2002/11/25
引き裂かれた気持ち
14・11・25
私は、静かにしていると、深秋の空気が身に染みて来る。
川向こうには、実を小鳥に与え切ったハゼの木が、役目を終えた葉を散らしながら、眠りを準備している様だ。
そんな景色を観ていたら、「引き裂かれた気持ち」との言葉が頭に浮かんで来た。「ひきさかれたきもち」とは、私が「慈悲」の漢字の意味を調べている時に、辞典で知った言葉である。
其れが何故、いま脳裏をかすめたのだろうか。其の理由が、良く判らない。
昨日、実家に野菜を貰いに行った時、母親が、愛知県の娘の所から持ち帰った写真を、見た所為なのだろうか。
愛知県に嫁いだ、私の妹の長女の結婚式があり、母親は老身を押して参加し、数日前に帰って来ていた。
18年振りに、写真で見る妹二名の姿と、両方の夫や子供達、説明を受けなければ、どれが誰かも、私には判らない。
私は、其の事で、月日が経っている事を改めて感じた。
18年前、霊界との接触が無ければ、私も、結婚式に参加して、写真に納まっていただろうし、私の娘達も、結婚していたかも知れない。
私には、温かい家庭が、今は無い。
昨日、写真を見て観じた感情が、今朝の気持ちを引き出しているのだろうか。
晩秋の気候と、空気の冷たさが、身に染みる所為も有るのだろうか。
其れに、言葉が自然と湧いて来るのは、人間の大脳の仕組みのせいなのだろう。
改めて、漢語林で「悲」の漢字を調べて見ると、「心+非」の組み合わせで「非」は『「左右に分かれる意味。心がひきちぎられ、いたみかなしむ。」の意味を表す。』と載っている。
人間のかなしみ、さみしさは、「嘗て 存在したものが 現在は無い」と言う、空白の心の状態なのだろうか。
今朝、川向うの景色の中に有るハゼの木の姿を観て、川面に落ちて流れて行く枯葉を想わなければ、言葉は浮かんで来なかったのかも知れない。
日本の和歌の世界は、この様な情況から発生したのではないだろうか。
仏教では、「慈悲の心」とか「無常」とかの言葉がある。
其れは、「有る事」と「無い事」の状況が入り混ざって、言葉に成っている。
「嘗て 在ったものが 消えて行く」との空白になった部分を、何かで埋め合わせようとする心が、佛の世界を、創り上げて来たのではないのだろうか。
子供や、孫に囲まれ、仕事に追われていれば、こんな気持ちを感じる事は無いだろう。
佛教が「出家」を基本とし、山里に寺院を造ったのは、信者が多く集まる為のものではなく、静かに、引き裂かれた気持ちを確かめ、その空白の中に生じて来る何ものかを、感じ取る為なのだろう。
仏教とは、「この宇宙は 存在したものが“無”に帰って行き、また“無”から“有”へと現れて来る。」其の永遠性の場面を、自分の事として、受け入れることなのかも知れない。
失われたモノを認識する事で、存在の意味が確認されるのであろう。
釈迦が、明日は 散って行くであろう花を、「一輪手にして 沈黙し 只座っていた」と、仏典には載っている。
今朝は、其の時の釈迦の気持ちが、理解出来る様な気がする。
イエスは、家庭も子供も持った事がない。
だから愛は説けたが、慈悲の感情を体験していないのではないだろうか。
イエスの悲しみと、釈迦の悲しみには、少しの違いが有るのかも知れない。
イエスキリストに、悲しみが、無かった訳ではない。
愛を説くイエスの悲しみは、天の父の愛を理解しようとしない人々に、「どうしてなのか」と言う、無理解に対するものであったのだろう。
イエスキリストは、弟子達に「天の父の愛を 説いて回りなさい」と云っているが、釈迦の言葉の中には、其れは無い様に想われる。
釈迦は、「この宇宙の存在そのものが、計り知れなく大事なものであり、其の存在は人間自身も含めて、実に奇跡的なものである。だからこそ、全てのものはいとおしく、感謝すべきものである。」と、そう謂いたかったのではないだろうか。
引き裂かれたものを、しっかりと確認出来た時、存在の全体像を把握・つかむ事が出来る。
其処に、調和の世界が在る事を初めて悟るのである。
その理を、日本では古くから伝統として傳えて来ている。
「大和」とは、それを言い当てているのだろう。
紅葉して、散って行く木の葉は、其の象徴であり、白い雪に被われた世界が、やがて春と成り新緑に被われ、生き物が満ち溢れ、子孫を残して行く。
其れ等の情景が、日本人の心を養って来たのだ。
釈迦の教えが、仏教として「日の本・大和」に定着したのは、この事が土台となっての事だろう。
現代の世の中は、神社だ寺院だ、テレビだ新聞だ、ディズニーランドと、朝から晩まで、物と情報の洪水である。
人間は、押し寄せる物と情報に、自分の命を擦り減らしているのだ。
こんな世の中に、身を置いて居れば、現象が有り過ぎて、引き裂かれた悲しみ等、感じて居る事は出来ないだろう。
否、その様な世の中だからこそ、自然の大法則より引き裂かれて、不安で悲しいのかも知れない。
そうであれば、私は、人々とは反対の悲しみの世界に、在るのかも知れない。
私は、皆と同じ川の流れを見ているのだが、私の立っている岸は、他の人と反対側の岸なのだろう。
私だけが、彼岸に渡っているのかも知れない。
私の見ている、向岸のハゼの木は、現代社会を象徴している姿なのだろうか。
ハゼの実は、小鳥の餌と成り、種子は方々に運ばれて行って、新しい芽を出し、世代を継いで行く。
其れに比べて、現代社会の人間の営みは、ユダヤ資本主義に席巻されて、稔った実も、誰も、収穫の喜びを感じるものでは無くなっている。
成功した者達の子供も、自然の中で育つ場を持てないのだ。
やがては、自然からも、物質からも引き裂かれて、悲しみの淵に追い遣られるのであろう。
