2009/4/13

カンブルラン ベートーベン 読響 芸劇マチネー 4/12  オーケストラ

フランスやドイツの一線で活躍するシルヴァン・カンブルランは、来季から、スクロヴァチェフスキの後任として、読売日本交響楽団の常任指揮者となる予定になっている。その1年前に組まれた4月のプログラム、まずはベートーベンを中心としたプログラムで勝負する。とはいえ、この楽団への登場は、まだ2回目。たった1度の顔合わせで、楽団の将来を委ねることを決めてしまうとは、なかなか思いきったものだ。私は内外の楽団を通じて、カンブルランの生演奏は、これがはじめてとなる。CDでは、モーツァルトと、やはり現代音楽の録音に気に入るものがあった。

【カンブルランの印象と、次期常任としての役割】

さて、カンブルランの印象であるが、まずは、スクロヴァチェフスキ同様、かなり活きのいい音楽をつくる指揮者だという感じをもった。この前のスクロヴァの演奏を聴いて、やはり、この爺さんはロックなところがあるなあと感じていた。ところが、カンブルランはそれ以上だ。スクロヴァがエルトン・ジョンとするならば、カンブルランはノエル・ギャラガー(OASISの兄貴のほう)という感じだろうか(ちなみに、ノリントンはリアム・ギャラガーという感じに思える)。現代音楽さえもポップに聴かせてしまうフランス人の血が、やはりカンブルランにも脈々と流れているのだろうか(そりゃあ、流れてるさ!)。メリハリが鋭く、動きもかなり機敏で、ソワソワさせる響きの「とがり」がある。

また、フランス人指揮者というイメージからは、「音色がゆたか」という表現が、当然のように出てくる。フランスでもトップを占める指揮者として、それは当然というところだが、さらに耳がよい。そのため、分離がよく、情報量が多い。例えば、ベートーベンの交響曲第4番の出だしの、響きの美しさなどは無類であっただろう。そのことから導かれるのは、和声への感覚の鋭さ。これに加え、さすがにドイツで長く活躍するだけあり、主題の扱いなど構造的な面白さもしっかり拾っている。このあたりの長所は、さしずめ1本串に刺すことができると思う。

さらに、その強調として、ひとつひとつの楽器の、その楽器らしい響きを大切にする指揮者だという感覚も見受けられた。それはもちろん、主に管の響き、とりわけ、金管の響きでセンシティヴであるが、弦楽五部の間でさえ、かなり緻密な音色への拘りがみられた。ホルンならホルン、トランペットならトランペットの響きをしっかり生かすことこそ、響きを重ねるときの基本というのが、こうした演奏でよくわかるだろう。そして、実は、これこそがカンブルランへバトン・タッチするときに、楽団がもっとも期待している役割なのではないかと思われた。トチリが全くなかったわけではないが、オーボエ・クラリネット・フルート・ファゴットのスクウェアは、いつもよりもチャレンジングでありながら、すこしだけ注意深い演奏をした。そして、それぞれが自らの響きをしっかり生かすという基本に立ち返って、演奏しているようにも見えた。

こうした諸点を踏まえて、カンブルランが常任となったら、こういう効果があるのではないかという点が見えた点で、次期シェフのお目見えの公演としては、上々の成果だったのではなかろうか。とはいえ、まだ2回目であるから、まだコミュニケーション不足が残っていることは否めない。強奏部での踏み込みが強すぎたり、細かなアジャストが演奏に軋みを与える部分がないではなかった。その点は、月曜日のサントリーホール公演では改善する可能性もある。だが、この楽団の最近の傾向として、あまりにチャレンジングな方向にひた走るあまり、すこし嘘くさい演奏になってしまう(シナイスキーの回が象徴的)点が、カンブルランの活き活きした個性と相俟って、やや粗暴になりそうな部分も散見されたのは、今後の慎重な取り組みに期待するしかないだろう。

とはいえ、ときにやや物足りなかった管セクションはより明瞭な、美しい音色でブラッシュ・アップされ、これまで好調な弦セクションも、さらに豊富な語法を獲得していくであろうことは、想像に難くない。そして、この響きを磨いていけば、それこそピットにでも入れてみたいと思わせるようなフィジカル面の強さと、表現の軟らかさが得られるはずだと予言してもいいだろう。それこそ、いまの読響にとって、最大の弱点だったのである。

【ベートーベン 交響曲第4番】

ここ何年かの間に、ベートーベンの交響曲第4番はかなり回数を聴いている。好きというほどではないが、どういうことか、縁があるのだ。そして、この曲はとても尊敬しているというべきか、すべての楽章をバランスよく演奏するのは、かなり難しい曲だという印象がある。私のベストは、宮本文昭がひよっこ指揮者として都響を振ったときの演奏で、やはり宮本の耳のよさが効いていた。今回、ようやくそれを越える演奏になったと思う。カンブルランも、世界的なオーボエ奏者同様に耳がよかったからだろう。最初の楽章の序奏のあと、速い流れとなる部分の、響きの重なりをうまく捉えており、これを聴いたならば、もはやコバケンはお呼びでないというぐらい繊細なテクスチャーを表現している。このあたりの数分間は、夢のような響きだった。これが最後まで続けば、涙が出るほどの演奏だったが、なかなかそうもいかない。

