2003/4/23
7月2日
15・4・23
今日は、自宅に遊びに来た人達と、私の旅に付いて話して居て、7月2日は大事な意味を持っている事に気付いた。
4月13日に「後80日」と出て来て、80日後を暦で調べて見ると7月2日である事が判り、今日、日記を見ながら話して居ると、私の全国一周の旅が終った日が7月2日で、今年の7月2日が来ると、丁度18年が経過する事に成るのも判った。
私は、1985年7月2日に、京都府竹野郡網野町字木津194−1の「木津館」に宿泊した。
木津町は、丹後半島の南の付け根に位置し、木津館は料亭温泉旅館で、其れ程大きくはないが、小奇麗で感じが良くて料理も美味しかった。
私は、北海道を一周して、青森から高速で本州を下り、無庵師匠と東京の帝国ホテルで待ち合わせて暫く話し、其れから、赤坂の「辻留」で一緒に昼食をした後、師と別れて浅草の浅草寺に参拝してから、参道の近くに有るホテルに泊ると、「佐渡へ行け」とのメッセージが出たので、6月19日に佐渡へ向かった。
そして、佐渡に着いて、当て無く車を走らせて居ると、「日蓮上人」に縁りの「根本寺」に着いた。
其の根本寺で、また「多田」とメッセージが来たので、其のお告げに従って、多田山を越えて裏側に廻り、佐渡を一周してから本州に返り、日本海側を下って能登半島を回って、更に南下し、丹後半島を一周した処で、国道9号線が近くなったので、だいたい日本一周を済ませた事に成った。
夕刻に網野町に着いて、宿を探さなければと思って居た処で、偶然に見付かったのが木津館であった。
宿の方に宿泊をお願いし、温泉風呂に浴って食事を済ますと、「外に出ろ」との声がするので、庭に出ると、丁度旅館の裏山に満月が出ていた。
其の、月を眺めて居ると、和歌が二首出て来たので部屋に帰り、レポート用紙を取り出して、墨筆で山と雲を画き、黄色の色鉛筆で雲の上に月を画いて、横に二つの歌を書いてから、机の上に置いた。
すると、料理のお膳を片付けに来た若い女性が、その紙を見て「お客さん 此れを 頂いても良いですか」と訊くので、私が「ああ いいですよ」と応えると、其の紙を食器と共に持って行った。
すると、少し経ってから、再び、其の女性が部屋に遣って来て、「お父さんが 明日の予定が無ければ お寺に案内したいと 云っているのですが」と云うのである。
私は、大体の目的であった日本一周が終って、明日からの予定は何も無いので、快く「お願いします」と、間を置く事無く応えた。
其の娘さんは、宿の息子さんのお嫁さんで、料理は息子さんが板前をしているとの事である。
私が、寺に案内を願ったので、早速、父親の「井上昌一氏」が、寺の住職に電話を掛けて了解を得て下さり、明日の予定が出来たので、其の事を楽しみに想いながら、其の夜はぐっすり眠った。
後に判ったのは、木津館では、日本の未来をどうにかしなければとの人達が、時々集まっていて、私の歌を見た井上さんが、仲間の坊さんに紹介しようと意っての事だったらしい。
次の朝、食事が済むと、早速、井上さんが私の車を先導して、寺に案内し、住職に挨拶が済むと帰って行った。
私は、部屋に案内されたので、其の部屋で瞑目すると、紫色のエネルギーに包まれたので、其の部屋の空間の気が高い事が分かった。
私が、お茶を持って来た住職に「良い寺なのに 何故 弟子も居ないし 村の人も来ないのか。こんな物を 置いているからだ。外に出して 燃やしてしまえ。」と、部屋の本尊仏を指差して謂うと、其の住職は「お前は 何処でも そんな事を言うのか 出て行け。」と、怒って応えた。
私は、其れに応じて「此処は 私の家だ。貴方が 出て行きなさい。」と、自分が仏・ブッダであり、仏が「自分の家だ」と云って居るかの様な言い方が、無意識に口から出た。
そうすると、住職は黙って、私が何で来たのかの理由を聴き始めた。
私が一通りの事を話すと、住職は「貴方は 直ぐ 新しい宗教を 興しなさい。皆が 貴方の出現を待っている。」と謂うのである。
其れに対して、私の口から出た言葉は「皆 また罠に掛かる。私は 釈迦や イエスに頼まれて 宗教を回収に来たのだ。」であった。
