2002/2/28
稲 魂
14・2・28
日本には、古くから、其の年に収穫された稲・米を、神に奉納する儀式が全国に残っている。
天皇家で、一生に一度の、一番大事な儀式である「大譲祭・だいじょうさい」も、「新嘗祭・にいなめさい」を含んだ「大嘗祭・おおにえのまつり」が、其の基本となっている。
また、一般庶民の間に根強い、「おいなりさん」の稲荷信仰も、稲穂の束を意味する物で、動物の狐とは何の関係も無いものである。
其れは、稲を貯蔵する稲倉が大事にされた処から始まっている。
「保食神・うけもちのかみ」や「大歳神」も、同じく米・稲を大事に祭る処から来ている。
神社に、狐が登場して来たのは、米俵の模擬である「いなり寿司」が、神様に供えられているのを、夜狐が持って行ってしまうから、神様の代理として狐を意識する様に成ったのではないだろうか。
其れと、稲荷神社に「白狐・びゃっこ」が祭られているのは、中国文化の西方を守り神である「白虎・ビャッコ」の代わりではないかと、私は考える。
西の方位は、経済を意味し、経済は交通と同様だから、道路の方位(西を護る神)とされている白虎は、経済の神とされているのである。
日本は、長い間、米が貨幣の替りを果していた様に、税も米で集め、給与も米で支払われていた。
だから、お金の代りの稲荷が、商売の神様とされたのも理由が納得できるし、経済の「白虎」が、虎の居ない日本で「白狐」に替えられたのも頷ける事である。
私が、稲と神の関係を取り沙汰するのには、他にも幾つか理由がある。
これは、私だけの推測に過ぎないのだが、ある程度の自信は、有るので述べてみたい。
「額田王・ぬかたのおおきみ」に「額・ぬか」と使う「額・ひたい」の事を、大地に「ぬかずく」と言う様に、ヌカ(糠)と云う言葉に、秘密が含まれていると憶測するのである。
「ヌカ・糠」には、珪素が多く含まれている。
珪素は、仏陀の「第三の目」と呼ばれている、額に存在する「松果体・しょうかたい」の物質である。
松果体との語は、「珪素・シリコン」の結晶が、松傘状になっている事から来ている。
神社で、頭を地面に接触させて祈る姿を、「額(ぬか)づいて祈る」と言う。
其の神社には、鏡が備えられているが、「カガミ」も「屈(かが)む」と同一で、水面に顔を写すために、屈み込むことから来ている。
漢字の「鑑」も「かがみでかんがみること」を意味している。
文字の意味でも分かる様に、自分の顔を見るのが「鑑み」であり、神のメッセージを受け取るのが、神社に額づく事である。
古代では、その役目の人が「額部・ぬかたべ」と呼ばれる氏族で、その部族や家柄が、鏡を造るのが役目だったのではないだろうか。
現代の世の中では、鏡も工業的に造られるので、只の品物となってしまい、本来の鏡の役目と働きを、理解する者が居なくなった。
昔から、大事にされた五穀を、大事に神に奉げる行事が失われてしまい、今や米は、大事なヌカを剥いで白米にして、糠は全部捨ててしまっている。
珪素不足に成った人達には、これらの理・ことが理解されないかも知れないが、日本の伝統文化が見直されようとしている現状では、誰かが、その「糠・ぬか・珪素・シリコン」の本当の意味を、思い出さなければならないだろう。
日本では、今でも天皇陛下が植樹をし、田植や収穫などを、毎年、行事として続けている。
稲の魂が「稲魂、稲霊」として、たとえ其れが、中国の雲南省から伝わった物であったとしても、これだけ長い間、日本の国家の伝統として伝え守られて来ているのだから、日本の物と考えても良いのではないだろうか。
逆に、この事を、日本文化から取り除いてしまえば、国家の屋体骨を失ってしまうだろう。
稲穂の「イナ」は「稲光、稲妻」のイナである。
「神(示+申)」の漢字の「申」も「稲妻」の象形文字である。
神と人間の間に、天地のエネルギーを受けて育った稲の霊魂が、重要な立場を占めているのは、大きな理由が有っての事なのだ。
日々の食事の中から、パンは小麦のフスマが取り除かれ、稲からは、ヌカや胚芽が取り除かれて、家畜の餌となっている。
だから、現代の若者からは、天地のエネルギー回路が失われてしまうかも知れない。
学校の授業の中には、稲魂などの文字は出される事も、語られる事もないだろう。
せめて、インターネットからでも、これ等も理を知って、興味を持って欲しいと願う。
私の子供も、全員が知る側ではなく、知らない側で、何も知らずに生活をしている。
私が一人で出来る事は、この様に、文章にでも書くのが関の山である。
心ある人々の気付きを、神に、祷るしかない毎日である。
平成14年2月28日
礒邉自適
2002/2/27
私と日継神示(一)
14・2・27
私が、無庵師匠に捜されて、三ヶ月間の「マクロビオティック」の修行後、安房川の岸辺で禊ぎ祓いを受けて「神惟らの道」に入ったのは、1984年(S59年)6月4日(旧暦5月5日)であった。
