2009/8/29

小川典子 夏の音楽浴U ドビュッシーの日 8/24  オーケストラ

東京文化会館主催による「夏の音楽浴U ドビュッシーの日」を聴いた。ピアノの小川典子が、1回1時間弱のコンサートを、1日のなかで3本こなす大企画となる。それぞれのコンサートではドビュッシーの初期、中期の代表作と、晩年の大作「12の練習曲」が取り上げられ、全部の演奏会を聴くと、1日にしてドビュッシーの音楽的遍歴のエッセンスを理解できるという試みであった。

小川が自身の20周年記念演奏会でもメインで取り上げた「12の練習曲」が、やはり絶品であった。今回、どの曲についても作品に対するイメージを小川自身が話してから演奏する形をとったが、その言葉に見合う表現がしっかり返ってくる。5本の指のために、3度のために、4度のために・・・というタイトルどおりに、きれいに特徴を捉えながら、輪郭のハッキリした演奏を試みた。

これに象徴されるように、演奏を中心としたプレゼンテーションには小川のこころづかいが節々に効き、良い意味でわかりやすくて、満足感も高いコンサートになった。

2回目のコンサートで演奏された『映像U』では、強弱の「ピアノ」を中心とした3曲を取り上げたが、それはかえって「ピアノ」の多様な表現法を示すパフォーマンスとなる。〈葉ずえを渡る鐘〉では響きそのものが小さくなり、葉ずえをサワサワと抜けて吹いてくる風の音に、ほんのり載った鐘の響きを自然に浮かび上がらせる。つづく〈荒れた寺にかかる月〉では、音量よりも打鍵の軽さに注意して、鬱蒼とした森の蔭、廃寺となった建物に薄く月光が射すミステリアスな風景を、しんなりと描き上げる。〈金色の魚〉は響き自体は十分に豪勢で、ニシキゴイの華やかさを遺憾なく表現しながら、音楽の落ち着きだけで優雅に「ピアノ」を演出するという解釈の妙を披露した。

最初のコンサートでは、やはり〈月の光〉が印象的だ。小川の演奏は、ただ美しいというよりは、優しく、艶やかで、かつ、ほんのりと物悲しい。前半部分の清澄な美しさは作曲者であるドビュッシーと、演奏者である小川のこころの美しさを二重写しにする。古い旋法を導入した中間部分を丁寧に弾いたあと、同じテーマが戻る部分では、むしろ物悲しさが先行している。

こうした詩的な実現のなかにあって、ナチュラルに忍び込んでいる構造への意識にも注目したい。ここでは古典的なトリオ形式だが、中間部分を挿んで、同じ旋律が再現する最後のパートには、何か大事なものをしまい込むような想いと同時に、自らの大事なものと別れるような、寂しさのあるポエジーが潜んでいる。この感覚は、ドビュッシーの中期までの作品にはよくみられる。

一方、最後のエチュードでは、そうした要素が振り切られ、一見、ドライな世界に踏み込んでいるようにも思われるが、小川はこれをドビュッシーの見つけた最後の自由として捉えている。

これに限らず様々な発見のあったコンサートは、ここに書くには限界がある。まずは、その成功を素直に喜びたい。

【プログラム】 2009年8月24日

 オール・ドビュッシー・プログラム

【第1部】13:00〜
○アラベスク第1番、月の光〜ベルガマスク組曲
○西風の見たもの、亜麻色の髪の乙女、沈める寺〜前奏曲集T
○カノープ、花火〜前奏曲集U
○小さな羊飼い、ゴリウォークのケークウォーク〜子どもの領分
○喜びの島
【第2部】16:00〜
○パゴタ、グラナダの夕べ、雨の庭〜版画
○水の反映、ラモーをたたえて、運動〜映像T
○葉ずえを渡る鐘、荒れた寺にかかる月、金色の魚〜映像U
【第3部】19:00〜
○12の練習曲

 於:東京文化会館(小ホール)
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