文字が無かったとの事。
文字が無くて、言葉だけでも、忘れるのに、六年も掛かっているのだ。
現代の仏教者が悟れないのは、修験ではなくて、文字に取り組んでいるからである。
だから、日本の神道では、其の理・ことを知っていて、知識や、欲望を、ただただ祓い清めるだけで、理屈が無いのである。
理屈が、悟りや、神に近付く為に、邪魔である理・ことを知っていたのだ。
日本の神々は、山の峰に降臨する事に成っている。
其れは、山岳で六根が清浄された者に、神意が降臨する事から来ているのだ。
だから、日本の古い神社は、山が御神体であり、神社の建物は、ただの拝殿にしか過ぎないのである。
山岳・御岳に入るには、麓の川原の清い水で、禊ぎ祓いの儀式を、済ませなければ成らない事に成っている。
仏教の始祖である釈迦牟尼仏も、カトリックの祖であるイエスキリストも、日本の古神道の「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」も、みな水浴びをして、神霊に満たされている。
モーゼ、イエスキリスト、マホメット、釈迦牟尼仏、弘法大師空海、出口王仁三郎など、男性が目覚める為に、山岳は必要な舞台装置なのである。
その意味では、屋久島の花崗岩の峰々や、杉の深い森は、神霊との接触には一番適していると言えるだろう。
何千年と生きて居る、杉の記憶が含まれた水で、禊ぎ祓いを済ませ、一人で深い森の花崗岩の上に座し、文字や言葉を忘れ去った時、生命の起源をも通り過ぎ、宇宙の誕生の瞬間まで、記憶が蘇る(黄泉返る)のである。
私が育った屋久島は、確かに、そんな島だったのである。
現在、島に生活する人達には、山岳は神の住む場所ではなく、人間が経済を営む為のものと成って来ている。
「金の蔵より まだ宝 疎かに想っては成らない」と、伝えられて来た島の言い伝えも、其の効力を失ったかの様である。
アマゾンの、奥地の森に住んでいる原住民達の所にも、大都会の情報が伝えられ、子供たちの会話が、都会に憧れるものに変わりつつあるらしい。
ジャングルの生活に、行き成り現代社会の文化が流れ込んだら、どうなってしまうのだろうか。
自然の森の中で、何千年も伝えられて来た、民族の文化は断ち切られ、魂しいは先祖からの繋がりを失ってしまうだろう。
人間の心(意識)の安定は、何代も同じ生活を続けてこそ、築かれるモノである。
アマゾンの話しだけではなく、屋久島でさえ、何千年続けられて来た自給自足の生活が壊され、島の自然の切り売りと、観光収入で得た金で、生活用品を全部、島外から仕入れる様に成って来ている。
島に生まれた子供達も、殆どが都会へ出て行ってしまう。
屋久島でさえ、アマゾンの人達と、同じ現象が起きて来ているのだ。
お金や、宝石や、一流ブランド品が宝となってしまい、目に見えない山々の霊気は、忘れ去られようとしている。
縄文杉も、神の宿る樹としてではなく、珍しい月の石と同じ物として、人々の行列が続く現象を生み出している。
私が子供の頃より、一人で立ち入って、感じていた森の静けさは、登山道を外れた所に有った。
今でも、昔と同じ場所を歩けば、昔と同じ静けさと、神秘性は残っているだろう。
私にとっては、屋久島は未だ宝の島であり、経済の島ではない。
そう言う私も、父親が亡くなった17歳から、無庵師匠に捜し出される36歳までの20年間、経済の世界に身を置いていた。
しかし、その事の意味に気付いて、37歳で経済活動を一切止めて、全国を旅して来た。
その世界も、来年57歳に成れば、また20年が経過する事と成る。
私は、男の働き盛りを、精神的な分野に費やして来た事になる。
更に、是からの20年が、どの様に成るのだろうか。
島に帰って丸一年が経ち、都会で汚れた眼の垢が、ようやく取り除かれ、40年前の少年の時の視線が戻りつつある。
そして、屋久島の山々が、何故、金の蔵より値打ちが有るのかが、ようやく理解されて来て居る。
私は、島に生えている何百種類の樹木の名前の一部しか知らないが、意識の中には、映像として全部の姿がインプットされているし、小鳥の鳴き声も、鳥の名前は分からなくても、声の響は記憶されている。
私の思考は、樹木や小鳥に名前を付けて、自分の方に引き付けるのではなく、自分の意識を、樹木や小鳥の方に寄せているのだ。
人間は、物に名前を付ける事で、自分の所有物にしたような気分に成るのだ。
人間は、どんな物を創り出しても、其れは、自然界にある物を、ただ加工したに過ぎないのに、自分が全部を創り出した様な、錯覚に陥ってしまうのだ。
私は、自然物には多く接触しているが、自然物を、人工物にまで変化させる事はあまり行っていない。
従って、自分で名前を付す様な作品も無い。
