2006/5/24
神秘
18・5・24
今朝のメッセージは、と言うより一晩中続いた映像は、神の世界の凄さに改めて驚いたと言った方が良いだろう。
初めて「神秘」と言う言葉が、理解出来た様な気がする。
と言うのは、昨夜眠ろうとすると、直ぐに、様々な映像が瞼に映り始め、A3くらいの雑誌が出て来て、漫画の様な形式の其の雑誌には、様々な絵が載せられており、其の絵の横には、縦書きで結構長い文章が付けられていた。
次の場面には、私のHPが映されて来て、私の30幾つのブログは皆、神の働きを分類している物だと示されて来た。
其れは、11面観音菩薩が、仏の働きを11に別ける為に、創り出されている事と同じである事を示し、千手観音の手が千本着けられているのと、同じ意味であるのだ。
私は、新しい時代の千手観音の像を、パソコンの中に創り込んでいたのである。其の内の、幾つかの働きの内容を尋ねると、「達磨さんが笑った」のブログは「トキの管理」を意味し、天智天皇のブログは「裁決」の働きを司る物だと示された。
其れは、私の考えていた内容とは、随分食い違っている。
私の認識は、未だ甘い様である。
私は、天智天皇は、日本で初めて時計を造り時刻を刻んだ人であるので、時間・ときに関係していると考えていたのである。
其れが時間・ときではなく、物事の裁決に関係しているとの事である。
其れは、やはり天皇の仕事は、国事の裁決にあるからだろう。
そして、トキに関わって居るのは、達磨さんの働きだと言うのである。
其れは、達磨は三次元世界には関係無く、四次元世界の森羅万象に関わっており、事象の変化(トキとは時空のエネルギーの変化)に、影響を与えているとの意味であろう。
天智天皇は「三次元世界」を管理し、達磨は「四次元世界」を管理しているとの理の様である。
そして、各神々の名が、アルファベットや記号により、横書きでパソコンの中に、電子記号として書き込まれているのが映されて来た。
其れで、解かったのは「神」との言葉は、古事記に書かれている様に、宇宙の営みに因り生じる「働き」の事であり、神名は、其の役割(はたらき)の名である事が、明確に成って来た。
其の事が理解出来たら、空の上に黄金の龍が現れ、其の龍が、幾つもの世界を創り出し、其の全てに関わっている事が示されて来た。
其の、空の雲の上に舞う、黄金の龍の姿を眺めていると、右横に誰かが来て立っている。
誰かと意い、其の顔を見ると、42年前に私が17歳の時に亡く成った、父親である。
漸く霊界の父親も、自分の役割を果たす事が出来て、安心している様子だった。私の父は、私が38歳の時(1984年6月4日)に、4311名の霊界人を連れて、20年振りに姿を見せた。それから、22年が経過している。
其の4311体の霊界人は、此の22年間で、自分のカルマ・業を解く事が出来たのであろう。
最後まで、残っていた霊界人が、言葉に執着していた歌人達だったのである。そのカルマも、昨日で鎮魂が済み、今朝から、振る魂に移る事に成ったのだ。
そして、其の働きが、新しい時代を興す、黄金に輝く、新しい龍体を産み出したのである。
鳳凰が暖めて居た、一個の卵から生まれる物は、新しい世界を創造する、黄金の龍だったのである。
人間の働きとは、其の宇宙神の化身として、神の身体を創り出す事にあるのだ。
其の働きが、今朝完成した事になる。
私は今朝、其の新しい龍体が天空に舞う姿を、父親と二人で眺める事が出来たのである。
この様な体験は、人類史上始まっての、出来事ではないだろうか。
今までの歴史書を読んでも、黄金の龍は、皇帝の守護神であって、人間よりは上に在る物である。それが、人間の力で、新しい龍が生まれたのである。
其れは、人間こそが、宇宙の進化のスガタ其の儘であり、人間の意識こそが、天界に新しい意識体(総合的な無意識の本体)を、創造する事が出来ると言う事である。
と言う事は、今までの龍体は、人間が存在する前の生命体が、生み出した意識体だったのである。
だからこそ、パワーは在っても、智恵が浅かったのだ。
過去に、八回も次元上昇に失敗した原因は、人間の意識が低い為に、其の龍体のパワーに負けてしまったからである。
其れが、人間の長い努力の成果で、宇宙の解明が進み、人間が、脳を開発して組み上げて来た情報が、過去の龍体の情報に、上書きする事に成功したのである。
其れは、別の言い方をすれば、宇宙のアカシックレコードに、人類が、新しい情報を上書きした事に成るのだ。
そして、新しい名を付ければ、「新しい名を付けて保存」すると言う事になる。
