2009/6/25

工藤重典 ヴィヴァルディ フルート協奏曲 @浜離宮朝日ホール 6/24  室内楽

工藤重典は、師であるJ.P.ランパルの跡を継ぎ、パリ・エコールノルマルの教授を務めるフルーティストであり、フランスや日本で広く活動していることは、周知のとおりである。その工藤が、ラ・ストラヴァガンツァ東京という弦楽アンサンブルと、チェンバリストの長久真実子とともに、ヴィヴァルディの(op.10)のフルート協奏曲集を全曲演奏するというリサイタルを聴いた。

【抽斗の多い工藤の演奏】

アンコールの前に工藤がコメントしていたように、ヴィヴァルディの音楽について、ストラヴィンスキーは「生涯に1曲しか書いていない」と揶揄していた。工藤はそんなことないと思うとフォローしていたが、作風のヴァリュエーションはあまり広いとはいえないのも事実だ。しかし、それにも関わらず、ヴィヴァルディは膨大な作品を残していて、こうして6曲をつづけて聴いてみても、まったく飽きることがないのはなぜだろうか。

まず、その秘密は、1回的な音楽だということにあるだろう。ヴィヴァルディは職人時代の音楽家で、作品を次々に量産し、1回的に消費していくことを常としていた。何年か前にヴェニス・バロック・オーケストラが日本で演奏し、話題になった長編のセレナータ「アンドロメダ・リベラータ」にしても、たった1回の上演で放擲されたというのだから、当時の豪奢な消費ぶりが窺えるのである。しかし、このことを逆にいえば、例えばベートーベンやブルックナーにあるような、かく演奏すべしという伝統的規範の意味が希薄であり、その分、演奏者の個性が重要視されるということにもなる。

工藤はフランスの文化に染まりきったというわけでもなかろうが、本質的に個性を重視するフルーティストだ。昨日やった曲が、明日は別の形になっているかもしれないという緊張感の中でしか、演奏を楽しめない。そのためには、様々な抽斗をもっていることが必要で、そのスキルが、今回のようなヴィヴァルディの作品でも大きな力になったのは想像に難くない。

6つの曲は概ね、急・緩・急の構造(2番のみは、緩・急1セット×3)や、和声やリズム、それらの進行などにおいて似通っている。だが、それにも関わらず、6つの曲の特徴は、簡潔な言葉で明確に描き分けることができる。

1番「海の嵐」は、きりっとした潮の香りが、構造を引き締めている佳曲だ。第2番は緩・急の1セットごとに雰囲気を変え、素朴なものから、宮廷的で優雅なものに推移していく流れが面白い。3番の「五色鶸(ごしきひわ)」は、題名となった野鳥の囀りを思わせるコロラトゥーラの名曲だが、音域はやや低めで、穏やかな印象である。4番はすっきりとした書法が爽やかであり、5番は’Allegro ma non tanto’を生かした第1楽章のゆったりした雰囲気が、全体の印象を決めているうえに、ラルゴではやや荘厳な宗教性にも迫った作品。第6番は、目もくらむような技巧の彩が楽しく、ついには神々しさにまで達する。

工藤は、これらの特徴を的確に捉え、音色の硬軟や、その色彩感、息づかいの厳しさや優しさで、見事に描き分けている。だが、それは独奏者だけでの手柄ではなく、非常によく様式を把握した弦楽アンサンブル、ラ・ストラヴァガンツァ東京(松野弘明、篠原智子、篠崎友美、植木昭雄、黒木岩寿)と、チェンバロの長久真実子のサポートあればこそであったとも言えるのかもしれない。

【分類】

6曲の出来はどれも甲乙つけがたいが、その傾向をすこし分類的にみるならば、ソツのない書法を優雅に吹いていく1番と4番、超絶技巧を使いながら、知らないうちに表現を深めていく3番と6番、そして、ややひねりを入れて、酒脱なマジックを披露する2番と5番という風にグルーピングできると思う。これらのうち、技巧的な第2のグループは反応もよく、その凄さがわかりやすい。実際、「五色鶸」なる愛らしいニックネームのつく第3番は、単独でもよくプログラムに上り、有名である。第6番は工藤のスペシャリティでもあり、確信に満ちたフレージングの見事さが、技巧的なカンタービレを豪奢に彩っている。

