2002/1/31
氏・素性
14・1・31
現在・いまの若い人の間では、「氏・うじ、素性・すじょう」の言葉は使われなく成ったが、一昔前は、一番良く使用された言葉である。
昔の人間社会の有り様は、現在の様に金の力が強くなく、社会の仕組み・システムの方が大事に考えられていたので、素性の知れない者は、信用が無かったのである。
「氏、素性」の意味を、辞典で調べて見ると、「素」は初めからの糸の意味で、「姓」は「かばね」で血統や家系の由来を示す呼称とあり「氏」は、姓から別れた家を意味する。と 載っている (漢語林)
「氏、素性」とは、血統と家系の意味で、素性を確かめる事が、大事とされていた理・ことが理解できる。
人間は、生まれながらの血筋と、家柄、又その生育環境で、人格が作られて行く。
その為に、家訓が考えられ、結婚も家柄が大切にされて来たのである。
其れが、近頃は「氏、素姓」を持ち出すと、差別だと、悪い風に受け取られて、なかなか言え無く成って来た。
戦後は、民主主義の名において、全てが無し崩しと成って、立派な人間、大人物が育たなく成って来ている。
全ての人間が、平等である理・ことが正しいと成って、大きな人物を育て上げる力・エネルギーが、社会から失われてしまったのである。
指導者の条件が、大道を進むのでなく、民衆の人気取りの方向へ移ってしまった。
其の事が、今日の政治の世界や、教育の世界で、行き詰りを見せて来た原因となっている。
家柄や素姓が良くても、金儲けが出来ない人達は、段々とじり貧と成り、力を失ってしまう。
素性が良くなくても、経済的に力を着けた者が、政治や教育制度に影響を与へ、品格を落してしまっているのだ。
其の結果、正しい者は誰なのかの、区別が付かない処まで、社会は混迷を深めてしまった。
お手本に成る人物が、ハツキリと登上し、人々の目の的と成らなければならない。
その為には、指導者に成るべき人物を捜し出し、環境を整え、指導者が正しく指導出来る世の中を、造り上げなければならない。
人格とは、なかなか一代ぐらいでは、築けるものではない。
昔から、「成り上がり者」と言うのが、其の理・ことである。
其れが、「豊臣秀吉」の一生を良く見れば、理解出来る。
豊臣秀吉は、「織田信長」と「徳川家康」の間で、一役を担っただけで終っている。
家柄にも色々有る。
昔し「君・士・農・工・商」と分けられて居た様に、其々の持ち分が有ったのだ。
其れが、天皇陛下の仕事が、民衆のご機嫌とりに成り、商いの魂の人が、政治家に成ってしまっている。
権力を持つ者の家に生まれれば、権力志向に落ち入り易く、心貧しき家柄に生まれれば、なかなか大極には立てない。
正しい素姓の者を捜し出し、此処らで、体制を立て直さなければ成らないのではないだろうか。
何故、素姓が正しく成ければ成らないかと謂うと、素姓が正しければ、正しい程、先祖が長く続いており、血筋が古いと言う事に成るからである。
先祖が長く続いていれば、重ねる代も多いので、一族の人口も多いと言う事になる。
一族の数が多ければ、霊界にも、沢山の同族が存在する事にもなる。
霊界人にとっても、自分の子孫が血筋を継ぐのに大事だから、その者を護ろうとするので、守護霊も多いと言う事に成るだろう。
特に、世の為・人の為に働いた人が、先祖に存在すれば、天の加護も強く働いている事に成る。
日本では、昔から、其の理が分かつていて、本家を大事にして来たのだ。
勿論、本家が戦にでも負けて絶滅すれば、分家の中で、一番頼りに成る処へ移って行くだろう。
日本では、其のお手本と成って来たのが、天皇家である。
しかし、神武天皇以前にも、日本列島には古い部族が住み着いて居たので、天皇家よりも力の強い素姓の、霊団が存在する。
今日、様々な霊的な動きが現われているのは、其の古い霊団が、人類の為に動き出しているからなのだ。
其の動きが、今後、増々強くなるだろう。
待統天皇までは、十八部族が存在したと、日本書紀には載っている。