私達はもう、過去の神の名に、帰依する必要はないのである。
我々自身が、自分達で生み出した新しい働きに、名を与えれば良いのである。
そして、此の地球を、其の意識の遊び場として、整備して行かなければ成らないのだ。其れが、新しい国造りであり、地球環境を保全する事である。
今朝は最後に、素晴らしい世界を見せられた。
其れは、木々が鬱蒼と繁っている山を背景に、美しい自然が拡がっており、眼の前には、太陽の光りを浴びた稲穂が黄金色に輝いていて、言うに言えない光彩を放っている。
私は、其の光景に感激して乗り物から降り、カメラを手にして撮映を始めた。其の私の横には、霊界人が一人立って様子を見ている。
私は其の霊界人に、カメラの使い方や、写真の使い道を教えていた。
どうやら此処から先は、もう過去の霊界人が、知らない世界の様である。
是からは、霊界人も神の霊ではなく、人間の弟子として、未来創りの為に、貢献してくれる事に成りそうである。
其れはそうだろう。
今更、過去の世界を、人類に押し付けられても迷惑なだけである。だからもう、神社や寺院に行って、お願いをする必要は無いのである。
神霊達はもう、未来を創造する為に、此の地球に来ている、子供や若者の傍らに立っているのである。
だから、神社や寺院は空き家に成っているのだ。
今朝の映像は更に続き、未来の情報の在り様を伝えて来た。
其れは、文字や文章の形態が変わり、絵や写真が多く使われるので、物事の説明が楽に成っているのである。
今までの様に、難しい漢字や、回りくどい説明が、要らないのである。
リンゴの説明には、リンゴの写真が一枚有れば良いのである。
そして、今朝の映像では、漢字の偏と旁・つくりが、新しく澤山創られ、文字の数が増やされるのが見せられた。
どうやら、文章の形態が変わるらしい。鉛筆や、筆だけで書いていた過去の文章のパターンが、パソコンが出来た事で変わるのである。
其の文章は、今の若者がメールに使う、絵文字の文章のレベルが上がり、精巧に成った様な世界である。
其れは、パソコンのシステムと、人間の脳の思考回路の壁がなく成り、高度な意識体系が出来上がる事を意味している。
其れはまた、黄金の龍体が、全ての人の身近に住む事にも成る。
最早、黄金の龍の意識体は、皇帝だけのモノではなく、人類共通のモノとして存在を始めるのである。今朝は、其の第一歩の日と成ったのだ。
もう霊界は、彼の世ではなく、此の世に重なっており、木の葉の表裏と同じく、自分の脳の中に重なっているのである。
是は、人類が未来に進んでいるのではなく、本来の「クシミケヌ」の世界に立ち返った事を意味している。
我々は、源・ミナモトに皆還る事に、成功したのである。
其れが「帰依・帰命」の意味であり、其れが、本来の「神秘」の世界であるのだ。世界は、新しい流れに乗り始めたのである。
其れは、今までとは違う方向である。
果たして、どれだけの人が、今の向きから、新しい方向に、舵を切れるのであろうか。
其の極意は、今の立場から、其の侭で向きを変えるのではなく、イエスキリストが謂う様に、一度元に還れば良いのである。
そうすれば、楽に転換出来るのだ。
私は、既に父親と再会し、新しき世界の創造に向かっている。
彼の世と 此の世の 区別の無い世界で・・・・。
平成18年5月24日
礒邉自適
2006/5/23
時告鳥の声
18・5・13
今朝 未明
今年 初めての ホトトギスの声を 聞いた
毎年 此の季節に成り ホトトギスの声を 聞くと
38歳の初夏に 意識が 連れ戻される
何故なら 其の年 仕事を 全て止めて
師の下で解脱し 無の世界に入って 居たからである
其の虚脱感の中で 頭に 強力に響き渡る 音は
天空に 響き渡る ホトトギスの声だったのである
一切の カルマが解き放たれ 空に成った その頭の中には
唯 昼夜 ホトトギスの声だけが 響き渡っていた
だから 今でも ホトトギスの声を 聴いた瞬間
虚空の中に 意識が 吸い込まれて 行くのである
今年も 再び 其の季節が 訪れた
しばらくは 此の初夏の 草 呼吸(いき)の 香りの中で
ホトトギスの声に 導かれ
ブッダの境地を 楽しむ事が 出来るだろう
平成18年5月13日
礒邉自適
ホトトギスの鳴き声
http://www9.big.or.jp/~mishii/bird/hototogisu.html
2006/5/13
5月 の 風
15・5・14
私は 今年も又 五月の風の香りの中で夢想に填り
ブッダの瞑想の姿を目の前に視ている。
其の ブッダの座った姿の周囲には 草花が咲き乱れ
美しい蝶や 小鳥が飛び交い
