2003/2/27
夢をみる
15・2・27
一昨日、久し振りに、屋久島鹿の焼肉を食べた。その所為か、今朝の夢は、三次元的な過去の夢ばかりで、未来世界のビジョンが出て来なかった。
場所や、風景も、昔の様子で、現れる人達も、全員昔の付き合いの人達で、善い思い出ではない事ばかりである。
肉を食べると、毎回、食べてから2日目の夢は、殆ど悪い夢で、未来には役に立たない事ばかりである。
其れで、仏教で肉食を禁じている意味が、能く理解出来る。
日本でも、天武天皇の頃から肉食が禁じられ、明治時代に西洋文化が導入される迄は、肉は賤しい者達の食料とされていた。肉食をすると、血液が酸化して暴力的になり、闘争を好むように成る理・ことを、昔の人々は知っていた様である。
穀物菜食だと、血液が清くなり、血圧も低いままである。見る夢も、清い水の流れや、小鳥や草花等、自然の美しさばかりに成って来て、夢に現れる人達も、善い人達や、未来に出会う人達に成って来る。
神の世界に通じて、平和なビジョン(未来像・見通し・幻想)ばかりが、映って来る様に成るのだ。其の理由を、取り敢えず、思い付くまま書き出して見よう。
穀物 菜食 肉食 邪食
・未来の夢 一 ・過去の夢
・美しく鮮やか 一 ・暗くて見難い
・優しく穏やか 一 ・恐怖・おそれ
・平和 一 ・災害(洪水 津波 火山爆発)
・美しい女性や子供達 一 男性の戦い・戦争
・発明 発見(ビジョン)
(ノーベル賞等) 一 ・破壊
・天国 ・喜び 一 ・地獄 ・悲しみ
・感謝 ・幸福感 一 ・うらみ(恨)・つらみ(辛)
・美しい音楽 一 ・音楽なし
・美しい食卓・料理 一 ・食料の奪い合い・排泄物
・仲の良い友人 一 ・悪い仲間
・神・佛が現れる 一 ・切られたり撃たれたりする
・未来の出来事・予知夢 一・悪夢・冷汗をかく
・光の世界 一 ・闇の世界
・公け・全体 一 ・個人的な欲望
未だ未だ、対比して行くと、出て来ると思うが、是ぐらいにして於こう。
この様に、食物が異なるだけで、自分の夢の内容は変化して来る。
何故なら、夢は潜在意識の現れであり、潜在意識は細胞が見る情報だから、細胞に成る血液の元である食物が変れば、夢も同じく変る事になるのは当然の理・ことである。
悪い細胞に成る食物ばかりを食べていると、血液から出来る卵子も、精子も、悪い記憶を残して行くので、子供達の魂も劣化して行く事に成り、出来の悪い子供達は、親に負担を掛ける様に成るので、親の視る夢は益々悪くなり、悪循環に陥ってしまう事に成るのだ。
最低レベルに成ると、昼間は眠っていて、夕方から起きて、夜中に街を徘徊する様になる。是は、ハイエナ的行動で、殺してから何ヶ月も経った、古い肉を食べる事から発生する行動である。
穀物菜食の人は、早寝、早起きになる。鶏の様に、朝が早く、太陽が好きになり、日向ぼっこを良くする様になる。善い夢を見る子供は、良い人生を歩む様に成り、悪い夢を見る子供は、不安感情に陥るので、周囲に当り散らす様になり、社会の不安定要素と成って来て、環境を悪くし、本人も、回りも、悪くしてしまい、社会全体を不幸にして行くのである。
夢は、潜在意識に深く関わっているから、悪い夢を見る事は、悪い疑似体験をする事になるので、人生を悪い方向へと導いていく事と成るのだ。
夢の世界は、人間個人の志・こころざしや考えとは違うもので、宇宙や、自然と、神佛につながるものだから、人間の自由には成らない。
人間が、夢を正しく見ようと想えば、食物を吟味して、自分の行為を正さなければならない。其れが、仏教で云う処の「精進」である。
私の夢の舞台は、私が生れ育った屋久島の自然であり、東京や大阪の大都市ではない。屋久島は、水が清くて、自然豊かな環境である。島に住んでいる人達も、不特定多数ではなく、一人一人の仕事や個性迄知っているので、夢に現れる時は、全て意味を持って現れて来る。
逆に考えると、個人情報を、私が把握しているので、役者として夢に登場して来るのだろう。
私に、夢で様々な事を伝えて来る相手は、人間や、環境や、存在物まで、全てを情報化できる大物である。私に、夢を見せて、言語化させているのだ。
私が文字化しなければ、直接神から情報を受け取れる人が居ないとの事だろう。居たとしても、自分の欲望をセンサーとしている人間では、神の伝えたい事を、歪める恐れが有る。
私の18年の修業は、正しく夢を受け取る為だったのかも知れない。
子供の様に、純粋な気持ちで夢を受け取り、賢者の意識で分析しなければならない。旧約聖書は、多くの預言で組み立てられている。預言は、夢のビジョンで視せられたものである。
ノーベル賞を貰った人達、ベンゼン、アインシュタイン博士、野口英世等、夢でヒントを受けた人達が数多く居る。
ユングや、明恵上人も、夢分析をしているし、レオナルド・ダ・ヴィンチに到っては、夢を創作の技術として使っている。私が、これから、夢の世界をどのように理解し受け取って行くかは、神と、霊魂の世界と、私の共同作業と成って行くであろう。
私は、其れ等の世界を、出口王仁三郎の様にややこしくせず、聖徳太子の様に建物・六角堂を必要とせず、誰でも簡単で容易なものとして行きたい。
ニューギニアのある村では、今でも、子供が起きて来た時に、親が子供にどんな夢を見たかを聞いて、其の夢の解釈をしてあげるらしい。夢の世界(潜在意識の内に)で解決してしまう事で、裁判所も無く、警察署も無くて平和にくらしているとの事である。
夢は、現実と、神との間の世界の出来事なのだ。其の世界は、植物を食べれば、植物と同じく太陽に近くなり、肉食をすれば、肉食動物と同じく闇の中で、獲物を狙うどろぼう根性と成って行く。