聖書の言葉にも、「其の時には 全て霊が墓より蘇える」と有る。
其の事が、現実と成って来ているのだ。
新しい時代が始まれば、素姓の良い悪いで、霊団も浮き沈みが有るだろう。
現世に生きる我々も、出来るだけ素姓の良い力の有る血筋と、手を組んで行かなければ、生き残れないだろう。
平成14年1月31日
礒邉自適
2002/1/25
55と1
14・1・25
今朝の霊夢には、用紙の右上に「55」と数字が書かれており、紙面上に文字は一切無かった。
紙から目を離すと、紙の右側の外に「1」の数字が見えた。
昨日の夢には、「29」の数字が出て来たが、二日続いた数字は、何を意味するのだろうか。
29は、1月29日が私の誕生日で、55は誕生日を迎える私の年齢である。
それでも、1の数字が紙の外に有ったのは、意味が理解できない。
1は「一」で始めの意味を持っている。
55歳に成れば、今迄の紙面(舞台)から、新しく違う場面が始まると言う、暗示なのだろうか。
日付と言うものを、神霊界は、人間に対するメッセージに使用している事は、私の是までの体験からも、過去の歴史を見てもハッキリしている。
現在も、行われている易学の世界も、その一つであり、易学は中国3000年の歴史をバックとしている様である
天は、人類に対して、言葉よりも日付において、その重要性を伝えて来ていると想われる。
何故かと言うと、人間の社会にも「暦・カレンダー」が無ければ、約束事が出来ない様に、天も、「神霊界」と「人間界」が、同じプログラムを進めるのに、日付がなければ、計画が立たない理・ことを知っているのだろう。
其れは、地震を起こす日付や、時刻も決められている様だからである。
私に取って、大事な日付が幾つか有る。
毎年6月4日、11月21日、等は大事であり、4月3日、7月26日、8月3日、12月23日も、何かが有る日と成っている。
其れに、毎年異なる日が、前もって知らされて来るのも多々有る。
神界は、何十年、何百年の時間割を使っており、その時間割で、何かの計画を実行している様である。
人間を動かすのに、前もって段取りをしているのだ。
其れは、人間社会でも同じ事である。
神界の時間割りと、人間界の其れとが、ピッタリ合った時に、同時進行の形で何かが起こるのである。
人間側に、神界の計画を前もって教えると、人間は、勝手に其の事を行おうとするので、神の決めた日より、早い動きが出てしまう為に、前もっては、人間に日付を教える事は無い様である。
神界が一番困るのは、神界の計画を受け取って、素直に行動を合わせてくれる人間が、少ない事である。
難しいのは、人間が決まった日付より、早かったり遅れたりする事である。
人間側も、その事を気にして、易で占ったりしている。
しかし、其れは、人間側が勝手に考えて行動する利己的な場合が多く、神の意志を反映しているものは少ない。
古代社会では、神の言葉を受け取る人と、現実的に、行動を起こし実行する者とは、明確に分けていたのだが、現在では、その役割分担が行われていない。
男性では「聖者」、女性では「巫女」が、神の意志を受け取る、役目だったのである。
其れが、現代社会では、其の役割が正式に認められていないので、聖者も巫女も、自分の生活を自分で看なければならないので、意識がどうしても三次元になってしまうのである。
現在では、神社も、寺院も、現世利益の為の物に落ちてしまって、神仏の願いを聴き取る者がいない。
例え居たとしても、其の事を他人に云うと、頭が変しく成ったとして、職場を追い出されるはめに成るので、誰も公には口外をしない。
神社や、寺院でさえ、そうなのだから、神仏もどうにも出来ないので、人類を救いたくても、救う手だてが無いのである。
其の事が、私に「神霊の思頼・みたまのふゆ」として、遣って来たのである。
神社で唱える祝詞に、「神霊の思頼が遣って来る」と言う意味合いの文句が有るのが、その事である。