「天津日継・あまつひつぎ」は、旧暦の日付の方が、神のリズムに適っているのだろうか。
日継神示を書かされた、岡本天明氏の御筆先が始まったのは、S19年6月10日(時の記念日)である。
下巻169Pには「30年で世の立替いたすぞ」と、S27年4月11日に出ている。27年から30年だと57年頃となるが、私が無庵師匠に捜し出されたのは、S58年3月18日であり、私にとっては、日付的に合っている様に思われる。
その他にも、日月神示には、私に関係有りそうな事が幾つか有る。
上巻136P「南の島に埋めてある宝を 御用に使う時近づいたぞ。」
144P「種は落ちぶれていなさる方で 守られているぞ。」「種は百姓に与えてあるぞ。」
私は、屋久島に生れているし、屋久島の山岳は神の住む山とされ、私は少年の頃より、山ばかり登っていた。
また、父親は鹿児島市生れ、母は東京生れで、太平洋戦争が無ければ、屋久島に渡る事も無く、屋久島で百姓をする事も無かったであろう。
168Pには「此の神示は 世に出ている人では解けん。苦労に苦労しておちぶれた人で、苦労に負けぬ人で、気狂いと云われ、阿呆と謂われても神の道、素直に聞く臣民でないと解けんぞ。」と有る。
私の人生を振り返って見ると、この為に、自分の人生が有ったのかと思える程である。
−492P「ひつぐの民の家には、御神名か御神石か御神体として代表の大神様として、天(あめ)の日月の大神様、地(くに)の日月の大神様と称え斎(いつ)き祀り結構致して呉れよ。
1の宮、2の宮等の祀り、天明に知らしてあるぞ。道院殿老祖様は中の宮に、他は道院の神々様として次の宮に結構祀りてよいぞ。」とある。
私が神懸りに成って始めた事は、屋久島中のパワースポットの石を、家の中に集めて祀る事からであった。
そして、屋久島での修行が終って旅に出され、最初に手に取らされたのが中国の老子の本で、内容は道の徳についてである。
道(タオ)の教えの祖は老子である。「老子だけを中に祀れ」とは、私が取らされた行動と一致している。
−530P「三千年(みちとし)の不二は晴れたり、言答(いわと)あけたり、実地ざぞ。遣直し出来んのざぞ。早う足場つくれと申してあろうがな。三千(みち)の足場つくったら神の光出ると申してあろうがな。足場つくれよ。アジア足場ぞ。足場なくては何も出来ん道理、人間にも判らうがな。何より足場第一ざぞ。世界の民の会、2人でやれよ。1人でしてならんぞ。くどう気をつけてあろうがな。あなさやけ。あなすがすがし。6月10日」とある。
アジアが足場だから、3000年の道の仕組の足場として「世界の民の会をつくれ、それは1人ではなく2人でつくれ」との事らしい。
私は、岡山市のスーリアさんに、昨年の4月7日の岡本天明氏の命日に出会った。1996年2月12日に、神に知らされていた女性である。
私とスーリアさんの日記を照らし合わせて見ると、辻褄が良く合っている。
世界の民の会を2人でつくれとは、スーリアと2人でと言うことだろうか。
スーリアさんの生家は「林原」で、林原家の家紋は出雲の佐田神社の「天照大神社」の神紋であり、太陽信仰と関係が有りそうだ。
林原とは、昔し瀬戸内海で船を動かしていた一族の名が「はやし」だと言う。船を漕ぐには、掛け声が必要である。掛け声を掛ける事を「囃(はや)す、囃子(はやし)」と云う。「はやしばら」とは、海原を囃子ながら進んで行く、船の様子を言っているのだろうか。
エジプトのピラミッドには、古代の人々が太陽の船で、海原を漕ぎ進む画が描かれている。其の、太陽の鏡を祀る人々が、日本にも渡来していたのではないだろうか。スーリアさんの先祖は、その一族かも知れない。
私の「礒邉(いそべ)」は、伊勢神宮の存在する磯部町と同じ名である。イソベには「石部、磯部、磯辺」などの漢字が使用されているが、元は皆、同じ部族だと思われる。
磯部町に存在する伊勢の奥宮「伊雑宮(いざわのみや)磯部さん」は、「籠目・かごめ」のマークの神社であり、ユダヤの石工の子孫とも考えられる。
石工は「石屋」でもある。
奈良の「石上神宮・いそのかみじんぐう」の物部一族は「饒速日命・天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)」の子孫で、岩山を御神体とする一族であり、伊勢の「イセ」とは石を敷き詰めるとの意味らしい。
物部一族の墓は、立石の周囲に石を敷き詰めてあり、石の文化の氏族である。
私が、石を祀る部族の子孫で、スーリアさんが太陽を祀る一族の子孫であれば、太陽と石の出会いで、古代の神事の両方が揃った事になる。
「易」の漢字は「日+勿」の組み合わせで、「日(太陽)」と 「蜥蜴・蜒・石竜子(とかげ)」の組み合わせである。私とスーリアさんの日記は、易の意味を含んでいる事が、これで納得がいくのだが、これを他人に言うと笑われるであろう。