今こそ、人類が“何から”引き裂かれているのか、それを考えるべき時期なのではないだろうか。
イエスや、釈迦、老子が謂い残した、永遠の宇宙の「のり・理・法」に振り返り、手を差し伸べて、其れに触れて見る時節を、迎えているのだと感じるのは、私だけではないだろう。
平成14年11月25日
礒邉自適
2002/11/20
新嘗祭・にいなめさい
14・11・20
今年も、物部の儀式である「新嘗祭・にいなめのまつり」の日が近付いて来た。
明日21日は、鎮魂の準備が為され、22日から23日に掛けて、夜通しの儀式が行われる。
物部の儀式を取り入れた天皇家でも、一年で一番大事な儀式を迎えるのだ。
今朝は、私にも、其の前触れのメッセージが来た。
今朝の霊夢は、これ迄に無い様な内容であり、重要な意味を持っていると想われるので、少し長くなるが、思い付く事を全部書き出して見よう。
今朝の夢は、大まかには五つの場面が有った。
・最初は、太陽が輝く青空に、鷹か鷲の様に見える鳥が飛んで行って、羽根の部分が大きく見えた。私も、空へ上ろうと、鳥の様に両手を動かすのだが、飛べない内に其の場面は終った。
・次に、水田のある土地の一番上の段に行くと、美しい清水の池があり、水中に若鯉が数匹泳いでいた。その、清水の池より上の段は、岩山で、上流には畑も人家も無いので、水は清潔で澄み切っており、鯉の鱗も美しく、動きも活発で元気な様子であった。
・3番目は、誰かの家でマージャンを四名でやっている場面である。
マージャンパイを積み上げ様とするのだが、上手く積み上がらない。前と左右の人は、もう積んであるので、変いと意って自分のパイを見ると、半分に欠けたり、摩り切れて丸くなったりしていて重ねられないのである。
おまけに、彫った文字や絵も、磨耗してハッキリしないのである。私が「こんなパイでは マージャンが出来ないので、新しいパイを持って来てくれ」と云うと、奥の部屋から別の人が、縁側の廊下を通って、両手でパイの入った箱を持って来る所で、其の場面は終った。
・4番目は、建物の外に出ると、屋敷の石垣が古くて、大水が出ると、家が壊れそうなので、屋敷全体の石垣を、コンクリートの擁壁に変えてしまう場面である。立派な擁壁に変ったのを確かめると、其の場面は終った。
・最後に、何かの決まりを文章にしている処へ、黒豹がやって来て、其の文章を覗き込み、匂いを嗅いで、獲物がないか探っている顔が、大きく気味悪く映って来た。
その間に、決まりの文章の中にスキが無いので、得るものが無いと感じたらしく、其の黒豹は去って行った。
今朝の連続した夢は、他人に話しても、繋がりが有るとは思えないだろう。
私は、18年間の旅の成果として、一場面毎に、其の意味する事が、何なのか、判る様な気がする。
私が、これ等の夢の内容が理解できる処まで、私を育てて来た何者かが存在し、私に此の夢が含んでいる内容を、文章化させる事で、次の段階に進めようと、作戦を立てているのだろう。
天・神は、何かの現象を進めようと考えても、現界に在る誰かが、其れを認識しなければ、何にも成らないので、私を其の役目に選んで、育てて来たのだと想われる。
そうであれば、今朝のメッセージは、正しく受け取らなければならない。
一番目と、二番目は、陽と陰の世界の様である。
一番目は、空、太陽、鳥、青空(晴)、伸びて行く緑の樹木、皆“陽”とされている。
二番目は、土地、水、魚、岩、池で“陰”と考えて良いのではないか。
西洋のカバラの世界でも、火と水が対象とされ、牛とライオンが対に成っている。
今朝の夢では、鳥と魚が対に成っているので、同じ分類法ではないだろうか。
中国の易で言うと、太陽と鳥は南の守り神である「朱雀・すざく」に通じ、水と鯉は、東の守り神である「青龍」に通じる。
そして、鯉は岩の滝を上ると、龍に変化すると云われている。
三番目のマージャンは、東西南北のパイが有るように、四方に四名が座ってゲームをする遊びである。
そしてパイには、数字や文字や絵が彫刻されていて、学問の一部となっている。
其れに、パイが、水晶か白い翡翠で出来ていたので、マージャンは王様の遊びだったのかも知れない。
王様と翡翠であれば、方角としては、北であり「玄武・げんぶ」が守り神である。
四番目は、建物の四方を固める事なので、城を意味し、ピラミッドや城壁の囲いの事ではないだろうか。
建物を、堅固にすると言う事は、防備を固めろという事になる。
最後の五番目の夢は、黒豹が出て来た。
本来は、四方の守り神の西は「白豹・びゃっこ」で、白い豹が出て来なければならないのに、何故、黒豹なのであろうか。
西は道路を意味し、道路は交通の為だから、交通は物の流通、経済を意味している。
だから、日本では豹が居ないので、替りに狐を当てて「白狐・びゃっこ」を商売の神として祭っている。
四番目迄は、善い情報なのに、最後に何故、黒豹が出て来て、新しい文章(法律)に何かスキがないか覗っていたのだろうか。
建物は堅固に造っても、中に納めてある法律が弱ければ、何にもならないとの理・ことであろうか。
今朝、夢に現れた黒豹は、利用できる法の抜け道を見出す事が出来なくて、諦めて立ち去って行った。
其れは、私が管理している法律は、正しいと言う事だったのであろう。
小さな字で書かれた、沢山の書類は、誰が作成したのかは分からないが、法律を作り直せと言う事なのであろう。
そうでなければ、白豹の登場が無いとの事だろうか。
現代社会を眺めれば、法律とは守るべきものではなく、悪い事をする為の、防波堤の様なものに成ってしまっている。
人間が作る法律は、守る気持ちが無ければ、何にも成らないものである。
善い世の中にする為には、先ずは、人の上に立つ者達が、魂を禊がなければならない。