たかが「夢」だけれども、されど「夢」の世界である。
平成15年2月27日
礒邉自適
2003/2/26
私が既に知って居た事
15・2・26
私の内側には、既に知っていた事が存在している。
其れは、私の遺伝子的な世界の事ではなく、魂しいの世界と言って良いだろう。
私が生きる為の、価値観の選択には、何かの基準が有る様だ。
人を選ぶ、友を選ぶ、其の採択は、何を基準としているのだろうか。
私の価値観の内に、何者かの意志が働いていて、是迄の、私の人生観を、支えて来ている様である。
私の人生は、外観的には、相当な変化をした様に想われるが、内面的には落ち着いた今は、小さい時から何も変っていないものが在る。
其の、変らないモノとは何なのであろうか。
それは、自分を知っている何者かだ。
私の人生には、私を見通している、何かが住んでいる。
それは、永遠の昔から、そう成る事を、既に知っている何者かだ。
それは、太陽が、此の世界を照らし始めた時より、ずっと続いている意識だ。其の力が、自分の存在を継続させる為に、私に内存し、又私を、其の力の中に閉じ込めている。
私は、其のモノの中から、外に出る事も、内側に潜り込む事も出来ない。
不可思議の 意識のままに、只存在しているだけだ。
既に知っている何者かに、我が身を託して“無”で居るしかない。
意識は、昼と夜の区別も無く、時間の概念も無い、只の無分別の世界である。既に知っている何者かに、身心を預けて、瞑目するしか、手立てが無いのだ。
日蓮も、賢治も解脱し、通り過ぎた無意味な世界だ。
私も、当然救われて、全てを、既に知っている何者かに、自分の存在感さえも預けてしまおう。
〜 くる春を 気吹戸・いぶきどにて 待とう 〜
水仕女・はしためと成りて
2003年2月26日17:23
礒邉自適
2003/2/22
みんな真似しか出来ない
15・2・22
今日は、聖徳太子の1381回目の命日である。
太子の事は、広辞苑に次の様に載っている。
〔聖徳太子〕【用明天皇の皇子。母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。本名は厩戸(うまやど)皇子。豊聡耳(とよとみ)皇子。法大王。上宮太子(うえのみやのみこ)とも称される。内外の学問に通じ、深く仏教に帰依。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、冠位12階・憲法十七条を制定。遣隋使を派遣。また仏教興隆に力を尽し、多くの寺院を建立。「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を著すと伝える。(574〜622)】 〜引用終了〜
聖徳太子の存在がなければ、日本に仏教が、これ程広がらなかったのではないだろうか。
蘇我馬子と共に、物部守屋を殺して、日本を仏教国にしてしまった。
其の事が無ければ、日本は天皇家だけではなく一般の人も、葬式は神式であったはずである。
何故かと言えば、現在の天皇家の儀式は物部家の儀式であり、物部家の代々御霊を祭祀する奈良の「石上神宮」と、島根県大田市に有る「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の古墳が有る「大田物部神社」は、現代も、その儀式を伝えているからである。
聖徳太子の存在がなければ、其の儘、日本の文化は神社・神道が主流であり、仏教で皆が葬式をする事には、成っていなかったのではないだろうか。
人間社会は、一度「かたち・形式」が出来てしまえば、惰性で、そのまま継続されて行く。
戦争か、革命が有って、支配者が替わらなければ、いつ迄も古いかたち・形式が伝わって行くだろう。
たとえ其れが、間違っていて、時代に合わなくても、誰かが変えない限り、元のままである。
其れは、何故かと言うと、人間は子供の時から、他人の真似をして、生きているからである。
だから、聖徳太子は仏教に触れる事で、それ迄のマンネリから抜け出そうとしたのではないだろうか。
聖徳太子は17条の憲法をつくり、政治も12階に冠位を定め、中国の隋にも使者を送り外交も始めている。
太子の存在が、日本の体制と方向を、変えたと言えるだろう。
日本は、明治維新で大きく変化したが、いま再びマンネリに陥っていて、方向性を見出せないでいる。それは、何故なのか。
私が感じるのは、教育が義務教育に成り、全ての人が、同じ教育を受けたが為に、一辺倒の人間ばかりに成って、違う方向に歩けなく成っている事だ。
学校の教育と言うのは、それ迄の誰かの考えや、体験した事を、覚えさせる事なので、国が強引に人真似をさせている事に成る。
其れは、義務教育の弊害と言う事が出来るだろう。
本来の、教育の目的は、個人個人の能力を引き出すのが、本当なのである。
ひと真似しか出来なくなった社会では、創造性が失われてしまい閉鎖的に成ってしまう。
一度閉鎖的に成った社会は、新しいモノが出ようとすると、其の足を引っぱって落たり、モグラ叩きをして出さない様にするので、益々閉塞して行く。
現代社会は、一見安定している様に見受けられるが、其れは経済と言う名に因って、金(紙幣や証券)で人心が、括られているからであり、真実の処では、皆不安を抱えている。
皆が不安なのだが、周囲を見回すと、皆同じなので、「皆と一緒なのだ」と判断し、無理矢理自分を納得させているに過ぎない。
現代社会は「金中心主義」なので、金が力を失った時に崩壊する。