しかし古代の人達にとっては、何事も神が中心だったので、これくらいの捉え方ではなかったのだろうか。
岡山の「吉備津彦神社」の奥宮は、磐座と太陽を祀っている。「天津日継神示」とは、太陽と岩の関係性を人間が捉える事ではないだろうか。
古事記では、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が両目を洗った時に、左目から「天照大神」が右目から「月読命」が生れた事になっている。
目から生れるものは、人間の形をした物ではなく、人間の左右脳の仕組みの例えであり、意識世界の事だろう。「天照」は目に見える光の世界を意味し、「月読」は目に見えない世界を意味している。
私の生れた屋久島は、全島花崗岩の岩山である。
南の島に埋めてある宝とは、岩山の記憶の事だろう。
私が、岩の記憶を取り戻し、天照大神の働きを世に出して行く働きであれば、岩戸開きの時代と言う事も良く理解できる。
更に、蜥蜴の日本語が「戸の陰・影」であるのも理解できる。
アフリカの古い伝説にも「岩に住む蜥蜴は、宇宙の神秘を全て知っている」と有るそうだ。
世界中で、蜥蜴は、人間の潜在意識の使者として考えられて来ているのだ。
中国の道(タオ)のマークも、二匹の蜥蜴がモチーフとなっている。
道の足場を立てるとは、岩戸開きの用意をする事で、石龍子(とかげ)の出番なのかも知れない。
日月神示では、−上巻20P「岩戸開いて1つの王で治める。」
−上巻514P「たばねの人は後からじゃ、後から出るぞ。22年1月1日。」
−上巻225P「元の大和魂の誠の身魂揃ったら、人は澤山なくとも、この仕組成就すのざと申してあろうが、末代動かぬ世の元の元を礎づくのだから。」
などと、日本から新しい世が始まる事を伝えている。
天津日継とは、日本の国土に秘められている霊系の働きの事であろう。
私の18年間の旅は、その霊達との共同作業の旅でもあったのだ。
是から、日本で何が始まるのかハッキリとは分からないが、日継神示には「神一厘の仕組の仕組みが此の日本から発動する」と有る。
神の意識、天の霊(ひと)の継続が、人々に見える時が近づいているのだろう。
平成14年2月27日
礒邉自適
2002/2/27
転輪聖王への道
14・2・27
私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に「地球をお前に任せる」と神のメッセージを受けて、18年が経過しようとしている。其の18年間の歳月は、長い様でもあり、短かった様な気もする。
其の間、私の役目が果されたのかの、自信は無いが、手応えは感じている。
其の原因の1つは、私が精神的に自分の気持ちがスッキリしており、「安心立命・あんじんりゅうみょう」の状態が続いているからである。
「すっきり」の言葉には、漢字が当て嵌められていない。
「すっきり」とは、心が清められており、悩みや、蟠り・わだかまりが、何も無い状態であろう。
昔の人が、漢字を使用しないのは、スッキリと当て嵌まる漢字が、中国の文献に出て来ないからだろう。
其れは、中国に「すっきり」の概念が無いからだろうか。漢字には、「純粋」とか「無垢」とかの言葉が有るが、「すっきり」に当て嵌まる文字が無いのだろう。
「すっきり」に似た言葉に「素晴らしい」が有る。「すばらしい」は「すっきり」の「す」が晴れて曇りがない状態を表している。「すっきり」とは「素の曇り」が切れている事なのかも知れない。
インド国で一生を過ごした釈迦は、「人生は苦なり」と謂ったと伝えられている。釈迦は、悟りを得た彿(ブッダ)として有名な人である。
其の覚者(ブッダ)が「人生は苦なり」と言ったのは、何故なのだろうか。
中国の漢字には、「極(きわまり)」の文字が有るが、「極」は「木+亟」の組み合わせで出来ており、其れは、天と地の間に在る人間を、杖で打って「亟・すみやか」に答えを出せと、迫っている意味で、出来ている。
エジプトのスフィンクスの像も、人間に質問をして、人間が答えを出さないと、殺してしまう意味のものらしい。これ等からすると、インドも、中国も、エジプトも、同じ意味の文化が存在する様である。
インドの宗教の教えの中に、「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」の存在が伝えられており、転輪聖王は2600年の周期で、この世に転生するのだという。
聖なる王が転輸する、それが2600年の周期だとすれば、釈迦・老子・神武・ピュタゴラスが、誕生してから約2600年が経過しようとしている今、転輪聖王は地球の何処かに現れているのだろうか。
其れとも、現在・いま「極」の段階で、苦しみながら答えを探しているのだろうか。