すると、其の住職は驚いて「貴方は直ぐ 上の人達に 会いなさい。」と云って、今度は、私を奥の自分の書斎に案内し、棚を探って取り出した葉書や封書から、大月の「森山大行禅師」や伊豆の「村上光照禅師」等五名の住所と名前を書き写して下さった。
そして、其の中で、一番近い亀岡市の西光寺の「田中真海禅師」に電話を掛けて下さり、私の事を告げて「今から 訪ねるから 宜しく」と頼んでくれた。
そして、私が、住所を書いた紙を貰って出発しようとすると、住職は「貴方は 大事な体だから 呉々も 身を大事に 護って行きなさい。」と、入口の戸を閉めても、戸の内側から何度も言って、私の旅を案じて下さっていた。
その寺は「龍献寺」で、住所は京都府竹野郡網野町字木津 住職の名は「安井桂造禅師」である。
訪ねる先の寺は「西光寺」亀岡市西別院町笑路西畑 住職は「田中真海禅師」であった。
私は、全国を回る旅が終って、此の日から、新しい人間関係が始まる事に成ったのである。
西光寺の、田中真海禅師との遣り取りにも、大変興味深い事が起きたが、長く成るので此処では述べないが、私の旅が、私一人ではなく、背後に大きいモノの働きと、レベルの高い聖霊が守護している事は、ハッキリとしている。
早いもので、それから丸18年が経過した事に成る。
18年前を思い起こすと、不思議な気がして来る。自分の意志だけでは、とても起きない現象ばかりであった。
私が訪ね歩く先には、前もって、其れなりの準備が整っていて、私が其処に辿り着くと、待っていたとばかりに、物事が動き出すのである。
私の意識は、私が組み上げて来たモノではなく、何か大きな仕掛けが在り、私は惟、その仕組の中を歩かされて、認識を深めさせられて来ただけなのである。
私の意識は、私個人のモノではなく、全体的な“何か”なのである。
私の思考の中には、言葉による情報だけではなく、18年間で出会った多くの人達の姿と名があり、地図を見れば、訪ねた地域の様子が、ありありと浮かんで来る。
18年間の旅で、私の頭脳には、コンピューターでは、絶対に不可能である情報の海が出来ているのだ。
コンピューターは、誰かがキイボードを叩く必要があるが、私の情報は、私の前に誰かが座るだけで、自動的に出て来るのである。
だから、どんなにコンピューターの性能が高く成っても、機械と人間の脳との差は、歴然としてあるのである。
7月2日が来れば、何がどうなるのかは、未だ分からないが、私の思考の中に、構築された情報が、取り出される必要が生じて来るのだろうか。
もう、何が始まっても対応出来るモノが、私の思考の中に納まっているのだろう。
私は、自分で考えても、是から何が起きても、動揺しないだけの修養は出来ていると思う。それは、私の自我意識での有頂天ではなく、全体意識・宇宙意識が総力で紡いで来た、有頂天の世界だからである。
未来を創造する為の情報は、私の脳裏に納まっているものと考えられる。
後は、現象が起き、人々が動き出し、物事が出来始めるのを、見詰めるだけである。
私の役目は、神が用意したプログラムが、間違いなく出来上がるのを確認する事と、人々が、方向性が判らなくなった時に、アドバイスをする事であろう。
私は、無庵師匠に捜し出されてから丸19年が過ぎ、20年目に入っているが、ようやく師が私に謂っていた事が、世間に理解され、本当に、私に其れらしき役目が、果せる様に感じられて来ている。
無庵師匠が、私に云った事は、次の様なものである
一.ようやく見つけた。貴方が人類を救う役目だ。
二.貴方は 自分が想う様に 世の中が成るでしょう。
三.貴方が 世の中で一番頭が優いのですよ。
四.貴方は 遣っている事を全て止めれば、本来の役目が出て来るので 仕事を止め 家族とも別れて下さい。
五.食物を変えれば 3ヶ月で細胞が入れ代わるので、正しい働きに返る。
私は、其れ等の事を云われ、その通りに実行した。
この様な事を、初めて会った人に云われても、普通の人であれば、決して云う事を素直に受け入れる事は無いだろうが、私には、若い時から、誰かが探しに来る事の予感はずーっと有ったのである。
其れに、誰かが来て、私を救い出さなければ、私の健康も精神も、最悪の時期に到っていたのである。