自分で、管理するべき物が無いので、自由を保っている事が出来るのだ。
私は、山岳や、河川や、海に行っても、あるがままの状況に接して、無意識に反応しているだけである。
修験道の世界も、其れと、同じ事ではないだろうか。
自分の概念を、自然界の法則の内に、持ち込むのではなく、自分は真白な状況で、自然の営みの内に静かに侵入し、其処で、自分の意識(センサー)が何をキャッチして、どう反応をするかを、客観的に観る事なのである。
其れが「観音菩薩」の姿であり、その事が可能に成ってこそ、人間社会に「観自在菩薩」として働けるのではないだろうか。
深い森の中に、静かに侵入し、清い水で身心を禊ぐ事こそ、人間が、本来の姿に立ち帰れる、たった一つの方法である。
其れは、生娘の花嫁が、白無垢姿で俯きながら、他家に嫁ぐ様子に似ている。
真白の心で、深い未知の世界に、入り込んで行く事は、古代から一番大事な理とされて来たのだ。
其の価値観が、いま自然に対する人間の態度に、求められているのではないだろうか。
屋久島の山山は、現代の人々に、其の原点を、求めて来ているのではないかと想えてしまうのだ。
平成15年6月21日
礒邉自適
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2003/6/11
「螺旋の向こう側 其の三」
生命に付いて
螺旋の向こう側 其の三
15・6・11
「人間の成長」
人間の成長段階は、昔から様々な形で儀式化され、認識されて来た。現代社会でも、20歳で成人式が催される様に、昔は元服と言って、12歳〜16歳の時に、男女とも成人式を行っていた。
人間は、肉体の成長だけでは、意識が伴わないのであろう。
本人が、「今日から 大人の仲間だ」と認識しない限り、精神的成長が起きないと考えられていたのだ。
自然界の、小鳥や動物でも、独り立ちの儀式が行われている。
いつまでも、親に頼って生きていけない理・ことを、知らせるのに、母親は子供の肉体的成長と、精神的段階を掴んでいなければならない。
その儀式は、子供達にとっては、或日、突然起きる事に成る。
時期が来れば、子供達は戸惑いながらも、独り立ちしていかなければならない。
人間社会は、集団化した為に、学問が必要と成り、大学校を卒業するまで、独り立ち出来なくなって来ている。肉体的には、一人前に成っていても、精神的独立が果たされていない事と成る。
現代社会には、社会生活をする為の指導者は、数多く在っても、人類と言う種族全体の成長を、引っ張る人間が少ない。
物質的には、豊かに成り、生活には恵まれているが、生命力そのものが弱くなり、遺伝子の情報力が弱まっているのだ。
遺伝子の情報の成長こそ、生物の根源の力であるのだ。自然界の生き物を見ると、全てが、その法則に則って、成長を続けている。
処が、人間の方は、現在のアメリカの政治家や、イラクのフセイン、北朝鮮の首脳部を見ると、最低のレベルに落ちてしまっていると言える。
真の大人が、居ないのである。
人間として成長した証が、一つも感じられないのはどうしてだろうか。成人として、自覚をするべき時を失ってしまって、子供の精神のまま、年を重ねて来ている様だ。
人が、人として生きるには、根本的な約束事を守って行かなければならない。彼等には、それらの事が欠けているらしい。
人間の一生には、幾段もの節目が有って、昔から、其の度に、行事が行われて来た。
人生の節目として、厄年が考えられて、現在でも儀式が行われ続けている。
男性は、年令の7年刻みが使われ、女性は3年刻みが使われている。
男性は、「7×6=42」の42歳が前厄で、「7×7=49」の49歳が後厄である。女性は「3×11=33」の33歳が厄年と成っている。
女性は、小学生の時は、男子より成長が早い。「(3×3)×2=18」の18歳で結婚適齢と成り、男性の「3×7=21」の21歳よりは、3歳早く成人になる理・ことを示している。
是等の事も、生物学的見地から判断すれば、何等かの法則が発見されるであろう。自然界に存在する法則は、人間の思考など、遥かに超えた次元にある。
人間の、脳味噌を創り出した物(意志)の存在を考えれば、人間の浅はかな考え等、塵屑みたいなモノと言える。
人間の脳味噌と、脳の働きを想う時、脳の存在の向こう側に、大きな時間の存在と、空間の拡がりが観えて来る。
その偉大な働きを、認識するには、人間の成長の段階を追いながら、段階毎の儀式を行い、意(こころ)の認識をして、成長を積み重ねなければならない。
私達の、本来の認識力の裏側には、偉大な記憶のC・Dディスクが詰め込まれているのだ。肉体の成長も、其の情報に因って営まれている。しかし、其の肉体の成長の記録を、覗こうとする者は少ない。