特に日本は、食料自給率が40%を切っているので、いざ何かが起これば、大パニックと成るだろう。
昔の様に、麦飯と味噌汁と沢庵の生活には、急には帰れないであろう。
特に、現代の若者は、パン、肉、麺類を食べている。
それは、99%外国からの輸入に因る物である。
流行とは、大勢の人々が同じ方向に意識を向ける事だ。
其れは、大勢が一変に人真似をする事でもある。
日本人は、特に其の傾向が強い。
話は余談になるが、私は昨日、安房川の河口で、岩海苔を20kg程採って来て、庭に干したり味噌汁に入れたりして食べた。
昔は、採って食べる人も多く居たのだが、いまではスーパーに行けば、安価で何時でも売っているので、誰一人自分で採る者が居ない。
海岸に、広範囲に生えているので、何百kgでも収穫出来るのだが、誰も採ろうとしないのだ。
今の若者には、屋久島の河口に食べられる海苔が生えている事は、誰も知らないだろう。
大人が、食べられる事を教えなければ、その情報は途絶えてしまう。
子供達は、スーパーで買い物をする事は、真似して覚えて行くが、自分で海から採って来て干して食べる行為は、大人が行って見せなければ、真似をする事は出来ない。
現代社会は、真似して悪い事が、真似られて、善い事が、真似られない様に成って来ている。
私達の年代が、昔の事を知っている、最後の人間と成りつつある現代社会は、誰かが、目的を持って、しっかりと情報を傳えなければ、一度消えてしまった情報の復活は、大変な作業となる。
聖徳太子の行跡が、良い悪いは別にして、誰かが、太子の様に「新しい価値観を 創造しなければならない時代を 迎えている」と、言えるだろう。
このくらいの事を書いても、太子の供養には、成らないかも知れないが、書けるだけは書いて見た。
平成15年2月22日
礒邉自適
2003/2/7
私に何が起きたか
15・2・7
私に、何が起きたかを、一口で言えば、天皇家の伝統儀式である「大嘗祭・だいじょうさい」の秘儀と同類の事が、執り行われたとの事に成るだろう。
大嘗祭では、東方に「ゆき(悠紀・斎忌・由基)殿」が建てられ、西方に「すき(主基・須岐)殿」が建てられて、其の両殿を使って、天皇が代替りする儀式が行われる。
其の儀式は、天皇家の儀式と言うよりは、物部家に代々伝えられていた儀式であり、物部家の御霊が協力しなければ、儀式が形式通り行われても、中身が成功する事はないであろう。
歴史を調べても、大嘗祭が成功したとの記述は無い。
神武天皇(紀元前660)以降、その儀式が成功し、神霊が降りて、新しい天皇が受霊したとの記述が無いのである。
若し、成功したにもかかわらず、記録されていないとすれば、その儀式の中身が、秘儀である事の証明と成る。
では何故、その一番大事な儀式が秘儀とされているか、その原因を明確にしなければならないだろう。
其の原因は、大きくは二つ有ると考えられる。
先ず、一つは、其の秘儀の中身が外部に洩れると、多くの人々が大嘗の儀式を真似て、偽者が現れる恐れがあるから、秘儀とする。
第二は、天皇が儀式を行ったにしても、代々の天皇霊が資格を認めず、失敗に終った事を、世の人々に知られない為がある。
私には、其の両方の事が、当っていると想われる。
大嘗祭がスムーズに行われ、先祖代々と、宇宙創造の本霊まで繋がる事が出来、天津日継ぎ神事が成功すれば、それなりの現象が、起きる筈だからである。
神武天皇が、南九州から奈良に入った時には、其れなりの現象が起きている。歴史を見ても、大嘗祭が正式に行われた事は少なく、幼い男子や、女子や婦人までもが、天皇の位に就いている。
「スメラミコト・天皇・ミカド」とは、成人男子だけが成れる資質が有り、それも、精神的にも肉体的にも、鍛えられていなければならない。
天皇とは、国の長であり代表者である。
其れが、子供や女性で、出来るわけがない。
何故、其れ等の事が行われたかと言うと、体制を維持する目的で、血筋だけが大事とされたからに他ならない。
天皇の役目が、スメラミコトでなければ成らない事が、無視されているのである。
其れ等の事が通用するから、誰も「スメラミコト」に成る為の、修業や努力をしていないのだ。
其の事が原因と成って、千数百年間、神事が溜りたまって、今回一変に、問題を解消する為に、私が其の被害に遭った事になる。
天皇家が、本来の役目を果していれば、私が此の様な事態に、引き出される事は無かったのである。
私の血筋である「礒邉(石部・磯辺・磯部)族」は、表舞台に出る血筋ではない。
奈良の、石上神宮が「物部・物の部」と呼ばれる様に、物部が儀式を行い、物や調度品を管理する部族で、権力者に成る事や、人前に立つ役目とはならない血筋なのと、同じである。
其れが、何故、私が今回捜し出されて、儀式を執り行う事に成ったかと言うと、現在の宮内庁に、秘儀をマスターしている人が存在しないので、天皇の「大嘗祭」が、正式に行われていないからである。
昭和天皇が、昭和64年1月7日に亡くなったが、天皇霊は7日の夜中、私の心臓に飛び込んで来た。
其れが起きた原因は、私が1984(S59)年6月4日(旧暦5月5日)に大嘗祭の儀式を済ませ、天皇家代々の霊を、自分の先祖の霊と、合祭していたからである。
大嘗祭は、毎年秋に行われる「新嘗祭・にいなめさい」を、天皇代替の時に一回だけ「大嘗祭・だいじょうさい」として、行うものである。
其れは、新しい天皇の「肉体・みま」に、代々の天皇霊が乗り移り、位が譲られる事を意味している。
では、私に起きた事を、具体的に述べて見よう。
一.1983年3月18日に、私を訪ねて土肥無庵が来て、屋久島に家を建てる事に成った。