私は、屋久島を、良い島にしようと一生懸命に頑張っていたのだが、自分の身内も、島の人達も、自分の事しか考えないのである。
私は、涙を流しながら「どうして こんななのであろう」と疑問を持ちながら、日夜孤軍奮闘していて、無庵師匠に捜し出された時は、もう限界に達していたので、素直に師の言う事に従う事が出来たのである。
1983(S58)年3月18日に無庵師匠に捜し出されて、翌1984年3月5日から修業が始まり、丁度3ヵ月後の6月4日に神の世界に入り、11月に島を出発し、1985年7月2日に一人旅が終り、7月3日から全国の人達との、新しい人脈が築かれる事と成ったのである。
現在の、私の意識の中には、全国に居る何百人もの人の顔と、名前と、職業がインプットされている。
其れ等の情報が、此れから必要と成って来るのだろう。私は、是から、何が始まるのかを、静かに待てば良いのだろう。
無庵師匠が、私に見出したモノは、私の頭脳が馬鹿だと言う事である。
自分の事は考えないし、中学校しか出ていないし、世の中の事も知らない。
だから、神が使い易い、頭の構造をしているとの事であったのだろう。
私の頭が、優秀との事は、人間社会にとって優いのではなく、神の世界にとって都合が良い頭だと言う事である。
是から、何が、私の頭を通って行くのか、私し自身にも、能く分からない。
私は惟、神の働きに身を委せて行くだけである。
それが、日本の「神惟の道・かんながらのみち」であれば、私は、日本の伝統である神惟の道を歩き続けている事になるのだ。
其れに、木津館に宿泊した日のビジョンには、日本列島が、黄金色に輝いて浮き上がる映像が映し出されて来た。
其れは、私が、屋久島の情報をインプットした小石を、全国の龍穴・パワースポットにセットして回った事と、関係が有るのだろう。
其の現象からも、私が大事な事をやり遂げた事が理解できる。
平成15年4月23日
礒邉自適
2003/4/13
仏の指
15・4・13
本日15時57分に、愛媛県伊予市の蕎麦屋で食事をしていると、私の左手中指に、例の痛みの信号が遣って来て、10分間程続いた。
誰かの行動が、影響して反応しているのかと想い、スーリアさんに連絡を入れて見た。
4月13日は、スーリアさんの誕生日で、私の長男「名越海生」の誕生日でもある。
スーリアさんは、丁度其の時間に、三島市の「水神社(みずかみの社)に仲間達と参拝中だった。其れで、「スーリアさん」と「水神社」と、私の「左手中指」が、どう関係しているのか考えて見た。
私は4月11日より、広島県双三郡吉舎町敷地の友人である「壇上宗謙氏」の「西光寺」を訪ねて二泊し、13日の午前11時に西光寺を後にした。
私が、其の西光寺で気付いた事は、寺に有る絵や仏像の、釈迦仏陀の説法印が、左手の中指を、右手の親指と人差指で、挟んでいるのである。
私は壇上氏に「この釈迦の説法印は 弟子の誰が 前に座っている時のものだろうか。」と尋ねて見たが、壇上さんも、それは分からないとの事だった。
本日の私の指の反応は、その釈迦仏陀の様子と、丁度同じ状況である。
左手中指の痛みを止めるには、其の指を、右手の親指と人差指で挟んで、気の流れを調整する事に成る。
私は、釈迦仏陀の説法印が気に成っていたら、丁度同じ場面を、体験する事になったのである。
そして、その時間に、スーリアさん一行が「水神」をお祭りしている社・やしろに、参拝していた事は、何の関係性を伝えて来ているものだろうか。
釈迦が悟ったのは、6年間の厳しい修業を止め、水浴びをしてスジャータが差し出したミルクを飲み、菩提樹の根本に休んだ時の事である。
イエスキリストも、神の世界に入ったのは、ヨルダン川で水浴びをして、聖霊に満たされての事であり、日本の神道の世界も、「伊耶那岐命・いざなぎのみこと」が黄泉の国から帰り、小戸のあわぎ原で水浴びをした時に、起きた事が元に成っている。
だから「仏教」も、「キリスト教」も、日本の「神道」も、みな水で禊(みそぎ )をした事が、始まりと成っているのである。
是等の事を考えると、宗教の源には「水」が関係しており、水には神が宿っているとの理・ことは、世界共通の事として考えて良いだろう。
