2001/5/25
二通りの言葉
13・5・25
「日本語」と、一口に云うが、その日本語の中身は、食べ物の「長崎チャンポン」と同じで、古来より、中国をはじめ様々な国から、言葉が流入して来て組み上がっている。
改めて、そう思ったのは、ここ2・3日、「おにぎり」と「おむすび」と言う、同じ物を指す二通りの言葉に、私の意識が囚われているからである。
その言葉に関連して、「手を握る」と「手を結ぶ」と言う、二通りの使い方がある。元々の日本語の言い方は、其のどちらなのだろうか。
神社での、「ムスヒ・むすび」は「注連縄」と使っている事から、「手を結ぶ」の方だろうか。
しかし神社の存在は、古くても2千数百年前に、渡来して来た、外来の文化の様である。
日本列島に、縄文時代から住んでいた「アイヌ」や「エミシ」には、定住して神社を建立し、祭祀を行うと言う風習は無かったらしい。
縄文時代の生活は、食料を自然からの採取に頼っているので、移動する事で、採取地の自然のバランスを、崩さない様にしていたと思われる。
稲作を中心とした、弥生文化が日本列島を席巻して、その後、定住生活が発展して人口が増えたのであろう。
そう成ってから、神社を建てて、祭祀を行うと言う事が、必要に成ってきたのだろう。
神社で、祭祀を行うと言う事は、部族の統一と安定を図ると言う事に繋がる。
「むすび」が、神社と関連した弥生文化の言葉だとすれば、「にぎり」は其れより前の、縄文文化の言葉だろうか。
其れとも、弥生文化後に発生した言葉なのだろうか。
「むすぶ」と言う意味の漢字を考えると、「冬」と言う漢字文字が思い当たる。「冬」と言う漢字は、「糸の終わりを むすぶ」と言う意味を持ち、「終」という字がその成り立ちをよく表している。
「むすび」とは、糸がほどけない様に、集めて固めるという状態を示しているのだろう。
そうすると、「おむすび」は米粒を集めて固めると言うところから、発生した言葉となる。
一方、「にぎる」と言うのは、物を握る、利き手である「右手」の状態を指しているようだ。
漢字の「右」は 、「(右手)+口(言葉)」の組み合わせでできていて、(右手)だけで「有る」と言う事を意味していたと、辞書漢語林に載っている。
右手で、何か物を握り掴まえる。
其の、物を掴まえている状態をとらえて、「有る」と実感している言葉なのだ。
其れが、後に変化して、右手に肉塊を持っている状態を「 手+肉」で「有」と表記するようになったのだ。
「左右」を、「さう」と読まないで「さゆう」と読むのも、「有る」と言う意味を意識している為であろう。
中国の文字の成立は、3300年前に遡るとの事。
成立の経緯は、字の変化を遡って想像するより他にない。
「むすぶ」と言うのは、複数、あるいは多数の物を対象とし、「にぎる」は単独の物を対象として、自分の位置を確かめる言葉ではないだろうか。
何れにしても、すでに言葉の味は薄くなっており、意の味を確かめるのは容易ではない。
平成13年5月25日
礒邉自適
2001/5/21
玉依毘売命(たまよりひめのみこと)
13・5・21
2001年5月20日(日曜日)、良い天気に恵まれ、鹿児島の隼人から、宮崎の鵜戸神宮へ出かけた。
鵜戸神宮には、16年前に旅の途中で参拝しており、その時に、私に声を掛けてくださった人が居て、名前も覚えていたので、神宮で其の方の所在を訊ねてみた。
其の人は、「山口弘美」氏で現在76歳であり、宮崎の鵜戸神宮から宮浦の「宮浦神社」に移り、其処の宮司をなさっているとの事。
山口弘美氏は、「玉依毘売」を祭る「宮浦神社」の宮守の家系で、先代も現在101歳で健在との事である。
宮浦神社に到着し、お参りしてから社務所の方に行くと、山口弘美氏本人が居て、話が弾んだ。
社務所には、素晴らしい絵画が数点飾られているので、誰の作か尋ねてみると、今年43歳になる、山口氏の二男「山口正仁氏」が描いた作品であると云う。
「宮浦神社」http://moon.ap.teacup.com/20051112/482.html