二.その土肥無庵の家が、1984年3月5日に出来上がり、その日から 私も玄米自然食の食事を、その新しい家で共にする事に成った。
三.1984年6月4日(旧5月5日)が、丁度自然食を始めて丸三ヶ月目の日であった。
其の日、朝起きて実家の母親の所に向かって歩いて居ると、道に一枝の紫陽花が道に落ちているので、其れを手に持つと、私は実家に向かうのを止めて、自宅に引き返して車を運転し、無庵師匠の家に向かう事に成った。
四.6月4日の朝から 不思議な事が始まり、それが一日中続いた。
私の家が 東方の斎忌殿となり、土肥無庵の新しい家が、西方の主基殿となったのである。
五.朝、東方の家から西の家に行き準備をする。
・西の家で 子供に神が憑き、命令を出し始める。
・時間調整がなされ、東の家に出発。
・東の家に着くと 今度は 私に神が憑いて、家の前の安房川で禊ぎをする。
・禊ぎが済んだら 家の畳の部屋で床に伏す。
・4311体の霊団が現れて 一番前に20年前に死んだ父親が立ち、私に「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。だけど仕事だと想うな。遊びだ 遊びだと考えろ。」と謂う。
・私の口から、にぎり飯の要求が出される。
・にぎり飯が用意された処で 押入れに隠れる。
・家の前の 安房川の橋の中央に行き、川面に言葉を発す。
・東の家の用が済んで 西の家に帰る。
・それで その日の儀式は終了して 東の家に帰る。
一応、大嘗祭の儀式は済んで、4311体の聖霊は、私の体に寄り憑いた事に成り、私は次の日から、荒野を彷徨う事に成る。
先ず、竹山に出掛け、竹を切って杖にする。
4000体余りの霊が降りて来て、私の身体を使い始めた事は、神社の大祓祝詞にある「神霊の思頼・みたまのふゆ」が、現実として本当に起きた事に成る。
其の霊魂達が、私の体を借りて、始めた事の何例かを、次に挙げて見よう。
名前は、誰一人名乗る者が居なかったので、私が後の研究から、行為の内容で察して、「多分 誰であろう」と思うだけで、証拠は何も無い。
一.安房の、岡の上に在る寺に4〜5歳の男の子数名を連れて行って、一緒に本堂入口に立ち小便をする 。
(寺の住職が 本物で無い事を知らせたかった様である)寺に関係が在るのは、地元出身の「泊 如竹翁」(370年前の人)旧暦1月17日が聖誕祭。
二.痩せた、出歯の老人が出て来て、「カメ カメ カメ カメ」と歌を唄う。後に、玄米自然食を世界 に広めた「桜沢如一氏」が、「カメ カメ カミながら神の国」との歌を作っている事が判る。
三.下駄を履いて、毎日坂道を歩いて足を鍛える。
毎日、下駄の歯をコンクリートで摩って、底を平にして姿勢を正しくする。大本教の「出口王仁三郎」が、「今度の神は 下駄を履いてチャラチャラ来る」と、自分で予言をしていた為に、それを実行する。
(一.二.三は1984年6月)
四.右脳と、左脳の開発をしながら、左右のバランスを取り戻す為に、両手を平等に使い始める。「宮本武蔵」は両手を使う事で文武両道に長けていた。元の世で、弟子を育てていないので真剣である。
五.「天智天皇」新しい祭り事を完成させたいと願っている。新しい世界の暦を作る。
「ひもろぎの 世々の乱を 盃に 菊一輪と まわしのみ」(1986年1月10日)天智天皇祭にて。
六.「弘法大師空海」「我が弟子 今だ我を超えず」1300年間、自分が教えを残したのに、誰も自分を超える事が出来ないと嘆いている。
七.「イエス・キリスト」1985年12月13日
岩手県五葉山「私の肉体を 十字架から降ろしてくれ。自分の教えを 誰も守っていない。」「何時までも イエスの名で呼び出さないでくれ。」
八.1986年8月6日 4311体の霊が、私の肉体から光の玉に成って、天空へ抜け出て行く。
九.「昭和天皇」 昭和64年1月7日夜中 私の心臓に飛び込んで来る。
これらの事が次々と起こり、18年間全部を記すと、何百枚になるので、此の辺で止めておこう。
これ等の私に起きた事は、4311体の霊団が、自分の遣り残した事を実行する為に、集まって出現したのであろう。
イエスキリストや、釈迦牟尼仏の伝記を読んでも、同じ様な事が起きた様子を、窺う事が出来る。
日蓮上人は、「南無妙法蓮華経を唱えると 諸天善神皆加護に付く」と、謂っているので、日蓮の影響もかなり強いと想われる。
ようやく、私の行動も静かに成って来ている。
4311体+数名の霊人も、自分達の業・カルマを浄化出来たのであろうか。其れとも、遣る事の目鼻が立って、準備に動き回っているのだろうか。
これ迄に、私に起きた事を、他人に理解して貰うには、とても大変な作業を要するであろう。
私自身に理解出来た事は、神界が動くには、其の働きの受け皿に成る人間が、現実界に存在しなければ、手も足も出せないとの理・ことである。
何故かと言うと、三次元を動かすには、三次元に身を置く誰かが、それを受け取って認識(みとめる事)をしなければ、神の仕事(しわざ)が人間界に知られる事が無いからである。
神の働きが、現実・事実として存在する事が、三次元に居る人間に認識されてこそ、宇宙の真理が全うされる事に成るのだ。
私の役目は、神の存在を証明する事であり、私に起きた様々な現象は、その為の「あかし」であろう。
私も、18年前迄は、神の存在に対して、いま程の自信は持っていなかった。しかし、37歳で神の世界にどっぷりつかってから、初めて、自分が神に生かされていた理・ことに、気付いたのである。