其れが、新嘗祭の前日の鎮魂の儀式である。
「白狐」が商売の神様とされ、「おいなりさん」と呼ばれるのは、「倉に納める稲荷」から来ているのである。
日本は、長い間、米換算の経済であったので、米がお金の替りとされていたのだ。
食物の「いなりずし」は、油揚を俵に見立てて、カンピョウが括る縄であり、米を中に詰めて、米俵を真似たものである。
米俵を模した「いなり・稲荷寿司」を社に供えれば、夜中に狐が咥えて持って行く。供えた物が、翌日の朝無くなっていれば、神が受け取ったと想う事が出来、自分の願いまでも聞き入れられたと、意う事が出来たのであろう。
食物の神である「食の御魂・うかのみたま」は、伊勢外宮の祭神「豊宇気神」の御霊の事であり、又別名「稲荷神社」の祭神ともされている。
明日からの行事は、天皇家、伊勢内宮、外宮、奈良の石上神宮、島根の大田市の物部神社等、ニギハヤヒ系の神社では儀式が行われ、今年の新米が奉納され、神霊と人間の共食・直会が行われる。(大田市の物部神社は1日遅れ)
其れに先立ち、私に来たメッセージは、是からの動きを示唆するものであろう。
今朝の夢では、東と南は順調に門が開かれている様である。
後は、北と西を準備しなければならないとの事ではないだろうか。
黒豹が出たと言う事は、表裏は一体だから、裏から見れば、白豹である事が分かる。
黒豹が、ジィーッと視てスキが無いという事は、白豹が動けるという事でもある。
新しい時代の法律・きまりを、どの様にして創出して行けば良いかは、未だ具体的にはされていないが、今朝のメッセージは、其れ等の事を、準備しなさいとの事ではないだろうか。
明日から始まる鎮魂の儀式を前に、私に、四方を固める準備をせよとのメッセージが届いたとの事に、今日はして措きたい。
平成14年11月20日
礒邉自適
2002/11/19
勝
14・11・19
此処数日、ある新聞を読んでいて、気付いた事は「人生に勝利する」とか「悪に勝つ」とか、「勝」の文字がやたらと出て来るので、漢語林で「勝・ショウ」の字を調べて見た。
「勝・ショウ・かつ・まさる」形声。「力+朕」音符の朕は、上に向かってあげるの意味。力をいれてあげ、もちこたえるの意味を表す。転じて、かつ・まさるの意味をも表す。
【字義】(一)@たえる。よくする。できる。こらえる。Aかなう。=称。Bあげて。ことごとく。のこらず。(二)@かつ。敵にうちかつ。また、かち。⇔敗・負。Aまさる。すぐれる。また、すぐれた事。すぐれた所。Bさかん。「勝会」
漢語林より
「勝」は「力+朕」で「朕」は「舟+物+両手」の組み合わせで出来ている。
右側の「券」は、「両手の力で 物を押し上げる」の意味で、左側の「月」は「お月さんの月」ではなく「船の形」らしい。
どうやら、此の漢字の意味からすると、「川を 上流に向って 舟を 押し上げて行く」との意味が、「流れに勝つ」との意味の様である。
日本語の「カツ」が、何を意味しているのかと想い、辞典言泉で調べて見ると、「かち」があり、「徒・かち」と 載っている。
「徒」は「徒歩」の事で、「乗り物の乗らずに徒歩で行く事」とあるので、「勝」も「かち」も同じ意味を持ち、「進む事」を表す言葉の様である。
日本語の「かちまけ」も「先に進んだ方が かち(かつ)」という事の様だ。
此の、両方の意味からすると「流されて行く事」は「負・まけ」という事らしい。
流されて、元に所に戻されるという事は「負け」という事になり、絶えず上方へ力を尽して前進する事が、「勝」という事になる。
自然界を見ると、樹木や草も蔓も、一日も休みなく上や横に伸びて行く。
一日でも休んだ物は、太陽の光を受ける事が出来なくなり、成長が遅れて枯れてしまう事になるのだ。
これ等の事から考えると、「勝」とは、相手を殺したりする事ではなく、又相手を押える事でもなく、自分が上昇する為に、努力を積み重ねる事の様である。
此の意味からすると、戦争を引き起こして、相手を殺す事は「勝」ではなく、「壊す」である事が解る。
「勝」とは、相手や周囲を潰す事ではなく、自分が、苦労をしながら突き進んでいく理・ことらしい。
そうする事で、周囲も付き従って来るのだろう。
本当の勝者とは「欲望の 流れに逆らって 正義の道を 創造して行く者。」という事が出来る。
勝とは、皆と一緒になって、欲望の川に身を投じ、環境を破壊しながら、物質を貯め込む事ではないのだ。
魂の崩壊が、叫ばれている現在、誰が勝者と成り得るのだろうか。
なかなか 難しい課題である。
平成14年11月19日
礒邉自適
2002/11/19
冬の音 冬の彩(いろ)
14・11・19
久し振りに、山手に在る実家の畑に野菜を貰いに、自宅から3km程の農道を歩いてみた。
途中の道路の両側には、「石蕗・つわぶき」の花の蕾みが、そこら中に咲き出そうとしている。
歩いて行くと、屋久島に越冬する為に渡って来た、「鶫・つぐみ」や「赤腹・つぐみ科」や「ひよどり」が、鳴きながら飛んで逃げ去って行く。
その情景の中で、私は不思議な感覚に陥った。
私は、自分の肉体的な年齢を考えなければ、中学校に通って居た其の時のままに、故郷の空間を捉えて、なんとも説明の出来ない感情を体験していた。
石蕗の黄色い彩を見て、屋久島の地元では「チックワ」と呼ぶ赤腹が、「チチッ クヮ クヮ」と鳴いて飛んで行く。
その音を聞いていると、10代の頃と、何ひとつ変っていない自分が、存在するのである。
其れは、18年間、故郷を離れて旅をしている間には、体験した事の無い感情と言うか、気持ちの在り方である。
日本国中、何所でも、山も川も海も存在するが、其れは、其の土地の山、川、海であり、私は只の訪問者であって、自分の感情を育んで来た、故郷の音や彩ではないのである。
