2002/4/21
光の速度を超えて
14・4・21
今日は、時間と空間の事を考えていて、「時間も空間も 光のエネルギーの 内側に存在する 現象だと想う」と、言葉が組み立てられて来た。
「光の速度を超えて」これが、私の人生の答えの様な気がした。
私は、自分の一切の行為を捨て去って、解脱を迎え、数ヶ月の禅定の後、屋久島を出発し、全国の雲水行脚(あんぎゃ)の旅が始まった。
1984年11月、屋久島を出発したので、丸17年と5ヶ月が経った事になる。
18年前、屋久島での解脱の時に、感じたり、起きたりした、諸々の現象を思い返すと、全てが、永遠の時間の成せる業と、結論を出す事が出来る。
永遠の時間とは、光の速度の範囲内ではなく、その外側に存在する「おもい」である。
其の「おもい」を、漢字に置き換える事は出来ないが、此の宇宙の誕生を「玄い闇」から見ている、意識の目である。
インドの釈迦牟尼佛も、この意識の目に目覚めたのだ。
其れで、なければ、「この宇宙は 風の如く 揺ぎで始まった」との言葉も生れないし、日本の神道で謂う処の「黄泉のくに」も、意味不明のままと言う事になる。
世界中に残されている、S字マークの二重螺旋の渦も、その記憶を取り戻した者が残した物・印である。
人間の悩みや苦労も、此の三次元世界だけのモノであり、光の速度の内側の現象である。
もっと正確に謂うと、幸福とか裕福とかの事も、内側の現象であり、120歳の長寿を保ったとしても、其れも、光の速度の内側の事に過ぎないのである。
人間は、この現実世界に生存している間に、光の速度を超えなければ、死んで霊界に行ってからでは、光の速度を超える事は出来ない。
何故なら、この現実世界こそ、光のエネルギーの完璧な、調和の世界だからである。
肉体を失っては、光のエネルギー体を失うので、この宇宙との接触が、不可能と成るのである。
科学では、光の速度を観測して、現在の我々の存在する宇宙は138億年前ごろ、目に見えない小さな一点(10pの30乗分の1)から、ビッグバンで始まったとされている。
その理論からすると、宇宙の誕生時点まで遡るには、光の二倍の速度で進んでも、138億年掛かる事になる。
処が、光の速度を超えて、光の速度の外側に出ると、138億年前の世界は、瞬時に、其処に存在するのである。
釈迦牟尼佛の謂う「覚醒の世界」は、光の速度の外側に出て、138億年の情報を、瞬時に捉える事なのだ。
其の理を、捉えて、自分の言語に置き換えるのに、釈迦は一週間の時間が掛かったとされている。
其れから50年間、人々に説法をしたが、弟子の誰一人も、其の事に成功はしていない。
現代の世の中は、教育も進んで、時間とか空間とかの文字も書けるし、意味も分かったつもりでいるが、時間は「時計」の事だと思っていて、真実の時間を捉える事は、出来なくなっている。
まして、光の速度が一番速いと教えられているので、光の速度の外に出る事など、到底理解出来ないだろう。
昔の人々の方が、学校もなく、自然の中で肉体を持って生活して居たので、神話に有る「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が小戸のあわぎ原で禊をしたら、左目から「天照神」が生まれ、右目から「月調命」が生れ、鼻から「須佐之男尊・すさのおのみこと」が生まれたとの事が、理解出来たのではないだろうか。
今でこそ、人間の大脳の働きが解明出来て、左脳の働きと、右脳の働きが異なると、認識出来る様に成ったが、数千年も前に、男が生み出す知識の世界が、説明されている事は驚きである。
其れも、光の速度を超えて、現象の内側を観じる能力が、備わっていたからであろう。
現代でも、観音力信仰とか、観自在菩薩信仰とかが成されているが、仏像などの物質世界に意識を奪われていれば、何回生まれ変わって来ても、仏陀に成る事は不可能である。
「伊邪那美命・いざなみのみこと」と言う女性性である、「ナミ・波(空間)」の身から、万物が誕生すると言う物語は、男と女の役割・「時間の本体」と「空間の真理」を、古の人が理解していた事の証明である。