其の絵は、玉依毘売が子供を抱いている構図が、神話の中の一場面の様に描いてあったり、仏教的な観音様として描かれたり、儒教的な慈悲の母に描かれたりしていて、其々が、全て気品が有り、美しく描かれていた。
玉依毘売が、胸に抱いている子供は「山幸彦・ひこほほでみのみこと」と「豊玉姫・とよたまひめ」との間に生まれた、「鵜葺草葺不合命・うがやふきあえずのみこと」で、玉依毘売にとっては、お姉さんの産んだ子供を預かって、育てていると言う姿である。
この時の玉依毘売は14歳で、後に大きくなった鵜葺草葺不合命と結婚して、四人の男子をもうけ、四番目の末子が、後に神武天皇となるのである。
玉依毘売は、都合五人の子供を育てた事になる。
其れに因り、玉依毘売は安産や子授の神様となっているのである。
玉依毘売は豊玉姫の妹で、姉妹の父親は「海神・ワダズミ」である。
一時期、玉依毘売の霊を、鵜戸神宮の豊玉姫の霊と合祀したところ、神宮の裏山が崩れたので、慌てて、玉依毘売の御霊を宮浦神社に祀り直したと事である。
16年前には、山口氏は鵜戸神宮の岩戸の入り口で、「空の上で 女性の話し声が聞こえる。」と云っていた。
私は、「世の中がいま変わろうとしているので 女神様の会議が開かれているのでしょう。ここは 女の神様の神社だから 女の神様が集まっているのではないですか。」と、答えたのだった。
今回の山口氏の話では、不思議な出来事が、次々に起きていて、自分でも驚いていると言う事だった。
其の後、ビデオとカメラで玉依毘売の絵を撮影し、宮崎市に住む息子さんである「正仁氏」を訪ねる事になった。
帰り掛けに、神社のお札を頂いたのだが、現在では、どこの神社でも、お札は印刷か外部へ注文するかである。
しかし、この宮浦神社では、山口宮司が直に筆を執って、謹製されているもので、お札を受け取ったとたんに、手足の指に神の電気が流れ入って来た。
其れは、其のお札が、本物である証拠である。
宮浦神社を辞して、宮崎市で山口正仁氏と2時間ほど、話をする事が出来た。絵の話から、神話や現代の子供達の教育の事まで、今後の活動を話し合った。そして、お互いの仕事を連携して行こうと言う事になった。
いま世界中に、日本のマンガ文化が広がり、漢字がお守りに使用されたりする様になっている。
IT社会となり、世界は一つのイメージを、共有する様になって来たのである。
私は、若者達に未来の夢を伝えて行きたいと想っている。
その方法が、具体的に成って来た様に感じられる、今回の旅となった。
平成13年5月21日
礒邉自適
2001/5/21
音の発見
13・5・21
日本の神話の神に、「イザナギ」と「イザナミ」の夫婦神がある。
「イザ」は「イザナウ」の枕詞だから、「イザ」を外すと、それぞれ「ナギ」と「ナミ」になる。
古代、「ナギ」と「ナミ」を最初に言葉として、口にした人の思考を考えてみた。
「ナギ」は、海の状態を表現する「凪」である。
すなわち、風がなく静かで、海面に波のないフラットな状態を示している。
一方、「ナミ」は「波」であり、海面が大きく、あるいは小さく揺れ、波立つ事を示している。
こうして考えると、「ナギ・凪」と言うのは「じっとしている」の「ジィー」に通じ、静寂を意味し、物事が収まる、収納されている状態で、時間そのものを表しているのではないかと思われる。
だから、「ジィー」と、「時・ジ」は同じ音である。
さらに、「ナミ」は「ナミ・波」であるから、波動であり、振動が伝わって行く、空間としての広がりを、意味しているのではないだろうか。
花がパッと咲く、人や物がパッと現れる、と言うときの「パッ」と「波・パ」は同じ音である。
時間は「ジィー」としているモノであり、空間は「パッ」と広がる波動の事である。
イザナミの肉体からは、様々な神が現れたと神話にはある。
一方のイザナギは、天の安河原で禊ぎをした時に「月読命(月読界)」「天照大神(天照界)」「須佐之男命(海原界)」を生み出している。
其れは、時間を意味するイザナギから、宇宙(夜)、太陽系(昼)、地球(海)が生まれた事を、伝えている事になる。