私は、18年間の旅で、それなりの答えを捉えて、現在は静寂を迎えており、苦しかった旅を与えた、天や聖霊達に対して、いまは恨みが無い。
いまの私には、人間の原点に帰り着いた実感が有り、旅を終えたと言う満足感も有る。
「帰る」の漢字は、旅から帰った旅人が、無事に帰る事が出来たお礼に、手にホウキを持って、部屋の内を掃除し、祭壇に神に感謝の捧げ物の肉を用意している意味らしい。
私は、神に肉を供えてはいないが、代わりに、旅で知り得た理・ことを、文章にする事で、役目を果していると考えている。
「チャクラヴァルティン・転輪聖王」が、輪廻して来て、何をするのか定かではないが、私の知り得た処では、新しい宇宙の「記憶盤(アカシックレコード)」に、新しい情報を刻む事が、其の役目の様である。
どうやら、私には、「石部・石工」の血が流れて居るので、其の血が眠りから目覚め、スフィンクスの謎解きをしたようである。
エジプトの「ラーの目・籠目」は、秘められた宇宙の真理を、見通す働きを意味しているし、釈迦は、法(ダルマ)に目覚めた人で、其の釈迦牟尼佛の仏像には其の印として「第三の目」と呼ばれている額の中心に、宝石が埋められている。
ユダヤの、「石工・メイソン」の岩の目も、万物を支配する目で、同じ宇宙の真理を意味している。
これ等の事を検討すると、インドで云う「転輪聖王」とは、世界共通の概念と一致している事に成る。
では、日本には、其れが無いかと言うと、「スメラの命」という役目の王様が存在した事になっている。其の王は「ミカド」とも呼ばれ、其の伝統が現在の天皇の働きとして残っているのだ。
「スメラのミコト」の事を、「スメミマ」と呼んで、「スメ」は「澄み切った目」を意味し、先に述べた「日」の意味と同じで、「ミマ」は「王の肉体」を言い表している。
「ミマ」とは、穢れの無い美しい身の事である。其れは、仏教で云う精進された身体の事で、古神道で云う禊ぎ祓いが済んでいる身の事を言うのである。
「スメラのミコト・天皇」に成るには、「ミマ(美身)」が大事とされるのだ。
だから、天皇家では「御餉殿・みけどの」と呼んで、台所が一番大事とされている。天皇家の代替りの時も、大嘗祭と言って「ユキ殿」「スキ殿」を建てて、新しい米を食べる儀式が行われる。其れは、奈良の石上神宮に伝わる、物部家の儀式を取り入れたものである。
天皇家の儀式と、仏教の受戒の儀式も、源は同じシュメール文化に有るらしい。シュメール文明は、エジプト文明よりも1000年程古く、7000年の歴史があると言う。シュメール文化には、16菊花紋が有り、其れも天皇家の家紋に取り入れられている。
若しかしたら、転輪聖王とは16方位の謎を解く人の事なのかも知れない。
そして、其の理を、レコード盤の様に、回転させるのではないだろうか。
平成14年2月27日
礒邉自適
2002/2/26
裏のエネルギー
14・2・26
ゴッホや宮沢賢治の様に、37歳から38歳の年令で燃え尽きた人達がいる。
私も、今の世界に飛び込んだのは37歳からである。
男性の身心には、この年齢に何か仕掛けが有る様だ。
野球選手や、他のスポーツ選手でも、肉体能力の限界が37〜38歳で来ている様に思われる。
男性の肉体の最高のピークは、37歳ぐらいの処だろう。其れが、徐々に落ちていって、長い人でも40歳ぐらいで引退してしまう。
其れから、能力の有る人は、コーチや監督となり、後輩の育成に当って行く。此の境目は、一体、何であろうか。
私の考えでは、男性のエネルギーのバランスが、肉体的から、精神的な方向へ、移行する年齢だと言う理・ことだ。
イエスキリストや、坂本龍馬は、33歳ぐらいで殺されている。
其の原因は、未だ、肉体的エネルギーが強くて、血気盛んだから、どうしても攻撃的に成り易いので、敵を作り易いからであろう。
その為に、相手に恨まれて、殺されてしまうのだ。
その点、釈迦は36歳で説法を始めているが、周囲の人々が同じ目的を持つ人達だったので、殺される事はなかった。
では、此のエネルギーの移行は、何故起きるのだろうか。
私の考えでは、肉体的機能が衰える為に、筋肉の管理にエネルギーが段々と必要なくなるので、其の分、脳細胞が利用するエネルギーが、増して来るのではないかと想われる。
極端な言い方をすれば、若い時は、戦う事が好きだが、年を取って来ると、仲良くする事を、薦める様になる事からも、其れが解る。
どちらが、智慧ある者かと言うと、年取った高齢の方が、智慧ある者と言えよう。
年取った智慧ある者は、自分は身を引いて、若者を表に出さそうとする。
其れは、自分の肉体的能力が落ちたからばかりでは無いだろう。
前面に出て行動するよりは、一歩引いて見て居た方が、物事が良く見える理・ことを知っているからである。