其れを、日蓮宗の祖である日蓮聖人も「諸天善神 皆加護に付く」と同じ理・ことを謂っている。
私は、無庵師匠に1983年3月18日に捜し出されて、三次元的な事を全て止めて、潔払いを行い「神霊の思頼」が起きて、諸天善神が加護に付いたのである。
その時の、神霊の数は4311体であった。
その霊団が、絶対世界(四次元以上)で働いて、神界を動かしているのである。其の、神界からのメッセージは、日付で伝えられて来る。
昨年4月7日に、岡山市に住む「スーリアさん」と出会い、日記で日付を確認すると、18年前より二人に起きて来た事が、連動している事が、確認が出来た。
岡本天明氏の「天の日継神示」にも、「中二人決まれば 外三人決まり 5人にそれぞれ10人の手足が出来る。50人揃ったら 中の一人は動いてはいけない人」と有る。
更に、「老子だけを中に祭って 後は 皆 他に祭れ」と有る。
老子の御霊を受ける人間は、動いてはいけない人と言う事になる。
その一人が、聖者の役目で、日付を受け取る役目の人間だろう。
「天の日継」とは、天の意(霊の頼み)を受け継ぐ役目の人で、其の者の名は「スメラの命」で、別名「ひ知リ(聖)ヒジリ・霊知り」と呼ばれるのである。
「日知り」とは、天の意思と、人間界の間の懸け橋の役割であり、本来は、其の働きの者が住む所が神社であり、其の者に会うには、カササギ橋を渡って行かなければならないのである。
正式な様式の神社には、神社の鳥居の手前に川が有り、お参りする者は、其の川の水にて、潔を済ませなければならならなかったのである。
神社では、其の川を天の川に準えて、橋の名を「鵲橋・カササギバシ」と言う。其れは、鵲が、神と人間との取り次ぎをするとの考え方である。
鳥は、世界中で神の使いとされ祭られて来た。
中南米の、マヤの人達の鳥神は、太陽と、蜥蜴(トカゲ)を、両手にぶらさげており、日にちをコントロールする神とされている。
話は余談になるが、スーリアさんの家の家紋は、出雲の佐多神社の天照大神社の家紋と同じであり、私の姓(カバネ)は石部で「石・イソの神」を祭る血筋のようである。
「石の神」とは、岩山を神殿にする部族の神である。
岩を祭る事を、岩門(戸)の神と云う。
蜥蜴とは、「戸陰」で、目に見えない世界を占う事を、意味している。
此れで、岩戸を祭る「石部・礒部・礒邉」と、太陽を祭る「スーリアさん」の家系が、出会ったことに成る。
私と、スーリアさんは、宇宙意志の化身である「鵬・おおとり」にぶらさげられ、操られているのだろう。
私もスーリアさんも、楽しく遊んでいるので、別にその事が苦ではない。
「自由」の言葉は「みずからを 一番大きなものに預けて 従う事を 由しとする」との意味である。
私とスーリアさんは、其の文字の如く、自由を楽しんでいる。
漢字の「幸・コウ」の文字も、自由の意味であり、二人はその自由を、勝ち取った者と言えるだろう。
中国の老子の教えは「道」であり、道はタオと呼ばれ、タオのマークは陰陽二匹の蜥蜴のデザインで出来ている。
「老子を祭れ」と言う事は、二匹の陰陽の働きを悟れと言う事になる。
其の、中の二人が芯と成れば、外三人が現れると言う事に成る。
いまの処、外三人が誰かはハッキリしていない。
私が55歳に成って、初めの集いが2月9日のスーリアの集会である。
新たな世界の、幕開けは近いだろう。
4月15日の「少彦名神社」の旗揚げも近付いて来た。
是も、神のメッセージに因る日付である。
どれだけの人々が、神の世界へ続く「鵲橋」を渡れるのであろうか。
平成14年1月25日
礒邉自適
2002/1/24
大洲市 神南山
だんだん
14・1・24
「だんだん」とは、現代語にいう処の「ありがとう」の意味に使用される方言である。
「だんだん」の方言は、出雲から、広島、大洲市の地域が使われており、昔の人々が、同族であった事が窺われる