大脳が650万年掛けて、積み上げてきた柵・シガラミを捨てて、解脱すれば、誰でも、光の速度を超える事が可能なのである。
其れが、日本に伝えられて来た伝統なのである。
平成14年4月21日
礒邉自適
2002/4/13
蝙蝠の耳
14・4・13
「蝙蝠・こうもり」は、自分の出した音波を聴いて、物を見ている。
人間が同じ事をしても、山に向かって叫んで返って来る山彦を、聴くくらいの事しか出来ない。
山彦が聞けても、蝙蝠の様に、距離や、音を跳ね返す物体の様子は、判別出来ないのだ。
人間の耳は、何かの物音や、鳥や動物の声、話しをする相手側の発する声、テレビやラジオ、其れに電話の声など、全て、他の物が出した音声を、受け取る事しか出来ない。
蝙蝠の様に、自分で音を出して、自分で聴く事は、他の動物には出来ない。
イルカやクジラ、シャチなどは、蝙蝠と同じ事を行っているらしいが、私は其れに付いて詳しくは知らない。
私が何故、今日この様な事を書いているかと言うと、私は、神と人の関係を考える時、蝙蝠と同じ事をしていると感じたからである。
蝙蝠が鳴き声を発して、返って来る情報を得る様に、私も、目に見えない神に対して、思意・おもいの念波を出して、神がどう返して来るかを待っているのだ。
「釈迦牟尼仏」や「イエスキリスト」も、自分の遣りたい事を行うのではなく、天が、自分に何を求めて来るかを、待っていた様だ。
イエスキリストは、政府の役人に逮捕されるまで、山上にて岩に向かって一晩中祈って居て、「此のまま 逮捕されても良いのか」と、神に問うているし、磔に成っても、未だ神に向かって、此のままで良いのかと問うている。
日本では、昔から夜間に神社の社に籠って、朝まで、神の告・しらせを待つ行事が行われていた。
青年男女が、性別に、何人かで、お籠りをしていたのである。
今では、神の告を待たなくても、新聞やテレビで絶え間なく情報が届くので、神社に籠ってまで、情報を得ようとはしなくなった。
神の希望を、受け取る人達が、居なくなったのである。
新聞やテレビで伝えられる事は、人間社会の事件や、経済の事などで、全部人間社会の情報であり、神の働きとは掛け離れている。
目に見えない、神の世界を見ようとする努力が、人間側に失われてしまったのである。
蝙蝠と違って、人間の情報の収集の仕方は、光の存在する世界であり、光が物から跳ね返った色の世界を、目で捉えて判断を下しているのだ。
目は、光を判断し、耳は音が自分に向かって来るのを捉え、鼻は匂いの情報を捉え、皮膚は温度を捉え、舌は味を捉えている。
其れを五感と言って、目は光、耳は音、鼻は香り、舌は味、皮膚は温度と感触、其れ等は全て、三次元の世界の情報である。
神の世界は、其れ等の機関を全部閉じた時に、通じる世界である。
一見すると、第六感は、神の世界と思われがちだが、意識の世界もまた、脳の情報機関が齎す世界で、芸術などの世界であり、神の世界其の物ではない。
第六感と呼ばれている意識も、また、五感の元締めみたいなものである。
神の世界は、意識も働かせてはいけない、無意識の領域であると言って良いだろう。
神は、私達人間が、意識する、しないに関らず、24時間365日働いている巨大コンピューターである。
其の、巨大コンピューターにアクセスする方法は、人間の五感と意識の働き、シックスセンス・六感を、超えた処に在る。
其の方法を、言葉にすると「いのり」である。
「いのり」を漢字にすると「祈・祷」だが、「祈り」は祭壇の前で跽いて祈っている人の姿の象形だから、日本語の「いのり」とは、少し違っている。
日本語の「いのり」を漢字にすると「帰り(帰命)」であろう。
神の巨大コンピューターの周波数に、チャンネルを同調させ、自分の1〜6までの感度を0にして、神の周波数に同調させる事が「意乗り・帰命・ナーム」である。
其の理・ことを、現代では「大統一場」と言って、瞑想を続けて、其の周波数を探っているが、なかなか難しい様で、アクセスに成功した人には出会わない。