世の中は、表の仕組みばかりではなく、裏の仕組みが有ってこそ、始めて上手く事が進むものである。
男が出世するには、妻の内助の功が大事だと言われるのも、其の一つであるし、現代の社会で活躍している人達も、優秀なスタッフが付いて居てこそである。
日本の文化では、スタッフの事を「裏方」と呼んで、大事にするので、其の理・ことは、昔から大事なこととされていたのだ。
表と裏の関係を、自然界に観て見ると、木葉の裏表、木の根と枝葉の関係、動物の背中と腹側の関係などが有り、又どちらが裏で表か判らないが、花と蝶や虫、小鳥と木の実の関係など、助けたり、助けられたりの関係も存在する。
とにかく、宇宙には、表の現象には、必ず裏の現象が付いていると言って良いだろう。
逆に、「裏有ってこその 表の世界」と、言い直した方が、正解なのかもしれない。
日本語には「御陰様」と言う言葉が存在する。
此れは、目に見える世界の現象世界には、陰の部分の「めぐみ」や「助け」の力が有るので、其れに感謝する意味である。
御陰は、辞典には「英語ではグレイス(grace)」と載っているが、私にはその語源は分からないので、知りたいものである。
話しは、バラバラに成ってしまったが、38歳ぐらいで、身心のバランスが逆転して、何歳ぐらいが精神的な面で頂点かと言うと、これの判断はなかなか難しい。
あまり高年齢に達すると、脳細胞が少なくなって、物忘れや、ボケの症状が現れてくる。
私は、現在55歳だが、ようやく人々が、私の話しに、耳を傾けて下さる様に成って来た。
その点から見ると、40代・50代は、仕事面では本人の実力は出せるが、他人の御陰様に成る事は、難しい様である。
自分の、個人的な欲望が消えて、子供も一人前に成長し、責任が無くなって、初めて、社会の裏の務めが、出来る様になるのだろうか。
釈迦、老子、一休さん達は、他人の相談に乗りながら、生を全うしている。
老子や、弘法大師空海などは、脳細胞が減少し魂が痩せる前に、人前から姿を消してしまっている。
其れ等の聖人は、往生を成し遂げた人々であるが、其の人々の魂しいが、いま私の指導者として、お陰様の仕事をして下さっているのだ。
それも、37歳の修行の時からである。
彼等こそ、本当の裏方の仕事をしてくれているのである。
神社の祝詞にも、「神霊思頼(みたまのふゆ)」として、其の理・ことが載っているし、日蓮聖人は同じ事を「諸天善神 皆 加護に着く」と、謂っている。
私の役割は、霊界人達の思頼を、此の世に伝え現す事に有るようだが、私の役割が、現在の人間社会にとって、裏の働きか、表の働きに成るのかは、私自身には良く分からない。
今の処は、新しい社会創造の裏方の様である。
私は、人間社会の動向を見据えながら、天の御陰様の方にも、気を配って行かなければならない。
今月2月9日に、岡山市のアークホテルで「スーリアさん」のパーティが開かれ、全国から60名の参加が有った。
其れから、二週間が経とうとしている。
段々と、人の結び付きが起き始めているのは、見えない世界が、動き始めているからだろう。
まだまだ、見えない世界の秘密は深そうだ。
自分の人生も、いまだ未知数として、謎が深まるばかりである。
平成14年2月24日
礒邉自適
2002/2/22
聖徳太子の命日
14・2・22
本日2月22日は、聖徳太子の1370年目の命日である。
旧暦と、新暦のずれは有っても、霊界との結び付きは、暦・カレンダーがその役に立っている。
其れは、哲学や主義主張と異なって、日付だけが、純粋性を保ち得るからだ。
「易」の漢字が「日+勿」の組み合わせで、「太陽」と「蜥蜴」の組み合わせで出来ている様に、太陽の運行と、人間の脳の原皮質は、蛇や蜥蜴と同じ時代の脳であり、潜在意識の領域で繋がっているのである。
人間が、太陽の日の出と共に働き始めるのは、蜥蜴と同じ、原皮質の脳の活動に関係が有る。
易が発達したのは、その脳の働きを、古の人々は知っていたからであろう。
易で方位を大事にするのも、原皮質は伝書鳩の様に、地磁気も感じる事が出来るからである。
法隆寺に何故、夢殿と呼ばれる六角堂建てられたのか、其れは聖徳太子が仏教に大変興味を持って、建物の中で瞑想にふけって居たからではないだろうか。
ヨーロッパの大天才「レオナルド・ダ・ビンチ」も瞑想を続けながら、芸術の世界・科学の世界を追求していた。
日本の大天才「弘法大師空海」も、虚空蔵菩薩求聞持法と名付けた瞑想法を編み出している。
天才達にとっては、何かの為に行動すると言うよりは、瞑想する事の方が、重要だったようだ。
宇宙には、「アカシックレコード」と呼ばれる様な記憶のシステムが存在し、その記憶にチャンネル出来る事を、覚醒する、目覚めると言っている。
今朝は、別紙に「慈愛」の題で、慈愛は永遠性の時間の事であると書いた。