しかし、其れも、後一代世代交代をすると、忘れられてしまう処に来ている。大洲市に「徳の森」と言う公園が存在する。
其の場所は、古代人を祭る古墳を、公園として保存している場所である。
「徳の森」と、名を替える前は「尊の森」だったのだが、損得の損と間違うので、徳の森としたとの事である。
「尊・ソン」とは「須佐之男尊(みこと)」と使う様に、「たっとい・とうとい・とうとぶ」の意味に使う。
「日本武尊・やまとたけるのみこと」の様に、使う様に「とうとい人」に使用する言葉だ。「尊い人」とは、別名、徳の高い人でもある。
その意味から、「尊の森」を「徳の森」としたのだろう。
大洲市の「徳の森」付近には、古代の村が有り、王様か族長が亡くなって、その亡きがらを、此の地に奉じたのだろう。
徳の森公園が有る地域には、ボランティアの事、手伝う事を、「テゴ」という言葉が現在でも残っている。
このテゴも、出雲地方にも残っており、今でも、年配の人達が使っている。
是で、大洲(伊予)と出雲が、同族にて治められていた事が、ハッキリと確認が出来る。
「だんだん」とは、私の取り方では「向上しましょう」の意味に取れる。
出雲には「御免なさい」と「ありがとう」の言葉は、方言には無いそうだ。
京都で、「ありがとう」を「おおきに」と云っているのと同じである。
「ありがとう」の言葉は、新しい言葉なのだろう。
ありがとうの言葉は、正式には「有り難きしあわせです」とか「有り難きかな」と、続けて使われているもので、相手に対して、感謝を申し上げる形である。
「ごめんなさい」も、江戸時代に、相撲興業の為に使用されたのが始まりで、幕府から「御免除されました」の「御免こうむった」から、始まっているので、これも新しい言葉である。
古代から、2000年間ぐらいは、「だんだん」が使用されていたのではないだろうか。
出雲地方に「ごめんなさい」と「ありがとう」が無く、全て「だんだん」で通したのであれば、感謝する方も、感謝される方も、迷惑を掛けた方も、掛けられた方も、「誰でも 失敗は有るものですよ。二度と、失敗をしない様に努力をしましょうね。」との、心の使い方だったのだろう。
其れは、感謝される事が有っても、「いいえ 又 何時 私が御礼を言わなければならない立場に 成るかも知れないから」との、お互いを庇い合う姿勢が、有ったのではないだろうか。
その、精神的土台を創り出すものが、神社に造られている、神殿への階段なのではないだろうか。
神社の様式や、儀式は、人々の心構えを、後世に傳え残す為の形式である。
其の、生活の慣習が護られていて、人々の生活の中で、言葉が正しく使用されていたものと想われる。
又、そうでなければ、神社で、神に奉献される祝詞も、無意味なものなり、その効力が現れる事は、無かったであろう。
徳の森の背後には、神奈備山として、頂上に大きな「磐座・いわくら」が存在する神南山が、形ち良くそびえている。
川を挟んだ対岸には、「少彦名尊」が住んで、人々を癒していたと伝う新谷がある。
2千数百年前、この地に少彦名の神が住んでいて、人々の病を癒し、知恵を授けながら、里の人々に「だんだん だんだん」と、感謝の言葉を受けていた事だろう。
「感謝」の漢字の意味は、感は「或+心」の組み合わせで、大きな威圧を受ける意味であり、「謝」は「言+身+矢」の組み合わせで、体から言葉を放つの意味である。
感謝とは、大きな力を感じた時、心の全てを言葉にして、身から音として、ハッキリと相手に対して発すると言う意味である。
この言葉を、理解しようとすれば、自分が、人々に対して大きな力を持ち、助けて上げられる様に精進し、又大きな徳を頂いた時は、精一杯言葉に出して、お礼を申し上げる態度を、身に付けなければならないだろう。
そう言う人間として、完成された時、新しい墳墓が建てられる事になる。
そして、後世の人々が、その徳に肖りたいとして、神社を建て、その霊を奉斎して来たのだ。