カンブルランの音楽は要求が厳しいので、よく準備された演奏とそうでないものの差が激しく出る。その意味で、モーツァルト<ベートーベン4番<同第5番という構図は明らかで、それが見えてしまうと、聴き手のほうもノリが薄らいでしまう。象徴的なのは、名手・山岸博の吹くホルンで、ここがもう少ししっかりしてくれれば、印象もちがっただろう。木管のほうも、ときにフェルマータを引き伸ばしたような要求で、素材の外形を強調する部分において、ブレスや音程といった基本的な部分でのエラーが目立った。しかし、第2楽章の最後のフルートのように、外枠をしっかり固めておいてから彫り上げる、修飾のきめ細かさについては、今後の期待を誘うものだ。

拍節感はしっかりしているし、古典的な構造の美点をしっかり拾った演奏は、やはり聴いていて面白い。最後の楽章はきわめて快速で、ファゴットの難所では、思わず笑ってしまう。カンブルランの演奏では、ベートーベンにみられるバロック(主に大バッハ)への憧憬などもしっかり息づいており、演奏の断面に確かめられる音楽の多様性が一廉でない。

【ベートーベン 交響曲第5番】

5番は、全体がスケルッツォのような演奏になっている。この曲につきまとう厳しさは、決してなくなっていないのだが、どこか、ボルトが外れたような感じのある演奏なのだ。これは貶しているのではなく、そうした意図を明確にもった演奏だということである。例えば、3連符の支配する構造の厳しさはあるし、裏拍もしっかり守らせて弾いているのだが、それが非常に滑らかに構造に溶け出していて、いかにも「ベートーベンらしい」と思われるような、くそまじめな厳しさには結びついていかないのだ。だから、背筋が寒くなるような、いわゆる「精神性」たっぷりのベートーベンを聴きたいと思うならば、カンブルランはオススメできない。その代わり、そんな伝説的なベートーベンを忘れ、響きという単位に解体されたナチュラルなベートーベン像を拝んでみたい・・・という好奇心があるならば、この演奏はお手本となるようなものだろう。それを徹底したノリントンと比べても、ずっと音楽に真摯で、華があるように思う。

この楽団での活動に対する施政方針演説ともいえる第2楽章は、見事なものだった。先述したような管の音色への拘りがもっとも凝縮された楽章であり、例えば、強奏部に表れる金管楽器の音色の美しさ、丁寧な木管楽器の響きは4番と比べて、2割増だ。そして、ぐっと内声を絞り出した、弦五部の響きも徹底されている。これらの組み合わせも隙がない。この傾向はこのあとの楽章に共通しており、総合して、大きな変奏曲を演奏している感覚に襲われる。第3楽章は透きとおった演奏というか、きわめて流れがいい。喜々として動きをつけるコントラバスの深いカンタービレが、弦セク全体に伝わる。終楽章へのブリッジは渦巻くような響きがゆったり動いていて、いかにも優雅だった。

第1楽章、主題の強奏部に過剰なほどにつけたアクセントを参照しつつ、最初のリズムの数音をテヌート気味にきつく保持しながら、後半を抜いて勢いよく開始するフィナーレ。それに象徴されるように、この終楽章は左肩を持ち上げ、右側へ坂を滑り落ちていくような構造をうまく捉えていく。コーダで、弦がアルペッジオを駆け下りるような部分は本当にうまく、この楽団の基本スキルの高さを感じられる部分だ。どちらかといえばカラリとした爽快さが先に立つ演奏だが、小結尾の直前でアンサンブルの一体感が最高潮に達したとき、思わずぐっと来る場面が僅かにあった。ピッコロを効かせたりして、最後まで楽器の音色を丁寧に追っていく姿勢は徹底している。最後はリズムのくびきから悠々と飛翔していく感じがして、堂々たる出来映えをアピールするかのように、爽やかな響きが残った。

【まとめ】

前プロには、モーツァルトの歌劇「劇場支配人」序曲が演奏され、音色のゆたかさという点では、これがいちばん良かった。やはり、録音での印象と同じで、モーツァルトの演奏は面白いものになるだろう。そして、アンコールには、これも私にとって縁のある曲、シューベルトの劇付随音楽「ロザムンデ」のなかの、第3幕への間奏曲が演奏されたのは、愛着のある演目でもあり、こころをくすぐられた。この日、活躍の管楽器が丁寧に織り込まれているし、ベートーベンの4番が、かのシューマンによって「2人の北欧神話の巨人に挟まれたギリシアの乙女」と呼ばれたことからのインスピレーションであろう。ベートーベンも悪くはないが、やはり、こういうナイーヴなところのある曲のほうが、カンブルランには合っているのかもしれない。

というわけで、カンブルランの功罪が形になった感じの演奏会で、彼と楽団の考え方もわかったような気がするし、来季からの常任のお目見えとしては、意義ぶかい公演になったのではないだろうか。私としては、期待が6分で、不安が4分といったところか。今後、カンブルランのお手並みをしっかりと追っていきたい気持ちだ。いずれにしても、新しい方向に舵をきる読響の勇気だけは称えておこう!

【プログラム】 2009年4月12日

1,モーツァルト 歌劇「劇場支配人」序曲
2,ベートーベン 交響曲第4番
3,ベートーベン 交響曲第5番

 コンサートマスター:藤原 浜雄

 於:東京芸術劇場
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