2000/6/3

沢庵和尚の墓
塩と砂糖
12・6・3
人間の働きに、「知恵を出すか 汗を出すか」との言い方が有る。
労働者は、汗を多く出すので、塩分を補給しなければならない。
其れが、塩気が無いと、仕事が出来ないと言われる由縁である。
だから昔の労働者は、10時と午後3時の休憩時間に、漬物をよく食べていた。
現在は、機械が発達したので、力仕事が少なく成り、あまり汗をかかないので、砂糖入りのジュースや、甘いお菓子類がお八つとして増えている。
一方「知恵を出す」の方は、脳を使うので甘いものが欲しくなる。
其れは、脳のエネルギーには糖質が必要とされるからと言われている。
特に、コンピューターに一日中しがみ付いている人達は、その様である。
夜遅くまで、受験勉強をしている子供達が、夜ケーキを食べるのも、このような理由が有るのかも知れない。
「禅」の世界から始まった茶道でも、お菓子が付き物で、沢庵が出るとは聞いた事がない。沢庵とは、「沢庵禅師」が考えたものだと伝えられているから、沢庵和尚は自分で作務をしていたのだろう。
茶道の、祖師と云われる千利休は、商売人で労働者ではない。
信長や、秀吉に仕えて気苦労が多かったのだろうか。
それとも、後の人々のストレスが増し、甘いものを取り入れたのだろうか。
現代は、砂糖の取り過ぎが問題に成っている。
普通のジュース一本だけで、一日分の糖分は足りるそうだ。
是だけ、子供達がジュースを欲しがるのは、子供達がストレスを受け過ぎている事の、証しなのだろうか。
塩分も、汗をかくほどの労働をしない人が、酒を飲みながら摂るので、これも問題と成っている。
平成12年6月3日
礒邉自適
2000/6/3
言葉に置き換える
12・6・3
「ことば」とは、事を起こす場の意味もあるだろう。
言葉とは「事を起こすもの」とも言えるし「起きたことの説明」とも言える。
日本語には、「モノを言う」との言い方も有る。
どちらかと言えば、「モノを言う」の方が日本語らしいのではないか。
動詞にしても、ある物が動かなければ、その言葉は無いし、名詞にしても物がなければ名付けようがない。
言葉とは、物を、音に置き換えたものと言えるのではないか。
そして、言葉が無ければ、考える事が出来ないので、心とは、言葉に拠って生れているものと言えるだろう。
神のはたらきも、人間が「神」と言う言葉がなければ、考えられないので、仕方なく名付けたものであり、本来は、神と名付けてもいけないものなのだろう。
「神」の漢字は、「示+申」の組み合わせで「示」は祭壇の形で、「申」は雷のイナビカリの形で電気の事である。
其れは、「台を置いて その前で祈り メッセージを受け取る。」の意味だから、神そのものが、其処に在るわけではない。
日本語のカミは、「上方」の文字の方が合っているだろう。
「神・シン」【解字】「示+申」の組み合わせ。音符の「申」は、いなびかりの象形で、天の神の意味。示を付し、一般に、かみの意味を表す。
【字義】@かみ。㋐天の神。宇宙萬物の主催者。←祇。「天神地祇」㋑かみの総称。Aたましい。霊魂。Bこころ。精神。C霊妙ではかり知れない働き。理性でははかり知れない不思議な働き。Dきわめて尊くて、侵すことのできないこと。「神聖」 漢語林
天津神の言い方は、「津」が接続語の「乃・の」用い方だから「天の神」となり、天に何かが存在して、知らせて来る事が意識されている。
言葉に置き換えると、受け取り方が、様々になってくる。
長野の、諏訪神社の「諏訪」の字が「言+取」と「言+方」で、「言の取り方」となっているのが面白い。
諏訪神社の御柱は、神の示が柱と変わり、柱で申を受け取るとの考え方であろう。
世界中の言葉は、その言葉の語源に遡ると、それなりの意味を持っている。
その意味を知るとき、人の昔の記憶が甦ってくる。
平成12年6月3日
礒邉自適
2000/6/3
蘇る
12・6・3
九州の地名に、熊本があるが、九州には「熊蘇・くまそ」と言う人々が住んでいたと云われている。
「クマソ」とは、「クマの本・素」に住んで居ると考えると、アイヌ言葉の「クマ」は山の神の意味だから、クマとは火の山、阿蘇山の本に住んだ人達の言葉となる。
言葉は、過去の記憶を取り戻すのに、一番の手掛りである。
「よみがえる」とは、この事の意味ではないのだろうか。
古代の人々にとって「死」とは黄泉に帰ることだった。
そして、「神」とは霊魂の事であり、自分達の先祖はいつも霊魂として、身の回りに住んで居るものだったのである。
だから黄泉・よみとは、何時も身近に存在し、蘇えって来るものであった。
その、身近な霊に、供養物を捧げることが、宗教の原点である。
権力体制が確立すると、一番強大な勢力の先祖を、拝まされる様に成ってしまったのである。其れが、現在の宗教界である。
本来は、自分達の部族が落ち着いた場所を「部落」と云い、そこに氏神として先祖霊を祀り、その社が「産土神」と呼ばれ、鎮守森として残って来たのである。