アクセスに成功しても、其の人が自由を得ているので、宗教とかの行為を起さないので、一般の人達には知られないのだ。
人間は、蝙蝠よりも劣った生物なのだろうか。
私は、そうは思わない。
人間も、その能力は十分持っていたのだが、余りにも五感を刺激する情報が氾濫し、また文字が発達して、その整理に追われ、脳の仕組みが、本来の働きを失ってしまっているのである。
現代の世の中は、神社や寺に修行に行っても、作法や行事が多く、其の作法を覚えている間に、脳の働きを、益々、本来の働きから遠ざけてしまう事に成る。
釈迦でさえ、其の理・ことに気付くまで、六年の月日が掛かっている。
2500年前の、釈迦が話した言葉を追いかける事で、人生を棒に振った人々が、どれほど多く居た事だろう。
其れは、意識の波動の使い方が、間違っているからである。
夜の闇の空中を、自由に飛び交う蝙蝠は、何の迷いもなく生きている。
蝙蝠の様に、何もない闇の世界に、意識の網を張れば、神へのアクセスコードを書いた切符が、手に入るかも知れない。
其れは、蝶や小鳥の様に、鮮やかな色に惑わされて、神社や寺に出掛けていては、永遠に手に入らない、天国行きの切符である。
私が、蝙蝠の例を挙げるのが嫌な人が在れば、森の梟・ふくろうの様に、闇の中をジィーッと見詰めるのが、良いのかも知れない。
私は、屋久島の深い森の中で、夜を、其の様にして、何10日も過ごしたのである。
屋久島の山中は、人間社会の音は何もなく、梟の鳴き声と、蝙蝠の羽音しかしなかった。
先ずは、蝙蝠が吸血鬼だとの単純な概念を、外さなければ成らないだろう。
平成14年4月13日
礒邉自適
2002/4/12
墓記・おくつふみ
14・4・12
4月8日、岡山で「家庭画報4月号」を見ていたら、アイルランドの古代遺跡の写真が載っていて、其れを見て驚いた。
アイルランドのダブリンから、北西約60キロのボイン渓流沿いにある、5000年以上前の巨大古墳にある、石に刻まれている渦巻き模様の石と、日本の岡山県の倉敷市にある古代古墳「王墓山古墳」から出土した石が、色も形も模様も、良く似ているのである。
岡山の「王墓山古墳」の石は、楯築遺跡の墳丘から出た石で、日本に他に例が無いとの事で、古代吉備の一族の王墓と考えられている。
アイルランドと、日本の岡山の石が、同じ民族が墓に供えた物なら、5000年以上前に、岡山とアイルランドの人達の文化が、繋がっていた事になる。
日本では、天武天皇が日本書紀の編纂を命じて、次の持統天皇が歴史を一本化するまでは、18の部族に、其々の「墓記・おくつふみ」が伝えられていたとの事である。
西暦720年までは、様々な墓の造り方があり、祭りの儀式も、言葉も、其々特有の物が伝えられていたのだろう。
徳川時代に、殆どの葬式が、仏教で行われる様に成ったが、仏教が導入されるまでは、日本には神式などの、別の葬式が行われていたのである。
其の証拠に、日本の代表である天皇家は、今でも、仏教での葬式ではない。
亡くなっても、仏に成ったと言わないで、「身罷(みまか)った」と言っている。
昔の人達に、一番大事な理・ことは、魂が死んだ後どうなるかだったので、墓の造り方と、その祭りの仕方は、其々特有の物があったのだろう。
日本の祭り事(政治と葬式など)が大きく変ったのは、推古天皇の時代、聖徳太子が蘇我馬子と組んで物部守屋を殺して、仏教を大きく取り入れた事(587年)が、原因と考えられる。
「霊魂」が永遠不滅のものであれば、自分の死後、祭り事が変って、自分の嫌いな敵の儀式で、自分の魂が祭られる様になれば、気分を悪くしているのではないだろうか。
明治維新で、天皇家が万世一系とされ、日本国中の神社は「天照大神」を祭る様に強制され、多くの神社で祭神が消されてしまっている。
全国に、「八幡神社」が多い原因は、天照大神は天津系で渡来系なので、国津神系は仕方なく、八幡様等を祭神としたからとの話しもある。
今月4月15日は、愛媛県大洲市に在る「少彦名神社」の春の大祭である。
大洲の少彦名神社は、「少名彦・すくなひこ」が亡くなった地とされ、神社は少彦名の墓・御陵とされている。
