2009/2/19

アナ・チュマチェンコ ヴァイオリン・リサイタル @東京文化会館(小ホール) 2/18  室内楽

2007年5月に聴いた、アナ・チュマチェンコの演奏は、私にとってきわめて印象ぶかいものだったようだ。自分のブログを検索してみると、彼女の演奏を聴いたのはその1回きりなのに、その後、折に触れてアナの名前に触れているのだ。そのアナが、2年ぶりに日本を訪れている。16日に読響でハチャトゥリアン、この日はフランクほかの3つのヴァイオリン・ソナタ。21日に公開マスタークラスという予定で、彼女が3つの顔をみせるシリーズとなっている。私は前回、コンチェルトを聴いたので、今回はヴァイオリン・ソナタを選んだ。なお、21日のマスタークラスは既に聴講券が完売となっている。

【人工美の極致】

さて、今回のリサイタルも刺激が強かった。やはり、アナの本領は、室内楽で顕著となるらしい。最初のモーツァルトからして、人工美の極致をいく。例えば、ライナー・ホーネックの演奏がフェルメール的な自然美を湛えるとすれば、アナ・チュマチェンコの演奏の美しさは甚だ人工的で、そこに僅かに原始的なものが匂うモディリアーニ的なものといえそうだ。

練りに練られたフレージング、息づかいの巧妙さに加え、技術的にも、ポルタメントやヴィブラート、レガートなどをうまくコントロールして、絶妙の味わいに仕上げている。さらにいえば、メリハリがすごい。これは、ペーター・レーゼルのベートーベンを思い出させるが、彼女の響きの出し入れの鋭さは、隙のないフレージングのデザインと合わせ、楽曲のフォルムに突っかかるものを用意する。これが、歌舞伎のキメのような効果をもたらすのである。

【モーツァルト、ブラームス】

モーツァルトは、快活な 第32番(K.376)ということもあり、アナのユーモアが生きた演奏である。本来は、鍵盤が目立つように書かれた曲であるが、ミュンヘン音大の教授でもあり、チュマチェンコ・クラスの伴奏者をも務める占部由美子は、コレペティのような役回りで、アナのパフォーマンスに同調している。

ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番は、最近のトレンドからすると、かなり濃厚な演奏となった。ヴィブラートを意識的に多めに用いて、特に叙情的な部分では露骨に、その効果を感じさせる。思わず、ロストロポーヴィチの演奏を思い出した。ただ、不思議とあざとい感じはせず、響きの美しさや、音程のぶれは感じさせない。また、フレーズの終わりでヴィブラートを絶妙のタイミングで外し、切ない感じを出すときの効果が凄まじかった。それは、特に第2楽章で顕著である。敢えてきついヴィブラートをベースとすることで、ヴァイオリンをして人間の声にちかいナチュラル・ヴィブラートを演じさせているのだが、一方、そこから抜けてきた響きの「溜め息」が清澄な、透きとおった音色で表現されるとき、我々の感じるエクスタシーは一廉ではなかった。

この楽章は、チュマチェンコのあらゆる面を雄弁に語っている。例えば、ただでさえ神秘的なフラジオレットに、さらなる奥行きをつける演奏法にも、驚きを禁じ得なかった。それはもはや、技法のすごさを通り越して、ブラームスが作品に込めた苦悩そのものなのであった。チュマチェンコの演奏は人工的だといったが、それは作曲家が書いた楽譜のなかに込められた想い、息吹き(息づかい)、そして、フォルムへの強いこだわりを、彼女なりに拾い上げようとする誠意の表れだ。その演奏は物語に満ちていて、フォルムの美しさが、その表現を手助けする。アナの演奏で聴くかぎり、ブラームスは遅れてきた古典派というよりは、やはり後期ロマン派の巨魁というイメージを受けるのではないか。

最後、どこか沈潜するかのような第3楽章は、彼女のヴァイオリンの音色の華やかによって、絶妙のバランスを保っている。孔雀が羽を広げたような結びの響きは、再びハーモニクスを目いっぱい美しく仕上げたものであり、この作品のイメージを最後に一言でいいきるものだった。

【フランク】

一転してフランクの演奏では、エネルギーを増幅させるかのような作用をもつ循環主題の特徴を生かし、エネルギッシュな演奏が展開された。もはやフォルムの彫りの深さについては言うまでもないが、特に前半2楽章でみせた集中力の高さは、異常というレヴェルである。ひとつひとつの音に、私は感謝した。

とりわけ、第2楽章の前半のほうで、ヴィオラのような深い響きを出す部分から、一気に切り返して高音にもっていくときのコントロールのすごさには息を呑んだ。弟子のショーソンを思わせるような後半の盛り上げを聴いていると、フォーレとともに、このフランクが、どれだけ偉大な存在なのかがよくわかるだろう。チュマチェンコは決して轟音を響かせるわけではないが、それでもしっかりした音をつくる。あと20年はやく聴けたならば、もっと突き抜けるような凄い音に接することができたはずだ。だが、この年齢になってのアナの演奏も十分に粒だっているし、きっと以前よりも穏やかな優しさを湛えた滋味があり、素晴らしい。

第4楽章のロンド主題の追っかけっこは、中途半端な譲り合いがみられず、従来のフランクのイメージからすると、かなりゴツゴツしたものになっている。やはり、この組み合わせでは、チュマチェンコがリードをとるときの引きが強い。クライマックスでは、さすがに気ごころの知れたコンビだけあって、思いきった響きの重ね合わせが凄まじい効果を上げる。結びの音のユーモアは、いかにもチュマチェンコらしいものだ。

【まとめ】

ヴァイオリンのリサイタルで、これほど夢中になれることは珍しいかもしれない。それだけに有名な小品を混ぜたり、ヴァイオリニストはいろいろと工夫したプログラムを組んでいるが、チュマチェンコは、そんなことをしなくても、響きのユーモア、その自由な歌いまわしこそ、最大のフレーバーであることを教えてくれた。なにより、彼女の演奏を聴くことで、我々はあたまに入りきらないくらい、たくさんの情報を得る。そのことによって、我々は作曲家が自らの作品にこめた想いに近づくことができる。だからこそ、楽しくなるのだ。

チュマチェンコが演奏しているときの、穏やかな表情も印象的だ。どんなに厳しい響きを奏でていても、アナの演奏の中心にある明るさは、決して消えることがない。逆にいえば、それがあるからこそ、我々はどんな深く、手厳しい表現にも、耐えることができるのではかなかろうか。正直、彼女のヴァイオリンを聴いて、良かった/悪かったなどという評価をすることほど、野暮ったいことはない。アンコールでは、好んでスケルッツォを取り上げ、そのセンスのいい音のユーモアをたっぷり愉しませた彼女のことだ。長く書いたあとに言うことでもないが、結局、この一言で十分だったのかもしれない。

 アナ、ほんとに楽しかったよ!


【プログラム】 2009年2月18日

1,モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ第32番 K.376
2,ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」
3,フランク ヴァイオリン・ソナタ

 pf:占部 由美子

 於:東京文化会館(小ホール)
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