今日、気付いた事は、人間の感情等と言うものは、環境の産物でしかないのだという理・ことである。
コンクリート-ジャングルで育った人達には、自然の中で育った此の感覚を、理解して貰おうと想っても、所詮無駄な事であったのだ。
都会で育った人達の感情が、私には理解出来ないのと、同じ事だったのである。
私は、東京で二度暮らしてみた。
最初は、1996年に8月から12月23日まで目黒不動尊の池の横に住み、二度目は1999年5月から2000年6月まで飯田橋に住んだ。
だから、私は、一年半くらいの月日を、東京の人達と出会いながら、話を続けた事になる。
だが、私には、東京を理解出来ても、東京の人達には、屋久島の自然を理解して貰う事は、出来なかったのである。
其の原因が、今日の散歩で、理解出来たような気がする。
都会育ちの人達には、思考の基礎パターン(基盤)に、自然が存在しないのである。草や、木や、水の香りが、感覚に染み込んでいないのだ。
染み込んでいるのは、人工的な音楽や絵画等の、人工的な音と色が、思考の基礎に成っているのである。
私の育った家には、テレビもラジオも無かった。
父親も、母親も、音楽には一切関係なく、父親の歌声も、母親の子守唄も記憶には無い。
父親は、楽器どころか口笛も吹けない人だったから、私の脳の基盤は、自然の音だけである。
私が、話している言葉と物事は、都会育ちの人達には、音として、耳を通り過ぎるだけで、情景が映らないのである。
だから、都会生まれの人達には、2600年前の「釈迦」や「老子」の言葉も、ただの理屈としてしか、捉える事が出来ないのだろう。
2600年前に生きた彼等が、頭でイメージしていた情景が、都会育ちの人間の頭の中に、映像として浮かばないので、何の事か理解が出来ないのである。
中国の漢字の「故郷」の「故」は、「古く固い」の意味で、「郷」は「故里の食べ物を 向かい合って食べて 響き合う」の意味である。
都会の様子は、常に新しく変貌するので、古くて固くはないし、世界中から食物を集めているので、幼い時の食物を二人で向かい合って食べて、原初体験をする事も出来ない。
ようやく、私には、都会の人達には故郷が無いとの意味が分かって来た。
自然の情景が無い者達が、コンクリートの中で考えた事柄を、田舎にまで押し付ける事が、現代文明の行き詰まりの原因なのである。
自然の色と、自然の音、そして自然の味が大事なのである。
ようやく、目と耳との刺激の事は解った。
後は、舌の事である。
実家の母親の畑から、採るって来たニラと、屋久島産の飛魚のすり身を混ぜて、油で揚げれば、ツキ揚げの出来上がりである。
ツキ揚げを摘みに、屋久島の芋焼酎を飲めば、其れでもう、屋久島の人間にカムバックである。
味は「見る」であり「感じる」ではない。
私は「赤腹」と、色で呼ぶのではなく、「チチクヮクヮ」と鳴く赤い胸の鳥を“チックワ”と音で捉える、屋久島の人間なのである。
では、ツキ揚げ作りに掛かる事にしよう。
平成14年11月19日
礒邉自適
2002/11/18
静寂と動機
14・11・18
静寂とは、風景の事であって、人間の直接的な精神状態を、表す言葉ではないようだ。
私は、全ての事に解放され、至って、心は静かである。
毎日、暇が有るのではなくて、何かの事を行ってはいるが、其れは、私自身が遣りたい事を行っているのではない。
全体的に、動いて来る物事に対処して居るだけなので、起きて来る事に対して、相手と成っているだけだから、事が終れば、其れだけの事で済み、私の直接的な心の重荷とは、成っていないのである。
他人が、何かを持ち込んで来なければ、私は静かなままであり、こうして文章を書いているのも、メッセージが来るからであり、私が好きで、始めた事でもないので、現在は特別な使命感も無い。
今日、私が気付いた「静寂」との言葉は、其の場の情景を、言い当てたものであって、人間の心には、静寂と言うものは無い様である。
人間は、静寂な場に自分の身を置くと、心が落ち着いて来て、何かの意志が、内側から生じて来るようである。
人間は、何かの行動をしている間は、其の行動内容に振り回されて、自分の意識は其の対象に向かってしまうので、その間は、自分自身の、其の侭の意志ではないようなのだ。
書道だ、茶道だ、武道だと言って、何かの修行に励む事も、今夜のオカズを何にしようかと考えたり、家族の事や、神仏の事を考えたり、想ったりする事も、他人との関係性の中で生れ、伝えられている事柄であり、自分の直接的な未来の事ではなく、過去の誰かの真似をしているに過ぎない。
音楽を聴く事も、映画やテレビを観る事も、全て、自分自身の事ではないのだ。其れ等の、他人の、行為や実績に感動すればする程、自分の意志は遠くに行ってしまう。
芸術だの、何だのと言って、他人の行為に刺激されて生れた感情は、自分のものではなく、他人のカルマ・業を受けて、動揺しているだけに過ぎないのである。
振り返ってみれば、私の18年間の旅も、其れと同じ事で、自分自身の意志ではなく、霊界の住人達の「霊魂の思頼・みたまのふゆ」で動かされて来た事だったのである。
私の旅の動機が、私の意志から発したものではなく、霊界の過去の怨念を引き継いだ、現象だったのである。
私が、屋久島を出てからの17年間は、知らない人達との出会いの、連続の旅であった。
現在の私の意識は、霊界人の思想と、全国で出会った現世の人々の願いと、再び屋久島に帰って来て、18年振りに仲が復活した知人と、屋久島に移住して来ている新島民との付き合いに因って、組み合わされて出来てきている。