38億年の昔から、岩石を、酸で溶かして吸収し、体を創出し続けて来た其の意志の存在は、想像出来ない程の、多様性と神秘性を含んでいる。
宇宙には、直線は無い。
38億年の時間も、直線で進んでいるのではなく、螺旋の動きを採り、捩じれながら存在している。私達は、自分の手を差し伸べて、空間を掴めば、もう38億年前の時間と空間を掌にしている事になる。
遥かに拡がる、137億年の宇宙空間は我々を育てるものであり、我々人間は、その138億年の時間の最先端に在るのだ。
その人間の存在を、イメージ化しようと考えるのなら、螺貝を参考にすれば良い。20歳の螺貝なら、20年前の卵から孵った時の、貝殻のパターン・仕組みを広げて、直径20p程にまで、大きく成長している。
大きく成長した法螺貝の中身の肉は、自分の体だが、体の細胞は、毎日新陳代謝をしているので、数ヶ月前の細胞は、既に消えてしまっているが、自分が創った殻は、20年分の毎日の積み重ねが、型として残っている。
今日、建造した分は、入口に一番近い所に残るのだ。
人間は、自分の肉体が成長して、死んで消えて無くなる理・ことは、自分の目で、他人の死を見る事で、知る事が出来るが、螺貝の様に、毎日の積み重ねを自覚する事が出来ない。
其れをカバーする為に、古代の人達は、岩でピラミッドを建設したのかも知れない。ピラミッドは、人間が作った、螺貝の殻と同じものと言えるのではないだろうか。
そう言えば、旧約聖書に出て来るバベルの塔は、塔の型と、塔を登る螺旋階段を見れば、巻貝の殻の型にそっくりである。
人間の潜在意識の中に、螺貝の型が内在している事は、間違い無い様である。
人間は、自分の肉体に、時空の成長の螺旋を刻む事は出来ない。出来る事と言えば、境目の見付からない意識の流れを、儀式に因って区切り、一定の線を引いて、認識しながら、積み重ねて行くしか無いのではないだろうか。
現代を生きる18歳の女性と、21歳の男性に、此の様な話をしても、誰も相手をしてくれないかも知れない。
時間と、空間の成長は、其れ等に関係する番組をテレビ画面で見ていても、自分の事としては実感が無い。やはり、此の事は、自分で体験しながら積み上げるしかないのだ。
海の底では、毎日営まれている世界が、人間の世界では忘れ去られている。
せめて、私だけでも、しっかりと取り戻さなければならない。
法螺貝と、同じ巻貝の仲間である、夜久貝の殻に学びながら。
平成15年6月11日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2003/6/10
「縄文杉登山」
故郷
縄文杉登山
15・6・10
今月1日の朝、5時に出発して、縄文杉に客を案内し、写真とビデオカメラの撮影を行った。
前日、31日まで続いた、台風四号に因る長雨も止んで、雲一つ無い快晴の元、長野県松本市から、友人の平田和文氏が伴って遣って来た、20名の客人と縄文杉まで登った。
荒川登山口を6時に歩き出し、縄文杉まで行って、バスに帰り着いたのは午後6時前だったので、11時間以上掛かった事になる。
70歳以上の方が居たので、当然と言えるが、行き成り10時間以上の山歩きを始めるのは、何かと問題が有る様だ。
結局、麓の町を出発してから宿に帰り着く迄、13時間掛かった事に成る。
縄文杉の人気で、屋久島の観光客は年々増えている様だが、観光と一口に言っても、様々な問題が有ると想われた。
20年前は、安房川の水を平気で飲んでいたが、奥岳が、登山客の糞尿塗れに成っていると知れば、もうこだわり無く水を飲む事も出来ない。
私達が、子供の頃から感じていた、神秘性は薄らいでいる。
私達の子供の頃は、木を伐って枝が川に落ちても、川は「川の神様」の通り道だから、邪魔に成るので、取り除かなければならないとか、川の中にオシッコをすると、川の神様に怒られるのでしてはいけない、若し仕方なくする時は、「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と唱えなければならないとかの、教え(きまり)が有った。
其れらの、教えや決りが言い伝えられなくなり、山も川も神不在と成って、神秘性が消えてしまったのだ。
人間の手で、斧や鋸でゆっくりと伐られ、倒れて行く木は、何かしらの感情を人間にもたらして来たが、チェーンソーで爆音と伴に、瞬く間に伐られ、倒されて行く樹木は、その神秘性を失い、山全体も、人間のお金の価値観で、緑の衣を脱いで行った。
裸の山に成ってから、20〜30年の月日が経過し、山の景色は一応緑に被われてはいるが、その中身は昔とは全然違っている。