では、何故、神の世界に繋がるには、水に関わりを持つ必要が有るのだろうか。
インドでは、多くの人達が、ガンガーの流れに身を浸して祈りをしているし、日本の神道や仏教でも、海、川、滝で禊ぎをする。
昔から、世界中で水浴びをする事は、神に近付く事として、続けられて来たのだ。
私は、誰かに習ったり、云われたりしての事ではなく、自分自身が無意識に、其れ等の事を、屋久島の自然の中で、行う事に成ったのである。
自分の考えではなく、私の意識に入り込んでいる何者かの霊が、其れを、私の肉体を使用して行うのである。
私は只、其の出来事に自分の身心を、委すしかなかったのである。
おそらく、釈迦仏陀や、イエスキリストや「伊耶那岐命・いざなぎのみこと」も、其れと同じ体験をしたのではないだろうか。
禊ぎ祓いの儀式を済ますまで、憑いている霊は、肉親の先祖霊か、自分の守護霊だけのようだが、禊ぎが済んだ後は、全体の数知れずの、霊魂の集団が遣って来て、どれが誰かの区別も不可能である。
名前も分からないし、どんな事が出来る霊なのかも分からない。
私は只、どうする事も出来ないで、その現象に、身を委すしか、他に方法がなかったのである。
その結果が、現在私に起きている、両手の指のビリビリの反応なのである。
霊界と、現界の間に、私の肉体が在り、霊界の働きが、現界の人間に伝わる時、私の身体を通過していくらしいのだ。
どんな働き(やくめ)の霊が通ったのかは、両手の指の反応で感じるしかない。
簡単に説明すれば、左手は「精神的」な働きの者、右手は「物質的」な働きの者が、作用していると言えるだろう。
片手の五本の指も、其々の働きの区別が有るようだが、私にも未だ、其れは明確ではないので言う事は止めておく。
釈迦仏陀の姿(仏像)を見ると、私と同じ事が起きていて、「様々な 指の組み合わせを していたのだなあ。」と、考えさせられるのである。
日本の天皇家の元は、「スメラのミコト」と呼ばれ、シュメール文化の流れを伝えるものらしい。
「スメラのミコト」の働きは「ミーズ(御稜威・みいつ)」の働きと言って、神の世界と、人間の世界の中間に在って、エネルギー(情報)のトランスの役目をする事なので、「釈迦(ブッダ)」と「スメラのミコト」は、同じ働きの者と言う事が出来る。
仏教の得度式の儀式と、天皇家の大譲祭の儀式は、同じくシュメール文化(7000年前)の流れから来ているものだと、本に載っている。
何千年もの昔から、私と同じ事が起きていた人達が居て、其れ等の人達の体験が、現在でも、目に見えない働きとして続いているのだろう。
日本の神事の言葉に「天津日継・あまつひつぎ」とあって、其の事の伝承を明らかにしている。
日本の長い歴史の中に、其の事が傳えられている事を、有り難く感じ、是からも日本の伝統を大切にして行かなければならないと、感じているのは、私だけではないだろうと想う。
私の身に、起きている事柄も、其の長い日本の歴史と、文化の積み重ねからのものであろう。
是からの人類の歴史に、私も、何らかの貢献が出来れば本望である。
平成15年4月13日
礒邉自適
2003/4/12
知識の入口は広い
15・4・12
今朝は、長年の朋(とも)である「壇上宗謙氏」の寺にて目を覚ました。
今朝の夢は、初めに、私が屋久島で老後の為に遣り始めていた盆栽が、全部枯れてしまっているのが映って来た。
私は、実際に屋久島で仕事を続けている時、趣味として「皐月・さつき」の盆栽を数百鉢育てていて、お金も数百万投資していた。それが、8年振りに帰島して見ると、母親の体の具合が悪かったせいか、水掛けが出来ないで全部枯れてしまっていた。
現在・いまは、其の鉢には何も生えていないのに、今朝の夢では、枯れた皐月が鉢の中に生えているのである。
私は、見たくない夢を見てしまったのだが、気持ち的にはガッカリした様子も無く、整然として、それを眺めていたのである。どうして今頃、枯れた皐月が映って来たのかを、気にすると、変わった絵が一枚映って来た。
其れは、変わった絵なので、何の事かと想うと、部所毎に説明が成されて来た。其れは、次の様なモノであった。