私が、この様な事柄に気付けるのも、古代から守り続けられて来た、伝統文化に因るものである。
古から現代まで、連綿として続いて来ている文化に対して、「だんだん」と、誠意を持って言わなければならないだろう。
平成14年1月24日
礒邉自適
2002/1/21
帰り道は恐い
14・1・21
日本に伝えられている童謡には、秘密が隠されている物が有る。
其れは、カゴメの歌や、天神様の歌などで、意味深いものである。
童謡「とおりゃんせ」の歌詞の「行きは 良い良い 帰りは恐い 恐いながらも通りゃんせ 通りゃんせ」の文句は、「神の世界は入るのは容易であるが 帰りは 恐い」と、伝えている。
私は、此の歌詞の意味を、現代の宗教の間違いに見てしまう。
古代の覚者達は、人間社会から完全に離れて修行をし、それを修めたら、普通の自然な生活が大事だと謂って、特別な儀式や作法などは、必要ないと言っている。
現在の世の中の宗教は、普通の生活よりは、宗教的儀式の方が大事として、金を集め、建物を大きくし、管理人や事務員を置いて、運営に躍起になっている。
老子、釈迦牟尼仏、イエスキリスト、一休禅師、良寛など、私が好きな人々は、建物を必要とせず、全ての管理事から自由である。
神に仕える事は、人間社会の仕組みから、自由でなければ、その役目を果たせないのである。
彼等も、子供の時から、其の様であったのではなく、途中では、他人よりも人間社会の中に、深く関わりを持っていたのである。
其の関係性の中で、「人間とは何なのか」の問が生じ、追求した結果が、後の人々に伝えられている成果なのだ。
彼等は、神の世界に入って覚醒し、佛に成って、現世に帰って来た人々である。
天神の世界は、誰でも、好きな時に入る事が出来る世界である。
処が、神に触れると、その力や不思議が、自分の力や運命だと思い込んで、其処に篏まってしまい、当たり前の普通の世界には、帰れなく成ってしまうのだ。
そして、其の勘違いの世界を広げる為に、無明の人々を取り込み、自分のカルマ・業を、強めて行くのである。
其の結果が、現代の宗教の世界である。
つまり、行くのは易いが、帰りが元の処まで帰れないのだ。
そんな人々が、世界には何億人も生じてしまっている。
細い道だから、帰るときこそ難しいのである。
帰り損なった人たちは、彼の世に行っても、悟ってないので、また輪廻を繰り返すのである。
無事に帰った人が居ても、其の人が、あまりにも普通なので、周りの人達は、其の人を刺激的に感じないので、其の凄さに気づかないのである。
悟った人は、宇宙の仕組み(ダルマ、法、道)の偉大さに気付いているので、人間の行為を、できるだけ少なくする様に、人々を導こうとするのである。
処が、支配者や、権力者は、経済が中心的考え方なので、できるだけ多くの物資を動かそうとする。
その為に、多くの人々を、使役しようと考えるのである。
過去の歴史を見ると、政治とは、権力者と宗教者が結託して、民衆を弾圧し、搾取し続けて来ている。
だから、その結果、真理は表舞台から消され、民衆の中に、童謡の方法(かたち)で隠され伝えられて来たのだろう。
子供たちを、スヤスヤ寝かす為には、見護る親や、年長者の心身も、安らかでなければならない。
子守歌を唄う時、その者の心は、神の世界に意が至っている必要がある。
その様にして、伝えられた神の世が、近付いて、「カゴメの歌」も、その意味が明らかにされる時が、近づいているのである。
平成14年1月21日
礒邉自適
2002/1/20
心を何に縛り付けるか
14・1・20
私は、後残り9日で55歳になる。
5の数字は、中立で、中庸で、悟りの数だと云われてもいる。
私は、50年と5歳を過ぎた事になる。
50歳の時の、自分の気持ちが何処にあったか、ハッキリ記憶がないが、多分神への想いが、心を占めていたと思われる。
今朝は、朝起きて、一番先に心に浮かんだのは、自分の念いが、今朝は何処に存在しているのかを、確かめる気持であった。
