まさに秋です。仲秋の名月は好天に恵まれ見ることが出来ました。十五夜から8日目は二十三夜の月です。日付の変わる頃、東の空に下弦の月が昇ります。
近世では戌申講・念仏講・伊勢講・大山講・稲荷講・二十三夜講など農民相互のあいだで、様々な講が組織されていました。中でも二十三夜講は江戸時代に盛んで明治まで続き、豊田本郷には平成のはじめまで続いていましたが現在ではほとんど忘れられた風習となってしまいました。しかし、念仏講は今でもお年寄りのお茶会の場として続いています。
昭和55年、平塚市市史編纂のため古文書を解読して頂きました。
解説『「二十三夜々待講定書」(川越藩)という豊田本郷村における定書であるが、もともとこうした文書が残っていること自体めずらしく、県内ではこの一点ぐらいである。文書にも特徴がある。話し言葉をそのまま文字にしたからであろう。一つの形式をもった他の文書とは違い、日常の一面がかいまみられるようである。(一部略)』平塚市史資料編近世1をもとに紹介します。
「前夜から潔斎して、二十三夜戌刻(午後8時)あらかじめ決めた当番の家に集まる。月の昇るのを待って(月待ち)」飲食を楽しむ(煮しめや小豆粥)。月齢23日の月は午前0時頃昇り、月に乗った勢至菩薩に家運長久を拝し解散した。」
講中は真夜中まで一緒に行動を共にすることで、絆を確かめ合ったのでしょう。
【古文書要約】
二十三夜得台勢至菩薩 家運長久の菩薩に有らせられ、
町内者永久に御祈願申可候 毎々二十三日戌刻より集合
当番順席茶・煮染、夜食は小豆粥、二十三夜の月の御昇を拝し宿散す、
講者右の主旨に対し堅く相守可候
(1810)文化七年庚午歳八月
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