1993/9/30

瓜類

根物
食物と人
5・9・30
私達、地球の生物には、生きる為に、空気と水の他に、太陽エネルギーにより生産された、食物が必要です。
空気は、澄んで酸素が有り、不純物が少ない方が良いですし、水は生物に必要なミネラルが含まれている方が良く、化学物質が含まれている物は、良くありません。
食生活には、「身土不土」「一物全体」と言う言葉が有る様に、生活する其処の場所の季候と、季節に合った食生活が、一番適しているのです。
極寒の地に暮らす、エスキモーの人達は、肉食しか出来ません。野菜などは育ちませんので、肉食に適した身体となっています。平均寿命は、50歳代だそうですが、彼等にとっては其れが自然です。
インドの人達は、果物とカレーを多く食べます。肉食はしない方が良いという考えです。暑い気温の国ですので、体を冷やす陰性の食事です。
生活する場所が、熱い気候なので、果物が澤山実りますから、其れ等を食べて休温を下げ、生命を養っているのです。
私達の住んで居る日本国は、丁度その中間に位置しています。
ですから、夏はスイカ・キュウリなどの野菜と、冷しソーメンやトコロテン、それにビールなど、体温を下げる飲食物ですので、インドに近い食物です。
冬に成ると、スキヤキや鍋物など、肉や魚を使用した料理で、日本酒が多くなり体を温めます。
処が、現在では、冷房や暖房が普及し、冬間にアイスクリームを食べ、夏に焼肉を食べたりするので、体のバランスを失い、病気の元を造っています。
現在の、スーパー等の店頭に並んでいる食品を見ますと、色や形など、昔と異なって美しく見えますが、中味は段々と悪くなり、食べるより、食べない方が良い物が澤山有ります。
残念な事に、日本の子供のアトピー等の異常が、世界一に成ったそうです。
所得倍増を目的とした、高度成長政策に因って、人間の、身体と心が置きざりにされ、日本の良い伝統が失われて来ています。
本当に、住み良い社会とは、医者と弁護士が、居なくても良い社会ですが、実際は、医者と弁護士が増加しています。
逆に、食物を生産する農家の新たな後継者は、年間2000人を割ってしまい、今後、増々減る傾向にあります。
農家の人手が減ると、機械を使い、化学肥料と農薬に頼った、手抜き栽培となります。使用される肥料と農薬は、其のまま人体を汚染し、河川や海の環境を悪化させ、魚や海草も汚染されて、其れ等も、何れ人体へ返って来ます。
人間の、手に因って変られた環境は、総て、人間の業として返って来るのです。多くの人が、身内に、何等かの病気の人を抱え込む事になって来ています。
私達の幸福とは、家族や友人が、皆健康で、笑顔の絶えない毎日を、送る事ですが、それが出来なく成りつつあるのです。
日本の国民全体の医療費が、23兆円を超えたそうですが、このまま進めば、国民健康保険も国民年金もパンクする事は明らかでしょう。
私達は、自分の生きて行く道を、自分達で確保しなければなりません。
其の為には、あらゆる部所の役目の人達が、元気で活躍して下さる事です。
「元気」と言う事は、人間の肉体と、精神の調和の良い状態を、表わす言葉です。
肉体を表わす、もう一つの言葉に「からだ」が有ります。
今は「体」と書きますが、以前は「體」と書きました。
漢字の「體」の組み合わせは「骨+豊」であり、骨が豊かと言う事は、体が丈夫で立派だと言う事です。
丈夫で、立派な体の持ち主こそが、健康な精神状態を保つ事が出来て、元気だという事です。
骨は、カルシウムを元としています。
カルシウムは、細胞の中に1とすれば、血液の中にはその一万倍、更に骨の中には、その一万倍の割合で、含まれているそうですが、其のバランスが崩れると、あらゆる病気に成るそうです。