今回の山登りは、私が10代の頃、一人で歩いていた、山の雰囲気とは違っているので、何かしらの違和感を覚えながらの一日だった。
11時間も、辛そうに歩く老人を見ていると、せめて、トロッコの軌道の終点迄は、人がトロッコに乗って行ける様にすれば良いと考えるが、そうすれば山に登る人は、何倍にも増加するだろう。
山の糞尿の事を想うと、屋久島の山中から、臭いが立ち昇りそうな気がして、気分が悪く成って来る。
自分の、魂しいの中心である神の座が、人間の糞尿まみれに成っていると考えると、山の神さえも、消えてしまいそうな気がするのだ。
観光収入の事を考えると、客足が増えた方が良いが、山の事を考えると問題が有りそうだ。
客が増えれば、ホテルや旅館の施設が増える。
施設が増えれば、又客を多く望むように成る。
そう成り始めれば際限が無くなり、屋久島の嘗ての静けさは、取り戻せなく成るだろう。
2500年前に、インドの釈迦が謂った様に「人間の欲望は 一旦 始まったら 止らない」との理・ことが、屋久島でも起きそうに成って来ている。
私が、何故、19年前に、経済事から身を引かされたのかが、能く理解出来て来た。
あの侭、事業を続けて行けば、恐らく観光客を増やす事の、先頭に立って居たであろうと想われる。
そう成っていれば、私は、現在と反対の立場に立っており、屋久島の自然破壊を続けていたと想われる。
そして、そう成っていれば、今の私も無いし、私の文章も、存在する事には成っていない。
37歳からの、私の人生を変えた何者かが、屋久島の山々の神であれば、私に多くの事を知って貰い、島の大切さと、未来の在り方を、考えて欲しいとの事だったのであろう。
私は、縄文杉が人間に傷められ、枯れる事に関わりたくなかったので、縄文杉に行く事を避けていたが、今回断り切れなくて、同行してしまった。
是れも、何かを学べとの、神の議り事だったのだろうと想われる。
これから、島の先行きをどう考えれば良いのか、又新たな課題を、与えられた気がする。
屋久島の山々は、ヒマラヤの岩だらけの山とは異なり、植物の豊かな苔むした山である。
屋久島の山は登山をして、征服感を得る為のものではなく、静かに一人で山に分け入って、原始の森の息吹に触れるべき処であると、私は意う。
人間の、騒騒しい社会の中では、正しいものは何も生れないと意う。
人間が「霊留・ひと」として、正しい生き方に目覚める為には、屋久島の御岳を、決して騒がしい所としては成らないのだ。
屋久島の島民が、永らく伝えて来た「岳参り」の精神こそ、大事に伝え残し、学ばなければ成らない世界だろうと想う。
今回の登山は、縄文杉に会えた喜びよりは、山の神秘性が消えた事の、淋しさがつのる事となった。
私は再び、何処か、他人の知らない魂の塒(ねぐら)の場所を、捜さなければならない様だ。
平成15年6月10日
礒邉自適
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2003/6/7
「螺旋の向こう側 其の二」
生命に付いて
螺旋の向こう側 其の二
15・6・7
「人間の意識」
私達人間が、成長する段階において、意識も順次成長するものであるなら、其のシステムを理解し、効率良く、成長を遂げる必要が有るだろう。
其の、鍵と成るであろうと想われるのが、前に述べた螺旋の構造である。
其の理・ことを 段階的に説明するなら次の様になる。
1、宇宙誕生のシステム
2、銀河の成り立ちのシステム
3、生命の進化と成長のシステム
4、人間の誕生と成長のシステム
5、人間の意識の進化のシステム
それと、人間の意識の成長と 神(宇宙意識)の関係等が考えられる。
イエスキリストや、釈迦仏陀が生きた時代は、現在よりも「言葉(専門用語)」も少なく、現代社会の様に科学が発展していなかったので、説明も抽象的で終っているが、現代は言葉においても、科学的な実証においても、整備されて来ているので、理解は進むと考えられる。
例を挙げれば、仏教経典の「色即是空」の文句も、現在では量子物理科学が進展し、電子の仕組が解明されたので、物質は空間の中に振動して存在する、僅かな存在にしか過ぎない理が、確認されて来た。
私達は、空間の中に、一時的に現象化している、夢の様な存在物なのである。
その理・ことを、人間は科学の無い古代社会から、何故知っていたのだろうか。
其れは、人間の潜在意識が、その働きを捕捉出来たからである。
もちろん、生れたばかりの赤ちゃんが理解出来る分けでもないし、成人に達した男性なら誰でも理解出来るかと言うと、そうでもない。そうなるには、それだけの準備が必要である。
人間は、身体の成長に伴って、意識も成長を続けて行く。