・一番大きな部分は、知識の入口で、五感は幅広く情報を取り込む事が示されている。
・右側に有る細い管は、知識の低所の方から、必要な事だけが取り出されることを示している。
・途中に巻き付いている横の物は、この器を支えるエネルギーで、食を現している。
・エネルギーの源・みなもとから、血管が器の一番根本に通じており、知識の取り込みと再生(取り出し)には、血液がみなもと(源・皆本)に成っていることを現している。
朝起きて、夢の内容と皐月の盆栽の関係を考えて見ると、私が何故、お金と時間とエネルギーを、盆栽に使わされたかの原因が見えて来た。
私が、盆栽を育てる事で、物の造型・組み立ての「プログラム・システム」が、私の脳の中に仕込まれたのである。
つまり、私の知識の入口を広げる役割を、盆栽がしてくれた事に成る。
私が、自分で、老後の為と思い付いて始めた事も、実は、神が私を利用する為に、私に遣らせていた事の一部である事が解って来た。
私の盆栽は、種子を蒔いて、小さい苗を大きく育ててやるのではなく、他人が山から、数十年、数百年経った大きな原木を採って来たのを買って、新芽を出させて、枝を造り込んで行く遣り方である。
だから、幹と枝のバランスが整う迄に、20〜30年の年月が掛かるので、30歳代から始めておけば、老後に、完成した樹型が見られると考えての事であった。
盆栽の造りの基礎は、私は農業を行なっていたので、植物の生態や、水や肥料の遣り方、其れに、樹木の剪定の技術や意味も把握していたので、比較的早くマスター出来たと思っている。
不思議な事に、鹿児島市の木市で知り合った「鹿児島県盆栽協会」の副会長さんが、屋久島まで指導にも来て下さったりした事もあり、私が何故、スムーズに盆栽の世界に入り込んだのかの原因も分かって来た。
私が、時間と金を投入出来た事も、神の働きを考えれば納得の行く処である。
私が、何故、老後のライフスタイルに盆栽を選んだかと言うと、私は魚釣りが大好きで、小学校の頃より釣りを始めていたが、屋久島の磯は崖が多く、とても危険である。
だから、年老いてからの釣りは危ないので、老後の楽しみは盆栽が良いだろうとの、想いに至ったからである。
人間は、動物だから、活動を止めると、能力が急速に落ちてしまう。其れを防ぐには、死ぬ迄、何かの行為を続けておかなければならない。
私が、盆栽を始めた理由は述べたが、其れも私の考えではなく、神の議り事(はかりごと)であったとすれば、私自身の意志が、何処まであったのか定かではなくなって来る。
屋久島の自然の中で、様々な仕事や趣味が変わると、付き合う人々が当然変わる事に成る。それらの事を考えると、人と、時間と、金と、舞台に、私がどれだけ恵まれていたかが理解されてくる。
私には、知識の入口が、確かに広く大きく開かれていた事になるのだ。
知識の入口は、五感のセンサーが働く世界である。視・聴・嗅・味・触の五感のセンサーを使用しながら、手足を使い、道具を使用して行為を進めて行く。其処に、第六感の意が働き始めるのである。
私の夢は、其の六感が働いての事なのだが、六感の源には、私が島での生活で鍛えた五感の働きが有る事に成る。そして、その五感の働きの一番根本の処には、血液が存在している。
其の血液は、食物より生み出されている理が示され、その食物を集める為に必要なのが、知識や情報である理・ことが、今朝の夢の絵で、知らされて来ているのである。
そして、一番大事な理・ことは、知識のタンクから知恵として、情報が引き出されていく別の出口は、細くて一本しかない事である。細い管から、再生されて出て来る知識の中身が、どれだけ価値が有るのかは、個人個人の五感の使用方法で決まるとの事だろう。
原始時代の人間の生活を考えれば、他人が食物を持って来てくれるわけではない。自分で、食糧を手に出来ない者は、当然零落(おちぶ)れて死んで行くしかない。
能力の有る者だけが生き残って、遺伝子を残し、伝えて来ているのである。
36億年の生命のプログラムの中に、今朝の夢の内容は、記憶されているのだろう。
これから、益々厳しく成る生存競争社会を生き残って、どの様にDNA・遺伝子継続させて行くか、知恵を出し合わせて行かなければ成らない。