宗教の世界で、瞑想を大事にするのは、自分を「ジィー」と静かに見つめることで、時間を感じ取り、宇宙の存在を実感する為である。
其れと反対の世界が、音楽や踊り、そして美しい物を表現する、芸術の世界である。
これは「パッ」と現れることを求めていく行動であり、「華やかにパッと咲く」と言う世界だ。
女性が、化粧をして、華やかな衣装を身に纏うのは、イザナミの女性性を表しているのかもしれない。
そうであれば、男性性とは、禊ぎをして、時間・ときの流れの中に「ジィー」と身を置く事となる。
其の事に、意識を集中したのが、インドの釈迦であり、中国の老子であることになる。
日本の、天皇陛下の役目も、本来はその様なものであったと想われる。
さらに、「おじいさん」「おばあさん」の事を「ジイ」「バア」と呼ぶことが有るが、これも、男性の「ジィー」と、女性の「パッ」を伝えているものではないだろうか。
因みに、私の名は「ジテキ・自適」で、子供の頃から「ジィ」「ジィチャン」と呼ばれていた。
私が、老人に成れば、そのまま「ジイチャン」である。
私は、自分の名前に、何かの因縁を感じている。
私も、しばらくは「パッ」と咲く事より、「ジィー」としている事の方に、思いを寄せて行きたい。
平成13年5月21日
礒邉自適
2001/5/10
フィトンチッド
13・5・10
私は、カタカナ語に弱い為に、「フィトンチット」がなかなか発音できないので、その意味をイメージで捉える事にした。
屋久島生まれで、屋久島育ちの私には、英語ではイメージ出来ないので、日本語の中に其れらしき言葉を捜してみる。
フィトンチットは、ロシア語だとも聞いたので、英語やロシア語に共通するものであれば、ラテン語にも共通するであろう。
それなら、日本語の中にも見付かるはずである。
森の中のフィトンチット、其れは、風の流れの中にフーッと流れて、鼻の匂いの感覚を叩く、微かな香りの事であろう。
其れを、日本語の擬声語の中に捜すと、不意に、鼻をトントン叩く微(チット)の香りとなる。
トーンは、英語では、音の調子の意味などに使われている。
日本語では「トントンと扉を叩く」などと、音の原点に使用されている。
濁音をつけると「ドンドン」で、勢いが増した事を言い表す音になる。
フィトンチットとは、ドンドン感じるものではなく、不意に、微かに人間の感覚に訪れるものなのだから、フィトンチットは森の微かな香りの事で、森の魂とも呼べるものではないだろうか。
今は5月、山々は深い緑色に成り、広がったばかりの木の葉や、草は、草呼吸(くさいき)れを出している。
5月の風は「O3・オースリー」のエネルギーを運んでいる。
頭脳は、その「クサイキレ(草呼吸香)」に刺激を受けて、5月病の人達を発生させるのだ。
人間が、精神的に生まれ変われるのは、5月の緑り香る風の中である。
日本では、神の企てかの様に、その5月に休日が重なり、連休と成っている。
まるで自然が、人間を自然の野山に呼び出す為に、仕組まれたかの様な現象である。
屋久島に生まれ育った私は、一年中、仕事ではなく遊びの様な感じで、生活をしていた。
私の、言葉使いや行動は、5月の期間だけ、都会生まれの人達とコミュニケーション出来るのかも知れない。
その風景の中に、4月29日生まれの霊界人、昭和天皇の姿が見え隠れする。昭和天皇誕生日を記念して、出来た「みどりの日」は、私にとっても、大事な日である。
今年の4月29日は、若くして逝った妻の三回忌であった。
フィトンチットは、私にとっては「ふぃとんちっと」である。
私には、みどりの風の香りの中に、もう一つの想いが流れて来るのである。
香りの世界は、顔の前に突き出した鼻が、人間の感覚の一番先端に位置するので、大事な世界である。
其れは、生物が38億年前に、二酸化炭素のガスを食べる事から始まったものだから、空気を食べる事が一番根元にあるのだ。
人間が、5分も呼吸を止められないのはその為である。
「はなはじめ」との言葉が有るように、生物の顔は、目よりも鼻が先に出ている。
今は、ゆっくりと、鼻先に意識を持つのに一番良い季節を迎えている。
