1995/9/6
赤い目をした黄金龍
7・9・6
今朝は、私が台所が隣接している畳敷きの居間に座って居ると、6歳の息子「嵩靖・しゅうせい」が、二階の寝室から「ああ怖かった」と謂いながら降りて来たので、私が「どうしたのか」と訊くと、「太陽と一緒に 赤い目をした金色の龍が出て来て 僕に息を掛けると 地面の砂が飛んで来るので 怖くて押入れの中に隠れた」と謂うのである。
私は、其の様子を聞きながら、「山が見えなかったか」と訊くと「見えた」との事なので、私は「何処に山が見えたか 絵に描いて」と謂った。
そして、描いた絵には山の位置が下に有るので、とても高い所で龍神と遊んで居た事が判った。
其の絵に書いてある文字。
りゆう 9月6日
しゅうせいのゆめにでてきた きんいろのりゅう。
りゅうはたいようといっしょにでてきた。
そのあと かぜがふいてきて すながとんできた。
其の息子は、「今日は日が悪いから」と謂って、室内の彼方此方の柱に、色紙を切って箸に巻き付けて旗を作って止めたり、遠方から客人が来る朝火事の絵を描いていて、客人が到着した時に其の写真を手渡すと、其の客人がビックリして、「出発する時に 近所で火事が有った」と言う事も有った。
其れに、嵩靖は2歳2ヶ月の7月10日に、籠神社に皆で行かなければ成らないと謂い出し、籠神社に電話を掛けて訊ねて見ると「9月9日」に、豊受大神の分け御霊である「ウカの御魂社」の落成の祭典が開催されるとの事なので、佳子の両親を誘って参加した事も有る。
1992/2/25・・眠り始めた、その私の瞼に、産まれたばかりの子供の顔が浮かび、「しゅうせい」と云うのである。私はハッと目を覚まし、名前かなと直ぐに想った。
と言うのは、私の「自適」の名も、私が産まれて二日目に、名前を考えていた父親が、畑から馬を引いて、馬小屋の前まで帰って来た時に、いきなり、頭の中へ「自適」と飛び込んで来たので、付けた名だそうである。
父親は、馬小屋に馬を入れずに、其のまま自宅の方に走って来て、「この子の名前は 自適だ。自適にする」と云ったと、母親が笑いながら話していたので、「自適」の名は、私が、自分で天界から持って来たものだと思っている。
私は直ぐに、国語辞典を取り出し、人名用漢字表で「しゅうせい」の字を捜した。そして、其の字は「嵩+靖」の組み合わせであると分かった。
其の意味は「高い所に立ち 国をやすらかにする」とある。
私は迷い無く、其の「嵩靖」と決めた。
丁度この5月3日は、「憲法記念日」であり、私の在家得度の戒名も「護法」であるので、神の意志を感じたのである。
昨年7月10日には、二歳二ヶ月の嵩靖が、ようやくハッキリして来た言葉で「みんなで 神社に行く」と何度も云い出したので、「どこの神社?」と息子に聞くと、「このじんじゃ」と云うのである。
私達が、籠神社を口に出しているのではないので、是は神のメッセ一ジかなと想ったが、籠神社は、京都府の日本海に面した丹後半島の付け根の場所なので、そう簡単には行く事ができない。
息子は、次の日に、今度はタオルをクルクル巻いて、「こんなのがある」と云うのである。其れは、正しく「天の橋立」ではないか。
籠神社・このじんじゃ」は、天の橋立の片側の付け根に有り、伊勢神宮を創建した皇女「倭姫命」の母親の在家である。
佳子の霊魂は、其の倭姫命だと神に聞いていたし、伊勢神宮の土地を、倭姫命に提供したのは、地元の「磯部族(イザワ彦)」であるので、私達一家にしては重大事件である。
早速、丹後に住んで居る友人の「小山君」に電話を掛け、「これこれ こう言う事であるが 大事な日が有りますか?」と聞くと、9月9日に豊受大神の分魂・わけみたまで「ウカの御魂(食べ物の神様)」の社の、新築披露大祭が有るとの事である。
私は、多分その日であろうと考え、其の日に行く事を決めると、息子の嵩靖はそれをかぎりに何も云わなくなった。
9月8日に、宿泊していた亀岡の愛善苑の出口三平さんの所を出て、丹後の温泉宿「木津館」で、高知から来た佳子の両親と合流し、翌日、籠神社で「出口三平さん」と、蕎麦打ちの「進さん」、其れに京都の「由井さん」と待ち合わせ、無事にお参りを済ます事が出来た。
この旅で、今度の世界維新は、食物を中心とした生活・くらしを考え、環境の保全をして行く事が柱であると、強く感じたのである。・・・
「お父さん会えてよかったね」http://moon.ap.teacup.com/20061108/287.html
平成7年(1995)9月6日
礒邉自適
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