「慈愛」http://sun.ap.teacup.com/20061030/253.html
「イエス・キリスト」は、永遠の命に入るにはどうすれば良いかと、主の愛に付いて説いているし、インド生まれの釈迦牟尼仏も、「私が覚醒して佛(ブッダ)になったのは、今回ではなくて、何代も前の 昔である」と謂っている。
中国の老子も、「古の人々は、凄いところまで、意識を積み上げてきている」と感心している。
其れ等の事からも、永遠性の「時間」が確かめられる。
其れに、イエス、釈迦、老子の三聖者が説いている理・ことが、愛、慈悲、道徳で共通している。
現在の学校教育で教えている内容は、自分本意の教えであり、時間的には、人生80年の短時間の認識でしかない。
神とか、仏とかは、永遠性の時間認識がなければ、理解はできないだろう。
神とか、仏を感じるには、ただ静かに瞑想して、永遠の時の空間に身を置くしかないだろう。
奈良の大仏や、各地の阿弥陀仏や、大日如来像などを拝んでいても、無意味な事である。
其れ等の像は、永遠の時の中に身を置く、覚者の姿を表した物であるから、其れ等の像を拝むのではなく、自分自身が、その姿を採用する事で、意味が生じるのである。
今日は、聖徳太子の命日とされている。
622年2月22日、太子は身罷ったとされている。しかし太子の死後、太子の想いは破られ、太子の息子や孫は、全員死に追い遣られてしまった。
其の所為で、奈良には様々な災害が発生したので、其の霊を鎮魂する為に、法隆寺が建立されたとの事である。
私は、平成元年9月4日の未明に、阿蘇郡蘇陽町の「日宮幣立神宮」にて、聖徳太子のメッセージを受けた。
そして、9月26日に蘇陽町に引っ越して、10月30日奈良の法隆寺に参拝した折に奇跡を見た。其の時の事は、別紙にも書いて、インターネットにも写真付きで掲載している。
「法隆寺の奇跡」http://moon.ap.teacup.com/199966/105.html
昨夜は、一晩中、私の意識は、宇宙の永遠的時間軸に縛られて、「とき・事象」の中心に定まっていた。
「神」の漢字の意味を、身をもって感じていたのである。
「神・示+申」の「ネ(示)」祭壇の前にて、宇宙の(申)のイナを感じ、身動きできない侭、一夜が明けたのである。
「イナ」とは、イナ光・稲光の事で、雷の電気の事である。
宇宙の情報が電気的に繋がって、自分の意識がレコード盤の中心に存在し、身動きが出来ないのである。
神に仕える聖人の立場は、地球の地磁気の中心は、北極と南極に位置しているが、北極と南極を、レコード盤の様にペシャンコにして裏表にしてしまい、其の中心に自分が在ると考えれば良いだろう。
釈迦は、其の意識状態の事を「佛(ブッダ)」と言い、宇宙の情報源を「法(ダルマ)」と説いた。
そして、その法は「時節因縁」「一大事因縁」として、2600年の輪廻で現出すると言うのだ。
アカシックレコードの記憶盤は、2600年用に成っているらしい。
其れは、2600年置きに、宇宙の記憶が再生されて行くからなのだろう。
私が、1984年6月4日(旧暦5月5日)神の世界に入り、屋久島の全体の花崗岩を使って、宇宙の記憶盤をダビングし直して、既に17年が過ぎて、18年目に入っている。
今朝の感覚は、17年前に、屋久島で体験していた時と同じパターンが、来ていた様だった。
16年前の屋久島での時は、自分に何が起きているのか、理解不能だったが、今では、何が起きても、何の事なのかは理解出来ている。
其れで、17年の間の旅は、無駄ではなかった事が自覚できる。
その分、霊界の指導者たちも楽だろう。
昔と違って、現代は精神病院が存在するので、社会的に迷惑を掛ける様な行動をすると、直ぐに病院に入れられ、注射を打たれたり、薬を飲まされたりしてしまうので、余り過激な行動はさせられない。
其れかと言って、刺激が無ければ、意識の変容は起きないのである。
其れ等のバランスを取りながら、人間に、意識の階段を登らせなければ成らないのである。
イエスの時は、其れが過激過ぎたので、十字架に張り付けになって殺されてしまった。その失敗も、今回は生かされたのだろう。
それでも、私は、精神病院行きスレスレの処を、数ヶ月過ごしたのである。
よく此処まで、無事に進んで来れたものである。
私には、老子の言葉が指針となり、釈迦の体験や、イエスの想いが、私を導いて来たのである。
其れと、一休禅師や、良寛さんの遊び心が、私に、余裕を与えてくれもしたのである。
聖徳太子は、法律や政治の形態も考えて、政・まつりごとの在り方を、現実化した人である。
是から、どの様に、時代を導いていけば良いのか、古の人々と協力しながら、創造していかなければならない。
聖徳太子が、今、霊界で何を考えているかは分からないが、聖徳太子が霊界の中心にいる事だけは、間違い無いだろう。