其れは、自分の心が、何の「気」で持ち耐えているのかを、確認する事である。
私は、自宅の壁には、自分の瞑想の姿の写真や、別れて暮らしている子供の写真など掛けて、自分の心を位置づけしているが、今朝は、それ自体が有効な方法とはならなかった。
日本語での「こころ」と言う言葉は、五感が取り込む情報に因って、意識が「コロ コロ」と変化すると言う意味を、表現するものである。
情報が、持ち込む変化で、心臓がドキドキ動悸を起こすので、こころは心臓に有るとして、心臓の形の象形である「心・シン」を、日本語の「こころ」の表記に、使用する様になって来ている。
処が、心臓自体が、人間を幸せにする物ではないから、心臓の鼓動が安らかに成る世界を求め続け、宗教を起しているのである。
五感に縁って、コロ コロ変わる心を、どうして安定させるかを、古代から人々は考え続けてきた。
日蓮宗の祖「日蓮」は、釈迦の教えの一つである法華経の名を「御札・曼荼羅」にして、意識の的としている。
真宗は、「阿弥陀」の仏像を、真言宗は「大日如来」を意識の的として、心がコロ コロ移り変わらない様に、方法を採った。
しかし、釈迦の教えは、其の様に「形態(もの)」に名を付けて、意識を固定してはいけない。自由になりなさい。と教えている。
日蓮は、その理・ことを、法華経には書いてあるので、法華経に帰依しなさいと謂っているのである。
日蓮も、こころが自由ではなかった様である。
キリスト教の祖であるイエスキリストも、釈迦と同じ理を謂っているし、皆を自由にし、その理を人々に広めなさいと言っている。
しかし、後の人々は、十字架を意識の対象として、イエスの磔・はりつけの姿を朝晩拝んでいる。
イエスが、現在の世の中に現れて、それを見たら、ビックリして驚くだろう。
私が参考にするのは、「一休さん」や「良寛さん」である。
一休禅師と、良寛禅師は、一番有名なはずなのに、宗教には成っていない。
其れは、自由を他人に説くのではなく、唯 本人が、自由な暮らしを実行しただけだから、弟子を育てるノウハウも無いし、経典もないからであろう。
だから、後の人々が、教団を作ろうにも作れなかったのである。
一休さんや、良寛さんをお手本とする事は、金にもならないし、権威や地位も出来ないから、馬鹿らしくて誰も真似をしないのだ。
一休や、良寛は、地位も名誉も無いので、毎日朝に成っても、何時に起き様が、何処へ出掛けようが自由であった。
その日のスケジュールは、起きたときの気分次第で、あったのだろうと思われる。
彼らは、何を、心の対象としていたのだろうか。
一応、仏教者と成っているので、「お釈迦さん」が意識の的になっていたのだろうか。
それとも、毎日変化する大自然が、意識の対象だったのだろうか。
大自然が対象であれば、其れこそ、心・意識は絶えずコロコロ変化して行く事になる。
松尾芭蕉や、山頭火は、其の自然を観て、コロコロ変わるこころを、自分自身が楽しんでいたのだろう。
歌人は、六根が絶えず揺れ動くことを、楽しんでいたのだ。
釈迦仏陀や、イエスキリストには、其の様な遊び心は無い。
其れは、心を閉じ込める、文字を持たなかったからであろう。
日本では、扁額や掛け軸等に、意味を表す文字を書いて、心の対象とし、意識をその意に定着させようとする。
其れは、日本で発達した高度な技術と言えよう。
和歌もその典型だが、それが職業となってしまえば、心はまた、その生活に拘束されてしまう事になる。
今朝は、この文章を書いている最中に、岡山のスーリアさんより電話が有り、数年前に死んだ飼い犬が、夢に出て来たとの事である。
その犬は、一度遠くに捨てたのだが、一週間後に自宅に帰って来たとのこと。
私は、その電話での話を聞きながら、アァそうか、犬にとっては、意識の対象は、飼い主だけなのだと理解した。
犬にとっては、「飼い主」イコール「食物」であり、住まいなのである。
犬は、何の迷いもなく、主人の住む家へ帰れば良いのだ。