フィトンチットが、ようやく私の頭に捉えられて来た。
「フィトンチッド (phytoncide) 」とは、 微生物の活動を抑制する作用をもつ、樹木などが発散する化学物質。植物が傷つけられた際に放出し、殺菌力を持つ揮発性物質のことを指す。
森林浴はこれに接して健康を維持する方法だが、健康だけでなく癒しや安らぎを与える効果もある。フィトンチッドはその殺菌性や森林の香りの成分であるということから良いイメージがあり、森林浴の効能を紹介する際に良く用いられている。
1930年ごろロシアのボリス・トーキンが、植物を傷つけるとその周囲にいる細菌などが死ぬ現象を発見した。ボリス・トーキンはこれを植物が周囲に何らかの揮発性物質を放出したためと考えて、この物質をフィトンチッドと命名した。フィトンチッドは「植物」を意味する「Phyto」と「殺す」を意味する「cide」から作られた造語である。・・
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
平成13年5月10日
礒邉自適
2001/5/4
神霊の思頼(みたまのふゆ)
13・5・4
妻「井上佳子」の命日である4月27日に、「みたまのふゆ」との言葉が告げられて来たので、其れを私は「御魂の冬」として文章にした。
その後、4月29日に福岡市中央区に存在する福岡県護国神社で行った「みどりの会」発足の祭りで、宮司の祝詞の中に「みたまのふゆ」と言う言葉を聞いた。
其れが気になって居たので、昨日、愛媛県大洲市の「大洲神社」の宮司に、「みたまのふゆ」について尋ねてみた。
其れで、「みたまのふゆ」とは「神霊の思頼」と書いて、「神の霊の御陰を得る」と言う意味である理・ことが判った。
日本語の挨拶の言葉に、「お陰様で」と言う言葉が有るが、それと同じ意味である様なのだ。
人間は、行いが良ければ、「神霊の御陰を得る事が出来る」と言う教えの様である。
「神霊」は「神の霊」で、そのまま理解できるのだが「思頼」が、なぜ「ふゆ」なのかが解らない。
人間の側が、神を「思い」神に「頼む」のか、其れとも神霊が人間を「思い」、人間に「頼む」のかがはっきりしないのである。
「ふゆ」が「付由」ならば、付属し由来すると言う意味から、神霊が人間に対して思いを掛たり、頼み事をすると言う意味にとれる。
昔し、生きていた人達が、思いを残した事を、現代の人達に頼む。
それが、現代の人達を動かす原動力と、なるとの理・ことなのだろうか。
そして、昔の人達の願いを適える事が、神霊の守護を得る事に、繋がると言う理なのだろうか。
天皇の代替わりの儀式である「大嘗祭」は、代々の天皇霊を譲る・継続する為の儀式である。
譲る事が「付由・ふゆ」する事であると考えると、辻褄が合ってくる。
日蓮宗の創始者である日蓮聖人の教えも、釈迦の教えの法華経に帰依して「南無妙法蓮華経」と唱えれば、諸天善神が皆守護に付くとされている。
これも、諸天善神皆「思頼」すると言う理・ことであろう。
私は屋久島で、無庵師匠の指導の下1984年3月5日から三ヶ月間の修行を終えた。
すると、6月4の禊ぎ祓いの儀式の直後に、4311体の神霊が体を借りに来たのである。そして、私に、思いを伝え、霊界の事を頼んで来た。
私は、その「思頼・ふゆ」を17年間聞いて、神霊・聖霊・精霊を助けて来た事になる。
私の37歳からの17年間は、私の人生ではなく「神霊の思頼」の年月だった言う事になるだろう。
だから、礒邉自適の個人の人生は、17年間、冬の時代だったとも言える。
私にとっての救いは、どうやら、ようやく4311体の「思頼」が終わり、礒邉自適としての、自分の人生が、本番を迎える様に感じられる事である。
私の名前の「自適」は、悠々自適の自適である。
先日「適」については文章に書いたが、「啇」は「帝の言葉」と言う意味の文字である。
「帝」とは、天命のことである。
私の天命が、これから始まろうとしている。
其れもまた、「神霊の思頼」なのであれば、個人とは、本来存在しないと言う理・ことなのだ。