私に起きた事を通して、此れから、どれだけの事を、人々に伝えて行けるのかは分からないが、出来るだけの努力は、して行きたいと意っている。
何しろ、釈迦の2500年の憶いが、全地球に満ちているのだから、私達人間が、其れを素直に直接受け取って行けば、人類の「覚醒・めざめ」は、それ程不可能な事ではないのだ。
出来るだけ、多くの人達が覚醒すれば、災いも少なくて済むだろう。
私が、これらの事を引き受けてから、世界は随分、善い方向に進んで来た。
希望を持てる、世の中に成って来たのである。
「何も良くはなっていない」と云う人が居るかもしれないが、其れは、18年前の神界の状況を知らないからである。
18年前迄は、世界は、核戦争の危機の中に有ったのだ。
18年間で、人類は平和と環境の問題に取り組み、認識は高まって来ている。
神の裁きが遠退いたのも、多くの人々の努力に因るものである。
是から、本格的に、未来創造に取り組む人達の出番が来る。
その先覚者として、私は使わされたのであろう。
私に起きた出来事から、私が言えるのは、今日の処は、是くらいであろうか。
平成15年2月7日
礒邉自適
2003/2/7
静寂
15・2・7
私の屋久島の暮らしも、九ヶ月目に入っている。
3月から、また島外の方達が、来島する旨の連絡が入っているので、今が一番静寂な期間と言えるだろう。
私が、全国を旅している時、意識の向う対象が、豪華なホテルや豪邸ではなく、山中に一軒離れて建っている、簡素な和風の建物だった。
それも、何故か、新しい物よりは古い方が気になって、其の様な建物が目に付くと、空き家ではないのかと思い、車を停めて中を覗いたりしていた。
どうして、その様な気分が生じるのか、ようやく分かって来た様な気がする。
屋久島に帰って、自分の持ち家に一人で住んでいて、何時に寝ようが、何時に起きようが自由であり、誰に気兼ねをする訳でもない。
未だ、屋根の部分は修理していないので、大雨が降ると雨漏りはするが、雨漏りする場所に、タライを二つ置いてあるので、別に大して気にもならない。
私の自宅は、戦後直ぐに建てられた物だから、私の年令と同じくらいだろう。
私が、此の自宅を手に入れたのは30年前である。
私が購入してから、二階を増築したり、水洗トイレを付けたりして、手を入れたが、30年も経てば、建て直さなければならない年数である。
でも、今の私には、今のままで十分に間に合っている。
中国の老子の言葉に 【我有三宝、持而保之。一日慈、二日倹、三日不敢為天下先】と有り、これは訳すと【われに三宝有り、持してこれを保つ。一にいわく慈、二にいわく倹、三にいわくあえて天下の先たらず】
「私には 大事にしている宝が三つ有る。それは一に人をいつくしむ心、二に物事を控えめにする、三に行動において 自分から人の先に立たない。」との意味である。 (徳間書店 中国の思想 老子 奥平卓訳)
私はいま、此の老子の教訓が、能く理解出来る。
いまの私には、自分から、生活を良くしようとか、偉く成りたいとかの欲望は一切無い。
他人が、何か頼みに来る迄は、自分からは行動を起さない。例え、動き出す事があっても、其れは自分の事ではなく、他人への慈愛の気持ちからである。
家も古いし、金も無いので、借金を申し込んで来る人も居ないし、押し売りも遣って来ない。
稀に来る人は、焼酎やつまみを持って遊びに来るか、野菜や食料の、差し入れに来てくれる人達である。
釈迦の様に、自分から托鉢に出掛けなくても、困る事は無いのである。
豪華な家に住んでいれば、税金は高いし、物売りも押しかけて来るだろう。
台風が来る時は、少しは心配もするが、其れは、家が立派でも同じ事だろう。私し自身の、気持ちを振り返って見れば、随分と、若い時の願望とは違って来ている。
若い時は、弟や妹達四名を、一人前にしなければと言う責任も有ったし、自分が結婚してからは、自分の家族に対しての責任感も有った。
今は、それさえも無いので、こんな呑気な事を言っていられるのだろう。
私が、何故、家族も無く仕事も無く、ノンビリして居られるのかを考えて見ると、自分が、そうしたくて成った分けではない。
聖霊達が寄って集(たか)って、この様な状態に、私を持ち込んで来たのだ。
私は、聖霊達が肉体を借りに来てから、神武天皇の様に政治を始めたり、釈迦の様に、多くの弟子を集めたり、イエスキリストの様に奇跡を起したり、ピカソの様に絵を画いたり、芭蕉の様に和歌を詠みながら、旅を続けるのかと、霊魂が入れ替わる度に、意って来たが、実際にはそうは成らなくて、18年振りに屋久島に帰って、島での暮らしに納まってしまった。
屋久島で、18年前に、神掛った当初は、第三次世界大戦の核戦争を見せられ、人類が絶滅するのも知らされた。
そして、そう成らない様に「人類を救うチャンスを お前に一度与える。失敗は許されない。」と告げられ、私は全てを捨て去り、人類救済の為に、全身全霊で取り組んで来た。
振り返って見れば、18年前の、あの事は、一体なんだったのだろうと思ってしまう。
家族も、島の人達も、みな「自適は 頭が変しく成った」と云っていた。いま考えると、そう想われても、仕方の無い事であった。
王様の一人息子であった、インドの釈迦でさえ、変に想われた世界である。
まさか、自分の家族や、自分の町から、其の様な人間が出るなどとは、誰も想っていない。
釈迦の様に、自分の町を出て、誰も知る人の居ない、修行僧ばかりの森に出掛けてしまえば、他人に迷惑を掛けないが、私は、自分の住んでいる日常の生活の場で、それを始めたのだから、大変な騒ぎとなった。
現在の静寂とは、丸きり正反対の世界・状況だったのである。