其れらの意識の織物の中から、私の意思が、何を選び出して動機とするか、其れは未だ明確ではないが、一筋の方向性が見えて来ている。
私が、旅をした事で、理解されて来た理・ことの一つに、「須佐之男尊」の家族と、大国主命や少彦名神、大物主尊などの想いが、森林の復活と、人類の魂の完成を願って、働いている事がある。
静寂な環境の中で、私の意識に芽生えて来た一つの種子は、神霊の願いと、源を一にするものであろう。
精神が禊がれた人間に、起きて来る事が何なのか、其の事を理解して、実行する事が、是から始まるのかも知れない。
私は、自分のこの身を、神に18年間捧げて来た。
其の為に、家族への愛を、実行出来ないでいる。
有り難い事に、子供達は無事に成人していると聞く。
家族が無事であった事が、私の心が、静かである事の要因でもあろう。
私が18年前、全ての事を止めて、この世界に入った動機は、此の侭では、子供達の未来が無い事が解ったからであり、18年の旅の結果として、未来社会の創造には自信が持て、子供達に対して、責任が取れたとの思いも有る。
その事も、私の精神の充足に繋がっているのだろう。
このくらいの文章で、「静寂と動機」のテーマに合っているのだろうか。
「静寂と動機」のテーマは、もっと深い意味が有るだろう。
道元禅師が、悟る原因となった場面には、シイタケを干している老人の「典座・てんぞ」の言葉が有る。
「今 やらなければ いつやれる」「私が やらなければ 誰がやる」
其の二つの言葉が、道元禅師の一生の支えと、成っていた事は間違いない。
「禅」とは、「静寂の環境の中に 身を置いて 瞑想をする事である」と、一般的には考えられているが、「禅」とは「自分の人生の 動機を探る事が 一番の大事」とされているのだ。
「一大事因縁」と「時節一縁」が、禅のテーマである。
私は、時の節目を捉えて、自分の一大事因縁に生きているのだろうか。
その答えは、本日のテーマである「静寂と動機」が、ヒントなのであろう。
「帰・キ」との漢字は、「肉+手+箒」の組み合わせで出来ている。
意味は「旅から帰った者が 旅の無事を神に感謝する為に 箒を手にし 部屋を掃き清めて 神にお礼の肉を供える」との理・ことである。
私には、未だ、其の段階が見えないままである。
平成14年11月18日
礒邉自適
2002/11/6
帰島感想 C
14・11・6
屋久島での生活が、六ヶ月目に成って来た。
今日は、今年初めての山芋堀をして、山芋汁を作って食べた。
11月入つたら、急の寒波で、寒と風が強くなったが、山芋・自然薯の蔓は、未だ黄色く色着いてはいない。しかし、もう芋根は、充分栄養を蓄えていて美味しかった。
出汁(ダシ)は、屋久島の天然カンパチの骨で取って、山芋を卸金で摺って、ダンゴ状態にして汁に入れ、煮立ってから最後に、生若布を少し加えて出来上がりである。
味付けは、薄口醤油の方が良いのだが、普通の醤油でも、醤油の量を少なくして、塩を少々加えれば良い。私の料理でも、評判の良い一品である。
現在では「自然芋・じねんじょ」も、畑に人工栽培されて販売されているが、料理をして見れば、自然芋との違いは良く解る。
其れは、汁に入れた時の硬さも違うが、成分が全然違うと考えられる。
山野に、自然に生えている山芋は、一本単独なので、畑に10アール当たり、何百本と植えられている人工栽培の物とでは、養分の集め方が、全然違うのである。
落ち葉の下、地面下15センチ程の所に有る、芋の頭から出ている根は、四方に広がり、10m位いは横に伸びているので、20メートル四方は、一本の山芋の縄張りであるので、其の範囲の養分・栄養は独り占めである。
畑地で栽培されているのは、ビニールパイプの筒の中で根は育つし、肥料が工業化学製品の肥料なので、落ち葉の養分で育った山芋・自然薯とは、食べても効き目が全然違うだろう。
私は、久し振りに、屋久島の天然の魚と、自然薯を食べて満足したので、感想文を書く気になったのである。
夏の季節は、色々と忙しくて、海には潜る機会が少なかったので、山芋堀を数多くして、身体を少し鍛えようと想っている。
平成14年11月6日
礒邉自適
2002/11/5
夢を視る材料
14・11・5
夢を見るのは 脳だけど
情報を 集めているのは 五感である
五感が 集めた情報が 夢として 現れ
無意識の 本体と 成っている
無意識の中で 視覚化した情報は
其の人の 疑似体験と成って 行動を 決めて行く
殺された 動物の肉を 食べれば
その動物の 殺される時の恐怖が 情報となって
その 肉を食べた人間の 夢に取り込まれ
無意識の処で 其の人の 不安と成る
殺されると言う 不安は
防御体制を執ろうとの 行動を引き起こし
其の人の心を 狭くさせてしまうのだ
肉食文化が
戦争を止める事が 出来ないのは そのせいである
襲われるという 恐怖は
護りという 軍備に エネルギーを 注ぎ込んで行く
自国の軍備が 強くなるのは
経済的な事を 言わなければ 一向に 問題は無いが
他国に対して 新たな 恐怖心を 起させ
敵国を 創り出してしまうのだ
其の 敵国の 軍備が
又 自国の軍備を 拡張させてしまう 事になる
只 肉食を すると言うだけで
どんなに 無駄で 不幸な事を
生み出して いるものか
肉食をする為に 森は 伐り払われ
牧場や 飼料を作る為の 裸地に 成ってしまっている
肉食をすると
夢は 過去の記憶を 思い出すだけで
未来が 映って来ない
過去の 嫌な思い出や
恐怖の場面だけが 映って来る
地震や 火山の爆発や 津波などで
逃げ回る 場面等である
それらの恐怖は 明日への 防御心を起させ
塀の有る屋敷や 貯蓄ばかりに 気を奪われて
今日を 楽しむ余裕は 無くなり