「自適」と言う名前は、私が産まれた次の日馬小屋の前で、父親に「自適」との神のお告げが降りて、名付けられた物だと言う話を、母から聞いている。
私と言う人間には、存在の第一歩から、自分が無いのかもしれない。
人間は、生まれてから、積んで来た経験を忘れ去れば、自分の役目に沿って、動く事が出来るのかもしれない。
其れを、荘子は「至人無己」と謂ったのである。
釈迦の謂う「仏」も同じ理なのかもしれない。
それは、私にも判らないので、今後の、自分の人生の成り行きを見守るしかない。
神惟らの道は、いよいよ「神霊の思頼」である。
平成13年5月4日
礒邉自適
2001/5/3
適
13・5・3
本日は、憲法記念日で、私の息子の12歳の誕生日でもある。
今日は、「適・かなう」との漢字の意味に付いて考えて見た。
「適」は、「かなう」と言う日本語の意味に、当てられている。
其れは、「啇」が帝の口を意味し、帝の口から出た言葉は、実行に移されるからである。
「帝」の文字は「漢語林」に次の様に載っている
・甲骨文では木を組んで締めた形の、神を祭る台の象形であり、天の神の意味から天下を治める帝という意味を表す。
・金文では「啇」に「口」が加えられて「啻」となり「啻(シ)」は中心の一点に寄るという意味を持つ。
・篆文ではさらに「彳・辵」が加えられて行為の伴う漢字となり、ある事柄が目的とする一点に寄っていく、かなうの意味を表す。
現在は、民主主義の世の中になって、本来の意味での帝がいない為、一人の人間の言葉が、直ちに、政治で実行に移される事は無い。
日本には、天皇陛下が存在するが、現在の天皇は、直接政治に関わる事はなく、儀礼的にのみ政治に参加を認められている。
総理大臣でさえ、議会を通さなければ実行に移す事は出来ないので、意った事を想った通りには、進められないのである。
では、世界中の何処に「帝(シ)」を行っている者がいるであろうか。
おそらくは、何処にも居ないだろうと想われる。
カトリックのバチカンの教皇でも、神の声を聞いて行動しているとは想えないし、イギリスの王も、アメリカの大統領も、天の声を聞いて政治をするのではなく、人間の考えだけで政治を行っている。
世界中で、天の儀に適っている者は、誰も居ないのである。
日本では、神功皇后を最後に、神の声を聞いて政治(まつりごと)を行った天皇は居ない様である。
正式には、神武天皇が神の命を受け、政治を行っているので、このときが「啻+彳・辵=適」が行われたと言えるだろう。
其れから、現在まで2661年が経過している。
その間、660年のサイクルで、天が動いた形跡がある。
神武天皇(紀元前660年)→ 崇神天皇(0年)→ 天智天皇(667年)→後醍醐天皇(1333年)などである。
「神武天皇」と「崇神天皇」其れに「天智天皇」は、自分の政治を行う事が適ったが、「後醍醐天皇」は足利尊氏の叛乱に遭い、失脚した為に、自分の想いが適ったとは言い難い。
その後、667年間、政治は天皇の手には返っていない。
明治維新に因って攘夷が行われても、其れは、官軍となった旧薩長連合が幕府に取って代わっただけであり、天皇直接の政治(まつりごと)とは言えない。
昭和天皇は、第二次世界戦争の出来事で苦しんだようで、崩御した平成元年1月7日の夜に、私の心臓に飛び込んで来た。
そして、2月24日大葬の日の未明に霊夢に現れて、「我が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と私に告げた。
昭和天皇も、自分の意が適っていなかったのであろう。
其れでも、やはり、天皇は天皇の霊である。
天皇の御霊は、自分の栄華を極める為ではなく、国民の幸福を願って、日夜精進する霊の系統である。
その役目が実行できなかったので、私に、その役目を助ける様に、云って来たのだ。
私にも、自分の願いが、他に有った筈なのだが、天皇の霊魂の所為か、今では日本の国の事、世界の人類と地球環境のこと等、其れ等の事しか、頭にはなくなっている。
私の個人的な願いは、天皇陛下の国を思う願いに、すり替わってしまったのである。