18年前は、毎日、昼も夜も、島の荒野をさ迷い歩いた。
しかし、いまは用がない限り、何日でも、家から一歩も出ないで、同じ所に座っている。
「静寂」の言葉、其の物の暮らし振りと言えるだろう。
家に居ても、神棚も仏壇も無いから、読経や祝詞を上げるわけでもない。
家の中の音は、洗濯機と冷蔵庫の音ぐらいである。
「静寂」の漢字を漢語林で調べて見ると、「静」は「青+争」の組み合わせで、「青」は「すみきる、なにもない」の意味で、「争」は「一個の物を奪い合う両人の手」である。
だから、「静」は「物を奪い合う争いが 何も無い」との意味になる。
「寂」は「家が古くなり壊れそうでいたましい、誰も人が寄り付かないでさびしい。」の意味である。
「静寂」とは「あらそいが何も無く 人の出入りも無い静けさ」を意味している。
「寂」は、仏教の教元の中に使用されている。
意味は「煩悩を滅しつくして 解脱の境地に入る」の意味で、茶道では「ワビ、サビ、カレ」の「サビ」に使用されている。
話を冒頭に戻すと、私の意識を、山中の古い家屋に向けていたのは、私の体を借りに来た、静寂を望む霊人達だったのであろう。
其れが、誰の意識なのかは定かではないが、戦争までして、栄華を極めようとの者ではない事は確かである。
茶道の人であったにしても、茶室を欲しがったり、高価な茶道具を欲しがったりする事はない。
日蓮やイエスの様に、教えを広めようとの行動も起さない。
其れ等の人々であっても、18年間の時間の中で、本来、無用の事であると悟ったのかも知れない。
老子の謂う、「自然無為」を理解したのではないだろうか。
私が、旅に出て、一番先に買う事になった本が「老子」の道徳経であり、最後に座右の書として残ったのも、其の老子の本である。
老子は、最後に、自分の考えを5000字に集約して残し、国を出て行方知れずに成ったままである。
私が、多くの本の中から老子を選んだのは、自分にとって一番理解し易いし、実行出来そうな教訓だからである。
私の両親は、終戦までは、中国の北京に住んで居たので、父親の意識にも、中国の古典の世界が、影響していたのであろう。
私の本名「自適」も、親の話しでは、私が生れた時に、自分で持って来た名前だとの事である。
「自適」は、「悠々自適」の「自適」であり、老子の生き方の真髄・神髄でもあろう。
釈迦仏教の、「サマディ(三昧・ザンマイ)」も同じ様な意味である。
私の18年間の旅は、私一人の個人的な事ではなく、4311体の霊界人達の修行でもあった様である。
今は、私の個人的にも、島にとっても、一番静かな時である。
春に成れば、この静寂も保たれないかも知れない。
今日、これを書いている事は、私にとって、人生そのものと、言えるのかも知れないのである。
岡本天明氏の日月神示にも、「老子だけを内に祭り 他の神は 皆外に祭れ」と出ている。
老子の残した5000字の文字こそ、人類救済の鍵となるものであろう。
私にとっても、老子の残した5000字は、静寂を保つ為の良薬でもある。
自分の内側の魂しいを、覗き込む時、老子を理解出来る何者かが、存在する事に、心から感謝しなければならないだろう。
老子の謂う「古の人々は 素晴らしい」の言葉が、本当に、有り難い年代と成って来た。
追記:「治人事天、莫若嗇。天唯嗇、是謂早服」人を治め 天につかうるは 嗇(しょく)にくはなし。それただ嗇、これを早服という。
「三曰不敢為天下先」「私の 宝の 三つめは あえて天下の先たらず。(自分から進んで先に立つ事はしない。)」 中国の思想 老子
平成15年2月7日
礒邉自適
2003/2/4
體と言葉
15・2・4
現在の社会は、昔に比べて、言葉の量が物凄く多増している。
日本は、特に、外国からの言葉の移入が多いので、最初に、日本列島に有った言葉が判別出来なくなって来ている。
昔の、言葉を探り出す為には、新しい言葉から、順番に外して行かなければならない。
一番新しいのは、現在、取り込まれているアメリカ製英語である。
其の前は、明治時代に導入された医療のドイツ語、其の前が、長崎から入って来たオランダ語、其の前が、仏教用語と中国語や朝鮮語である。
天武天皇が、日本書紀を作った690年代には、18の異なる文化を有する部族が在ったとの事だから、其の頃は、未だ言葉は、様々の言語だったのだろう。その、18の部族数にアイヌが入っていなければ、未だ多かった事に成る。
「安田徳太郎氏」の著書〔古代日本人の謎〕を読むと、日本語の中にヒマラヤに住むレプチャ人の言葉が2500語、チベット語1000語、サンスクリット語500語、計4000語も混ざっているという。
万葉集の意味不明の言葉は、それらを当て嵌めると、スンナリ意味が解けるとの事である。
沖縄の宮毛島には、昔、インド人が移住して来て、住んでいるのだとの話も他から聞いているので、私も古代語に、段々と興味が湧いて来ている。
私が、自分の記憶を辿るのに、屋久島の方言が、重要な手掛かりに成っている事からも、文化を知るには、言葉や地名が、一番重要だと言う事に成る。
特に日本列島は、他民族に制圧されて、言葉が一変に変えられた事が無く、流れ込んで来る異民族の文化を、列島に住む民族が、長い時間を掛けて受け入れているので、日本語の一番古い土台には、本来の言葉が残っている筈である。
私の住む屋久島でも、80年程前までは、他部落との婚姻が禁じられていたとの事で、村ごとに方言・イントネーションが違っている。
栗生、平内、尾之間、安房、小瀬田、楠川、宮之浦、一子、一湊、永田と、今でも違った方言が残っている。
