大磯町にある建設会社のSさんが、今年は珍しい手ぬぐいを持って来てくれた。会社の宣伝のためにつくられたものだが、見ていると大磯の歴史、いや日本の歴史が感じ取れます。
政治家 吉田茂
平成21年3月22日に焼失した旧吉田邸は、戦後日本の復興に大きな功績を残された故吉田茂元首相の本宅であり、首相在任中はもとより、政界引退後も多くの政財界人が訪れるなど、重要な役割を果たしてきた戦後政治史の舞台でした。
大磯は数多くの名士が移り住んだ土地としても知られています。
随筆家 白洲正子
華山伯爵家の末っ子として、東京に生まれる。
鰻の「國よし」HPより 『・・・白洲さんの実家、華山家は大磯に邸宅があり、また夫、白洲次郎氏と結婚した直後は暫らく大磯に暮らしていたため、白洲さんは、よく老舗の「國よし」の鰻を食べたと言います・・・・。』
政治家 伊藤博文
1890年(明治23年)頃、伊藤が小田原の滄浪閣へ行く途中、大磯に立ち寄り、その白砂松林の大磯が気に入り、梅子夫人の病気療養のためにも、この地に別荘を建築することに決めた。
別荘が完成すると、小田原の滄浪閣を引き払い、大磯の別荘の方を「滄浪閣」と名付けた。1897年(明治30年)10月1日、伊藤は本籍を東京から大磯に移したため、滄浪閣は伊藤の別荘ではなく本邸となった。
医者 松本順
1885年に大磯に日本初の海水浴場を開設し、寂れていた大磯別荘地帯として新しく生まれ変わらせた大磯の大恩人です。名物虎の子饅頭を持って東京の名士に会ったり、海水浴場の演目を歌舞伎に取り入れ大磯海水浴場を宣伝したりと名プデューサーでもありました。
実業家 三井八郎右衛門高棟
旧三井八郎右衛門邸は、三井家総領家である三井北家当主で、旧三井財閥の総師でもあった11代三井八郎右衛門高公(1895〜1992)が、戦災で焼失した旧本邸に代わる新本邸として敗戦後、旧本邸の焼け残りに京都、大磯など各地の別邸の部材を集めて再建したもの。後に東京都小金井市の江戸東京たてもの園に移築されました。