3番と6番を比べると、6番はコロラトゥーラ・ソプラノの真っすぐさな表現が際立っているのに対して、3番は、同じコロラでもやや低音に重心が置かれて、響きにも工夫が施されているのがわかる。その内容に目を移すと、第6番はむしろ複雑で、優雅な響きをもっているが、3番はより単純で、描写的な手応えがある。これが工藤の表現の巧みさで、ほんのわずかな音色やフレージングの調整で、ここまで明確なちがいを感じさせ、些細ではあるが、作品全体にとってみたら、まるで意味のちがう響きを慎重に拾うことで、2つの曲を「1つの曲」などではなく、独立の価値のあるものとしてしっかりと演奏している点に注目したい。

3番では、笑いや安らぎといったものが優勢であるに対して、6番では、驚嘆や嘆息がそれに代わるだろう。

【白眉は第2番の演奏】

さて、私がもっとも感心したのは、第2番「夜」の演奏である。作品は、ラルゴ、プレスト、ラルゴ、プレスト、ラルゴ、アレグロの6楽章であるが、すべてのラルゴが序奏のような役割となっており、直後の急速部と一体化しているので、実際はほかと同じ3楽章の形式に準じている。既述のように、3つのセットはそれぞれ雰囲気が異なっている。最初のセットは、宗教的な厳かさに満ちているのに対して、第2のセットはより素朴な雰囲気となり、最後のラルゴとアレグロは、宮廷的な華やかさを添えている。

しかし、どの部分においても彼らの演奏は重々しくなく、楽曲の清々しい響きを前面に出している。それはチェンバロの長久と、チェロの植木がつくる、透明な通奏低音の響きに象徴されるのかもしれない。「幽霊」と題された第2曲のあと、通奏低音が除かれる3曲目のラルゴは、開放的な自然のイメージを象徴しているかのようだ。工藤のフルートの響きの活き活きとした輪郭は、こうした部分において、もっともよく輝く。弦の焚きつけるような響きから、じっくりと温められていく最後のアレグロは、それまでの急速部のプレストと明らかにちがって、響きに厚みがあるのが特徴だ。

【そのほかの曲、まとめ】

やや完成度で劣るとはいえ、5番の演奏も捨てがたい。そこでは、バックと独奏フルートの関係がもっとも複雑であり、とりわけ、バックの動きの多彩さが存分に独奏を助けている形となっていた。ラ・ストラヴァガンツァ東京は、ヴィヴァルディの演奏に情熱のあるメンバーのみで結成されたといい、昨年11月、チェリストの木越洋と共演した公演、およびデビュー録音でスタートを切ったアンサンブルである。個々の奏者はよく知られた人ばかりだが、今後、何度もアンサンブルを重ねて、熟成を深めてもらいたいグループであると思った。

特に、植木昭雄のチェロは清楚だが、内側からじんわりと染み込んでくるような味わいがあり、出色である。それはこの曲のラルゴ・ア・カンタービレで存分に生かされ、フルートのシンプルなラインを、薄味の京料理の出汁さながらに、しっかりと支えているのが心憎い。第5番に限らず、植木のチェロの繊細な輝きは、この公演を聴くときの喜びのひとつともなった。

長久のチェンバロは、決して派手なものではないとはいえ、締めるところを締めるしっかりとした演奏で、周りのメンバーにしっかり喰らいついている・・・どころか、ときには、ぐいぐいと引っ張るような勢いもあった。バロックでは、チェンバロは絶対的に重要なので、彼女の役割がしっかりしてはじめて、フルートや弦の動きに耳がいくものである。鈴木雅明や小林道夫に学び、著名なリコーダー奏者である江崎浩二の信頼を受けているという経歴は「ウソ」ではなかった。

湿気の多い時期とあって、工藤さんの笛もやや湿り気味の音色ではあったが、その範囲において、最高のパフォーマンスを見せてくれたことに感謝したい。この方ほど確信に満ちた表現をされる方も少なく、どのように評価されようとも、自らの音楽を貫くという姿勢の堅固さについては、いつもながら頭が下がる想いだ。とはいえ、フロアも相当に盛り上がり、彼の奔放なパフォーマンスに酔いしれたものである。しっかり手ごたえのある賞賛を受けて、工藤の表情もにこやかだった。

【プログラム】 2009年6月24日

○ヴィヴァルディ フルート協奏曲 op.10(全曲)

 弦楽アンサンブル:ラ・ストラヴァガンツァ東京

 チェンバロ:長久真実子

 於:浜離宮朝日ホール
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