いま問題なのは、自分の先祖霊よりも、外国生れの霊を頼みにする事である。その為に、先祖霊が蘇えろうとしても、自分の子孫が、相手をしてくれないので、力が出せないでいる。
本来「ひと」の意味は「先祖の霊が 生まれ変わって来る」のことで、「霊留・ひ とどまる」」でないと、用を得ないのである。
「天津日継のスメラ命」とは、其の事の一つの伝統である。
平成12年6月3日
礒邉自適
2000/6/2
存在
12・6・2
「存在・ソンザイ」とは、「現実にあるもの」「実在するもの」との意味だが、「神の存在」と言うと、殆どの人が、現実感を持てないのではないだろうか。
「捉える」の漢字が「手+足」だから、とらえられる物は「手と足で確かめられる物」と言う事になる。
小さな子供たちに、神様を教えても、何の事だか解らなくて、神社に連れて行けば「社・やしろ」が神であり、お寺に連れて行って仏像を見せれば、「仏像」が仏だと想うだろう。
処が、其れは、大人に成っても同じ状態が続いていて、一生、神社の建物や仏像を拝んでいる。
老子や、釈迦は、「そんな事など止めなさい。その行為を止めないと、神とは会えない。」と訓えているのにも関わらずである。
此の、人間の無知は、一体何処から来ているのだろうか。
長い間の習慣が、遺伝子にまで染み込んでいるのだろうか。
そうではない筈である。
大人が、子供に教えなければ、百年も経たずに消えてしまうはずである。
其れは、簡単な事なのだ。
では、どうして其れが、何百年も続けられているのだろうか。
その理由は、人間の脳は、物に対して、反応する仕組みになっているので、物が無ければ、意識の組み立てが出来ないからである。
其の為に、お寺の仏像や、神社の鏡などが造られて、対象物とされているのである。
神の存在が、直接実感出来ない為に、神の説明に物を使っているのである。
その長い習慣が、物自体を神としてしまったのだ。
真実の存在は「目に見えないもの」である理を、しっかりと認識し、その上で目に見える物の世界は、神の存在の証だと覚え、その事を実行して、子供達に教えて行くべきである。
子供が、産れて来る事実こそ、一番の存在の証しなのだから。
平成12年6月2日
礒邉自適
2000/6/2
見える物と 見えないもの
12・6・2
「神様」と呼ばれているものは、「目に 直接 見えないものの事」で、目に見える物は神ではない。
神社や、お寺に祀られている物は、どんなモノであっても物である。
そして、名前が付いている物は、全て、物としての表現だから、神ではない。
神とは、働きの事であって、目に見えるものではない。
「仏・ブッダ」も、宇宙の働きに目覚めた人間の事であって、神ではないし、過去に生きて居た人物を、神として祀っているが、此れも霊魂であって神ではないのである。
言葉とは、最初に、物に名前を付ける事から始まっている。
次に、名付けた「物」や「者」を、動かしたり、動いたりする事に意味を与えて、それが言葉となった。
言葉が無かった時代は、神と共に、意識がはたらいていたが、言葉が段々と増えた事によって、人の意識は言葉に振り回されて、神のはたらきから外れてしまったのである。
現在の宗教は、殆どは、人間が創り出した言葉を使用する事で、神に近付いて行こうとしているが、誰も成功していない。
其れは当然の事で、言葉を使う時は、自分の思考を動かしているので、自分の自我意識に過ぎないからである。
この理は、中国の老子も、インドの釈迦も云っているし、日本の神社の禊ぎ祓いの儀式も、其の事の為に存在する。
現在の世の中は、教育が進んで、皆が言葉によるコミュニケーションを執っているので、美しい言葉や優しい言葉に会うと、本質は違っていても、受け入れてしまう。
言葉が少なかった時代の様に、顔の表情や目の動きから、本質を読み取ろうとする事をしなくなっている。
本質を見ようとする人が居なくなると、どう成るか、それを現代の世の中が示している。
宗教家は、詐欺師ばかりとなり、商業界は、本当は必要ない物を、平気で売り付けるようになった。
農家も、体に悪いものを生産し、子供達の命を脅かしている。
弁護土は、揉め事が増える事を望み、医者は病人を増やす事を考えている。
多くの人々が、金を中心に考え、物を判断基準に使っている。
神仏でさえ、金儲けの為の対象でしかないのである。
「神のはたらき」、老子の云う「道」を、維も護らなく成った時、神ははたらきを止める。
神のはたらきが止った時、この世の全てのものは、存在の意味を失い消えてしまうのだ。
それが、釈迦牟尼佛の謂った「色即是空」の世界である。
世の中は、T.Tやゲーム機の普及で、益々人間の意識を遠くへ運び去っている。
一人でも、早く目覚めなければ人類には、未来はない。
平成12年6月2日
礒邉自適
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