一度の人生を 其ればかりで 棒に振ってしまうのだ
肉食が 不幸の人生の 材料と 成っているのだ
反対に 穀物菜食主義の 人達の視る夢は
光と 平和の 夢だ
仏教でも 精進料理と言う様に 殺生の伴わない食物は
仏の慈悲を 育てる 食事である
其処には 争いは無く 静粛が有り
恐怖や 貪りは 生れて来ない
死の恐怖が 無くなるので
生への執着が 起きないのだ
植物は 種子を 残す事しか 考えていない
自分が 動物に 食べられて
種子を 運んで貰う事が 希望であるので
食べられる時 喜んでいるのだ
だから 熟成した実を 食べる事は
植物の望みを 適えてやっている事になる
そんな 気持ちの 食物だけを 食べていれば
戦いの気持ちなど 湧いて来ないで
存在の 有り難さだけが 湧き上がって来る
それが 佛の心だ
夢に 現れて 来るのは
花咲き乱れる 野山を 駆け回る 子供達
清く 流れる 岩清水
にこやかに 戯れ合う 乙女達
楽しく 語り合う 男達
深い山に 座する 古代の 聖者の姿
深い教えの 文字や
美しい 調度品の数々
食器に盛られた 清潔な 食物類
人間として 生れて来た事の
素晴らしさが 実感 出来るのだ
戦争では 儲ける人は 居ても
幸福に 成る人は 誰も 居ない
肉食をするか 植物食をするかで
人類の幸 不幸が 決定してしまうのだ
それが 夢の結果だと 誰も知らずに
美食だけに 心を奪われ
不幸に向けて まっしぐらだ
世界は もう直ぐ終ると 言われているが
それは 肉食の人々の世界で
穀物菜食主義の人々には これから 地上天国がおとずれる
社会を 創り出しているのは 人間だから
人間の夢が 変化すれば 社会は 変化するのだ
夢の材料が 食べ物だと
何時の 時代の人が 気付いたのだろうか
釈迦が存在した 2600年前には
それらの事は 常識だったのだろう
日本でも 天武天皇より1300年間
その理・ことは 生活上の 一般常識とされて来た
日本の 天皇家の役割も
大嘗祭や 新嘗祭で 其の事を 伝える事であり
御食殿が 大事とされている 所為である
世界人類が 希望を失っている 現代だからこそ
日本の伝統の「食国のまつりごと」を
世に 出すべきであろう
アメリカの ブッシュ大統領や 側近が
どんな 夢を見ているかは 知らないが
夢の大事さを 知って貰う事は 必要であろう
何故なら キリスト教の本である 旧約聖書も
夢見の 預言書である
日本も 聖徳太子や 妙恵聖人だけで
夢見の世界を 終らせてはならない
私が 私である前に 夢の住人で なければならないのだ
何故なら 神の世界では 存在の全てが映っている
誰一人として 取り残される者はない
それに 気付かない 人々は
永遠に 神の世界に 入る事は 出来ない
神の門は 開かれているのだ その門の鍵は 夢である
そして 夢の鍵は食 べ物なのだ
夢を 視る 材料が
何故に 大事か 理解出来ただろうか
食物は 自分が選んで
自分の手で 自分の口に 入れる物である
誰も 他人の口に 無理やり
食物を 詰め込む事はしない
この世界は
自分の 責任において 行うべきものである
以上の事は
私の食物が 力と成って 手を動かしているのである
食物よ ありがとう
衆生一切救済の為 此の食(じき)を受く
合掌
平成14年11月5日
礒邉自適
2002/11/4
大仕事
14・11・4
私は 1984年から
仕事らしい 仕事は 何もしていない
あえて 仕事を 無理に作るならば
神に 仕えている事と 言えるだろうか
其れが
仕事の意味に 当てはまるかどうかは 判らないが
其れが 仕事として 成立するものであるなら
私の仕事は 最大の仕事と 言う事が 出来よう
其れが 仕事として 認められ
「その仕事の 内容は」と 問われれば
「夢を 見続ける事」と 云えようか
眠っている時に 見る夢を 伝え残す事が その一つで
此の 現象世界である 人々が「現実世界」と呼ぶ世界も
夢の現れであると 考え
現実を 見すえながら 認識を続けて
眠った時の 夢の土台と しなければならないのだ
其の土台が 出来上がらなければ
眠った時の 夢の舞台装置が 出来ないのだ
舞台装置が 完成しなければ
霊界に 居る役者も 今世を生きる 現実世界の現れ人も
舞台に 登場する事が 出来ない
夢に 登場する事が 出来なければ
神が 現そうとしている 地上世界の建設が 出来ないのだ
私が 見ている 夢の世界は
神が 段取りを 付ける為の
図面なのであろう
私が 視覚化する 夢の内容は
神が 現実化させたい 何かの プロセスなのであろう
私が 夢の中で見た プロセスを
現実社会に 生きる人々に 伝える時
其れを 聞いた人の 夢の中に 取り込まれ
其の人の 行動と 成って行く
其れで 私の夢が 現実に 移されて行くのだ
私の 夢が 正しければ
説明が 間違っていなければ
神の計画する 地上天国が
出来上がって 行く事に 成る
私の仕事が 地上天国を
創造する為に 大事なものであれば
私の仕事は 大仕事と 呼べよう
私個人が 何もしない事が
其の大役を 果たす事となる
私が 小さな 自分の仕事を 始める事は
神の大仕事が 其の間 中断する事に成る
私の仕事は 夢を 確かに 見る事であって
仕事を する事ではないのだ
他人の 言う 仕事は
18年前に 全て 終えたのであろう
私が 大仕事を しているという 実感は
今の処 何も無いが
こうして ペンを持って 書く事が
新たな 認識をする事なのであろう
今日また 新たな 認識が生れた 事に成る
この文章が 新たな 仕事を 生み出す為に
平成14年11月4日
礒邉自適
2002/11/1
夢の秘密
14・11・1