カルシウムが、体にバランス良く有る為の生活とは、カルシウムが含まれている食物を摂る事と、太陽に良く当る事、それに適度の運動をする事、此の三つの要素が大事です。其の、どれか一つが欠けても良くありません。
現代人は、太陽に当る事も少なくなり、小学校入学前から、机に向って勉強をして居ます。だから、青年になる迄の、成長期間の運動が足りません。
食物のカルシウムも、少なくなっています。骨が豊かな人達が、少なく成りつつあるのです。背が高くても、ヒョロヒョロしているのは、陰性の食生活で、骨がスカスカに成っている事でもあります。
上記の三つの条件を、増々悪くしているのが、白砂糖の取り過ぎです。
白砂糖の摂り過ぎは、歯を悪くして、穀物や繊維の有る食物を、食べ難くするので、悪循環と成ります。
一日に、缶ジュース一本分でも、砂糖の摂り過ぎになるのです。
骨が丈夫でないと、背筋も曲ってきます。
背骨が曲ると、神経に異常が表れ、内臓器官の活動に影響を与える事になり、其れも又、病気の原因になります。
カルシウムが、腸より吸収されるには、ビタミンDの働きが大事であり、ビタミンDは太陽に当る事で、生産されるそうです。現在の野菜は、ハウス栽培の物が多く、太陽光線を、充分に取り込んではいません。
私達は、幾重にも、生活環境から太陽エネルギーを遠ざけているのです。
私達が、生活する為のエネルギーは、皆太陽エネルギーに依存しています。
人間は、石油や石炭から生産出来る物質を含め、太陽エネルギーに拠って生産された、草木、動物、魚、海草などを利用する事で、生活しています。
太陽こそが、私達の命の糧であります。
其の、太陽の光に拠って生れた食物こそ、私達にとって、神その物ではないでしょうか。私達が、食物を守る事こそ、神を守る事であり、其れが、其のまま神の働きを助ける事に成るのです。
私達は、太陽エネルギーが、この地球で、何等の無駄なく物質化され、環境の復活となる様に、努力をしなければ成りません。其の為に、具体的な活動を始める時ではないでしょうか。
其の為にも、三つの条件「良き食べ物を食べ、太陽に当たり、適度な運動をする」と言う、原則に適った生活習慣を、整えるべきだと考えます。
この事が、神の光に近付く事(生物の原初に帰る)であり、神の「御稜威・みいつ」の働きを、助ける事であると考えます。
平成5年9月30日
礒邉自適
1993/9/7
法隆寺の奇跡
5・9・7
私は、1989年9月30日に「山田竜宝氏」「佐藤昭二氏」の両名と、三名で奈良の法隆寺に立ち寄った。
良く晴れて、風も無く穏やかな日で、気楽な旅の一日である。
法隆寺の庭に立って、何気なく本堂を眺めていると、本堂の屋根の上空に、四方八方より丸い雲が集まって来ている。
私は、不思議な事だと想いながら、其のまま立って見ていると、次から次に集まって来た雲は、皆、屋根の上空で消えてしまった。そして、空は、元の雲の無い青空と成った。
すると、今度は、急に屋根の上空に、白い筋条の雲が、縦に並んで出た。
左横に居た佐藤氏に、「佐藤さん あの雲は 何本有るかな・・」と、何気なく聞いた。
佐藤さんは、空を見上げ「17本有る」と云う。
私は、17と言う数字に付いて考えてみたが、意味を見出さないので、「本当に17本かな」と再び佐藤さんに尋ねると、佐藤さんはもう一回数えて「やっぱり17本だ」と云う。私はまた、考え込んで居た。
菊の紋は16だし、17は中途半端な数である。
其処へ、山田竜宝さんが帰って来たので、「竜宝さんあの雲は 17本だけど 17と言う数字に 心当りがないですか」と聞いてみた。
すると、竜宝氏は直ぐに「17だったら 聖徳太子の17条の憲法だよ」と応えた。私と、佐藤氏は、「アア そうか まさしく17条の雲」と納得したのである。
雲は、屋根の右の方向に流れて行き、松の梢も過ぎていたので、慌てて写真を撮った。アップして有る写真は、其の時のものである。