代々の天皇の願いが適う事が、私の願いも適う事になるのだろう。
平成13年5月3日 憲法記念日
礒邉自適
2001/5/2
アカシック・レコードの針
13・5・2
宇宙には、全てを記憶しているレコード盤の様な物が存在すると云われている。では、誰が其のレコード盤を創ったのだろうか。レコード盤を回し、針を落として記録させたのは誰だろうか。
其のレコードを聴いているのは、私達だが、録音機や音源がなければレコードにならない。
2600年前の時代に生きた仏陀釈迦は、自分が悟ったのは何代も前の魂であって、其の時の記憶が残っていたので、思い出したのだと謂っている。
中国の2500年前の老子も、自分が真理を得たのは、過去の人々の素晴らしい業績が存在したからだと謂っている。
2000年前のイエスキリストも、永遠の命の存在が有る事を訴えているし、ソクラテスとプラトンも其の事に気づいている。
弘法大師空海は、アカシック-レコードから般若波羅密の知恵を頂く方法を「虚空蔵菩薩求聞持法」として纏めた。
彼等は、どの様にして、アカシック-レコードを聴く事が出来たのだろうか。
私なりに、其れに付いて考えてみた。
アカシック-レコードの情報・音源を聴く為のレコード針は、第三の目と云われている松果体であろう。松果体は、眉間の第三の目と呼ばれるところの奥に有り、その組成はシリコン(珪素)である。
アメリカに、「シリコン-バレー」と呼ばれるコンピュータ産業の発達した町が有るが、そのシリコンとは珪素の事である。
珪素は、電気信号で情報を流すのに都合の良い物質である。其のシリコンが、人間の額の奥に「松果体」と言う形で存在するのだ。
生物の体には、必要な器官しかないはずである。であれば、松果体は人体においてどんな働きをしているのだろうか。
残念ながら、未だに、其の松果体の働きは詳しくは解明されていないのである。私は、松果体は昆虫が持っている触角の様な物の名残ではないかと思っている。昆虫は、触角で、温度、風向き、匂い、光の量、音などを感じている。
人間は、其れ等を感じるのに、五感が発達した所為で、触角が退化し、其の跡が珪素からなる松果体として残っているのだろう。
人間は、尻尾を完全に退化させてしまったのに対して、松果体を未だ残していると言うのは、松果体が、今でも何らかの役割を果たしているからではないだろうか。
人間には、五感に加えて第六感が有ると言う。第六感を感じる器官が、何処に在るのか明らかにされているわけではないし、科学的に証明されているわけでもないが、その存在を信じる者は多い。
其の、第六感を感じる器官が、松果体である可能性は高いと思う。珪素は、磁力に反応しやすいので、精密電子機器に使用される。現在の情報産業は、珪素をふんだんに使用したコンピュータ無くしては語れない。
近年、人間の脳の仕組みも解明されてきて、脳で考えると言う事は、電気的信号の遣り取りであると言う事も解ってきた。珪素の持つ周波数が、あらゆる生物の体内に存在する珪素と同調し、また地球の岩石中に存在する珪素とも同調しているのだとすれば、その周波数にチャンネルする事で、地球上の全ての情報を得る事ができる事になる。
其の様に考えると、アカシック-レコードとは、珪素でできたCD-ROMと言えるだろう。
インドの聖者や、現代の量子物理学者が「大統一場」の存在を云っている。
宇宙には、根元的な振動波が存在し、物質はその振動波を基本ベースとして、存在を続けていると言うのである。
中国では、何千年も前から、其の事を「玄の響」として捉えていた。
其の、玄の響きを捉えて同調し、人間の世界と結んで安定させる事が「徳」であるとされていた。
其れを、日本では「スメラノミコト・天皇」の「御稜威の働き」として伝えているのである。
珪素の振動波にアクセスできれば、珪素の酸化鉱物である石英や、その透明な結晶である水晶にアクセスするのは簡単である。さらに、層状珪酸塩鉱物である雲母にまでアクセスできれば、「役の小角」や「弘法大師空海」に近づく事になり、モーゼやイエスもそう遠い存在ではなくなる。