その事を考えると、人間は、大脳が発達した為に、世界が複雑化して、何処へ帰れば良いのかが、判らなく成っているのだ。
家庭が安定していれば、摂り合えず、其処へ帰れば気は済むであろう。
家庭の安定だけで満足出来ない人は、スポーツや趣味等で、気を紛らわす事もできる。
人間は、其々が自分なりに、心を、何かに振り向けて、安定を得ようとしているのだ。
家庭が、存続するだけで良いのなら、飼い犬とあまり変わりがない。
其れだけなら、別に人間として生まれてくる必要性も、ないのではないだろうか。
人間として生まれた以上、何か、人間らしい事をする必要があるだろう。
大自然を破壊して、環境悪化をするのが、人間の役目では無いはずだ。
私は、大自然が豊かな屋久島で、37年間生活してきた。
変わった言い方をすれば、大自然漬けの、漬け物みたいなものである。
私にとって、屋久島の大自然は当たり前過ぎて、意識の対象にはなり得ない。
屋久島に、東京から移住していた、詩人の「山尾三省」氏とは、逆の立場である。
三省氏は、東京生まれの意識の目で、屋久島を対象としていたが、私は屋久島生まれの意識で、東京中心で発信される文化、文明を意識の対象としてきた。
東京から、発信されている文化や文明が、行き詰まりを呈していることは、心の対象には、良くない理・ことを示していると言えよう。
私は、何を心の対象として、コロコロ変化する自分を、定置させればよいのだろうか。
犬の様に、帰るべき主人も持たないし、山に帰って狼になろうとしても、もはやその場も、群もない。
だからと言って、屋久島に帰って、2000メートルの山頂で、狼の様に満月に向かって鳴き叫んでも、仕方のない事だ。
良寛さんの様に、子供と、鞠つきをするエネルギーも無いし、相手もいない。
一休さんの様に、彼女も居無いし、知恵もない。
其れかと言って、飼い犬の行動の様に、仏を想って、一目散に駆け出す純真さも、失われてしまっている。
私は「こころ」を、何に縛り付ければ良いのか決めかねている。
漢字を参考にすれば、「自由」とは、自分を一番大きなモノに預けて、リラックスすることであり、「精神」とは、精米された白米の様に、混じりけのない心で神を念うコトを意味している。
愛媛は、正岡子規の出身地でもある。
「子規」とは、時告鳥、ホトトギスの別名でもある。
夜明けを告げる、時告鳥の役目も想わないではないが、愛媛県の「愛媛」は、美しい女性伝説の、椿神社の御祭神「えひめの命」に由来している。
愛の姫が現れてくれれば、それが、一番心を縛ってくれるのだが(笑)、それも今の処は適わないようである。
取り敢えずは、毎夜の霊夢に、意識を合わす事しかないだろう。
其の生活に一番近いのは、明恵上人である。
現在は、明恵上人の霊魂が、私の肉体の借り主なのだろうか。
今朝のところは、私の心を縛っているのは、霊界の誰かであって、自分は何も無く、精神は自由を保っているのだと、確認する事にしておこう。
平成14年1月20日
礒邉自適
2002/1/19
道化
14・1・19
岡山の「スーリアさん」の霊夢に、私が道化の姿で、ヘリコプターから降ろされたのは、平成13年の2月21日だったそうだ。
私が、初めてスーリアさんに出会ったのは、其の日から45日後の4月7日、スーリアさんの母親「素さん」の78歳の誕生祝いの席だった。
其れから、9ヶ月が過ぎ去っている。
新しい年を迎え、振り返って見ると、スーリアさんの笑顔に因って、私は救われていると思える。屋久島を1984年の11月に出発して、是まで随分多くの人々と出会って来た。
神の約束であった、16年半の人捜しの旅が終わり、四国で新しい生活が昨年一年間続いた。
その中でも、スーリアさんとの出会いは、一番の比重を占めている。
私も、以前に比べて肩の力が抜けている。16年半の人捜しの中で、数度、胃から出血して寝込んだ事が有る。