処が、現代人は、肉体は成長しても、意識の成長が幼いまま止って、成長していないのである。
殆どの成人男性が、女性や子供の様に、物や、遊び道具を、欲しがっているのである。
スポーツに興じ、レストランの食べ歩きは、子供の延長線上にしか過ぎないし、必要以外の飲食行動は、動物以下の行動である。
其れ等の行動に、意識を向けている間は、意識(魂)の成長は無い。
特に、30代に魂しいの成長を完成しない人々は、年老いてからの完成は、難しいと考えられる。
其れは、体力と思考力がピークを過ぎているから、螺旋の構造から抜け出る事が出来ないので、肉体(物質レベル)から脱出する事が出来ないのである。
宇宙の法則は、物質とは異なるので、人間の目には直接は見えない。
其れを、釈迦は「ダルマ・法」と謂って、老子は「道・タオ」と名付けている。
釈迦仏陀や老子は、人間は、物質に執着していては、意識が相対的なので、それを止めないと、宇宙の運動法則が観えないと謂っているのである。
イエスキリストが「パンのみにあらず」と云ったのも、同じ事である。
人間が創った法律でも、文字に書かれれば、紙面上には見えるが、実際の生活上の空間には、決まりそのものは、目に見えないのと同じである。
決りは、目には見えないけれども、悪い事をして他人に知られれば、法律に拠って裁判所で裁かれる事になる。
人間が創った法律でも、その様な力があるのだから、神の世界では、尚更決まりが有ると考えなければならないのである。
ただ其れが理解し難いのは、人間社会で悪い事をして捕まると、目に見える冷たい接触感のある手錠を掛けられるが、神の法に違反しても、その様な実感を得られないので、守り難いからである。
人間が創った法律は、物質的な損得や、肉体的な被害が対象であるが、神の世界は、意識の成長が有るか無いかだけである。
神の世界は、人間社会と違って、意識の成長が有れば、多くの事は許される世界であるので、過去に何があろうと、遡って罰される事は無い。
寧ろ、社会的に道を外れた行動こそ、神の道に通じると、考えても良いくらいである。
イエスや、釈迦や、老子や、一休さん等も、普通の人達から見れば、常人の生き方とは言えない。
彼等の生き方は、人間社会の価値観の枠組みから外れているので、人間が創った決まりは、適用出来ないのである。
人間が創った法律の世界には、螺貝の様な螺旋構造は、取り入れられていない。
螺旋構造は、時間と空間の拡がりの概念を、我々人間に示唆を与えてくれる物である。
人間の創った決まりは、三次元的な枠内に限られているので、螺旋の四次元的要素が持ち込まれると、現在の司法に関係している人達のレベルでは、混乱を招くだけで対処出来ない。
其れかと言って、宗教関係の人間が対処出来ているかと云うと、そうでもないので、世の中は停滞しているのである。
だから、誰かが、この状態を打開する為に、時空の壁を突き破らなければ成らないのだ。
人間の意識は、各々の個人意識の他に、全体的な総合意識が在って、成り立っている。
誰かが、個人意識を抜け出して、全体意識に這入り込んで、新たな「覚醒(めざめ)」に成功すれば、総合意識は新たな段階を迎える事が出来ることに成る。
神の働きは、其の誰かを、育てる事が大きな目的と成っている。
其の為に、長期の時間と、莫大なエネルギーと、物質量を要するのである。
人間全体の総合意識(潜在意識)と、神(宇宙)の意識は繋がっている。
だから、「覚醒した者・ブッダ」の意識は、人間世界の総合と、宇宙意識・神の、中間に位置する事に成り、両方の懸け橋的存在と成るのである。
其の理・ことを理解するには、其の立場に至るより、他に手段は無い。
其れが「佛陀・ブッダ」に至る道であり、「スメラの命」に成る事である。
佛陀や「スメラ(皇)」に成れば、宇宙全体の時空の変化を、支えなければ成らない事になる。
その為には、直接に三次元的な物の管理をする事が出来ない。
自分の所有物の管理を一切止める事で、三次元の世界から脱出出来るのである。
そして、自由な身に成った者だけが、佛陀に成れる可能性が生じるのだ。
イエスが「神と 財産の両方に、同時に仕える事は 絶対に出来ない」と云ったのも、その理・ことである。
人類だけが、体毛を失い、衣と住いがなければ、生きられなくなった。
移動するのにも、羽根が無いので飛行機を造り、長い距離を泳げないので船を造り、速く走れないので車や汽車を造った。
そして、その為に、人間自身の能力は低下し、おまけに、其れ等の物の管理に追われている。
人間は、自分が造り出した物の管理に追われている、哀しい動物と言えるのだ。
釈迦は、全てを捨てて出家し、イエスも着の身着の儘の姿である。