アカシック・レコードの制作者さえ、すぐ身近なところに位置しているのだ。其のレコードに、吹き込む歌を唄うのは人間かもしれないし、楽器を鳴らすのは聖霊かもしれない。
インドのヒンズー教には、創造と破壊の神「シバ神」がいる。宇宙が、生成と消滅を繰り返している理は皆によく知られている。シバ神は、コスミック-ダンスの象徴でもあるので、アカシック-レコードの回転板の上で踊っているシバ神の姿が、目に見える様である。
古代の聖者達は、そのシバ神の姿を第3の目で見ていたのではないだろうか。アカシック‐レコードは、人間の文化文明を全て抱え込んでいるのである。
其れを知ろうとするのが、今も、窓の外を、雨に濡れながらひたすら歩いて、四国八十八カ所を回る、お遍路さん達である。
平成13年5月2日 雨
礒邉自適
2001/5/1
救世主 其の2
13・5・1
「救世主」とは、ユダヤ教の教えの中に出てくる概念で、この世の終わりに現れて、世の中を救うと考えられている人物のことである。
その名を「メシア」と呼んで、現在まで伝えられている。メシアという言葉を日本語に訳したのが「救世主」である。
「救世主 其の1」http://moon.ap.teacup.com/20061108/554.html
辞書でメシアを調べてみた。すると、メシアは「messiar」で「メサイヤ」とも読むことがわかった。
(メサイア、メサイヤはmessiah(英語)の日本語における音訳。
原義はメシア(マーシアハמשיח(ヘブライ語)の慣用的カナ表記)、メシアまたは救世主を参照。)
私は、其のメサイヤの言葉を「メサ」と「イヤ」に分けてこじ付けをして見た。
「メサ(mesa)」は崖の上の岩場のことで「イヤ(ear)」は耳のことである。
詳しくは、平成13年4月1日付の『メシア』に記している。
「メサ (Mesa)」 とは、差別侵食によって形成されたテーブル状の台地のことである。さらに浸食が進み孤立丘となったものはビュート (Butte) と呼ばれる。
「イヤ【ear】」《「イヤー」とも》耳。「―ホン」「―パッド(=耳当て)」
岩山の上で、神の声を聴く者がキリスト・救世主で、現代まで其の降臨が待ち望まれているのだ。
私は自分の体験から、この降臨について考えてみようと思う。
「ジーザス・コンプレックス(jesus complex)」と言う言葉が有り、その意味は、「自分を 殉教者とか救世主などと見なす、思い込み」であると言うことを、今日辞書を見ていて初めて知った。
私は、17年前までは、神に付いて何の知識も無かった。
私は、無宗教にて生きていると言った方が、当っているだろう。
私は、自分の持ち物の中には、仏像も十字架も無く、敬うべき教祖も持たない。
屋久島に生まれ育って、37歳まで、島の自然の中で生活していた。
私の育った家庭には、仏壇や神棚はなく、両親が寺院や神社にお参りに行く事も無かったので、私達五人の子供も、寺院や神社には、興味が無かったのである。
父親は、自分の座る場所の壁に板を一枚打ち付けて、その上に、中国から引き揚げて来る時に持って帰った、三猿の小さな像を置いていた。
三猿の像とは「見猿、云は猿、聞か猿」の事で、父はこの三猿像をただ飾っているだけで、他に宗教的な行動は、何一つ子供達に見せなかった。
私が17歳の時に、其の父親が亡くなったのだが、それまでに聞いた言葉は、次の数語だけである。
「ミミズは 土を耕してくれているのだから、殺してはいけない」
「火は 神様だから 焚き火の火を消すのに 薪を叩いて消してはいけない」
「他人が 走ったからといって 自分も走ってはいけない」
「何をやって居ても 空の上から 神様が見ている」 等である。
私は、この様な人生訓とも言うべき言葉を、父親から聞いたのみで、「勉強しろ」などとは一度も云われた覚えがない。
其の様な有様だったので、私には宗教的、哲学的な偏見は、何も無いと云ってよいだろう。
その私が、現在精神的な活動を行っているのは、36歳の時に無庵師匠に見いだされて、37歳の時に禊ぎ祓い・バプテスマを受けたからである。