私は、此の月の26日に、北九州市の小倉より、阿蘇の蘇陽町に引越ししたばかりで、荷物も整理しないままの旅立ちであった。
佐藤昭二氏は、蘇陽町の「日の宮幣立神宮」の神域に有る「地球平和道場」に住んで、三年くらい経っており、山田竜宝氏は、蘇陽町で開催された「みどりの祭り(7月31日〜8月9日)」の準備段階から、道場に住んで居られた方である。
「日の宮幣立神宮」の森には、聖徳太子をお祀りしている「聖徳堂」が有る。其のお堂は、近くに有る「地球家族村」の西村見暁氏(平成元年77歳)が、発願者と成られて建てたものである。
私の体を借りている、精霊達(4311と昭和天皇他3名)の中心的役割を狙っているのが、聖徳太子である事は気付いていたし、奈良の「大倭あじさい邑」の矢追日聖氏の所にも、聖徳太子は出入りしているとの事である。
私も、あじさい邑に一年間やっかいになって居る時、一度、聖徳太子らしき人物が、部屋の窓枠に腰掛けて、私を見て居る姿を霊視した事がある。
法隆寺で、何故、この様な現象が起きたのか、その意味は何であるのか、私なりに考えて見た。
現在、日本には様々な宗教が有り、その宗教の開祖の殆どが、私の体を借りに来た、精霊達の中に居る様だが、その精霊達の中心に、何故、聖徳太子が選ばれているのだろうか。
聖徳太子は、天皇家の血筋の方であり、天皇になろうとすれば、成れたであろう立場であったが、天皇になる事より実務の方を選び、政治や経済の基礎作りを為されたのである。
天皇制度は、日本の古神道と、中国から取り入れた儀式の合わさったものであり、また太子は、仏教にも大変理解を示された、幅広い考え方の人である。
21世紀の、新しい社会を創造するには、17条憲法を創った太子の様な方こそ、神霊界がいま、人類の未来社会の指導を行おうとする時、中心に立つ魂として、一番適しているのだろうと想う。
現在、人類は、21世紀を目の前にして、新しいライフスタイルを創造し、また精神的に充実できる、社会構造の確立を、果さなければならない。
物質文明は、進むだけは進んだが、その分、精神的な中軸を失った様である。黄金の代りに、紙幣が使われだし、大量に印刷された紙幣に因って、人民の気持は動かされ、其れに伴って、質量の回転がものすごいスピードと成った。
その結果の、現代社会の様相である。
お金が使用される以前の時代は、神の存在が、人間社会の動きの中心的なものであり、人々は皆、見えない世界に対して、心の門を開けていたのである。
時代によっては、其の見えない世界を、利用する権力者が現れて、人類を虐げた事も有ったが、現代社会は、法律も出来、教育も進んで来たので、皆が、神に対して心を開いても、独裁者を造り出す事はないであろう。
人間は、ようやく猿から人へと、進化出来る時を迎えたのである。
命令を出したがったり、命令を受けたがったりする、段階を卒業して、一人一人が自覚を持ち、聖徳太子の17条の精神を学び、聖徳太子の想いが、現実社会に完成される様、私達こちら側の人間も、努力しなければならない時を、迎えたのである。
私達は、自分達の魂の源へ帰り、新たな出発への、準備をしなければ、21世紀を明るい未来として、迎える事が出来ないのである。
私は10年間、この世界に、重なり合っている二つの世界の狭間に在って、様々な言葉を吐きながら、時空・事象の壁を開いて来た。
もうすぐ、彼岸への渡し舟が姿を現わす。
私達は、光の世界へ、手を取り合って、一歩、階段を上るだけで良いのだ。
其処に、此の世界が始まった目的が、私達を待っているのだから。
平成5年9月7日
礒邉自適
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