神の意識を、全身全霊で受けるには、自分の所有物が何も必要ではない理は明らかであり、むしろ物を持つ事は害であり、成佛する事への妨げである理・ことが解る。
人間が、意識的世界で完成するのには、鳥の様に自由に飛んで移動する事が出来、魚の様に広い海を身一ツで泳ぎ回る事が出来なければならないことに成る。
そして、肉体的には、一ヶ所に在って、数百年一ヶ所から動かないで生きている、樹木の様に在らなければならないのだ。
自分の意識は、宇宙の中心に在って動かないが、働きの手は、全世界、宇宙の隅々迄、自由に伸ばす事が出来るのが、佛陀の本来の姿である。
此の我々の住む地球は、その為に在るのだ。
地球に、自分の身が何故在るのか、その理を知るのが、我われ人類の存在意義であり、其の事を外して、他には何も無いのである。
意識の成長、其れだけが人間の役目であるなら、魂(たましい)を磨くより、他に何の意味も無いのである。
平成15年6月7日
礒邉自適
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2003/6/7
「螺旋の向こう側 其の一」
生命に付いて
螺旋の向こう側 其の一
15・6・7
6月4日で、私の意識の旅も、丸19年が経過し、ようやく佛陀の立場を確保する心境が生じて来ている。
佛陀の、瞑目を想う時、心に浮かんで来るものは、螺旋の構造である。
私の意識の中に、どうして螺旋の構造が浮かんで来るのかを考えて見ると、此処のところ、海から獲って来た貝類を、多く食べているからではないかと想われる。
特に、今の季節は、屋久島で「ニシンコ」と呼ばれている「栄螺・サザエ」を小型にした様な巻貝が、産卵期を迎えているので、岩場に沢山集まって来ている。だから、どうしてもニシンコを多く食べてしまう事に成ってしまう。
「ニシンコ」を何故、“ニシンコ”と呼ぶのかは分からない。他の貝も、宝貝を“ウマンコ”と言って、やはり“コ”が後に付いているので、何か共通の意味が有るのだろう。
今朝の文章の題を、「螺旋の向こう側」としたので「螺」の漢字を調べて見たら、「螺」は「巻貝」の意味で、「にし」「にな」の日本語に当てられる事が判明した。
ニシンコとは「にし(螺)のコ」との意味らしい。「さざえ」を「栄螺」と書くのも、さざえの特長が螺旋を良く型造っているからだろう。
因みに、宝貝を「ウマンコ」と呼ぶのは、宝貝の形状が、雌の性器に似ている事から来ているのだろう。
私が此処のところ、瞑目をすると螺旋が現れるのは、螺ンコの多食に因り、私の細胞に、螺ンコの構造システムが、ダビングされて来ているからなのだろうと想われる。
そう気付いて、自分で獲って来た、同じ螺旋構造の「夜光貝(リュウテンサザエ科・クワウガヒ・夜久貝)」の大きな貝殻を良く調べて見ると、其の構造が能く理解出来る。
特に、夜光貝の入口の蓋の部分は、表は白いお餅にソックリだが、蓋の裏の部分には、絵に画いた様に螺旋が現れている。
その場面をよく観察すると、螺旋が読み取れ、その線は、黄金分割線の法則で出来ている事もハッキリした。
螺ンコ類の貝が大きく育つには、自分の住家である殻を造るのに、螺旋構造を使えば巧く行く事を、遺伝子レベルで知っているのだろう。
螺ンコ類の貝は、卵から孵り、自分の殻を大きくしながら、自分の身体も大きくして行く、その成長の仕方は、時間と空間の成長の仕組を、端的に人間にも知らせてくれている。
人間にも、指先に指紋としての螺旋が有り、頭にも旋毛(つむじ)が有り、耳の内には蝸牛殻(かぎゅうかく)が有って、かたつむりの殻状の器官が存在する。
私達の肉体も、厳密に言えば、螺旋の仕組から、外れては、生きて行けないのは明らかな事である。
自分の肉体の成長に欠かせない、その螺旋状の法則は、遺伝子に組み込まれているものだから、無意識の世界にも、意識の土台として、存在する事は間違いないだろう。
私が、此処のところ、意識に螺旋構造が現れるのは、私の身体システムに、食べた螺ンコの情報が作用しての事だろう。
其の事は、私だけではなく、貝類を多く食べていた古代人達にとっても、同じ様に起きていた事ではないだろうか。其れは、人類の歴史や文化を観察すれば、世界にその形跡が有る。
森羅万象は、無限の無の内側で、螺旋状に空間を拡げ、姿を形作って来た。
私達人類も、螺ンコと同じく、その森羅万象の運動の産物として存在している。
その理を自覚すれば、私達の意識は、螺旋構造を土台として働いている事に成る。此の理に気付いた昔の人達は、其れを形として残して来ている。
螺旋の構造の、仕切り線を、線の通りに進むと、30億年掛かって育った生命の記憶を遡るには、同じスピードでは、30億年掛かってしまう事に成る。