日本には、古代から、肉体と精神の両方を、同時に清める伝統的方法が伝えられており、私の師の家にも、門外不出の和法(漢方、西洋医学に対しての)が、代々伝えられていた。
私は、無庵師匠の指導の下、社長業を止め、妻と子供を実家に帰して、禊ぎをやり遂げたのである。
その禊ぎの後、何が起きたかを述べると、次の様になる。
1.食物を正す。
・ 仏教で言う精進。
・ 日本で言う食国のまつりごと。
・ 天皇家に伝わる新嘗祭。
2.水で身体を清める。
・ 釈迦の行った水浴。
・ イエスがヨハネによって受けたバプテスマ。
・ 日本の禊ぎ祓い。
3.聖霊に満たされる。
・ イエスも聖霊に満たされた。
・ 日本の天皇家の大嘗祭。
4.岩山などの山中にはいる。
・ モーゼは40日岩山にこもる。
・ イエスは40日間岩山に入る。
・ 釈迦も森の木によりかかって座る。
・ 空海は室戸岬の岩の上。
・ マホメットは岩山。
・ 出口王仁三郎、頭山満なども山中に入る。
5.悟って、人間社会に影響を与える活動をする。
私は、この様な事を体験して来て、36歳までの自分とは、全く変わってしまった。
自分でも、36歳までの自分と、37歳からの自分が、同じ人物であるとは思えないほどである。
屋久島の、家族や知人達は、いまだに、私の変わり方を理解出来ないでいる。
昭和59年(1984)6月4日母親の64歳の誕生日(旧暦5月5日)に、私が37歳で、人間社会との繋がりを断ち切り、イエスや釈迦の様な生活を始めて、丸17年が経とうとしている。
この年月の間に、私の意識は、霊界の霊魂と統合され、認識は深くなった。
イエスキリストを体験し、釈迦牟尼仏を体験し、今は老子の道・タオを体験している。
今や、世界中には、神の概念が数限りなく存在する。
神を説明するなら、「神とは 目に見えない 働きのことを言う」となる。
人間の目に、見えるものは全て神ではなく、神が創造している物質の世界である。
したがって、人間の姿の神などいないし、動かない偶像などは、ただの物質なのである。
但し、物を通じて、神の働きが目に見える形に成る事が有り、其の為に、人間には勘違いが起こるのである。
神の働きは、昼も夜もどんな所までも届いている。
だから、神の目からは、誰も逃れる事はできないのである。
それは、人間を含めて、この世界のものは、全て、神の目(意識)の産物であるからである。
この世界から逃れ出る事は、その物の消滅を意味しているのである。
私達が物事を考え、判断しているのは、脳があるからである。
しかし、その脳も、神の創造の産物であるから、神なくしては、人間の思想や意識や判断等も、一切無い事になってしまう。
人間の脳は、138億年の宇宙時間が、生み出してきた物であると言われている。
その脳が、歴史を刻み、記憶を積み重ねてきて、いま再び、新しい記憶が刻まれようとしているのである。
メシアとは「キリスト・救世主」であり、岩山の上で神の声を聴く者のことである。
「弥勒菩薩・マイトレーヤ」は「有情・情報を齎す」菩薩の意味であり、日本の神は「政治(まつりごと)」をする神である。
其れ等らの働きが一つに成ると、「岩山の 岩の上で 神の声を聴いた者が 情報によって人を集めて 新しい政治を行う」と、言う理・ことになる。
其の出来事が、現在、私の周りで起きようとしているのだ。
私は、其の働きの源である神に、身を任せているだけで、私自身には何の力も無い理・ことははっきりしている。
その点は、他の宗教家とは、道を異にしていると言えるだろう。
今年、2001年4月29日に、福岡の護国神社で「みどりの会」が発足した。2012年12月23日までに、新しき政治が行われる事となろう。
人間と、神の働きの合同作業が、今、始まろうとしているのだ。
私も、その一員である事に自信を持ち、また、誇りを感じている。
平成13年5月1日
礒邉自適
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