其の中で、私が育ったのは安房地区だから、安房弁が、私の言葉の土台と成っている事になる。
私達の年代が、安房弁でシャベルと、島外の人達は、殆ど何を言っているのか判らないらしい。
安房弁は、鹿児島弁や、奄美や沖縄の言葉とも違うし、お隣りの種子島の言葉とも、違っているのである。
私は18年前、修行が始まって、一番先に発生して来た問題は、瞑想で出て来る映像を、どの言葉に置き換えるかであった。
私には、現在の、江戸弁でもない標準語は、意味がハッキリと、定置出来ないのである。
私が、東京で都会の人と話しをしても、同じ言葉で会話をして居るのに、変に想われるのである。
其れは、使っている言葉は同じでも、言葉からイメージされる映像が異なるので、意味が伝わらないらしい。話しをしても、トンチンカンらしいのだ。
それは、どう言う事かと言うと、体験が異なっているので、同じ単語を使っていても、お互いが、頭に画いている像が、違っているかららしいのである。
私は、その問題を解決するには、体・體に密着した表現から、取り組んで行かなければならないとの、考えに至った。
「体・體」に密着した言葉とは、「歯痒い」とか「耳が痛い」などの言葉である。此れは、別に歯が痒い訳でもないし、耳が痛い訳でもない。
表現したいのは心の問題である。
これ等の言葉は、体・體と、言葉(事と場)が、一体のものである理・ことを示している。
人類が、最初に使用し始めた言葉は、心の状態を、直接他人に伝えるものであったはずである。
動物や小鳥も、自分の感情を、鳴き声と動作で表現しているので、人間の言葉も、その延長線上にあるはずである。
感情を表す言葉に「頭に来た」とか「腹が立つ」などが有る様に、動物的な表現は数多くある。
私達が使っている、安房弁を一つ採り挙げると、「タマガッタ」が有る。
「タマガッタ」とは、驚いて恐がる事を意味している。
「オドロイタ」と「コワガッタ」とを、同時に言い表しているのだ。
語源を調べると、「タマガル」は【「魂がる」で「たまぎる。たまげる。」と同じで「魂去る」の事。(魂が消える意から)非常に驚く。びっくりする。】と、載っている。 広辞苑
この言葉は、人間が急に驚くと、頭がカラッポに成ってしまうので、「魂が消えてしまう」と、考えられていた事を伝えている。
これも体験しなければ、解からない言葉である。
私達が、日常使用している言葉を、此の様に、一語一語理解して行けば、一生それに費やす事に成ってしまうが、人間にとって、此れは一番大事なことである。
諺に「三歳(みつご)の魂百まで」と有る様に、言葉の基盤が出来上がるのは三歳までだと言うのであれば、三歳までに、体・體と一体と成った、言語世界を組んでやらなければ、其の子供は一生、言葉と體が一体化しないまま、過ごす事に成ってしまう。
現代の若者が、直ぐに「頭が切れる」と言うのは、この作業が、しっかりと行われないまま育った結果である。
幸いにして、私は38歳まで、屋久島の安房で暮らし、中学校までしか教育を受けていないので、言語中枢が侵されていないのであろう。
私が、瞑想を行い続けて、自分の意識の始まりを探る時、子供の頃覚えた安房弁が、物事を理解する支えと成った。
言葉の数が少なくて、ハッキリと体に定着していたので、精神の崩壊を招かないで済んだのである。
私は、此の世界に飛び込んで、意識が不安定に成った時に、言葉が現実の伴ったハッキリしたものでなければ、起きて来る現象(物事)に振り回されて、精神病院に連れて行かれ、注射を打たれ、薬を飲まされて、一生精神病患者として、檻の中に閉じ込められていたであろう。
インドの、お釈迦さんの教えの中にも「十二縁起」として、言葉と現象の繋がりを説明してある。
悟りとは、自分の意識に気付く事であり、意識は言葉に拠って、組み上がっている理が明確になって来る。
そうなれば、自分が使用する言葉に、自覚と責任が伴って来るのである。
現在社会は、あまりにも言葉が無責任に使われ、人間は言葉が信じられず、皆が情緒不安に成ってしまっている。
其の情況は、不幸だと言わなければならない。
漢字の「よろこぶ」には、20文字も有る。
私達は、身体がヨロコブ状態と、その時の意識状態を、説明出来る言葉を失っているのではないだろうか。
其れは、子供の時から、机にしがみ付いて勉強ばかりして、遊びが少ない事もあるだろうが、オトナが、喜びを表現して見せていない所為も、有るのではないだろうか。
私達自身が、ヨロコビを体験し、楽しい世の中を見出すしか、世の昏迷を、救う方法は無いのではないだろうか。
体・體から言葉が発生し、言葉で、幸福感を認識出来るのだと言う理・ことを、今一度、認識する必要に迫られているのだ。
平成15年2月4日
礒邉自適
2003/2/1
佛陀の祷り
15・2・1
本日は、珍しい日である。
新暦の2月1日と、旧暦の1月1日が重なって、一ヶ月違いの月初日である。
新暦2月1日と、旧暦の1月1日が重なるのは、前回が1919(大正8)年なので、84年振りの事であるらしい。
昨日「済(わた)す」との文章を書いたが、夜に風呂に浴って居ると、釈迦の憶いが見えた様に感じた。
17年前頃「私は シャベリたくはなかったが 後世での 貴方の為に言葉を残したのだ」との意味の、メッセージが有って、その謂い方から「ゴーダマ・シッダールタ・釈迦牟尼仏」の様だったので、「お釈迦さん」も、本当はシャベリたくなかったのだと感じていた。
18年前、私の体を借りに降りて来た霊界人達は、4311体だとの事だったが、誰一人として、名前を明かさないので、父親以外の名前の確認は、出来なかった。