だから、一年で成長する田螺(たにし)は、情報を得る為に、何らかの近道をしなければならない。
その手段としては、螺旋の壁を通り抜けて、中心から外側まで、直線で進む事しかないだろう。
その方法に気付いたのは、田螺だけではなく、人間もそれに気付いて、神社の階段を設置し、直線で進もうとしている。
西洋の宗教絵画にも、神に近付く為の梯子が掛けられているし、漢字の「段」の文字に使われている偏も、神に近付く為の梯子だと考えられている。
是らの梯子や段は、螺旋構造の中心と外側を直通する為に、壁を切り取ったものであり、螺線の一本一本が、梯子の横棒であり、階段の一段一段の板や、石段の段である。
私達人類は、遥か昔から、此の理・ことに気付いていたのである。人間は、自分の存在を認識する事を覚え、自分の意識を探る時、其処には巨大な記憶の海が在り、記憶の彼岸に帰り着く為に、あらゆる努力を積み重ねて来た。
人間の一生は100年であり、思索が出来るのは、その内の半分程の年数であろう。
何故なら、人間の脳も螺旋の法則に由っているので、20歳くらい迄は、貝の様に細胞を増やし拡大して行くが、成長が終った後は、物凄い早さで細胞を失って行くとのことである。
その細胞を使用して、どれだけの情報を再生出来るかが、人間の課題とされて来たのだ。
此の螺旋の仕組の中には、森羅万象の営みのあらゆる秘密が内蔵されている。
神さえも、其の働きの法則の内にあるのだ。螺旋の法則こそ、神の働き其のモノと言っても、間違いないのではないだろうか。
何故なら、螺旋こそ、時間の存在と、空間の拡大を創出している、根源の働きに他ならないからである。
地球上の生命だけではなく、銀河の存在まで、宇宙は此の螺旋の運動で、生滅を繰り返している。その違いは、大きいか、小さいかであろう。大きい物は、成長にも時間が掛かるし、消滅も瞬時には出来ない。
人類は、銀河のレベルから言えば、存在していない程の小さな存在だが、昆虫に比べれば、時間や空間も多く与えられている。
其の人間である我々は、如何様に役割を果たせば良いのかを、能く考えて見なければならないだろう。
平成15年6月7日
礒邉自適
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2003/6/2
「生命プログラム」
生命に付いて
生命プログラム
15・11・24
昨日23日は、勤労感謝の日で祝日と成っているが、23日は元々天皇家と、奈良の石上神宮で行なわれる物部家の祭り、「新嘗祭・にいなめさい」の日で、其れが国民の休日とされているのである。新嘗祭は、現在の世の中を生きる人間が、先祖の霊と共食する事の祭りだから、勤労感謝をする事とは、意味としては直接には関係が無いのである。
昨日は連休なので、長野市から来た女性二名を縄文杉に案内する事になり、午前3時に起きて握り飯を作り、5時半に客と待ち合わせて山に向かった。6時半より山道を歩き始め、11時半頃縄文杉に無事に着いて、握り飯を食べる事に成った。私の新嘗祭は、縄文杉と共食する事と成ったのである。
其れはさておき、山道を歩いて居ると、頭に「生命プログラム」と言葉が出て来た。私は「生命プログラム」の言葉を聴いて、魂の内側に納得する感情が芽生えた。
と言うのは、現在人間が使用している言葉の「神・仏・生命・いのち」の区別がハッキリとしない事が、私の悩みと成って居たからである。
「神」は、人間を超越した威力も持つ かくれた存在。人智を以って、はかることの出来ない能力を持ち、人類に禍福を降ろすと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。
「仏」は、佛陀を意味する語の音写。覚者・智者のことで、目覚めた人の意で悟りに達した人をいう。
「生命」は、生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として、栄養摂取・感覚・運動・生長・のような生活現象から推象される一般概念。
「いのち」は、生物の生きてゆく原動力。
と、広辞苑には載っていて、一応の区別は出来ているのだが、一般社会ではそれらの区別が明確ではなく、「神仏・シンブツ」と言って、同じ働きに考えられたり、「生命」も「いのち」も混同され、生命と神仏も一諸くたにされている。中には、岩石にも「いのちが宿って居る」と、言う人までもが在る。岩石は、栄養接取も、感覚・運動・生長・増殖が何も無い物の、象徴的な存在のはずである。では何故、いのちの無い岩石までもが、神佛の対象と成っているのだろうか。
其れは、生命プログラムのシステムが、明確に成っていない為であろう。