聖徳太子が何を考えていたか、また、1370年間天界で何を学んだのか、その成果が、是から現されて来ることだろう。
私も、其れに、協力して行くしかない。
また霊界人も、私が協力しなければ、現象世界には、手も足も出ない事は、能く解かっている。
是からの12年間が、私にとっても正念場である。
平成14年2月22日 聖徳太子命日
礒邉自適
2002/2/14
嘗(かつ)て其の2
14・2・14
昨年3月27日に、「嘗」に付いて文章にしたが、今朝はまた、嘗の文字が気になってペンを手にした。
「嘗・ショウ」の漢字を、「かつて」の意味に使用すると、宗教の言葉の元となっている英語の 「religion ・リリジョン」の概念に行き着いてしまう。
嘗て有った「時代・現象・もの」に、意識が 「revival ・リバイバル」する。
または、リバイバルしようとする精神的な葛藤が起きる。
其の現象が、かつての意味する処ではないだろうか。
英語の「リリジョン」とは、「再び神と結ばれる」とか、「聖書の原点に帰る」とかの意味らしいが、プラトンも、ソクラテスに「先生、この理・ことは 皆知っているのですね」と云って、ソクラテスは其れに応えて、「そうなんだ ただ思い出すだけなんだよ」と、謂ったと伝えられている。
インドの釈迦牟尼佛も、自分が悟ったのは、何代も前の仏であり、自分はその意識に覚醒しただけなのだと謂っている。
中国の老子も、「古の人は 素晴らしい」と、自分の意識が、古代より連綿と繋がっている理・ことを謂っている。
そして、ナザレのイエスも「永遠の 命に入る」と、記憶・いのちが永遠である理・ことを説いている。
「嘗て存在したもの」其れが、自分を創造している物である事が、思い出された時、人間は、真実の幸福と安らぎを覚えるのだ。
其れが、釈迦牟尼佛の説いた「佛(ブッダ)」の世界なのである。
「嘗て存在したもの それが 自分の本当の真実なのだ」と、人は気付いた時、其処には「ツミケガレ」の無い、自然と呼ぶ大宇宙の中で、自分がコスミックダンスを舞っている姿が、思い起こされるのである。
老子の謂う、第二十一章 孔徳之容「恍なり 惚なり その中に象有り 物有り 精有り 信有り…」とは、その理を言い表している。
嘗て在ったもの、それがエホバ、アッラー、アミダ、ビルシャナ、大日如来などの呼び名であろう。
其の、嘗て在ったものに行き着く為に、様々な作法が考え出されて来たのだ。
日本では、その儀式が大嘗祭の「食国の祭り事」である。
アステカのカレンダーの、太陽の化身である神が、長く出した舌の真ん中の印として、示されている物も、舌に秘密が有る理を伝えている。
何故、アステカのカレンダーでは、舌に其の印が付いているのだろうか。
其れは、人間の脳にも、蛇の脳と同じ古皮質の脳が、一番中枢を司っているからである。
中枢神経は、人間の考えや、知識の領域を超えて、宇宙の情報と繋がっているのだ。
古皮質にまで、記憶が至ると、人々は、神の領域を観る事になる。
その理は、インドやエジプトでも、パピルスや壁画にも書かれている。
古皮質にまで、覚醒した者が、パピルスに書き残した文章が、正しい教えの意味となり、「真実」の語源である「truth・トルース」の意味だと、聞いた事が有る。
アステカのカレンダーの北の方位には、葦の芽が描かれてあり、其れは、中国の暦の「玄(子・ね)」に当たっている。
私たち人類は、思考の高みに存在するもの、其れを、北に位置づけてイメージを凝らして来た。
人間の意識は、胴体にはなく、頭部に位置すると考え、其れも蛇と同じく、舌に有ると考えてきたのも頷ける。
蛇は、臭いや、音を、二つに分かれた舌先で、感じる事が出来ると言う。
その事が、古代の人々の注意を引いたのだろう。
「嘗」が、ナメルの字である事も、その理・ことから来ており、かつて嘗めた記憶を取り戻すこと、其れが、大事な儀式とされて来たのも理解できよう。
・ 釈迦が、「木に寄り掛かって起きた事」それを、私も体験した。
・ 神武天皇に起きた「禽鳥の現象」それも、私は体験した。
・ イエスキリストが体験した「三羽の鳩が飛ぶこと」それも、私は体験した。
・老子の謂う「道の作用」も私は体験した。
・日蓮の云う「諸天善神加護に付く」も、私は体験した。
・日本の伝統の、大嘗祭で起きる「神霊思頼(みたまのふゆ)」も、私には実際に起きた。
嘗て起きた事、其の総てが、私には起きたのだ。
いま其のこと事態が、私にとって、嘗て起きた事となりつつある。
また、いつか、其の事が起きるまで、その事は、闇の遠くへ隠されて行くだろう。
また、2600年の時の輪廻の回廊へと、時間の神秘は隠されて行くのである。
私が、私でなく、嘗て存在した者への、永遠の憧れ。
其れが、人類の、未来への希望のエネルギーなのだ。
人間の、嘗て存在したモノへの希求が、是までの文化を築いてきた。