其の4311体の霊魂達が、私の肉体に入り込んで行動するので、其の動きの内容から、誰なのかを憶測するしかないのだが、お釈迦さんは、もう悟っているから業・カルマが無いので、する事が無かったのか、其れらしい感じは、短い言葉だけであった。
其れが、昨夜、風呂に浴って瞑想していると、意識が動き出して、イメージが現れて来た。
其の内容と映像から、見ているのは、私自身ではなく「釈迦牟尼仏」の様に思われて来たのである。
お釈迦さんは、インド(ネパール)の釈迦族の生れで、名前は「ガウタマ・シッダールタ」だったとの事。
釈迦は、29歳で悟りを求めて家を出て、荒野で6年間修行を続け、35歳の時、宇宙意識に覚醒して「覚者・ブッダ」に成り、成佛出来たと言う事である。
そして、成佛してから45年間説法を続けたと伝えられている。
35歳から80歳迄(前566〜486)何を考えていたのか、誰も、真実の処は分からないのであろう。
何故なら覚醒した者は、宇宙の真理を捉えているので、余計な事を謂はないからである。
本当の理・ことは、宇宙の法則に反する事に成るから、言葉にしないので、誰にも分からないのである。
「仏・ブッダ」は、其れを言葉にする事はしないが、自分の想いが、宇宙に反映する事は知っているので、意識を集中して、未来を意うのである。
そして、自分の企画がイメージ化されて、新しい人類の社会に、投影されて来るのである。
だから、釈迦のイメージが投影されているのが、現代社会と言う事に成って来る。
もちろん、現代社会が釈迦のイメージだけで出来ていると言う分けではないが、釈迦の憶いが、人間の深い意識の層を占めていると、言いたいのである。
私の、肉体を借りに来た霊界人だけでも4311体居たのだから、それだけの人々の御魂が、現在の人間社会の活動に、其々、何等かの影響を、与えているのだと考えられるのである。
しかし、一歩考えを進めれば、4311体の御霊を動かしているプロデューサーは誰かとの、疑問が涌いて来る。
4311体もの御霊を動かすとなると、相当の能力を有した者でなければならない。
4311体の霊界人は、皆 強い意志を持っていればこそ、霊界に存在するのだから、監督が余程優秀でなければ、云う事を聞かないだろう。
それも、釈迦の存在した時間帯から2500年も経過しているのだから、2500年間の時間も、制御しなければならない。
釈迦が、全てをイメージしていると考えれば、2500年間の時間と、全宇宙を舞台として、創作活動をしなければならないのだ。
其れ等の事が、本当に可能であろうか。
可能だとすれば、どういうシステムで管理運営出来るであろうか。
現在の人間社会で、4300人もの人間を管理しようとすれば、一人では無理であろう。
4300人の人達が、地球全域に全て散ってしまえば、肉眼で見て追い掛ける事は不可能である。
昨夜の、私の感じ方からすれば、釈迦は肉眼で見ているのではなく、目は閉じていて、霊夢の様に映って来る、霊界のスクリーンを見ているのである。
霊界のスクリーンには、一切の動きが映されており、自分に関する大事な出来事は、自動的に映されて見えて来るのである。
其の次元は、チャンネルは必要ないので、手を動かす必要もない。
ただ、瞼に映って来る映像を見ながら、自分の意ったように、映像を変化させて行けば良いのである。
其の、天界の幕に映る映像は、現実の人間社会の無意識層に、影響を与えて変化を起すのである。
それは、人間の行動だけではなく、森羅万象まで影響を与える事になるのだ。
では、釈迦牟尼仏の瞑想・いのりの範囲が、何処まで及んでいるかを考えると、2500年の時間の中には、イエスキリストもマホメットもキング牧師も入っているし、思想的に捉えれば、聖徳太子、空海、最澄、親鸞、日蓮、一休、良寛、宮沢賢治までもが、その中に入っている事になる。
私の存在自体も、釈迦の、瞑想の産物に過ぎないのかも知れないのだ。
釈迦が2500年前、瞑想して観たものは、2500年後の無明の世の中である。
そして、其の無明の世の中に、自分の弟子であった「マイトレーヤー・弥勒」が菩薩と成って転生して、衆生を済度する映像である。
其れが、本当であれば、釈迦が見ていたテレビは、未来の事までが、映っていたらしい。
釈迦が、見ていたテレビ番組の製作者は誰で、放送局は何処に在って、カメラマンは誰なのだろうか。
釈迦が云うには、釈迦以前にも、其のテレビを見ていた者達が存在し、私は其の存在から、何代も後だとの説明している。
釈迦よりも、何代も前と言う事は、2500年×複数年だから、何万年も前から、其のテレビ放送局も存在し、カメラマンも居た事になる。
と言う事は、現在も、其のテレビ局は存在し、我々の背後には、何時も、目には見えないカメラマンが居て、46時中、私達の映像を、霊界のスクリーンに送り続けている事になる。
私が、毎日見ている夢は、其の放送局からの電波・霊波を、私の脳が端末と成って、受け取っている事になる。
そうであれば、昨夜は風呂の中で、水の振動波を使って、釈迦の瞑想の映像に侵入した事になり、私は、釈迦の2600年の祈りを、覗き見た事に成ってしまう。
佛教の中には、「この世界(宇宙)には 永遠のブッダが存在して、瞑想・いのりを続けている。」との教えがある。
釈迦は、其の永遠のブッダに、同化したのだろう。
私も、其のブッダの瞑想を、昨夜、垣間見たのかも知れない。
平成15年2月1日 旧暦1月1日
礒邉自適
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