確かに、岩石も生命プログラムには欠かせない物である事は、間違いないのである。あらゆる生命は、元を同じくしているし、其の生命の元である微生物は、岩石から発生しているし、岩石は物質ガスが集合した物であり、物質ガスは光りから生じた物である。光りとは、ヘリウムガスの爆発現象の事であるし、ヘリウムガスは水素から生じた物である。
だから、我々人間を含め、宇宙の森羅万象は皆、水素と呼ばれている物から生じた現象物なのである。
「神」とは 水素から始まった働きであり、
「仏」とは その働きの情報を 悟った者であり、
「いのち」とは 水素を源とする働きであり、
「生命」とは 其の活動を言うものである。
その生命活動の中から、「霊」が生じてきているのだ。
「霊」とは、生命活動を成した物・者の情報が残されたものであり、其れを「魂・たましい」と呼んでいる。「魂」は、此の世に生きる者にも存在し、物質的な肉体を失っても、消滅する事無く、此の世の物質に、自由に寄生する事が出来るのだ。
其の、魂が寄生する対象が、「依代・憑代・よりしろ」と呼ばれる樹木・岩石・人形などであり、生きた人間に寄生すれば、守護霊と呼ばれる事になる。
「生命プログラム」の「プログラム」とは、「番組・予定・計画のこと」と、広辞苑には載っている。私達人類は、水素から始まった生命の番組であり、神の計画による現象であり、是からも神の予定通りに、存続を続けなければ成らないのだ。
その理を、中国の老子は「道(タオ・タウ)」と謂い、インドの釈迦は「法(ダルマ)」と謂い、中東のイエスは「永遠のいのち」と謂い、日本の古神道では「惟神」と呼んでいるのである。
生命プログラムとは、神の計画が、私達の肉体に宿っており、其の現象の姿が、遺伝子による肉体の構成である。生命プログラムとは、生物全体の形を構成する、微生物内の遺伝子が蓄積している情報の事である。私達の肉体も脳も、其の遺伝子が、自分の存在を進化発展する為に、創造した物なのである。
其の理を、古代の人達は知っており、「虫の知らせ」とか、「虫が好かない」とか、「虫酸が走る」とか言い表している。
自分の肉体の中で、何かの情報が反応する事を感じて居たのだ。
漢字の「虫」の字は、「龍」の略字である。自分の内側に、虫の世界と共通の働きが有り、其の働きは天地を動かす神の霊と繋がっている理・ことを知っており、「龍」を神の化身として捉え、「風」や「虹」の漢字も「虫」で組み立ている。自分の内側の虫が目覚めて、言葉の真意を汲み取る事が出来なければ、文字は只の図柄であり、不立文字(ふりゅうもんじ)と成ってしまうのだ。
人間は、自分自身の生命プログラムに気付いてこそ、森羅万象に影響を与えられる様に成るのである。自分自身の生命プログラムに気付かないまま、闇雲に神仏に祈願をしても無意味なのだ。
釈迦仏陀が謂う処の、「三世(過去・現在・未来)」の世界に自分が存在し、「衆生(生きとし生けるもの)一切我が子」とは、その生命プログラムに達した者の言謂(ものいい)なのである。だから、神仏を拝んでいても、何にも成らないのである。
神の働きこそ、自分の内側に在り、其れに目覚める事こそ、仏なのである。神仏は、外に在るものではなく、自分自身の生命プログラムの理なのである。
自分自身の生命プログラムは、自分から始まったのではなく、宇宙の始まりから一時も途切れる事無く続いているものである。自分の先祖も、其の糸の一部なのだ。
11月23日に、行なわれる新嘗祭の儀式こそ、主食である稲の遺伝子の力を借りて、自分の生命プログラムを目覚めさせ、先祖の霊と共鳴を起こし、自分の魂の強化を計る為のものなのである。
昨日、山道を歩いている時に、何故、「生命プログラム」との言葉が出て来たのか。其れは、森の木や草が、同じ魂の世界に在るからなのだろう。私は、森の中を歩く事で、草木の魂に触れ、「いのち」の代弁者と成っていたのだ。
11月23日は、やはり勤労感謝と言う、人間間の催しではなく、新嘗祭として、国民全てが、自分の生命プログラムに意識を向ける日とすべきではないだろうか。そうすれば、勤労者の人達だけではなく、天地一切の諸物に、感謝の念が湧く事に成るのではないだろうか。
宇宙・天・神・霊・仏・先祖・全生命・いのち・そして自分、其れ等一連の流れに対して、意(おもい)を向けた時、ようやくにして祈りの本質に気付くことが出来るのである。
仏の世界とは、仏像を崇拝したり、灯明を供える事ではなく、生命プログラムを自覚する理・ことなのである。
物部家初代霊魂による諭し
平成15年11月24日
礒邉自適
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