是からも、嘗て存在したモノへの希求は、止む事はないだろう。
平成14年2月14日
礒邉自適
2002/2/9
恥の文化
14・2・9
日本には、「恥・はじ」の文化が有る。
世界にも、其れと似た伝説や、物語は多々あるだろうけれど、日本ほど、庶民の中にまで、恥と言う言葉が浸透している国は、無いのではないだろうか。
しかし、其の日本も、太平洋戦争で国を焼かれ、家を焼かれ・心を焼かれて、アメリカの価値観を押し付けられ、その精神文化が消えようとしている。
日本で言う、「恥の文化」とは、西洋で言うところの「屈辱を受ける」行為とは、一味も二味も違っている。
日本の武士道では、屈辱を受ける事が恥だから、自分が屈辱を受ける前に、自ら腹を切って、魂が気枯れるのを防ぐのである。
「恥」の漢字は、「耳+心」の組み合わせで、出来ている。
其の漢字の意味からすると、恥を感じる器官は「耳」だと言う事だろう。
普通の人間なら、恥をかくと、耳朶がポッと熱くなり、赤くなって来る。
何故、そう成るのかの科学的な説明は、私は未だ、聞いた事が無いが、昔し動物だった次元で、周囲の気配を感じる器官が耳だった事から、気の違いを感じたら、耳に神経を集中させる為に、多量に血液を、耳に送り込むからではないだろうか。
動物は、自分が不快な状況が発生すれば、その場から逃げ出し、自分の住み慣れた、安心できる場所に行けば良い。
だが、人間は、社会構造が出来上がっている為に、何処へ逃げても、情報や人が追い掛けて来て、逃げ果せる事ができない。
逃げ果せたとしても、社会的信用を失い、もはや立ち直る事が出来ない。
人間社会は、「あの人は 恥知らずだ」と、一回度言葉による烙印を押されると、その言葉が一人歩きして、何処へ行っても、その事件が付いて廻る。
その為に、武士社会では、二度と仕官が出来なかったのである。
それならばと、腹を切る事で、家族や親戚に潔さを示し、社会に名誉を残す事で、残る者たちの未来を保ったのだ。
また、社会もその儀式に拠って、物事の終結を認め、二度と罪の追求をしなかったのである。
其の様な文化は、一朝一夕に出来上がるものではない。
恥の文化は、2000年来、外国の文化を導入することは有っても、他民族に支配された事の無い日本国の風土で、培われてきたものである。
日本が、世界に誇れるのは、この「恥の文化・しか、もう残っていないのではないだろうか。
平成14年2月9日
礒邉自適
2002/2/8
遺伝子で判ったこと
14・2・8
遺伝子・DNAの研究が進んで、判明した事は、生命の基本は、変化すると言う理・ことです。
風邪の「ウィルス(菌)」でさえ、人間の目には見えない、小さな物にもかかわらず、意識を有しており、抗生物質に対して、自分の遺伝子を組み替えて、強く成ってしまうという働きを、持っています。
そうであれば、人間は大脳を抱えた、情報に敏感な生物なので、変化しない譯・わけがありません。
私も、自分の人生を振り返って、よく此れだけ変化して、違う環境に対応して来たものだと、驚いてしまいます。
此れだけ変化する人間を、何か一つの主義・主張の枠に嵌め込むのは、不可能な事と言えるでしょう。
その証拠に、唯物論である社会主義や、共産主義は、崩壊してしまいました。
其れ等のイデオロギーが、僅か百年も待たなかった原因は、人間の精神の自由さを無視した為でしょう。
日本人の歴史が、2千数百年続いて来たのは、見に見えない先祖の霊魂を信じ、儀式を絶やさなかったからです。
人間の、肉体を継続している仕組みは、遺伝子(DNA)に拠るものですが、魂の情報は、様々な儀式を通して伝えられて行きます。
墓の祀り方から、食事の作り方と作法、家の建て方と暮らし方等、その地域風土に適合した民族独自の、生活様式が伝えられています。
宗教も、その一つの部分であり、大きな役割を担って来ました。
世界の宗教には、肉食をしない教えが存在します。
肉食をするか、しないかの生活習慣で、人間の腸の長さまで、変化する理・ことが言われています。
穀物菜食だった日本人と、肉食中心の欧米人の腸を比べると、欧米人の倍程も日本人の腸は長いと聞いております。
これも、食の様式で、遺伝子の情報が変化してしまった事の証拠です。
此れらの事からも、生活様式の如何に因って、遺伝子が変化するかが判ります。
是からの21世紀の社会は、IT社会と呼ばれています。
しかし、情報ネットが出来上がっただけでは、何にも成りません。
良いソフトが入力され、その情報が生かされなければ意味がありません。
人間は、是からどの様に生きたら、幸福で平和に暮らせるかと言う情報を、創り上げなければならないでしょう。
更なる、遺伝子の進化に向けて、私達は、何をどうすれば良いかが、是からの課題だと思います。
平成14年2月8日
礒邉自適