少彦名が、どの様な「祭り事(禰宜・ねぎらい)」を希望しているか判らないが、儀式の内容よりも、現代の人々が忘れずに「思念・おもう」する事が、一番の供養になるのではないだろうか。
日本の、仏教の行事であるお盆は、釈迦の弟子の一人「目連尊者(もくれんそんじゃ)」が、霊界の母親の供養をした事が始まりだが、其れが8月13日〜15日とされているのは、本来旧暦の7月14日が、古神道での先祖供養の日であり、迎え火を焚くのも飯を盛るのも、神道の儀式であったのだ。
現代の若者達が、生き方の方向を見失っている今日、もう一度「墓記・おくつふみ」の理を考え、霊魂の事を想って見るべき時を、迎えているのではないだろうか。
神社の「神主」や、寺の「僧侶」に盆正月の儀式を頼んでも、本人達が、先祖の霊魂を信じていなければ、其れは何にも成らないであろう。
坊さんを頼まなくても、日常の自分の気持ちが先祖に通じていて、自宅に御影・写真を飾って言葉を掛ければ、先祖の霊も、其れを聴いているし、たまには墓に行けば、先祖代々の霊が迎えてくれるのである。
これ等の理を、民族・部族毎に伝えていたのが、18の民族の墓記だったのだろう。
720年以前にも、まだ、他に隠された墓記が伝えられていた事だろう。
墓記が「おくつふみ」と読まれるのは、死の儀式が大事とされ、「奥の文」とは、隠されながら伝えられる、秘密の儀式の文・あやの意味なのだろう。
その理が、日本書紀に統一される時、其れまでの多くの霊が、納得して居たのであれば、別に問題は無いが、現代の状況を見れば、霊魂が安らいでいるとは、とても言えないようである。
今後の、社会の安定の為には、全国の神社の祭神や、各家族の先祖の霊を、正しく供養する必要があるだろう。
天皇家に、国の祭り事を全部預けて、国民が何もしないのでは、社会が改まる訳がない。
古墳の石は、古代の魂の記憶を伝える、レコードの役目をしていると考えられる。
5000年前、遠いアイルランドの人々と、日本の人々の交流が有ったとすれば、世界が一つに成れるヒントが、墓記・おくつふみに有るのかもしれない。
平成14年4月12日
礒邉自適
2002/4/10
人間社会は言葉に因って動いている
14・4・10
改めて考えて見ると、人間社会は、全て、言葉に因って動いている事に気が付く。
一見、世の中は、金で動いている様に思われがちだが、経済の動きも、誰かの言葉(物言い)で、金や物質が動いて、成り立っているのである。
特に、アメリカ大統領の言葉は、世界の金融に影響を与える事は、皆の良く知る処である。
此の日本でも、鈴木宗男代議士の言葉で、外務省が影響を受けていた事が、判明したばかりである。
世の中に影響を与える、新聞も、書籍も、言葉を文字にした物である。
テレビ番組は、絵・映像が映っているが、音量をゼロにしてしまえば、何が話されているか判らない。
テレビが無い時代は、言葉だけのラジオ放送が、社会に全体に、大きな影響を与えて来た。
文字が無い時代まで遡れば、人々の意思の伝達は、言葉だけであったので、現代・いまでも、言葉が一番大事なものと考えて良いだろう。
其の大事な言葉が、人々の幸福の為だけに、使用されていれば善いのだけれど、現代社会では、個人的な欲望の為だけに、言葉が使用される事が多くなっている。
同じ言葉が、一方では人々を幸福にし、一方では、不幸の原因を創り出しているのである。
教育が進んだのは、善い事と言わなければならないが、沢山の言葉を覚えても、その言葉が、正しく使用され、人々の幸福に繋がらなくては、教育が役に立ったとは言えない。
昔から、言葉は「凶器に成る」との言い方もあるし、仏教では、優しい言葉を掛けてあげるだけでも、布施をした事に成るとも言われている。
若しかしたら、私の言動は、自分も父母の日常会話が、基になっているのかも知れない。私は、喧嘩言葉が苦手である。
其れは、両親の喧嘩を一度も見た事が無いし、喧嘩言葉を聞いた事が無いので、稽古が出来ていないので、使い難いのであろう。