一口に言ってしまえば、生き物は全て、夢の中で生きていると謂える。
何故かと言えば、言葉の存在に因って、物質の事ばかりに囚われている人間と異なる、他の生物は、全てが、夢の中で生きているらしいと、想われるからである。
其の証拠を一つ挙げるならば、昆虫は卵で産み落とされ、春に成れば、自分で卵から此の世に生まれ出て、親の教えも、学ぶ学校も無く、同類で協力し合う社会も無いのに、自分一匹で餌を捕って大きくなり、自分で巣も作り、相手を見付けて交尾をして卵を残し、生を全うして行くからである。
虫は、一生を生きるプログラムを、どの様な情報システムで、繋いでいるのだろうか。
人間の様に、文書で残している訳ではないので、何等かの方法を、採用しているはずである。
人間の見る処では、昆虫が此の世界で、どの様にして情報を集めているかは、今の処、未だ発見されてはいない。
だから、昆虫達の情報は、自分の体の内の「DNA・遺伝子」に伝えられている情報だけに、限られている事になる。
虫達は、自分の内に蓄えられている其の情報を、如何にして、取り出して生きているのだろうか。
私の考える処では、虫達には、情報を知りたいとの意識は無く、体全体が遺伝子のプログラムに従って、進行しているだけだと言う事が出来る。
虫達は、体全体が、脳のシステムを持っていると言えるだろう。
だから、遺伝子の情報以外の行動は、出来ないのだろう。
しかし、内在している情報だけで、農薬からは逃れるし、天敵からは、巧く身を守っている。
其れ等のノウハウは、人間の智恵を凌駕(はるかに)超えるものがある。
私は、其の情報の世界こそが、夢の世界であり、釈迦の謂う「仏」の世界であると想われるのである。
其の夢の世界で、草花や樹木、小鳥や魚達、全ての生き物が生きているのである。生きていると言うより、夢に支配されていると言った方が、当っているのではないだろうか。
人間が長生きしたいと、いくら健康に気を配って努力してみても、150歳迄生きる事が出来ない様に、認識出来ない夢の世界の方が、有力であると考えられる。
其の力を、中国の老子は「道の働き」と謂ったのであろう。
インドの釈迦も、そのシステムに気が付いて「法・ダルマ」と説明しており、人間自身も、そのシステムの一部分でしかないと認識出来る事を、「覚醒する(ブッダ・覚者)」と呼んだのだろう。
老子も「道・タオは 言葉では 説明できない」としており、釈迦も、此の事は言葉では体験出来ないので、悟りたい者は、出家して自由に成り、瞑想を続ける事を奨めている。
「瞑想」の本当の意味こそ、夢の世界の情報と繋がる事なのである。
ヨーガも、其の為の方法論の一つであろう。
人間以外の生物は、全て、其の情報で生きているのに、何故人間だけが、其の情報外に出てしまったのだろうか。
其れは、余りにも、物質的世界、人工物の社会を創造した為に、生れ出た時より、物の世界に意識が振り回されるからである。
人間は、赤ちゃんの時より、人工的なオモチャを当てがわれ、小学校に入る前から、文字を詰め込まれ、脳は、人工的な物の情報で一杯に成り、生物の情報を思い出す暇が、無いのである。
朝から、新聞やテレビを見て、音の絶えない社会に出て行って、一日中、人間が創造した人工物の中に、身を浸している。
夜、家に帰って眠る迄、全て人工物の情報だけである。
ようやく五感が自由に成るのは、眠った後なので、意識が無いから、生物情報を覚い出して、認識作業をする事が出来ないのだ。
人間だけが、生物が全て持っている情報を、知らないままなのである。
其の副作用として、不安が積もり積もって、其の不安を忘れる為に、買い物に出掛けたり、必要以上に食べたり飲んだりして、益々、自分の時間を短くしているのだ。
自然の生き物は、生きる為の活動を最小限度に抑えて、後はゆっくりと休んでいる。人間ほど、休み時間の無い生き物は居ない。
休み時間の有無で言えば、人間が一番下等動物と言えるだろう。
休み時間と、夢の中の情報を観る時間は、正比例していると言える。
休み時間の無い人は、生物の情報を読み取る時間も、無い人と言う事が出来るのだ。
有名なインドの釈迦牟尼仏は、其の時間を丸6年間、取った事になる。
釈迦は6年間、一日も仕事をしていないのだ。
現代の人々は、釈迦の教えを忘れない為に、佛壇は家の中に設けるが、釈迦の様には、日常の生活から外に出る事はしない。
人間は、長い間積み重ねて来た、人間の情報(カルマ)から、出ようとしないのだ。
釈迦牟尼仏が、2600年前に注意した事が、全然守られていないのである。
釈迦牟尼仏や、イエスキリストや、老子が謂った理・こと、其れは「自然の生物の一部である人間も 同じ情報の産物なのであるから それを思い出しなさい。全生物と一体である事を 実感しなさい。」と、伝えたかったのであろう。
残念ながら、この理は、他人がいくら言葉で説明しても、知識として取り込まれている間は、逆効果なのである。
知識を使用するのを止めて、昆虫や植物と同じ立場に身を置いて、体の遺伝子が発する情報を、自分の認識本体とせねばならないのである。
その、全生命が一体で見ている夢の世界、人間界から言えば、無意識の世界を観る事が出来れば、全ての生命は一体であり、自分の生命が今回限りではない事が、良く理解されて来る。
そして 更に、全宇宙が自分と一体である理・ことにも、気付かされるのである。
其れが、本当の至福の世界と呼ばれる処である。
聖徳太子も、其の世界の存在に気が付いて夢殿を造り、其の中で瞑想を続け、夢を見ようとしたのだ。
私の役割は、彼等の夢の続きを見る事と、全体の夢の情報を、再び結び合わせる事にある。
それは、成功したのではないだろうか。