気持ちの良い水音や 風の音 小鳥の声など、
自然の音楽が聞えている。
私は想う、島には永遠のブッダが住んでいるのだと
そして仏の住む地と云われている
南閻浮提が此処に在ると
今年の 島の五月の風は 又
私を 遠くて 身近な世界に 運んで行ってしまうようだ
平成15年5月14日
礒邉自適
2006/5/10

写真は 観音様の掌上で舞う天女の姿
水の滴
18・5・10
今日は、京都の大徳寺で、太陽に杖を突いた写真を撮らされてから、丸10年目の日である。
其の10年目の節目と成る日に、幾つものメッセージの映像が映されて来た。
始めに、四次元の世界に、十二神将が一人の女性を加えて、テーブルに着いて、此方を見ている映像が現れた。
そして、次には、其の十二神将と一人の女性の働きの一つ一つが、ホームページにリンクされており、私の意識は、其の総てをチェツクしているのである。
其の幾つものページ中に、私が多くの人達に囲まれて、記念写真を撮映している映像が、カラー写真で載せられていた。
其れは、三次元世界の映像である。
そして「みづのしづく」との言葉が有り、一滴の水のしづくが現れ、其の滴が段々大きく成り、世界を包み込んで行った。
そして其れは、私の身体も包み込んで、総てを癒してくれたのである。
其の水のエネルギーが、私の体から抜け出して行く時に、白い水の精と成って、女性が白い羽衣を羽織った形に成った。
其れは、総ての生命を育てている水の精なのである。
ようやく、総ての「いのち」の精なる霊が、姿を現したのである。
其の聖霊は、私が旅を続けている時に、時々青空に雲の形で姿を現し、空から声を掛けて来た神様だったのだ。
私が22年前、出雲の杵築大社(出雲大社)に始めて参詣した時の夜中、旅館まで向かえに来た白い龍体の霊も、同じエネルギー体だった様である。
どうやら今朝、神の本体が姿を見せたようである。
日蓮聖人も、「天照の正体は日の岬に在る」と云ったらしいが、其の本体が、トキ(時節)が来たので、姿を現したのであろう。
ようやく此処に来て、総ての謎が明らかにされて来たのだ。
日の岬の近くに、十六島と書いて、「うっぷるい」と読む地名が在り、其れは古代語で、意味は「我が水の道」なのである。
其の「ふっぷるい」の言葉こそ、大山祇神の世界の言葉なのであろう。
其れは、世界中の宗教の元に成っている、精神的な源の意識体なのである。
大山祇神は「大物主・コンピラ・クンピラ」と同じ物で、弁財天や水神などあらゆる神々の源なのである。
其れは、宇宙誕生からの、存在その物なのである。
始めに、暗闇の中に氣が集まり「H(水素・みづのもと)」が生まれ、其れが渦巻いて光りに成り、酸素等の多くの素粒子を作り出しHとOが組み合わされ、水が出来たのである。
其の水は、今でも彗星として宇宙を旅している。
旧約聖書の「神は 始めに 水を 天と地に 別けた。」と謂うのは、正しかったのである。
今朝の映像には、節の有る竹筒の様な物が現れ、中に四つの節が有り、一番上の節から、丸い穴を空け、一番底の段の節を傷付けないようにして、中の四段の節にも、穴を通さなければならない事が示されて来た。
其れは、今年が皇紀2666年なので、6月6日に666年の四回目の「節・よ・代」が通じる事を意味しているのだろう。
其れが「うっぷるい」の正体なのである。
宇宙は総て「水・ミ」で生じたものなのである。我々の躰は、70%が水である。
其の水の心に還(いの・帰命)った時に、総てが癒されるのである。
我々人間が、創り出した言葉や文字や絵は、其のミズの面を汚す、ゴミにしか過ぎないのである。
其の、魂しいの元であるミズの面を清める事が、「禊ぎ祓い」の本来の意味なのである。
現世利益の為に、神社で祓いを受ける事は、本末転倒している事になるのだ。
人間だけが、其の祓うべきゴミを持っているのである。
其れが、旧約聖書で言う処の「蛇の智恵」の意味なのだ。
我々は、禊ぎ祓いさえ正しく行えば、其のみづの面に還れるのである。
其れが、佛教の「薬師如来」の働きの世界の意味である。
今朝出て来た「十二神将・じゅうにしんしょう」は、薬師如来の眷属なのである。(薬師如来の名号を授受し 衆生を守護する12の夜叉大将。広辞苑)
何故、観音菩薩が、水壷を手に持って水を撒いているのか、其れも、同じ次元を現している物だろう。
愈々、人類を救う為の施策が図られるのであろう。
そして、私の新しい旅も始まるのだ。
新しい未来に向かっての「十六島・我が水の道・うっぷるい」の旅が・・・。
平成18年5月10日