その反面、人に対しての対応は、ソフトに出来るのかも知れない。
私の家には、父親が亡くなった時、私が17歳までは、テレビも無く、私の実家は、野中の一軒家で、テレビの影響も、隣の家からの雑音も無かった。
私の生い立ちを思い返すと、其の環境が幸いしたのだと想える。
テレビや、車の騒音が無く、小鳥の鳴き声や、小川の音、風の音などが、私の脳の基盤となっているのである。
自分の人生を振り返って見ると、言葉に守られて、生きて来た様に思える。
私は、誰よりも言葉に恵まれて、是まで生きて来られたのではないかと思える。そうでなければ、私の性格は、違ったものに成っていた可能性がある。
私は是から、言葉の環境が、人間に、どの様な影響を与えているのかを、気にして生きる事にしよう。
その答えが出せれば、世の中を、少しでも善いものとする事が、出来るかも知れない。
平成14年4月10日
礒邉自適
2002/4/3
串玉名付けた人の魂
14・4・3
私は、屋久島で瞑想に明け暮れていた時、脳の中が見えた様に思った。
脳の中を顕微鏡で見ても、只の味噌の塊にしか見えないので、脳味噌と言うのだろうから、私の見た物は、実際の脳の中身ではなく、脳の働きだったのだろう。
後に、其れが「クシ」と「タマ」であり、古に、誰かが同じ物を見ていた事が、私には理解されて来る。
現代では、科学や化学が進んで、物質的にも論理的にも、人間の脳の働きは、様々な説明がなされているが、古代の人々がどの様にして、言葉を組み立てたかと言う事に対しては、未だ、どの学者も説明出来ていない様に思われる。
其の例を一つ上げると「人が走る」と言っても、どうして人が走る姿を「はしる」と言うのかは、説明がされていない。
其れは、「はし-る」としても、「は-しる」としても、意味を見出せないのではないだろうか。
処が、私は「くしたま」「たまぐし」の言葉が分かったのである。
「くし」は、「串のダンゴを通した形」で、「通す事」を「くし」と言うのだ。髪の毛を通す「櫛」も、「通す」の意味である。
「たま」は「玉」で、「丸い玉」の意味であり、「魂・たましい」の「たま」である。
「くし・串」と「たま・球」は、人間の大脳の、右脳の働きと、左脳の働きを表現したものであるのだ。
現代の医学界でも、右脳は、芸術的・空間的な色彩や音などを司っており、左脳は、論理的・時間的な繋がり・経過などを、司っていると言われている。
右脳の、空間的な思い出の映像は、丸い玉となって、人間の意識に捉えられているのだ。
体験が多いほど、思い出の玉は数多く有る事になり、其れが、右脳に記憶される事になる。
左脳は、其の多くの空間の思い出の玉の「意味」や、関係性を結び付ける「糸」の役割を、していると言う理・ことになる。
だから、古代の人々は、自分の頭の中に一杯に成った、「くし」と「たま」を、神社に捨てに行くのである。
そして、空に成った脳に、神の「くし」と「たま」を貰って帰るのである。
簡単に言えば、自分の「串魂・くしたま」と神の串魂の、交換を行う場所が神社なのである。
其れが、神社や式典で行われる「玉串(タマグシ)奉納」のセレモニーなのである。
チベット仏教の絵にも、其の「球・魂・たま」は「如意宝珠」の形として描かれているし、古代エジプトの王家の墓に納められた壷にも、其の球の形の絵は描かれている。
と言う事は、世界中で、其の理は認められていた事になる。
何時の時代に、何処に住んで居た人達に拠って、その理・ことが、語り始められたのかは判らないが、其の理は、今の時代でも見ようとすれば、自分で見られる世界なのである。
しかし、現在の神社や宗教では、其れ等の理が、学習されているとは聞かないので、失われてしまったのかも知れない。
だが、現在でも玉串奉納として、儀式だけは伝えられているのだから、儀式だけでも、日本に残っている事を、良しとしなければならないだろう。
神武天皇祭の日に
平成14年4月3日
礒邉自適
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