今朝は、其の事を感じたので、其のまま文章とした。
平成14年11月1日
礒邉自適
2002/11/1
虹
14・11・1
今日は、11月1日で、「111」と1の数字が並ぶ日である。
朝、外に出て見ると、自宅前の安房川の両岸に渡って、見事な虹が掛かっている。
早速、ビデオカメラと普通のカメラ三台で、異なるフィルムで撮影をした。
数多く撮ったので、数枚は良いのが撮れているかも知れない。
本日は、安房区の産土神である「粟穂神社・あわほじんじゃ」の秋期大祭が行われる予定で、私は式典の撮影をする事になっている。
朝から、美しい虹が出て、何か吉事が有りそうで、嬉しくなって来ている。
11月1日の日付で思い出すのは、1988年11月1日に、井上佳子(S63年11月結婚H10年4月死亡)の荷物を、新居である小倉に運んだし、1997年11月1日には、京都から荷物を積んで出雲に引っ越したので、11月1日の日付は、私にとっては転機の日でもある様だ。
今朝の美しい虹は、私に、何か吉い転機を齎す前兆なのだろうか。
聖書にも、「神が これからは 虹を知らせとする」との記載もあるし、何か吉事が起きそうな気がする。
今日、夕方の高速船で、愛媛県の松山大学より、文化部の教授と生徒五名が来島し、私の自宅に泊る事にもなっている。
生徒の一人は、愛媛県松前町の吉田秀明氏の長男なので、吉田氏に電話を掛けて「昨日からの雨が朝止んで 晴れたよ」と伝えると、「今日 伊予市に倫理法人会が出来る事になり 自分が初代会長に選ばれた」との事であった。
ようやく、私が夢で見た、吉田氏の会長名が現実と成った。
と言うのは、昨年(H13年)8月18日に、私が夢のメッセージを受け、「存在と 運営の人事」が見せられ、私は存在側に位置しており、運営側に白いシャツの男性が居て、其の人が会長だと告げられた。
そうしたら、其の日に、吉田氏が夢に映って来た格好で、私の中山町の自宅に遣って来たのである。
吉田氏の話では、島根県雲南市に有る「佐世神社」の境内の御神木に参ったら、「全ては 自適が 知っているから」と告げられたので、「自適さんは 全て知っているのですか」と訊くので、私は「今朝 吉田さんが 会の会長に成ると出て来たよ」と云うと、吉田氏は「エッ?」とビックリして驚いていたが、其の事が、現実に成って来た様である。
現在の、倫理法人会の「丸山敏秋氏」には、私も一度、直接会って話しをしているので、吉田氏が、伊予の倫理法人会で先陣を切ってくれれば、12万の会員が未来へ繋がる事に成る。
丸山敏明氏の誕生日は、S28年12月22日で、マヤ暦の2012年12月23日の、新しい時代の始まりの前夜なので、この世界の最後の日が誕生日と言うことにもなる。
倫理法人会々員は、現在3万人で、9万人の普通会員も在るので、社会への影響はかなり有るものと想える。
私の方も、塾を立ち上げる様に事が進んでおり、今朝、「虹塾」か「レインボー塾」に決めようと話しをした処である。
私の、話し相手になって下さっているのが、安房区の区長さんで、名は「日高雲平」と言う、大変良い名前である。
私の父親が「雲平」と言う名は、「とても良い名前だ」と、何度も口にしていたので、私も子供の頃から気にしていた名前でもある。
私が、一ヶ月程前から「雲平塾」を始めようと言うと、「自適塾の方が良い」と応えて来るので、決めかねていたのだが、今朝の虹を二人で見て「これは 瑞祥だから 虹塾にしよう」と言う事に、意見の一致をみたのである。
雲平氏は、皆に「雲平先生、雲平先生」と呼ばれて親しまれている。
昨夜は、先生の教え子が二名、私の家に来て、「何処かに 留まり場を作ろう」と云って、話し合っていた。
雲平先生は、私が中学校を卒業した次の年の、38年春から、安房中学校に赴任されているので、私は習ってはいないが、私の弟は生徒であり、結婚式の仲人もして頂いている。
雲平先生は、社会化の先生なので、是からの未来社会を、どの様にデザインすれば良いかを話し合うのには、中心的人材としては最適人であると想われる。
其れに、私の家の「礒邉」は、父親が鹿児島市からの転入なので、私は二世で、根っからの古い島民ではないが、雲平先生の日高家は、安房で一番古く由緒有る家柄であるので、霊的世界でも、安房の中心的働きに、成っているであろうと想われる。
雲平先生のお父さんは、長年、町議会議長を勤めておられたので、名誉町民として表彰されてもいるし、お祖父さんは村長さんをしていた方なので、現町長も前町長も、其のお祖父さんの血を継いでいる方々である。
10月31日の文章に書いた、地元の先輩三〜四名と、島外の30代の美しい女性達は、今後始まる、塾の参加者か、協力者であるかも知れない。
11月3日は文化の日である。
松山からも、文化部の人達が遣って来る。
何か、新しい文化を創造する流れが、起きているのだろうか。
「虹」は、英語では「レインボー・雨弓」だが、漢字は「虫(龍の略字)+工(工具の象形)」で「龍がつくる」の意味である。
日本語の「にじ」が何を意味するのかは分からないが、「龍がつくる物」との意味は面白い。
よく「不立文字」と言われ、「文字(経論)にしてしまうと、龍(魂)が抜けてしまうので 悟りには役に立たない」とされている。
是から、始まるかも知れない塾が、龍が協力するものであれば、人間の言葉や文字に、もう一度、神の息吹が吹き込まれ、真言・マントラとして言葉が生き返り、力を持つ事が出来るかも知れない。
何れにしても、吉い兆候と想われる、今朝の虹であった。
平成14年11月1日
礒邉自適
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