無庵師匠に、1983年3月18日に探し出されて、「貴男が 世界を 救う役目を持っている」と云われ、修行を始めたら、この宇宙は仏教の「色即是空」の言葉の通りであり、実際には存在せず、神の意志に因って、仮に存在する「物・現象」だとの実感を、何度も体験する事となった。
そして、私が、人類に与えられた最後の一回のチャンスを、与えられているのだと知らされたので、その重圧は、私の心身に強い影響を与え続けてきた。
其れが、スーリアさんに出会い、彼女の屈託の無い素晴らしい笑顔に癒されて、自分の存在でさえ有り難く感じられる様になって来ている。
昨夜は、3時頃、目が覚めて、イメージを凝らしていると“笑い”は「童・わらべ」の“わら”だと観じて、朝起きて「童(わらべ)」を調べて見た。
すると“童”は“わらわべ”の詰まったもので、本来は「わらわべの遊び」とか、「わらわべの歌」とか言っていたらしい。
笑かす、笑わせるがその言葉使いである。スーリアさんの笑顔は、其の「わらわべ」のわらい顔である。スーリアさんの心には、一点の曇りも無い。
其れは、意識の素・もとが晴れていて、童の魂が宿っているからだろう。
漢字の「笑・ショウ」の意味を調べても、笑いは花が咲くの「咲」の字と、元は同じで、人間の笑顔は、花が美しく咲いた状態と同じ象形で出来ている。
それからすると、スーリアさんの笑顔は、最高の生命の開花と言わなければならないだろう。
スーリアの名は「太陽」の意味らしい。
正に、太陽のエネルギーを全身に受けて咲く「日回り(向日葵)」の化身の様である。スーリアさんの家(林原)の家紋は、出雲の佐太神社の天照大神社の神紋(輪違い)と同じである。
其れ等の事を考えると、神の議り事が、完璧なのがよく理解できる。
人間の笑顔は、「人・ひと」の善を引き出し明るくするものである。
完成した大人とは、ひとの心を柔らかくほぐして、幸せに出来る人のことだろう。その意味でも、スーリアさんは、私にとっても救いの女神である。
漢字の「媼」がそれを現している。“おんな”は“おみな”から来ており、おみなとは老女のこと「嫗・媼」で、男性の翁(おきな)と対の言葉である。
「嫗・媼」は、老女が子供を温かく抱きしめて、優しい言葉(息)を掛けてやる行為を意味している。
エジプトの、太陽神の女神イシスも、同じ働きを表現している。
イシスは、男性神オシリスを懐に抱いて癒した女神である。私にとって、イシスとオシリスの物語は、真実味を持ってきている。
来月の2月9日は、岡山のアークホテルで「スーリアさん」のパーティが開かれる。
私と同様に、多くの人々が、是からスーリアさんの太陽エネルギーで、向日葵の花の様に輝ける事になれるだろう。
神は、生きた者を働かすのに、陰陽の対に創造している。
それを、インドのお釈迦様は「ダルマ(法)」と呼び、中国の老子様は「道・タオ」と名付けている。
私たち人類は、なんと遠い回り道をしたのだろうか。
人類の幸福は身近な処に、それも、金も財産も必要のない処で、手にする事が出来たのだ。
それは、この世に産まれ出た時より、体一杯に身に付けていた財産だったのである。
其れを、皆が、何かの間違いで、置き忘れてしまっていたのだ。
其れを、スーリアさんが、皆に思い出させてくだされているのだ。
私に与えられた任務は「道化師」である。道化とは、「道・タオ」を体得した者が、その道を笑いにして、他人に伝える事である。
「道・タオ」を説いた老子の言葉にも、「他人に 笑われる生き方こそ 道を体得した者と言えよう」と有る。
道化とは、男の役目であり、其処には、道の要素がなければならないが、女性のそれは、母なる優しさの笑顔で良いのだろう。
20日後に催されるスーリアサロンは、スーリアさんの究極の笑顔が見られる事だろう。私も、其れが楽しみである。
平成14年1月19日
礒邉自適

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