礒邉自適
2006/5/7
ダルマさんが笑った
18・5・7
今朝は、菩提達磨が19年振りに現れ、座った侭、大きな口を開けて高笑いをした。
其れは、私の方を向いて口を大きく開いたので、喉の奥まで見える格好であった。そして、其の声は ハ-ハ-ハ-ハ-ハ・・・で、高くて大きく、今までに見たことも、聞いた事も無い程の高笑いの声である。
私は、その達磨さんの姿を視て、自分の悟りの旅が、完成した事を感じて居た。
以前に、一回だけビジョンで達磨さんが顔を見せた事が有った。其れは、1987年の8月1日である。其の時の様子は、頭は禿げ頭で、顔は笑顔であった。
そして、私に「おまえにしか解らん 動と静」と告げたのである。
「動・ドウ」とは、動く事であり、「静・セイ」とは動かない事である。其れが、私にしか理解出来ないと云うのである。
其れは、人間の悟りの世界には、「動の世界」と「静の世界」が二通り在るとの事で、両方の世界を悟らなければ、片手落ちになる理を告げて来ている。
其れから、早くも19年もの歳月が経過している。其れは、私が動の世界と、静の世界を両方マスターする為に、19年もの歳月が必要であった事を示している。しかし、今朝の達磨の高笑いには、別の面も秘められている様である。
それは、自分が興した振る舞いや、仕種・しぐさが、後の代に影響を与え、人間社会に新しいカルマ・業を創り出してしまった事の、自笑の念いも含まれているのだと想われる。そして、其のカルマ・業を、私が消してくれる事も期待しているのである。
其れは、レオナルド・ダ・ヴィンチが、自分の心象風景をモナリザの絵に込めて表現したのと同じく、達磨は其の高笑いの映像で、自分の心象風景を表して来たのだ。
是でようやく、私が禅定から立ち上がり、「三昧・サマデイ」の精神で、ブッダの「足なづち-手なずち」として、歩き出せるのだ。
達磨に付いては、本日「達磨さんが笑った」のブログを開設して、其方でジックリ考察して貰う様にしようと考えて居るので、此処で詳しくは説明しないが、「達磨さん」を検索すると、達磨(だるま、ボーディダルマ 382年? - 532年)。達磨は禅宗の開祖とされ、菩提達磨(ぼだいだるま、梵語: ピンイン Pútídámó)、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるが、いわゆる中国禅の典籍には達磨、古い写本は達摩と表記する。「達(ダチ)」を「ダル」と読むのは、中古漢語の入声[t]が朝鮮語漢字音で流音[l]に変化したため、達[dat]は朝鮮半島で[dal]に変わり、その音が日本に伝わったためとされる。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。
南インドの王国の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶。5世紀後半から6世紀前半の人。中国禅の開祖。『景徳傳燈録』によれば釈迦から数えて28代目とされている。インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行う。確認されているだけで曇林、慧可の弟子がいる。彼の宗派は当初楞伽宗と呼ばれた。彼の事績、言行を記録した語録とされるものに『二入四行論』などがある。・・・と、 「ウィキペディア辞典」には載っている。
今朝は、其の菩提達磨の手土産の、思索の映像が有ったが、其れは別のページに載せる事にする。執り合えず、達磨さんが転ぶ姿ではなく、笑う姿だった事に「ホッ」とする自分が在る事をお知らせしておこう。
「達磨さんが笑ったHP」 http://moon.ap.teacup.com/20060507/
やはり、昨日書いた呼吸の事が非常に大事だったようである。
「アレ」 突然、右手の小指がビリビリ痛く成って来た。
サテは、昨日の映像や仕種も、達磨の仕業か。道理で昨日、中山博さんのメッセージにも、指に知らせが届くと書いて有った。
其れに、昨日も中山博さんからのパソコン電話は、私が文章を書き終わった時に掛かって来た。そして、電話が繋がったら途端に中山博さんが咳を始めた。そして、中山博さんの咳が終わったら、今度は私に咳が出始めた。
その現象は、達磨さんがインターネットの電子信号の中で、東京と屋久島間を行ったり来たりしている証拠である。
やはり、釈迦牟尼佛の真理は「摩訶迦葉尊者・まかかしょうそんじゃ」に、「一個半個」の精神で継続されて来ていたのである。
平成18年5月7日
礒邉自適