その大きな目的の為に、今朝の絵の説明は、重要な意味を伝えて来ており、神が、未だ、人類に対して希望を繋いでいる事が受け取れる。
私が、昨夜泊まった寺は禅宗の寺で、壇上さんは単身で100軒の檀家さんのお世話をしている。壇上さんは、肉魚も食べず、酒も全く飲まないで、精進を続けている。
今朝の夢は、その壇上さんの波動が、寺に籠っており、導き出されて来たモノ・現象だと想われる。
人間が、生きると言う事は、食や環境が如何に大事であるかとの理が、壇上さんの存在と、寺の「風・ルン」を含めて、感じさせられた、今朝のメッセージであった。
平成15年4月12日
礒邉自適
2003/4/2
弁才天(Sarasvati)
15・4・2
今朝の霊夢は、人格霊ではなく、物質の魂が、正体を現して来たと言えるだろうか。
今朝の映像には、中年の女性が一人現れて、私は懐かしさを感じて安心出来たので、女性に身を任せた。
すると、その女性の体は、全身が鱗の様な物で被われているのである。だけど、私には、それが気持ち悪いものではなく、安らいだままであった。
私は、意識を静かに廻らして行くと、その体は人間の形をしておらず、地球の一部の岩の様なもので、紫の色をしており、全体の様子が見えない事が判かった。
其れは、大きな岩なのだが、大木の化石の様な感じで、その物体には、何かの仕組みが備わっている様である。
私が、根本に成っている部分を見ると、一個の手鏡が立て掛けて在るのに気付き、それを引き抜いて見ると、裏には、女性の上半身の絵が画かれているのが分かった。
その女性は、人間の顔を持った、女神の姿である事が理解された。
私が、何の神様かと想うと、今度は、薄紫の布か紙の様な物が映って来て、文字が書かれている。その文字は、歌詞の様で、横書きに、大小の文字で五線譜の音符の調子で書かれている。
私に、音楽の学識があれば、直ぐに、音と意味が理解出来るのだろうが、音階も歌詞の意味も、取り込む事が出来ないで夢は終った。
朝起きて、今朝の夢を分析すると、近頃続いた釋迦牟尼佛、イエスキリスト、一休禅師、老子、マイトレーヤ等の、昔生きていた人格霊ではなく、自然神が意志を現して来たと考えられる。
・女性神だが 全身鱗が付いていて蛇神を感じさせる。インドのシヴァ神か?
・地球の 地殻の一部の様だったので 大地の女神。
・歌詞と 旋律が示されたので 弁才天。
・私を 優しく懐に抱き入れたので 母神。
・紫色が貴重色なので 物質を司る神。
以上の事柄から、女性神であり、大地、文字、音の関連から、物質を司る神と考えられる。
私が18年前、奈良の「天河神社」に参拝したら、小豆色のコブラが現れて、お礼を言われた事がある。天河神社には、奈良県吉野の金峯山寺の谷に在る「脳天神社」に降りて来た弁才天が祭られている。
その時の体験からも、今朝の霊夢に現れた女神は、弁才天に類した女神と考えて良いだろう。
私は本日から屋久島を出て、17日まで旅をして来る。
出発の朝に、弁財天(Sarasvati・サラスヴァテイ)か、シヴァの神に優しく抱かれたという事は、今度の旅は、何か、吉い事が起こりそうな気がする。
いよいよ、事が動き出すのだろうか。
◎べんざい天〔弁才天・弁財天〕
(梵語Sarasvati)音楽・弁才・財福などをつかさどる女神、妙音天、美音天ともいう。2臂(ひ)あるいは8臂で、琵琶を持つ姿、武器を持つ姿などに表される。元インドの河神で、のち学問・芸術の守護神となり、吉祥天とともにインドで最も尊宗された女神。日本では後世、吉祥天と混同し、福徳賦与の神として弁財天と称され、七福神の一つとして信仰される。古来、安芸の宮島、大和の天の川、近江の竹生島、相模の江ノ島、陸前の金華山を五弁天と称。弁天。
◎シバ〔湿婆〕
(梵語Siva)ヒンドゥー教の三大神の一。破壊や死と生殖・創造を同時につかさどるとされ、リンガ(男根)や男女両性の形で表される。仏教に取り入れられて大自在天となった。
◎ガイア〔Gaia〕ギリシャ神話の大地の女神。
平成15年4月2日
礒邉自適
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